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機械娘の心的外傷(トラウマ)~旧タイトル:SAMPLE  作者: 日吉 舞
変わりゆく距離
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第51話

 ミーティングはAWP棟一階奥の会議室で、昼休み明けの一三時半から行われた。

 白い円形のテーブルの奥にAWP統括担当の大月と現場責任者である生沢がつき、その横に戦略司令官兼整備担当のリュー、その向かいに生体パーツメンテナンス担当の杉田と未来という配置になっている。

 未来は時間までにデニムと派手なTシャツ、飾りのない平らな靴にまとめ髪といういつものカジュアルスタイルで姿を現していた。幾らか調子を取り戻しているようで、多少顔色はましになったかのように皆の目には映っている。

 ただ、急激に痩せたせいでこけてしまった頬や、荒れ放題の肌は隠し切れていない。立体OHP使用のために薄暗くされた会議室では、却ってそれが強調される結果となっていた。

「では、最大の議題であるP2の破壊工作についてですが」

 定例報告完了後、リューがミーティングテーブルの真ん中に据えられた立体OHPに資料映像を映し出しながら説明を始めていた。

 映像には都心に近い一角が鮮明に映し出されており、大小のビルのミニチュアが灰色の塊を作っている。その中の一区画が赤く透明なドームでマークされ、一同の視線はそこに集まっていた。

「まずは潜伏場所について。ネットのアクセス履歴やIP追跡を続けたところ、東京都神保町付近が最も可能性が高いと推測されます」

「そんな近くに潜伏してるのか?第一、そんな都心にあんなでかい図体のサイボーグが身を隠せる場所なんぞ、あるとも思えんが」

 生沢が問題の地区一帯を見つめて首を傾げると、頷いたリューが続けた。

「確かに普通に考えればありえません。ですが、経由したアクセスポイントに残されていた痕跡を辿っていくと、最終的に全てがその付近に集まるんです。勿論地域がわかっただけで正確な場所が特定できたわけではありませんから、更なる調査が必要になるかとは……」

「リニア新幹線用の地下トンネルよ」

 リューの言葉を遮った大月へ皆の視線が集まるが、彼女は感情を交えずに述べていく。

「若松くんは失踪時、特殊装備やP2の収容カプセル一式を全て持ち出してるわ。しかもそれを維持していたばかりでなく、新たな改造を自分で加えた上でこちらを強襲してきた。相当な大手企業を隠れ蓑にする以外、そんな研究を人知れず続けられる場所なんてここ以外考えられないの」

 細い指が添えられた顎は、少しだけ間を置いて再度動き出した。

「リニア新幹線用の地下トンネルは着工が開始されて十年近く放置されていて、一部はホームレスの溜まり場にもなっている。不審な者がうろついていても誰も疑わないし、身を隠すには絶好の場所よ」

「まだ断定できたわけではありません。可能性は極めて高いんですけどね」

 大月が言い終えるのを待った上でリューがあっさりと返し、作戦を述べていく。

「相手は武装した危険なサイボーグです。まずは居場所を特定したうえで完全な包囲網を作り上げ、可能なところまで囲い込むべきでしょう。態勢を万全に整えてから奇襲をかけなければ、返り討ちに遭うのは目に見えていますからね」

 リューが端末を操作し、資料映像を神保町付近の立体映像の拡大図にした。五人の囲むテーブルの上に、ビルが林立する市街が瞬時に再現される。立体映像の向こう側に透けて見えるリューの顔を見る大月は、厳しい表情を崩さない。

「でもそれには人手も時間も、費用もかかって仕方ないわ」

「仕方ねえだろ。こちらとしても、未来の調子が戻らない限りは焦って戦うべきじゃない。AWPは、そのために軍や警察とも連動してるんだからな」

 生沢が大月の強引な論法の流れが変わったことにほっとしたように、話へ再度口を挟む。

「駄目よ。今回のP2破壊工作は、あくまでケルビム社内に限っての出来事なのよ。テロ行為や犯罪に関係ないことなんだから、軍や警察から人員を動員するわけにはいかないわ」

「しかし一度の戦闘でP2を完全に破壊しようとするなら、彼等を逃がすわけにはいきません。仮にリニア新幹線トンネルの内部に潜伏してるんだとしたら、それこそトンネルの枝道からどこへでも逃げられますからね」

 大月の反論にリューが眉を顰め、オフィスビルが並ぶ映像を見つめた。

「確実に作戦を実現させるためには、隙間がない警備体制を整えることが必須です。パワーズの特殊警備隊だけでそんな大規模な作戦を展開することは不可能ですし、民間人が巻き込まれた場合のことも考えなくてはなりませんよ」

