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機械娘の心的外傷(トラウマ)~旧タイトル:SAMPLE  作者: 日吉 舞
変わりゆく距離
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第57話

「い、生沢先生!僕は……」

 杉田が驚いて声を上げるのも無視して、生沢がその細い身体をずるずると引きずるようにセキュリティエリアの外へと持っていく。大月が甲高い声で制止していたようだが、生憎と彼らの耳には届かない。

 後ろ向きに連行されていく杉田に聞こえているのは、生沢の笑いを含んだ意地の悪い文句だけだ。

「お前もやるじゃねえか。相手の言うことを一部だけ肯定して自分の言い分を認めさせるってな、なかなか上手い方法だ」

 一般エリアへ続く最後の認証ドアを通り、生沢がようやく杉田を掴んでいた手を離す。白衣と一緒にスーツとシャツの襟首も掴まれていた杉田は、徐にネクタイを直してから抗議するような視線を生沢に向けた。

「大月専務から離してくれたのには感謝しますけど、お願いですからもうちょっと優しくしてくださいよ」

「済まんな。つい、普通に割り込もうって気をどっかに忘れちまうんだ」

 一緒にエレベーターホールへと出た二人は、共に地下三階のガレージへ降りるべくエレベーターに乗り込んだ。

 ふと、杉田の脳裏を未来のもの言いたげな顔が横切る。

「そう言えば、未来を共同研究室に待たせてるんですけど」

「未来なら用があるからって、さっき帰ったぞ。何か話でもあったのか?」

「……いえ。また次に会ったときで大丈夫ですから」

 生沢の返事に、杉田は軽く首を傾けた。未来が別れ際に何か話したがっていたのが気にはなったが、重要な話であればまた彼女から言い出してくるだろう。

 エレベーターがAWP棟最下層に達して止まる。連れ立って降りた二人の男がセキュリティドアを開けると、彼らは地下ガレージの巨大な空間を照らすオレンジ色の光に出迎えられた。

 今はその照明の他に、色違いの強力な光源があった。貨物用エレベーター前にある荷捌き場に巨大なトレーラーが停まっており、その付近を複数の白い強力なライトが照らしている。打ちっぱなしのコンクリートとアスファルトに囲まれた場所では数十人分の影が忙しなく形を変え、何百ものケーブルの束が這っていた。普段はひっそりとしたガレージでは、つなぎ姿で工具を手にした職員たちと作業ロボットが走り回っており、機械音と話し声の喧噪で騒々しいぐらいだ。

 P2破壊工作には全体の指揮や未来の負傷、パワードスーツの破損時にも対処可能な基地がどうしても必要だった。

 そこで用意されたのが、各種の簡易設備を積めるだけ積んだ巨大なトレーラーである。車体は公道を走れる中で最大のものが準備され、今はその改造と設備の据え付作業がピークを迎えている時だった。

「こっちから申請を出してたのはクリーニングブースとレントゲンと除細動器、手術ユニット一式、培養装置と各種気体、液体ボンベ、応急処置用の機材とガーゼとかの消耗品だ。薬剤や輸液類は、助手にリストを作ってもらって直前に積み込むことになる。俺は手術ユニットを中心にチェックするから、お前は培養装置とその周りを見といてくれ」

 生沢は言いながら、分厚い書類が挟まれたクリップボードを杉田に手渡した。杉田が頷いて受け取ると、二人はコンテナの後部スロープを上がって内部に入っていく。

 二階建てのトレーラーに据えつける簡易設備類の取り付けは七割終了、といったところだろうか。スロープを上がってすぐはクリーニングユニットになっており、トレーラーが完成すればここは壁で仕切られる予定だ。その先は処置室、奥の階段を上がった二階部分が司令室となっていた。

