表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
機械娘の心的外傷(トラウマ)~旧タイトル:SAMPLE  作者: 日吉 舞
変わりゆく距離
48/93

第48話

 レバー式のノブを引いて入った部屋は暗かった。時刻は夕方四時くらいで遅いとは言えないが、三方を壁で囲まれた空間は、すぐにはほとんど何も見えない状態だ。

 杉田が壁のスイッチを手探りで入れる。すると暖色の明かりがつき、短い廊下にある小さなキッチンや洗濯機、その反対側にある二つのドアと突き当たりにあるドアを照らし出した。

 彼は革靴を脱いで上がると、あまり使われていない様子のキッチンを横目で見つつ、突き当たりのドアを開けた。

 七畳程の居室は遮光カーテンが閉まっているらしく、真っ暗に近い。廊下から差し込む明かりで、おぼろげに家具の輪郭が浮かぶくらいだ。

「電気、つけさせてもらうよ」

 ここにいるであろう未来に一応断ってから、ドアの脇にあるスイッチを入れる。やや高い天井にある蛍光灯が点り、白い光が部屋全体に投げかけられた。

 ダーク系フローリングの床にはアイボリー丸いのラグが敷かれ、その周囲に黒で統一されたテーブルやオーディオラック、チェスト等の直線的なデザインの家具が置かれている。部屋の二面にある窓は落ち着いたブルーのカーテンに覆われており、女性の部屋の割には簡素な印象だ。掃除されたばかりのようで、床には埃が落ちておらずゴミもまとめられてすっきりと片づいている。

 HARのような汎用型生活補助ロボットや、掃除ロボットも部屋の中には見当たらない。未来の健康状態では、掃除もまともにできないだろうと思っていただけに意外だ。

 勝手に部屋の中のものを触るのは気が引けたが、杉田はとりあえず見舞い品であるアレンジブーケをテーブルに置き、シュークリームの箱をキッチン備え付けの冷蔵庫に入れた。冷蔵庫の中はペットボトル飲料の他に、高級デパートのデリで売られているサラダや一品料理のパックが詰まっている。未来の母が持ってきたものだろう。

「未来、どこだ?」

 未だ肝心の未来の姿が見えないため、杉田が声をかける。

「ここ」

 高い位置から声がして、何かのスイッチを入れる音も上がった。

「どこ?」

「ここだよ」

 杉田の視界が、天井近くにあるロフトから掛け布団の端が覗いているのを捉えた。見ると、ベランダに出る窓の横に、ロフトへ上がるための梯子が立てかけられている。彼は木製ロフトの縁へ梯子の先端に出たフックを引っかけ、よじ登った。

 ロフトの上には分厚いベッド用のマットレスがシーツに包まれて置かれ、その上にカーテンと同じ色のカバーがかかった羽根布団と枕があった。枕元には充電器に差し込んだ携帯電話と間接照明、玄関のリモコンキーが無造作に置かれている。

 羽根布団の上に、ゆったりしたグレーのチュニックと黒いレギンス姿の未来がうずくまるようにして座っていた。ロフトの縁から頭を出した格好の杉田は、こちらを向く気配がない彼女にそれ以上近寄るのを躊躇った。

「……隣に行っていいかな?」

 彼に背を向けている未来は、膝に顎を載せて小さく頷いた。

 一人暮らしの若い女の部屋に入り無防備な家主の隣に行くなど、杉田の二八年の人生で初めてのことだ。理由もなく緊張し、ぎこちない動作で狭いロフトに上がって未来のすぐ隣に腰を下ろす。ややもすれば、身体が触れ合うほどだ。

 杉田は未来の主治医だ。彼女の裸は診察や手術のときに幾度も見ているのに、どうしてこんな時に意識してしまうのだろう。

 しかし横目でそっと確認した未来の姿は、あまりに痛ましいものだった。

 小さな間接照明に照らされた肌には血の気がないため、顔が土気色で頬がげっそりとした病人の表情になっている。不潔な感じがしないのは、悪臭や痒みといった肉体的な不快感を本能的に退けているからだろうが、髪も艶がなくばさばさだった。躍動感に溢れていた黒い瞳は輝きを失って動かず、ぼんやりと宙を映すばかりで、深い闇の中を見つめているかのようだった。