 神保町付近はオフィスビルが密集しているが、裏通りに入ればちょっとした住宅街になっているところがあり、昔から住んでいる住民も多い場所だ。もしこんな場所でP2と未来が戦えば、一般市民が巻き込まれて甚大な被害が出ることは想像に難くない。

「直接の包囲は無理だとしても、周辺住民の避難や警備を依頼することぐらいは可能なんじゃないのか?いくらこの件が犯罪とは無関係だとは言っても、ひとたびサイボーグ同士の戦闘が開始されれば、市民に被害が及ぶ可能性は十分に考えうるわけだろう」

 民間人というキーワードに反応した生沢が、大月の顔に皮肉っぽい視線を向けた。

 重火器を装備したサイボーグ同士の戦いは前例がないだけに、どれだけの被害を周囲にもたらすか予測がつかない。無論、彼等が戦闘に突入すると想定される場所に在住、勤務している一般市民には事実を告げて退去させるわけにはいかなかった。しかしそれを何とかして誤魔化すのも、統括責任者の手腕であると言いたいのだ。

「そうね。危険物が工事現場から発見されたとして周辺住民を避難させれば、少なくとも人間へのとばっちりは避けられるわね。サイボーグの存在が明るみに出る危険性も低くできるし」

「それでいきましょう。戦闘展開区域周辺の住民や在勤者への避難勧告については、大月専務にお任せするのが一番です。具体的な作戦時のサポートは、パワーズの特殊警備隊にでも……」

 納得したように言った大月をさり気なくリューが持ち上げたが、彼女は表情を崩さずにリューの言葉を遮った。

「ただし、グループ会社の社員も表立って行動させる訳にはいかないわね。危険物が出て住民を避難させるような騒ぎを起こすとなると、一段とマスコミも目を光らせるわ。現地調査は行わずに可能な限りで事前情報収集を念入りにやって、少人数で作戦を決行することにしましょう」

「現地調査を行わないのは、作戦実行時に危険が大き過ぎますよ。P2たちの行動範囲外から調査を行う手段なら、いくらでもあるんですから……」

「田原くん。未来が何のために作られたサイボーグなのか忘れたの?」

 あくまで慎重論を唱えようとしたハーフの元軍人に、大月は鋭い一言をぴしゃりと叩きつけた。

「人間の兵士では侵入すら不可能な環境においても機械並みに正確な調査を隠密に行い、敵に遭遇すればこれを速やかに抹殺する。それがP3であり、未来。貴女なのよ」

 大月の強い調子がある言葉と共に、険しい表情が未来へと向けられた。

 未来がびくりと身を竦ませ、戸惑ったように大月から視線を逸らす。相手の反応は気に留めない美貌の責任者は、自らの目的を強く口にし続けた。

「貴女は訓練で優秀な結果を出しているけれど、それが実戦レベルで通用するかどうかはまだ不明。今回の破壊工作は、それを試すまたとない機会だわ」

「大月。お前こそ、未来が感情を持った人間だってことを忘れてやしないか?つい昨日までろくに動くことすらできなかった者に、命懸けの孤独な戦いを強要する。それで、お前が期待してるような成果を挙げられると思うのか?」

 瞳に冷ややかな色を浮かべた生沢が、立体OHPの映像から視線を滑らせる。彼は大月と正面から睨み合うことになったが、不意に口調を変えた。

「まあ、そんなこと考えるまでもなく、俺は未来単独での破壊工作には反対だけどな」

 生沢が一度息を吐いて椅子の背にもたれかかり、力を抜いた手をひらひらと振った。

「でも作戦を急がなかったら、それだけP2たちへ時間を与えることになるわ。彼らが恐らく先の戦闘のダメージを修復し切れていない今が、最大のチャンスなのよ」

「しかし奴らの狙いは世界征服でも、首都の破壊でもない。俺たちAWP関係者だけだ。それならわざわざ危険を冒してまで、敵の懐に飛び込む必要もないだろう」

 自分の考えを曲げようとしない大月に向いていた生沢の顔が、リューへと動く。

「生沢先生の言うことにも一理あります。P2たちが完全回復した状態でこちらに攻め込んで来たとしても、彼らの整えられる武装には限度があるでしょうし。加えて、ここは私たちの自陣です。待ち構えて圧倒的な戦力で以て叩きのめすことは十分に可能でしょう」

 頷いて説明したリューではあったが、別の可能性も口にせねばならなかった。

「ですが、彼らが馬鹿正直な正攻法で仕掛けてくるとは思えません。もし一般市民を人質にされたら、我々はもうお手上げです。彼らの有利な条件下で戦うしかなくなるでしょう」