「二百番台のケーブルはB8のハブに接続だ。ポートはまだ指定されてないから……」

「ビスが足りない?余ってるところから分けてもらっとけ!」

「設計図にあってもそこにないラックは、多分次の社内便で来るはずだ。こっちで確認しする間に、違う班を手伝っててあげて」

 各スペースではAWP指定の作業ジャケットに軍手をつけたリーダー職員が、通信機をつけてきびきびと部下に指示を出している。

 各装置を取り付ける作業員や機材を運ぶロボットの間をぬって、杉田は設置が終了している培養装置に近づいた。それは一見すると鈍く光るステンレスのタンクのようで、各パーツの状態が確認しやすいように強化ガラスの小窓がつけられている。小窓は他の者にも配慮して、黒いカーテンで覆われていた。

 処置室の片隅に置かれたそれには、作戦当日は人工臓器や血管等各種を入れるつもりだ。生沢が担当している輸血用血液や輸液と同じく、生体パーツも直前に持ち込むことになるだろう。

 杉田が生沢から渡されたクリップボードに目を落とす。チェックシートを確認すると、試験のために通電はさせてある環境のようだった。装置の電源を投入し、順次LEDやメーターの動作を一つ一つ確かめる作業に入っていく。

「杉田先生もこちらにいらしてたんですか」

 そこへ、グレーの作業ジャケットを着たリューが声をかけてきた。

「ああ。こいつに人工心臓や皮膚の予備とかも入れるつもりだから。スパイダーはどこにでも置けるけどね」

 杉田が顔を上げて応える。培養装置の確認事項はそれほど多くなく、目の前のそれも研究室に予備として置いていたものだ。彼は慣れた手つきで一通りの作業を終わらせ、チェックシートを埋めてサインを入れた。

 リューがまだ空の培養槽を小窓から覗き込んでこぼす。

「それは、私たちはいいですが他の職員には厳しいかも知れませんね」

「人工臓器を剥き出しのままでここに入れたりはしないって。それに、覗き窓にはカーテンもついてるし」

 苦笑気味に培養装置を指した杉田に、リューは頷いた。

「トイレや洗浄設備等の基礎施設は、私がチェックしておきました。全体的な進捗は七五パーセント程度、一一月二日までには九八パーセントにまで終了させるんだとか」

「随分半端な数値だな。残りの二パーセントは何だろう?」

「前日までに消耗品を積むのと、直前の最終チェックを入れて終了らしいですよ」

「へえ」

 リューの説明の端々に認められる仕事の細かさに、杉田が思わず目を丸くする。

 作業全体の仕切は大月専務であるだけに、抜かりはないようだった。言われてみれば、リューや杉田が持っているチェックシートは全て日付別に項目が分かれている。

 疲れてきたのか、リューが指先で軽く目頭を揉んでからチェック表を見直した。

「私の方は、細かい機械が多いから確認も多いんですよ。手伝って頂けませんか?」

「僕は武器やレーダーのことなんてわからないけど、いいのか?」

 杉田から聞き返されたリューは、再度頷いた。

「杉田先生はこれを読み上げるだけで大丈夫ですよ。武器についてはもうチェック済みですしね。それでも、この項目の多さですからね。まだ人手が足りません。杉田先生は、通信機器関係をお願いしたいんですが」

 軽く溜息をついて、リューが自分のクリップボードを杉田に渡した。

 ざっと見てみると、チェックシートの束の厚さは同じだが、中身が遙かに細かいことが一目でわかった。大項目は各種の探知機にレーダー、通信機が数種類、小型のサーバーに端末数台、併せてそれら機器の予備が一台ずつと言ったところだろうか。大まかな分類は判別できても、詳細な項目はどんな物品を指しているのかさっぱりわからない。

