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機械娘の心的外傷(トラウマ)~旧タイトル:SAMPLE  作者: 日吉 舞
変わりゆく距離
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第58話

「未来が……自分からそんなことを言ってたんですね」

 愕然とした杉田だったが、電話の向こうで田代が首を縦に振った気配を感じた。

『面接のときもね。彼女、自分に愛される価値なんてない、生きる資格はないと何度も言っていたの。そして問題になるのが、何故そこまで自己否定が強いのかということ。普通ならそんな極限状態にあれば、他人に頼っても恥にならないことはわかっているでしょう。でもあの娘は、誰かにすがりたくてもそれができないのよ』

「何故です?」

『誰かに頼ったり、甘えたりするのは悪いことだと心のどこかで思い込んでいるから。無意識に抑制がかかってしまうのね。そこに関係するのが、未来さんが育ってきた家庭環境と両親との関係なの。先生は、彼女の家族と会ったことはおあり?』

 そこで、杉田は無意識のうちに眼鏡の位置を直して小首を傾げた。

「母親になら、少しはありますが」

『どんな印象があった?』

「それは……」

 田代の問いに答えようとして、杉田は躊躇った。

 大月とともに未来を訪ねて初めて母親の恵美子に会ったとき、あれが本当に病気の娘を見舞った親の態度なのかと疑いたくなるほどだった。恵美子は娘の身体よりも、彼女の仕事に支障が出ることや体面を気にする職場の上司のようだったのだ。

 即答しない杉田に答えを見出した田代の話が、次の段階へと展開していく。

『あまりいい印象が持てなかった、というところかしら。未来さんの心理的な傾向として、自己否定の感情が強いことは説明したわね。面接を重ねていくうちに、子どもの頃に冷えた家庭環境にあって、母親から愛されていると感じなかったらしいことがわかったの』

 息を飲む音が、恐らく田代にも聞こえただろう。一呼吸の間を置いて、ベテランのカウンセラーは見地を述べ続けた。

『子どもは自分という存在そのものが親から愛されていると感じることで、自らが生きていること自体に価値があると自然に学ぶ。でも、子どもの悪い部分が親に受け入れられず無視されていると、信頼の感情や自己尊重の精神が育たないの。大人になってからも、自分を蔑ろにするのよ』

 杉田は田代の説明を、黙って聞いているしかなかった。

 彼女が今話しているのは、未来と面接を重ねた結果から正確に導き出した分析結果だ。

 杉田も今まで未来と接していて、母子関係に何かあると思ってはいた。

 が、普通の家庭に、恐らく未来からすれば羨ましいほど暖かな家に育った杉田には、すぐには未来の苦しみが想像できなかった。

『子どもは親がいなければ生きてはいけないでしょう?自分を拒否され続けている子どもは必死で感情も殺して、何とか親に認めてもらおうとするの。その過程で、自分はいい子でなければ必要とされない子なんだ、助けてくれないから誰かを頼っても無駄だ、と歪んだ意識が芽生えてしまう。これを愛着障害というんだけど……聞いたところによると、未来さんの父親は海外出張が多くて、母子家庭も同然だったようよ。彼女の母親は夫との関係がうまくいかなかったことで、そのストレスを末娘の未来さんに向けていたようね。娘の本来の姿を無視して支配することで、精神的な安定を得ていたんだわ』

 田代の話は、そこで一旦結ばれていた。

 何と言うことなのだろう。

 それでは、未来は今まで心から安らいだ気持ちにはなれなかったということではないのか。

 仲間に裏切られ、親にさえ守ってもらえない。完全に孤立無援の状態なのだ。

 その事実に、杉田の脳裏をある二文字が横切る。

 思わず、彼は田代に尋ねていた。

「未来は精神的に……虐待されていたということですか?」

『そうとは言えないけど、機能不全家庭にいたことは確かよ』

「機能不全家庭、ですか」

 杉田が繰り返して呟いた。

 機能不全家庭とは、文字通り家族が問題を抱えており、本来あるべき姿を失っている家庭のことだ。

 ドメスティック・バイオレンスや児童虐待などがこの代表だが、夫婦の不和も広い意味でここに入る。子どもの安息の場所として存在していないのは、正常な家庭であるとは言い難いだろう。

