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機械娘の心的外傷(トラウマ)~旧タイトル:SAMPLE  作者: 日吉 舞
変わりゆく距離
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第56話

 杉田は昼休みに入ってから三十分ほどが経過しても、共同研究室のデスクで未来の脳機能検査結果のプリントアウトや、個人パソコンのモニターを忙しく見比べていた。

「お疲れ様、杉田先生」

 その横に、アイスカフェラテのプラスチックカップが未来の笑顔と一緒に差し出される。

「……あれ、来てたのか?今日はメンテの予定じゃないだろ」

「うん。今日は調子がいいから、リューに機関砲の試射をやらせてもらってたの」

 驚きつつもカップを受け取った杉田をよそに、未来が再度笑って見せる。確かにまだ頬がこけてはいたが、顔色は悪くなく無理をしているぎこちなさはない。

 杉田は未来の身体への負担を考え、予定されているメンテナンスと訓練がないときはなるべくC-SOLから遠ざかっているよう言っておいたが、少なくとも当の本人はここにいることを苦痛に感じているように見えなかった。

 彼女がカウンセラーの田代と初めて会ってから、丁度一週間が経過した。

 最初の頃こそ抵抗があったようだが、未来は意外と素直に精神安定剤と睡眠導入剤の処方を受け、一日おきにカウンセリングに通うようになっていた。それ以降徐々にではあるが落ち着きを取り戻してきているようで、自然な表情の変化も少しずつ見受けられるようになってきている。

 田代から未来の状態についてまだ報告は受けていないが、やはり何でも話せる相談相手ができたことが非常に大きいのだろう。

 カウンセリングとは、カウンセラーが相談者に対し悩みの答えを提示するものではない。

 あくまで問題を抱えている本人が、会話をすることによって悩みの根本にあるものが何であるのかを見つけ、それにどう対処していけばいいかに気づくことが最終的な目的となる。

 そこへうまく相談者を導いてやるのが、カウンセラーの役目なのだ。

 田代は元大学病院勤めの精神科医であるだけに、様々な症例に慣れた優秀なカウンセラーであり、杉田自身が学生時代に世話になった恩師でもある。彼女に未来のメンタルケアを任せた判断が正しかったことに、杉田はようやく少し安堵していた。

 彼のほっとした表情に微笑みで応えると、未来は続けた。

「機関砲の試射ついでに、ちょっとだけ訓練もやったんだ。やっとましな結果が出るようになってきたから、リューもびっくりしてたよ」

「それはいいんだけど……いくら調子がいいからって、いきなりハードスケジュールは組むなよ。却って身体に負担がかかって、また無理することになるかも知れないんだからね」

「大丈夫だよ。杉田先生ってば、心配性なんだから」

 未来は自分のアイスコーヒーに口をつけてから、杉田のデスクに軽く腰かけて寄りかかってくる。

「P2との戦いまで、あと一週間しかないんだもん。みんな頑張ってるんだから、私も頑張らなきゃ申し訳ないよ。それに訓練でいい結果が出せなければ危ないのは、私自身なんだし」

 未来が一度、手にしたプラスチックカップの揺れるアイスコーヒーと氷に目を落としてから顔を上げた。

「杉田先生だって、私の身体を治すために一生懸命やってくれてるじゃない。だから、私も一緒に頑張らせてよ」

「わかったよ。でも、ちょっとでも体調に不安があったらすぐ言って欲しいんだ。痙攣発作のことも、ようやく目処がついてきた。この調子なら、多分作戦の日までに何とかできると思うけど……」

「杉田先生こそ、毎日遅くまで無理してるんでしょ?いつでもベストの状態で戦えるなんて、私だって思ってないよ」

「いや、君の身体に不安がないようにするのが僕の役目なんだから。戦いがあるかどうかは、この際関係ないよ」

「……それって、せめてもの罪滅ぼしのつもり?」

 未来はさっきまで口を尖らせていたのに、次の瞬間には真顔になって顔を覗き込んできた。杉田が眼鏡の奥にある黒い瞳をしばたかせ、慌てて手を振る。

「そ、そんなつもりで言ったんじゃないよ!ただ僕は、未来のことが心配だから……」

「冗談だよ」

 未来はすっと立ち上がってからしれっと言ったが、彼女の冗談はたまにそう聞こえないときがあるから怖い。

「でも、杉田先生みたいな人がいてくれて本当に良かったよ。仕事じゃなくて、純粋に私を心配してくれてるみたいだから」

「みたいじゃなくて、本心から心配なんだよ。僕だけじゃない。生沢先生やリューたちだって、口には出さないけど、本音はみんな同じだよ」

「うん、わかってる。私はいい仲間に巡り会えてるよね。ありがとう」

「……どうしたんだよ、急にそんなことを言い出すなんて」

 今までの未来は、普段の会話でこんなしんみりしたことを言う娘ではない。違和感を感じた杉田は、思わず不安を口に出していた。

 やはり何か思うところがあるのか、未来は杉田の顔を見ようとはしない。

「ううん、別に。ただ、今度戦うことになるP2って、仲間が誰もいないじゃない。あの若松ってのがよくできた奴だとはとても考えられないし、それに比べたら私は恵まれてるなって思っただけ」