 表を埋める専門用語の多さに軽く目眩を覚えながらも、杉田は頷いた。

「わかった。今日の担当分を終わらせたら、すぐ手伝いに行くよ」

「ありがとうございます。作戦当日は軍から助っ人を呼びますから、こんなことはないと思うんですけどね」

「軍からここへ?」

 クリップボードを返そうとした杉田の手が止まり、差し出されたリューの手を空振りさせた。

「私の元部下たちです。大月専務から直接許可を取りました。幸い、軍で使っているのと同じ機材を手配できましたしね」

 あの大月専務が、軍関係者とは言えAWPと無関係の者の介入をそう簡単に許可するとは思えない。リューも相当食い下がったのだろう。逆に、リューもそれだけ本気でこの作戦に取り組んでいるということなのだ。

 杉田から改めてクリップボードを受け取ったリューの口調も、おどけた内容と裏腹にやや硬かった。

「作戦前日にはここに呼んでますけど、紹介は当日の朝になります。お手柔らかに迎えて下さい」

「リューこそ、昔の鬼教官ぶりは発揮しないようにな」

「いえ、私はいじられ教官でしたから」

 リューは実戦経験がある元軍人であるだけに、民間人である未来を一人で戦わせるこの作戦に不安要素も多々あるのだろう。

 その分杉田は彼女の身体を万全の状態にしてやることに、全力を注がねばならなかった。

 正直なところ、SNSAの誤作動が関係する身体の不調に関しては、痙攣性発作の対応をするだけで手が一杯だった。戦闘時に未来の命の行方を直接左右することなだけに、気分障害への対処はどうしても後手に回ってしまう。

 今は生沢や助手たちも手が空いておらず、一人で何とかせねばならなかったが、弱音を吐いている暇はない。

 杉田の孤独な戦いは、正念場を迎えつつあった。






 

 一一月四日。

 P2との戦いに向かう、荒々しく激しい渦に巻かれたAWP内では、事更に日々の経過が早くなっていると皆が感じていた。作戦用のトレーラーに全ての設備を設置し終え、消耗品を全て積み込み、事前の訓練や研修のメニュー課程が全て終了するまで、光の早さの如く時が駆け抜けた。

「……もうこんな時間か。参ったなあ」

 杉田が自分の研究室で確認した電波時計の時刻は、午後八時一七分だった。

 プリンタから吐き出された大量の紙データと乱雑に積まれた医学書、ゴミ箱から溢れんばかりに押し込まれたプラスチックのカップに、細い身体が埋もれるかのようになっている。もともとひょろ長く見える体格に、この数日で更に拍車がかかったかの見えていた。

 未来の痙攣性発作の原因を特定する戦いは、作戦決行が明日に迫った今もまだ続いていた。

 誤作動を誘発しているらしいプログラム、疑わしいデータを含むファイル、修正するべきパラメータの目星はとうについている。なのにどうしても原因が特定できず、修正するところまで漕ぎ着けない。

 焦りは集中力を乱し、疲れは気力に下降線を辿らせる一方だった。明日は早朝から作戦の準備作業に取りかからねばならないのに、この調子では徹夜になりかねない。

 せめて今日は自宅で落ち着いて寝たいと思っていたが、それも恐らく叶いそうにない。外出は何度か着替えを取りに部屋に戻った程度で、食事もシャワーも睡眠も、最近は全てAWP棟の施設で間に合わせているていたらくだ。

