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機械娘の心的外傷(トラウマ)~旧タイトル:SAMPLE  作者: 日吉 舞
変わりゆく距離
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第54話

「お待たせして申し訳ありません」

「お久しぶりね、杉田くん。貴方が卒業して以来だから、四年ぶりくらいかしら?立派になってくれて、嬉しいわ」

 未来の病室から自分の研究室に戻った杉田が挨拶すると、部屋の隅にある椅子に座っていた人物が立ち上がり、にこやかな返答を返してきた。

「田代先生もお元気そうで、何よりです。突然呼び出したりして失礼しました」

「気を使わなくていいわよ。私はもう隠居の身なんだし、元学生の貴方の頼みなんですもの。喜んでどこへでも行く準備はあるのよ」

 腰が低い杉田に対し、女性は温かい微笑みを絶やさない。

 彼女は、杉田が卒業した医大のスクールカウンセラーだった。名を田代裕美と言い、元精神科医の経歴を持つ。上品な化粧に長い銀髪を大きな黒いバレッタで一つにまとめ、銀縁の眼鏡に目立たない色のグラスチェーンといういでたちは、杉田がカウンセリングを受けていた頃と変わっていない。

 歳は五〇歳のはずだが、皺の少ないやや浅黒い顔と真っ直ぐに伸ばされた背筋、ほどよく流行を取り入れた私服に身を包んだ軽やかな雰囲気が、全くそれを感じさせなかった。

「先ほど、HARがクライアントの資料を渡したと思うんですが」

「ええ。待っている間に目を通したけど、短時間で見事にまとめてくれたのね。これによると、クライアントはかなり特殊な環境に置かれてることになるけど」

 細く小さいが活力に満ちた手に挟んだ書類に、田代は再び目を落とす。杉田が未来の経過を細かく記して作成し、つい先刻渡した報告書だ。

「はい。彼女……クライアントの間未来ですが、僕が担当しているプロジェクトの被験者です。軍事用に肉体を改造されていて、脳に移植された装置の誤作動による器質的な問題があると思われます。主訴と僕の所見は、資料に記載している通りです。放っておけば悪化の一方を辿るかと思われたため、田代先生をお呼びした次第なんですが」

 説明する杉田は腰が低い態度を崩さず、声にもまだ硬さを残している。

 田代が軍事サイボーグである未来の話を本当に信じてくれているのか、まだ掴みかねていたせいだ。

 ここに彼女を連れてきてから疑うのは、おかしいと言えばおかしい話だろう。だが、杉田が一般的な現実とかけ離れた環境に身を置き続けているせいで、自身の感覚がずれてきていると感じることがあったのだ。

 しかし田代はそんな杉田の懸念をよそに、真剣に資料を読みつつ確認を続けてくる。

「そうね。この状況では外部の医療機関に治療を委託もできないでしょうし、この施設か私のマンションで面接を継続した方がいいかしら。それなら、彼女との信頼関係も築きやすくなるだろうし」

 納得したように田代が頷くが、杉田は思わず聞き返さずにはいられなかった。

「あの……この話を、そんな頭から信じて頂けるんですか?」

「こんな話、というのはどのことかしら?」

「その、僕たちが機密だらけの軍事サイボーグなんてものを作っていて、ましてやそれが若い女性で、とか……いや、そもそもこの話自体が僕の妄想なんじゃないか、と考えられても仕方のないことですから。こんな突拍子もない話を突然してしまったのも何ですし……」

 途端にしどろもどろになる杉田を見守るように眺めると、田代は温かな微笑みを作って見せた。

「もし貴方が心を病んでいて、このクライアントが現実に存在しないのなら、他の人たちを巻き込んだ研究なんてできないでしょう。そんなことになっていれば、貴方はこの仕事を続けていられないだろうし。検査のデータの値も信用するに足りるものよ。妄想ではあり得ないと言えるんだから、信じないわけにいかないでしょう」

「あ……ありがとうございます!」

 嘗ての恩師の言葉に、杉田の声が甲高くなる。勢いをつけて深く下げた頭を戻すと、彼は早速具体的な話に入っていった。

「必要なようであれば、薬の処方もお願いします。この研究所内なら、どんな種類の薬剤も揃っているかと思いますので」

「改造による薬の代謝異常が発生する可能性はある?」

「恐らくないとは思いますが、定期メンテナンスの検査結果は必要があればお送りします」

「わかったわ。早速面接を始めるから、終わったら連絡を入れるわね」

「お願いします」

 もう一度頷いて顎を上げた田代の顔は、杉田が彼女のクライアントだった頃の表情に戻っていた。

「とにかく私にできることをやるから、クライアントの了解を取ってから感触をお伝えするわ」

 思わずまた頭を下げてしまった杉田が小走りに彼女の先に立つと、田代がその後ろにつく。二人はそのまま研究室を出ると、クライアントが待つ別室へと向かった。

 すっかり頼もしくなった白衣の背を見つつ、田代は報告書の内容を頭の中で反芻していた。

 確かに杉田が言う通り、先に資料を見た時は彼が妄想に取りつかれたのかと一瞬考えはした。

 しかしこれが間違いなく現実に起こっていることなのだと、客観的に判断できる程度の裏付けるデータが揃っているのである。ここが大企業の有する研究所であり、最先端の更に先となる技術を追究していることも踏まえれば、それは更に信憑性を増す。