 田代が再び、現在の未来の姿について話を戻す。

『そして未来さんは、今もまだ母親の支配から逃れられずにいるの。事故で大怪我をしたときでさえ、それを自分のせいだと責められると感じる。サイボーグになったことも、親からもらった身体に手を加えたと否定されるかも知れない。あの娘は真っ先にそう考えてしまって、重大なことの判断がいつも母親の基準になっている自分を憎んでいるのね』

 今まで未来は、家族のことや小さい頃のことに話が及んでも、杉田にほとんど話してくれたことはなかった。彼女自身、母親の言いなりに過ごしていた幼い自分が許せないのだろう。

 杉田の口調は、まだ呆然としたままであった。

「未来が何か心理的な問題を抱えてるんじゃないか、とは思ってましたが……そんなことがあったんですか」

『ええ。ここまでが、未来さんの根本にあるところ。まだ、現在の大きな問題があるのよ。彼女は今、治療に専念するべき状態なの。本当なら、命懸けの戦いなんて絶対にやらせるべきではないわ』

「それは……何とかしようとしたんです。でも、僕の力が及ばなかったばかりに」

 我ながら言い訳がましく聞こえるが、今更弁明してもどうにもならないことだった。杉田の苦悩が滲み出た口調を汲んでか、田代はそれ以上の追及をしてこない。

『今までに退役軍人のクライアントもいたけれど、未来さんも彼らと同じなのね。訓練や戦闘のときは日常的な感覚を遮断できるから、優秀な結果が残せる。生き残ることに特化した能力だと言えるかしら』

「訓練を担当している者も驚いていました。ここまでの才能を持った女性は、軍でも見たことがないと」

 杉田が話を継いだところで田代は息をつき、乾いた唇を飲み物で湿らせたようだった。

『でも、戦闘時のストレスがきっかけとなって、精神に重大な影響を与えることがあるの。一番心配なのは、未来さんに他殺衝動の可能性があることよ』

 恩師から突然の、想像だにしなかった宣告だった。

 杉田の心臓が飛び上がった。

 頭の中が白い闇に一瞬で覆われ、思わず息をするのも忘れそうになる。

 未来は、人殺しの自分を一番嫌っていたのではなかったのか。

 他人のことまで心底から思いやり、自らの危険を省みずにその命を救おうとしていたではないか。

「……え、え?」

 乱れ切った拍動と、冬も間近に迫りつつある空気の中で滲み出た冷たい汗に、杉田は一声絞り出すのがやっとだった。

『未来さんはね、自分のアイデンティティを否定する人に対して強い拒絶を示すの。その最たるものが、AWP最高責任者のである大月専務よ』

 田代からその人物名を聞いても、杉田に新たな驚きは湧かない。やっぱり、と苦い現実を再認識せざるを得ない、やりきれなさが心に染み渡っていく。

 敢えて感情を交えていない田代の声が、そう判断した過程をつけ加えた。

『面接のときに大月専務のことは話が及ぶと、未来さんはいつも内容を逸らしていたわ。でも、最後の面接の時に泣きながら話してくれたの。このまま人間扱いしてもらえないのは、いつ耐えられなくなるかわからない。もし理性が働かなくなったら、大月専務を殺すかも知れないと』

「だから、僕に電話して下さったんですね」

 白衣の袖で額の汗を拭って息をついた杉田の口調は、彼が自分で考えていたより落ち着いたものだった。

『そう、守秘義務の例外に該当するケースなの。でも報告の対象が貴方であれば、未来さんは少なくとも裏切られたとは感じない。守秘義務の例外に関しては最初に説明はしたけど、後になってそれを問題視するクライアントもいるものだから』