 これが本当に数日前まで厳しい戦闘訓練をこなしていた未来なのかと、疑いたくなるほどだ。

 杉田が未来に顔を向け、病室にいる時のように優しく話しかける。

「お見舞いに、花とシュークリームを持ってきたよ」

「ありがと」

 気持ちの入らない礼を言う未来の視線は動かず、声にも抑揚というものがなかった。それでも諦めず、杉田は言葉をかけ続ける。

「一緒に食べようか?」

「無理。食欲ない」

「ちゃんと食べてるか?吐いたりしてない?」

「吐いてはないけど。ここ何日か、食べたくても食べられないから」

「そうか。でも、無理に食べなくてもいいから。無理やり食べても、余計身体に悪いからね」

 そこで未来は、僅かに声を震わせた。

「……何で食べられないのかな。元気でいなきゃいけないのに、私」

「いつでも元気でいなきゃならない理由なんかないだろ。あまり焦るなよ」

 あくまで穏やかでいる杉田に、未来が弱く頭を横に振る。

「ううん。こんなんじゃ駄目だって、思ってるんだけど……食事はできないし、疲れてるはずなのに全然眠れないの。気がついたら、朝ここから起きられなくなってて。でも、そういうのが嫌で……」

 彼女は脇にある小窓のカーテンに結ばれていた視線を下へと移し、次に杉田へと飛ばした。

「先生、ごめんなさい。私のせいで研究がはかどらなくて。早く元気になるようにするから」

「未来……」

 杉田は言葉を詰まらせた。真正面から見た彼女の顔は、不安定な気持ちを必死で隠して取り繕っているのが痛いほど伝わってくる。

 再び、未来の目は杉田の顔から外れた。

「情けないよね。あの程度のことでショック受けてちゃ、P2ともまともに戦えないもん。私……もっと強くなりたい」

「あの程度のことって、P2が襲ってきたときに、若松が言ってたことか?」

 未来は若い医師の言葉に、表情を動かさず頷いた。

 少しずつではあるが話せるようになってきた彼女の言葉はしかし、全て自分を責めるものばかりだった。

「過去の経緯を気にしたって、元の身体に戻れるわけじゃないんだし。人間って、大小の差はあっても嘘をついたり、裏切ったりするのが当たり前の生き物なんだよ?いちいち気にしてても仕方ないもん。騙されてた私が悪いんだよ」

 淡々と語る未来は、自分に言い聞かせているかのようだ。膝を立てて座っている足元を漂っていた瞳が、今は軽く開いた自身の掌を見つめている。

「考えてみたら、VIPでも何でもない女をサイボーグにしてまで助けよう、何て美談はありえないんだから。そこを疑わなかった私が馬鹿だっただけ」

 自嘲気味に続いた言葉には、やはり感情が窺えない。

「どうして……君は、そんな考え方をするんだ?」

「だって、自分が悪い、自分に責任があるって思ったほうが楽だから。他のものに原因があったら自分の力じゃどうしようもなくて怒りのやり場がないけど、自分が悪ければ諦めもつくし、反省することだってできるから」

 呻くように言った杉田に答えた未来は、息をついて膝を抱え直した。

「そうやって考えてないと、自分に負けちゃうんだ。私、自分の弱さは認めたくないし、弱い自分なんて許せない。けどね、本当は自分がちっとも強くないことは分かってる。それでも何とか元気でいられるように頑張りたいから……」