 だから田代自身も、頭を切り換えて事に臨む必要があった。

 間未来は今までに出会ったことがないタイプのクライアントだ。

 医大のスクールカウンセラーを引退した現在、田代は紹介された時にのみ自宅でカウンセリングを行っていた。本来なら出張カウンセリングは受け付けないが、今回は受けて正解だったと言えるだろう。

 杉田がクライアントがいる個室のインターホンを押して、貸与されたIDカードをスロットに通して自動ドアを開ける。

 彼が軽く頭を下げると、田代は頷いて中へと足を踏み入れていった。これから先はクライアントとの二人だけで面談を行うため、彼は同席しないのだ。

 見事な銀髪の女性がドアの側に立った衝立から中を覗くと、隅の椅子に座っていた人物が立ち上がり、頭を下げるのが見えた。

 穏やかな笑顔で、田代が緊張しているらしいその姿に声をかける。

「初めまして、間未来さん。杉田先生からの依頼で、貴女のカウンセリングを担当することになった田代裕美と申します。杉田先生の卒業した大学病院で精神科医としてずっと働いた後、スクールカウンセラーを担当していたの。どうぞよろしく」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 一言言って直立の姿勢に戻った未来の言葉はどこかたどたどしく、瞳には不安の色が伺える。まずはその硬さをほぐそうと、田代は柔らかい口調に言葉を乗せた。

「好きなところに座って。もし座るのが辛ければ、ベッドに上がって壁にもたれるといいわ」

「いえ、ここで大丈夫です。先生はこちらに?」

 頷いて、田代は未来が座った正面にある椅子に腰を下ろしておく。

 室内はがらんとした印象の病室だが、木製のサイドテーブルにはピンクの薔薇とかすみ草を活けた花瓶が置かれている。杉田が未来のことを配慮し、自分で活けたものを置いたのだろう。

 未来は先から花と田代の顔を交互に見やり、あからさまに居心地が悪そうにしている。構わず、田代はリーガルパッドとボールペン、必要な資料の束をバッグから取り出した。

「貴女が最近置かれている状況については、ざっとだけれど杉田先生から伺っているの。私は大勢の患者さんに接して色んな症例も見てきているし、きっと貴女の力にもなれると思うから」

「……はい」

 未来は頷きながらも、今度は机に視線を落として顔を上げようとはしない。

「最初に、貴女から了解を取らなければならないことを説明させて頂くわね。退屈な話に聞こえるかも知れないけれど、ちょっとだけお付き合いをお願いできる?」

 未来が上目使いで田代の口許をちらっと見て、頷いた。田代は彼女に頷き返し、必要事項が記載された資料を見ながら、わかりやすい言葉を選んで説明を始めていく。

「私には倫理的にも法的にも、貴女が私を信頼してここで話してくれたことを外に漏らさない義務があるの。つまり、貴女の了解なしに誰にも明らかにされないということ。でも、貴女はこの面接について誰かに自由に話すことができるから」

「はい」

「ただ、貴女の今後について必要と思われる情報は、紹介者である杉田先生に伝えてもいいかしら。資料用に面接の様子は録画するけれど、これは決して外部に公開しないことを約束するし、貴女が望めばこれをコピーしてお渡しすることもできるものよ」

 田代はそこまで説明してから一旦席を立ち、用意してきたカメラを花瓶の前にセットした。未来が先の内容を理解していることを表情で確かめてから、守秘義務について最後の説明事項に触れていく。

「この守秘義務についてだけど、幾つかの例外があるの。最初が、情報開示について貴女が了承したとき。次に、貴女が子どもや老人を虐待しているとき。そして貴女が私に対して、医療過誤に対する訴訟を起こしたとき。最後が貴女に自殺、もしくは誰かを傷つける恐れがあるとき。以上の場合は、私が貴女のためになる手段を講じたり、その相手の人に連絡を取るために、守秘義務を破らなくてはならないの。いいかしら?」