「そりゃあ、あいつは……若松は、この前ここを襲ったときも一般の職員を盾に取ったような奴だ。多分、P2のことは自分が作ったプラモデルみたいに思ってるんだろう」

「……そう考えると、複雑なんだよね。まかり間違えば、私がそうなってる可能性だってあったんだから」

 呟いた未来の表情は、いつになく悲しげだった。

「P2はそんな奴に改造されたから、苦しまないために人間性を捨てたのかもしれない。今の私にとって一番辛いのは、自分が人間じゃないって言われることだから……もしそうだとしたら、P2が話してるときも、まるでロボットみたいな印象があったのも何だかわかる気がするんだ」

「でもP2は、自ら志願してサイボーグになってんだ。未来とは違うよ」

 杉田の言葉に、未来は首を横に振った。

「私だって、生き延びたいからサイボーグになったんだもん。それにP2だって、人格が変わるくらいの改造をされるって最初からわかってたんだったら、志願なんかしなかったんじゃないかな。自分の姿形が変わって、どんどん人間扱いされなくなって……相当苦しんだんだろうなって」

 未来の声がだんだん小さくなったが、不意に視線が杉田の顔へと向いた。

「ねえ、杉田先生。P2は必ず倒さなきゃならないの?」

「……え?」

「あいつが放っておいたら危険なサイボーグだってのはわかってる。だけど、殺すことはないんじゃないかって思うんだ。もし若松の命令に従ってるだけだったら、若松だけを捕まえれば済むことなんじゃない」

 杉田が返答に詰まっていると、未来は先を続けた。

「私、ずっと考えてたの。私には、あいつとどうしても戦わなきゃならない理由なんてない。この間ここが襲われたときは私も必死だったから、あいつを倒すつもりで戦ってたけど……でも、今度はこっちから仕掛けるわけでしょ?だったら降伏させて、若松も一緒に拘束するようにすればいいんじゃない」

「でも多分、P2は未来を殺すつもりで戦いを挑んでくるんだぞ。そんな相手に情けを残したままで立ち向かうなんて、どんなに危険か……」

 杉田は、先日C-SOLが襲撃されたときのことを思い浮かべていた。

 P2には確かに殺人を楽しんでいる印象はなかったが、人間を殺すことに対して何の躊躇もないことも確かだ。最大の敵である未来からの降伏勧告を受け入れるとも到底思えない。

「それに、P2は特殊警備隊の連中を十人以上殺してるんだ。いくらこれが表に出ないこととは言え、普通これだけの殺人を犯せば重罪になるし、許されることじゃない。それだけでも、十分戦わなければならない理由になると思うけど」

 杉田の言葉に、未来が傷ついたような表情を見せる。

「……私だってついこの間、テロリストたちを十人殺してるんだよ」

「でも、それは鈴木さんを助けるためにどうしても避けられなかったんだろう?少なくとも、利己的な問題で勝手に戦いを仕掛けてきたP1や若松たちと、僕らは違う」

「そうじゃないよ。私が言いたいのはそういうことじゃなくて……」

 物憂げな顔のままで言いかけた未来は、そこではっとしたように一瞬口を閉ざした。

「ごめん、この話はここでやめるよ。こんなことより、杉田先生にお願いしたいことがあるんだ」

 打って変わって、彼女の口調には少し前の明るいものになっていた。ほっとしたように、杉田もやや緊張していた口許を緩める。

「お願い?何?」

「うん。あのね、この戦いが終わったら、私と……」

「杉田くん、ちょっと」

 そこへ低い女の声が割り込んだ。

 二人が慌てて振り返る。ダークブラウンのスーツに身を包んだ美貌の重役が、共同研究室の自動ドア付近で佇んでいる姿が四つの瞳に飛び込んだ。

「今、時間あるかしら?」

「はい!未来、ごめん。また後で」

 大月の無表情な声に、杉田が反射的に跳ねるように立ち上がる。まだ何か言いたそうにしていた傍らの未来へ一言残し、彼は自動ドアを出て行く大月のハイヒールの鋭い足音を慌てて追った。

 昼休み中のAWP棟の廊下は一般職員の談笑や、昼食の買出しに出向いていくらしいHARたちの稼動音で賑わっている。大月と杉田は彼らの間を擦り抜け、エレベーターへと足を進めていた。