 杉田に、再び田代が頷いたのが気配で伝わってくる。

『カウンセリングが専務の命令で一方的に打ち切られて、未来さんはそれだけでも相当な憎悪を感じているわ。しかも、明日は戦闘でしょう。彼女の精神がどれだけの影響を受けるのか、まったくわからない。本当ならストレスの根源に近い専務と、一刻も早く引き離すべきなんだけど。それに、心配なのはそれだけでは……』

 更に田代が懸念点を唇に上らせようとした時である。

 杉田がいる研究室の呼び鈴が鳴り、来訪者があることを告げた。

「あ、すみません。誰か来たようなので……ご連絡、本当にどうもありがとうございました。明日以降にまた、こちらから電話します」

 研究室の外にいるのが誰であれ、部外者との会話を聞かれるのはまずい。

 杉田が急いで田代との通話を終わらせ、慌ただしく携帯電話のモードをインターホンに切り替えた。ひとまず通話をつなぎ直し、自動ドアの前で待っているであろう人物に応答する。

「はい」

『未来ですけど……入ってもいい?』

 遠慮がちな調子で、未来の声が携帯電話から響いてきた。

「未来?まだ帰ってなかったのか」

 普段なら呼び鈴も鳴らさずに入ってくることもある未来だったが、今はそんな様子もない。

 杉田は書類や事務用品で埋まっている卓上からリモコンを掘り出して、研究室の自動ドアを開けた。





「先生もまだ帰ってなかったの?明日は朝早いのに」

「今日は徹夜かも知れないんだよ。あと少しのところまで、例の発作の調査が進んでるからね」

 困ったように頭を掻く杉田の様子を見ながらゆっくりと研究室の中に入ってきた未来に、普段と変わったところはない。

 彼女は紙屑と飲食物の空パック、分厚い専門書で散らかり放題の室内をぐるっと見渡していた。

「ここ何日かは帰れてないみたいだけど、私なら大丈夫だから。先生、今日は早く休みなよ」

「でも、まだ発作を治すところまで調査が進んでないんだぞ。大丈夫なんかじゃないだろ」

「そんなことない。私のことで無理はしないでよ」

 無精髭が目立つ杉田の顔を見る未来の声のトーンが落ちたが、穏やかな印象をもたらす調子だ。

「前にも言ったと思うけど、いつもベストの状態で戦えるって思ってないから。これから先戦地に行くときなんかは、多分どこか故障してても戦わなきゃならないでしょう?今のうちに慣れておきたいし」

 無意識のうちに小首を傾けた未来の長い髪が、さらりと揺れて白い顔にかかる。明るい茶色の髪を指で梳きながら部屋を一回りした彼女は、ブラインドがかかった窓の側で足を止めた。

 そのまま閉め切ったブラインドの隙間を指で開き、外の夜景に視線を流す。

 確かに、未来の言うことには一理あった。今回P2を倒し、後に軍事プロジェクトに本格投入されることになれば、治療や修理が間に合わなくても戦わねばならない場合もあるだろう。

 しかし、だからと言って今やれることをやらない訳にはいかなかった。

 杉田は頷いてから立ち上がると、荒れ放題のデスクを離れて未来の側に寄った。

「わかったよ、時間を決めて仕事するから。今夜は遅くても日付が変わるまでには片付けて、宿直室で寝るよ。だから未来も、今日はもう帰って休むといい」

「うん」

 こくりと頷いた未来は、まだ窓の外を眺めたままだ。

「でも、分析は本当にあと一歩のところまで来てるんだ。明日はここに残る助手に引き継いで、もし結果が判明したら、すぐに連絡をくれるよう頼んでおくよ。トレーラーにもプログラム修正と転送ができる設備はあるし、その場で対応もできるからね」