「はい、大丈夫です」

 未来の返答は小さく短い。

 素直な反応に、田代は早速質問を投げ掛けた。

「では未来さん。何故私がここに呼ばれたのか、貴女はその理由をご存知?」

「……杉田先生は、私に精神的疾患が考えられるって言ってました。ここには専門医がいないから薬も出せないし、放っておけば悪くなる一方だからって。でも、自分がそんなに酷い状態だなんて信じられません」

「以前の貴女と今の貴女とでは、何か違いはあるかしら?」

「あの……田代先生は、私についてどこまでご存知なんですか?」

 そこで未来は初めて顔を上げ、泣き出しそうな顔で田代を見つめた。表情を崩さず、田代が返す。

「杉田先生が知っていることは、大体私も知っていると思ってくれていいわ。貴女が何故この研究所にいるのかもわかっているし、最近ショックを受ける出来事が連続して起きたことも聞いているの。そのことについて、貴女がどう感じていたのかを話してもらいたいと思っていてね。どんなに小さなことでもいいの。貴女が抱えている問題が何なのか、それを一緒に考えていきたいから」

 自分が抱えている秘密を田代が把握していることに安心したのか、未来の若い顔にほっとしたような色が浮かぶ。だが、引きつった唇から出た言葉は震えていた。

「でも私……話すのが怖いです」

「何故怖いと思うの?」

「だって……自分の弱点を人に晒すのが嫌なんです。そんなの……誰だって嫌だと思います」

 再び下を向いた未来の瞳から、大粒の涙がこぼれた。

「そうね……自分の弱さを誰かに見せるのは辛いし、勇気がいることだと思うわ」

 田代の言葉が、軽くしゃくり上げる声に重なった。未来が涙を手の甲で拭い、呼吸を落ち着けるまで、田代は沈黙を保ったまま未来の仕草を見つめている。あくまで未来が自発的に話すのを待っているのだ。

「けど、今まで誰にも話せなかったから辛かったんです。誰も私の弱さを認めてくれないって思ってたから。他の人を頼りにしちゃいけないんだって、ずっとそう考えてましたから」

 数分の後に赤い目をまだこすりながらも、未来が再び口を開く。田代は頷き、優しく語りかけた。

「弱さを認めてくれない、というのは貴女の身近な人たちも、ということなのかしら?」

「……私、いつもそうなんです。誰かを頼るのは悪いことだって思ってて。自分一人で何でもやらなきゃ、気がすまない。自分で何もできない私なんか、生きてる価値がないって思うんです」

 田代の顔から視線を外し、未来は呟くような調子に声のトーンを落としていた。

 努めて優しく、田代の質問は続けられる。

「いつごろから、そう思うようになったの?思い出せる?」

「わかりません。人の役に立たない奴は生きる価値がないのが当然って、気がついたら考えてました。今の私は仕事をするのも辛いし、こんな状態じゃあ満足に戦うこともできません。私は戦うために作られたサイボーグなのに……大事な戦いまで、あと二週間もないって言うのに……何もかも上手くいかなくて……ものすごく苛々してるんです」

 自分がサイボーグであることに触れた未来は、声を喉に絡めるように途切れ途切れに続ける。悲しげに目を伏せて十数秒間ほど口をつぐんだ後、更に溜息を吐き出した。

「でもこんなことは誰にも言えないし、杉田先生たちに相談しても迷惑かけるだけなんです。そういう自分が本当に嫌いで」

 未来が落ち着かない様子で崩れていた姿勢を戻して手を組み直すが、感情を抑えようと必死なようで、爪が甲に食い込みかけているのが見て取れる。

「貴女は、自分が役に立たない者だと思われるのが本当に辛いのね。なのに最近、朝起きられずに会社に行けない日もあったと聞いてるの。その頃のことを、詳しく話して頂けるかしら」

 田代が促すと、未来は小さく頷いた。

「ええと……一週間くらい前のことです。ある事件がきっかけで、私は……その、自分が騙されていたことを知ったんです……」

 ゆっくりと語り出した未来の言葉に、田代は真剣に耳を傾けた。

 目の前に座っている愛らしい顔立ちをした娘が人間兵器であるとは、にわかに信じ難かった。

 しかしそうであるが故に誰にも相談することができず、抱え込んだ心の闇は深いものであるに違いない。脳に器質的な問題があるのなら、急激な悪化も十分に考えうる。

 田代は精神科医とカウンセラーを長年続けているため、クライアントにどんな素性が隠されていようと驚くことはなかった。実際、凶悪犯罪の犯人の面接も行ったことがある。

 だが、今回与えられた時間はあまりに短く、クライアントの精神状態を判断する材料も少なすぎる。カウンセラーとして腕の見せ所でもあったが、恐らく放っておけば大変なことになる、と精神科医としての勘が盛んに警鐘を鳴らしているような気がしてならない。

 田代と未来の面接はまだ始まったばかりであった。

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