 エレベーターを五階で降りた大月が無言でセキュリティブロックへ虹彩認証を済ませ、奥へと進んでいく。杉田はてっきり自室へ入るものと思ったが、彼女はその手前で足を止めて振り返った。

「……丁度一週間前のことだけど。部外者がAWP内に入り込んだ可能性があるようなの。しかも、わざわざ書類まで細工してね」

「えっ、本当ですか?僕は全然気づきませんでしたけど」

 杉田が驚いた素振りを見せると、大月が彼の横へ歩み寄る。細いヒールが白い床を穿ち、明るい廊下に緊張した音が響いた。

「最近貴方もなかなか図太くなったようね。でも、とぼけても無駄よ。こんなややこしい手段を踏むのは、杉田くん。貴方以外考えられないわ。大雑把な生沢先生はもっと別な方法を選ぶでしょうし、田原くんはAWPに部外者を入れるなんてことを考えもしないはずだわ」

 大月の追及は続く。これ以上白を切り続けても状況は好転しないと早々に諦めた杉田は、睨んでくる女上司を平然と見返そうとした。

「僕たちでは専門外で、対応できない症状の専門家を呼んだだけですよ。いけませんか?」

「……貴方はもう少し賢いと思って、期待してあげてたつもりだったのに。今回だけは見逃してあげるけど、もしこんなことを続けていたら今後の昇進にも響いてくるわよ」

 大月が溜息を漏らしつつ外した視線を、今一度若い医師の顔に合わせた。

「どうぞお構いなく。次期サイボーグ計画のメンバーから外すなり、お好きにしてください」

「ええ。今後未来が部外者の精神科医にかかり続けるようなら、薬物を投与することにするわ」

 開き直っていた杉田の表情が、そこで強張った。

「そうね。未来の居場所はGPSで即時判明するから、誤魔化しは利かないもの。メンテナンスの時も処置によっては麻酔も打つし、その時に投与すればいいかしら」

「ま、待ってください!そんなこと……」

「あら。好きにしろと言ったのは貴方でしょう?」

「誰が、未来を好きにしていいと言ったんです!」

 慌てて怒鳴った杉田は大月に殴りかからんばかりの勢いだったが、大月は逆に刃のように冷たい態度を崩さない。

「それなら、部外者に国家機密でもある生物兵器を接触させるのを止めなさい。すぐに」

「できません!」

 杉田は、自分でも驚くような大声で即答していた。

 大月の言葉は指示ではなく、命令だ。逆らえば、彼女は速やかに未来へ覚醒剤を投与するだろう。先の言葉は脅しではない。

 しかし、もうそれに黙って従うだけの杉田ではなかった。

「今の未来は、心が瀕死の状態なんです。彼女にとって、カウンセリングがどれだけ救いになっているかわからない。もし今中断してしまえば、戦うどころの話じゃない。また精神が破壊されてしまうかも知れないんですよ!」

「貴方では未来を救えないということ?それは残念ね」

 大月の一言は杉田の心を鋼の矢のように鋭く、深く抉ったかのようだった。

 杉田は眼鏡の奥の顔を一瞬苦しげに歪ませたが、詰まった呼吸を整えるために息を吐いた。何とか抑えた口調を取り戻し、思い出したように白衣のポケットにあった用紙を取り出す。

「とにかく……お願いですから、せめて作戦決行の前日までは……カウンセリングを許可して下さい。未来の状態が良好になりつつあるのは、検査や訓練の結果でも見て明らかなんです。こちらで使ってる薬は、安定剤と睡眠導入剤だけなんですよ。それらがここまで劇的に効くとは思えません。作戦当日にベストな状態に持っていくなら、薬物投与なんて現実的ではありませんよ」

 彼が大月に差し出したのは、この数日間に取った未来の血液検査結果と戦闘訓練の数値のプリントアウトだった。

「大月さんが言うように、未来は戦闘用のサンプルなのかも知れません。でも、彼女が人間の心を持っていることを留意しなければ、大きな成果を上げることは不可能だとは思いませんか?」

 もっともらしい理屈を持ち出してきた杉田に、大月が口を閉ざしてプリントアウトを受け取った。彼女が目を通している数値を見る限りでは、確かに目覚ましい回復ぶりを認めないわけにいかない結果が並んでいるのだ。

「……いいでしょう。担当医の貴方がそこまで言うことだし、確かにこの検査や訓練の結果を無視するわけにはいかないようね。ただし、それも作戦の前日までよ。それ以後、もしまだ未来が系列以外の医者に行っているようなら……」

 大月がプリントアウトから顔を上げたときだった。

「おう杉田!作戦用のトレーラーに機材の積み込みだ、お前も手伝え!」

 何の前触れもなしに杉田の背後からごつい腕が現れ、のりが効いた白衣を着込んだ杉田の襟首をがっちりと掴んで引っぱった。


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