「奴らがそこまでするとは……」

 生沢が言いかけるが、リューはゆっくりと首を振った。

「先日の襲撃でも、若松は一般の研究員を盾にしました。それに我々と違い、彼らは自分たちが白日の下に晒されることを厭いません。むしろ、彼らが表に出ることで痛手を被るのはこちらです。過去の研究で処分された個体のことや、認可を受けていない実験の多くが、彼らを発端として世間に知られることになります」

 決して大月をフォローするつもりではなかったであろうリューの言葉に、生沢はむっと唸った。

「……田原くんの言う通りよ。若松くんたちが何をしでかすか予測できない以上、こちらも迅速に事を運ぶ必要があるの。おわかりかしら、生沢先生」

 先のお返しにと、大月が冷めた目つきを寄越してくる。しかし頑固な髭面の医師は、反論を続けた。

「百歩譲って、敵陣に攻撃を仕掛けることにはしよう。だが、事前の現地調査もなしに未来を一人で送り込むのは反対だ」

「僕も反対です。危険を排除できないまでも、最低限の情報は把握するべきだと思います」

 生沢に続き、杉田が初めての発言を口にする。

「田原くん、貴方はどうなの?」

「あらゆる可能性を考慮の上で方向を定めるべきです。今ここで判断することではないと思いますが、サイボーグの存在を明るみに出せない以上、可能な方法は限られてくるでしょう」

 大月に問われて返したリューの声は、動かない表情に反していつになく苦かった。彼は実質上の指揮官という立場上、客観的な視点から最も有益な選択をせねばならないのだ。

「未来はどう?自分の性能を信じて、一人でやれる自信はあるわよね」

 大月が未だ発言のない未来に視線を向ける。

 ずっと黙っていた未来はしかし、大月の言葉に反応しようとはしなかった。俯いた顔にかかる明るい髪が揺れて肩も上下し、苦しげな速い呼吸音が隣にいる杉田の耳にまで届いていた。

「どうしたんだ、未来。大丈夫か?」

 驚いた杉田が声をかけたが、未来は頷くのがやっとの様子だった。開いた口から切れ切れの息を漏らして胸を押さえ、大きな瞳を見開いて何かに耐えるように半身を縮めている。

「……はい……やれます。大丈夫です。すみません、ちょっと……」

 それだけを口にした未来が不意に立ち上がり、ふらふらと出口の自動ドアへと向かった。

「未来!」

「大丈夫よ、歩ける程度の元気があるんだから。それに、ここは製薬会社のラボなんだから。どこかで倒れても、誰かが見つけたら適切な処置をしてくれるでしょ」

 よろめきながら廊下に出ていった未来を追おうとして腰を浮かせた杉田へ、大月が呆れたような調子で言う。

 が、女専務をじろりと睨んだ生沢が杉田に顎をしゃくって、追いかけるよう指示を出した。

 頷いた杉田が急いで席を立って自動ドアをくぐり、柔らかな陽光に満たされた廊下の左右を見渡す。

 未来の姿はどこにもない。

 廊下を走り、階段を駆け上がって二階の共同研究室を覗くが、助手たち以外の姿はない。エレベーターで五階に上がり、セキュリティブロックにある未来の病室を確認しても、彼女が入室した形跡はなかった。

「どこへ……行ったん、だ?」

 今度は階段を駆け降りて一階に戻ってきた杉田は、息を切らしながら辺りを見回して呟いた。

 AWP棟一階は、秋の終わりも近づいた暖かい午後の日差しに溢れていた。

 玄関口を入ってすぐのホールには大勢の研究員とHARを始めとするロボット、来客が行き交い、カフェテリアはベーグルやコーヒーを買う職員で賑わっている。まだ大理石の壁の補修は完全に終わっていないが、つい先日P2と未来が激しい銃撃戦を繰り広げ、特殊警備隊隊員の死体が折り重なっていたのが嘘のようだった。

 やはり、ホールにある休憩用のソファーにも未来の姿はない。彼女は不意の呼吸困難に襲われたようで、尋常な様子ではなかった。そう遠くへ行けるはずもない。

 ホールの休憩スペースで雑誌を読んでいた職員に尋ねると、未来らしいラフな格好の若い女が地下行きのエレベーターに乗ったのを目撃したと言うことだった。

 地下三階のガレージに降りた杉田は、未来の愛車であるシルバーのビートルを探す。

 ガレージの特徴あるオレンジ色の照明に照らされた、丸っこい車がほどなく見つかった。

 その運転席で、未来がうずくまっていた。


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