 スーツはしわだらけな上に、白衣も薄汚れている。これでは、万年私服の生沢にだらしないと言われても反論できる口がないだろう。

 自分の不甲斐なさがつくづく情けない。

 無精髭が伸び放題の杉田からは溜息しか出ず、不意に着信を告げて震えた社用携帯電話にさえ、思わず溜息をついてしまった。

「……もしもし」

『もしもし。田代ですけど、まだお仕事中?』

「あ、こんばんわ。失礼しました、すみません」

 落ち着いた低い女性の声が耳に響くと、疲労にだらけきっていた杉田の姿勢が正される。うっかり不機嫌な声で電話に出てしまったことを、思わず謝った。

 しかし、田代は別段気にする素振りもなく続けた。

『少し話がしたいんだけど。今時間は大丈夫かしら?』

「ええ。何でしょう?」

『頂いたメールを読んだの。未来さん、こっちに来られなくなるのね』

「そうなんです。僕は断固反対したんですが、外部の人間への接触をやめさせなければ、彼女に薬物を使用すると上司から……」

『そう、やっぱり脅されたのね。カウンセリングは今後、メールと電話でやるようにするから。未来さんにももう説明してあるわ』

 田代の声も溜息混じりではあったが、杉田は驚いて尋ねた。

「まだカウンセリングを続けて頂けるんですか?」

『ええ、勿論よ。たとえ公的な機関からの命令であっても、正当な理由なくして診療を中断する要求には応じられない。立派な人権侵害に当たるもの。ただ、貴方の上役に知られると危険でしょうから、当面は直接の接触は断つということにしたほうが無難だと判断したの』

 言い切った田代には、杉田を責めるような空気は感じられない。今の状況で最善を尽くそうとする姿勢が有難かったが、気がかりなことはあった。

「未来は……どう言ってました?」

 杉田の声が不安に揺れたが、田代はそれをがっちり受け止めつつ返してくれているようだった。

『ショックを受けてはいたけど、カウンセリングは続けられることに安心したようよ。ただ、今回の件は彼女の精神状態に悪影響を及ぼした可能性が高いわね』

「上役からの命令でカウンセリングが中断されると伝えたんですか?」

 そこで、杉田の頭を先日の大月専務の冷たい表情が掠めていく。

『いいえ。誰からの命令というのは言っていないけれど、勘づいてはいたと思うわ』

「悪影響というのは、また抑鬱の状態に陥るかも知れないと?」

『それもあるけれど、問題はもっと根が深いの。今日は今の時点でわかったことを伝えようと思って、電話したのよ。貴方は彼女の担当医だし、最も信頼されている人でもあるから』

「根が深い問題……ですか?」

 若い医師の眉が動く。

 悪い予感が、心の中で鎌首をもたげ始めた。

 その不安定さを煽らぬように心がけているのか、田代の語り口は淡々としたものになってきていた。

『ええ。まず、現在の彼女の現状だけど。抑鬱でない時もパニック発作のように身体的症状を起こすくらい、非常に不安定な状態ね』

「はい。強いストレスに晒されたことと、脳に移植した装置の不具合が重なったことが大きいと思われます」

 身構えた杉田が頷くと、田代の声が言葉を続けた。

『抑鬱と不眠、不安症状は、安定剤と睡眠導入剤である程度は改善の傾向。この直接の原因は、彼女がサイボーグになった本当の理由を知ったこと』

「……はい」

 専門医から改めて言われると、その事実が何倍もの罪悪感となり、杉田の胸にずしりと重く暗い影を落とした。

『自分が実験動物のように扱われていて、訓練や実戦の結果次第で殺されることになりかねない緊張や、今まで望んでいた、普通の女性としての幸せな将来が失われたことに対する絶望感。そして何より、このまま自分が人間ではなくなるのではないかという恐怖。面接で聞いた訴えは、一番主なものがそう言ったことだったわ』

「そんなこと!彼女は人間ですよ。少なくとも僕は……」

『問題はそこではないのよ』

 そう返しかけた杉田を田代が穏やかに、だが有無を言わさず遮った。

『いい?彼女は二年前まで、平凡な女性だった。それが、今は一度に大勢の人間が殺される現場を目の当たりにしたり、逆に自分が人を何人も殺している。そんなことに慣れてしまって、心までもが鈍感になり、内面まで人間らしさを失うのではないか。でも、サイボーグの戦士として成果は挙げなくてはならないし、そうしなければ自分が失敗作と見なされて殺される。そんな自分が、人殺しの自分が生きている資格なんてあるのか--未来さんが抱いているのは、そういう不安なのよ』

 生きている資格がない。

 耳を打ったそれと似た言葉を未来は確か、杉田が彼女の自室を訪れたときにも言っていた。

 自分は優しくされる資格などないと。


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