「……うん」

 杉田が未来を安心させるために言ったことも聞いているのかどうか怪しく、目立った反応はない。

 彼女は心ここにあらずの状態らしく、黒い瞳は外の夜景ではなくもっと遠くをぼんやりと見つめているかのようだった。

「その様子じゃ、疲れてるんだろう?もう戻って休んでおけよ。明日一番大変なのは、未来なんだから」

 もう一度気遣いの言葉をかけられた未来はやっとブラインドから指を離し、杉田へ顔を向けた。

「私も今日はここに泊まるよ。宿直室は男女別だし、申請もちゃんと出してあるから」

「え……自分の部屋に帰らなくていいのか?」

「うん。今日はみんなと一緒にいたいから。これが最後になるかも知れないんだし」

 そこで、未来の声がややうわずった。

 言葉を止めた彼女は、十数センチは上にある杉田の目を見上げてくる。

 何か言いたげなその黒い瞳から、若い医師は逃げるように視線を逸らした。

「そんな、縁起でもないこと言うなよ」

 彼はなおも見つめてくる未来をわざと振り切るように、身体ごと横を向いた。

 未来の眼を正面から見つめたら、今の言葉を肯定することになるようで怖かったのだ。

 自分たちが一緒に過ごすのは、これが最後になるかも知れない。

 本当のことだった。

 明日の戦いに万全の体勢で臨む準備はほぼ整っているが、勝利と生存が約束された戦いではない。まして敵であるP2は、恐らく今の地球上で最強の相手に当たる。未来は死を賭して戦う強い意志を持たねばならなかった。

 未来はまだ二三歳の女の子だ。普通の女性として生きていたなら、こんな悲壮な覚悟を抱かなくて済んだ筈なのだ。

 罪の意識に重い胸の痛みを覚え、思わず踏み出しかけていた杉田の足が止まる。

 その背中に、未来の細い身体がそっとぶつかった。

「未来?」

「何も言わないで」

 驚いて振り向こうとした杉田の胸へ、未来が細い腕を伸ばした。

 そのまま白衣に包まれた背中に顔を埋めるように、白い頬を寄せる。晩秋の空気で少し冷えた肌に、服を通した温もりが心地よかった。

「少しの間だけでいいの。少しだけ、このままでいさせて」

 低く呟いた未来の声は寂しげで甘えたようでありながら、どこか拗ねた感じだ。

 背中から杉田に抱きついてきた小さな身体が震えているのが、はっきりと感じられる。

 未来は怖いのだ。

 明日、生命が絶たれてしまうかも知れない。

 そんな時間を待っている今、恐怖を感じない者などいない。

 少なくとも、生きている人間であれば。

 杉田の胸に、愛おしさがこみ上げた。

 が、しがみついてくる彼女に何をどう言えばいいのかわからなかった。

 安っぽい励ましや慰めの言葉など、却って傷つけてしまうだけだろう。

 ふと、疑問が心に湧き上がってくる。

 こんなに怯えている未来に、本当に大月を殺す可能性などあるのだろうか。

 このほっそりとした娘に他殺衝動があるなど認めたくないし、信じたくもない。

 様々に渦巻く思念は杉田の身体を縛り、動きを奪っていた。

 しかし、未来が愛に飢えていることはわかっている。P2の襲撃があった夜のように、結局何も言葉をかけられないままでいることは決してしたくなかった。

「未来、僕は……」

「だめだよ、何も言わないで。こうやって先生のこと、ただ感じていたいから」

 たしなめるような未来の言葉に込められた強い思いに従った杉田は、彼女の手の甲にそっと指先を重ねた。

「必ず僕たちのところに帰っておいで」

「……うん」

 低く呟いた未来が、重ねられた杉田の手を空いた手で握る。

「絶対だぞ。約束したからな」

「うん。頑張る」

 杉田は振り向かなかったが、未来が穏やかな笑顔を浮かべていることはわかった。

 二人の互いを思いやる気持ちは、決戦前夜にしてようやく通い合ったのであった。

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