 そこで未来の言葉が途切れた。

 杉田が未来の両肩を掴み、強引に自分の方へ顔を向けさせたのだ。

 しかし彼は押し黙って目の前にいる娘の瞳を見つめるだけだった。

「杉田先生……?」

 やつれた未来の瞳に、戸惑いと驚きが横切る。薄手のチュニックを通して、杉田の手の温もりが肌に伝わってきた。

 その手が震えるのを抑えようとする杉田は、息を胸の奥から絞り出すように呻いた

「……そんなこと……頼むから、そんな自分を傷つけるようなことは考えるなよ。責めるんなら、僕たちを気が済むまで責めればいいじゃないか。僕たちこそ、君に殺されたって文句は言えなぐらいに酷いことを……」

 声が揺れ、掠れるのが、杉田には堪え切れない。

 未来には、そうするだけの資格がある。

 望まずに生身の身体を永遠に失い、人生の全てを奪われたのだから、彼女の肉体に直接手を下した医師である自分は決して許されることはない。

 それが当然だと考えていた杉田の腕の中で、未来は低く、呟くように言った。

「先生たちだって、何も知らなかったんでしょ?私を助けるために必死にやってくれたんだもん。それはお門違いだよ。気がつかなかった私が……」

 自嘲気味な響きを含む声からは、未来が悲しげに微笑んでいることが伝わってくる。

 その言葉を打ち消すように、杉田は口調を強めた。

「未来は何も悪くない!君をこんなに苦しめてるのは、他でもない僕たちなんだから……」

 最後は唇を噛みしめた杉田の手は緩まない。

 そう、未来をここまで痛めつけたのは自分たちだ。

 二年前に車両事故が起こされたあの日。

 そこへ至るまでに大月の企みに気づいてさえいれば、この娘を機械の身体にすることにも、精神を暗闇の淵へ突き落とすことにもならなかったはずだ。あの女専務の暴挙を許してしまった責任の一端は、それを察することができなかった自分たちにも間違いなくあるのだ。

 救いたい。

 何とかして、未来を助けたい。

 彼を動かしたのはただ一つ、その願いだけだ。

 気がついたときには、杉田は未来の細い身体を引き寄せて力の限り抱きしめていた。

「今まで本当に辛かったな……済まない、未来。もう、一人で苦しむな。僕が側にいるから……きっと君を助けるから!」

 杉田の強い想いに突き動かされて自然に動いた身体と、心の裡から溢れた言葉。

 未来が今、それを信じてくれるかはわからない。しかし、それでも構わなかった。

 会社の命令でも、罪滅ぼしのためでもない。

 ただ、未来という一人の人間を守り、傷を癒してやりたかった。

 杉田は、未来の細い身体を包み込むように抱いていた。彼女の荒れた肌が頬に触れ、長い髪からほのかな香水に似た香りが感じられる。

「先生……あったかい。人って、こんなにあったかかったんだ」

 言葉を漏らした未来は、突然身体に触れてきた杉田に抵抗もせず、彼の胸に身を委ねていた。

 こんな風に抱きしめられたのは、何年ぶりだろう。暖かさが心地よかった。忘れようとしていた人の心を、思い出させてくれるかのようだ。

 未来は静かに言った。

「けど私、こんなに優しくしてもらう資格なんかないから。離してよ」

「僕がこうしたままでいたいから、離さないよ」

 杉田は未来の拒絶をきっぱりと跳ねつけた。

 未来は弱った今の気力では、杉田の痩せた腕を無理やり引き剥がそうと言うつもりにはなれないようだ。代わりに、小さな手がそっと杉田のそれに重ねられる。

「人間ってさ、バカだよね。どんなに傷ついて痛い目見ても、心のどこかではそれでも人を信じたい、って思ってる。それでまた裏切られたら、もっと辛いだけなのに……だから私、自分以外には何も期待しないって思ったのに。こんなことされたら、また期待したくなっちゃうじゃない」

 未来の声が震え、堰を切ったように涙が溢れ出た。

 今まで纏っていた無感情という凍てついた心の防護壁が、杉田の暖かな抱擁に崩されたのだ。

 自分が企業の野望のためにサイボーグにされたことを知り、上層部である大月からは化物じみた実験動物扱いで、用済みになれば殺される身だと思い知らされてから数日。

 どれだけ皆を恨み、不信感に沈み、自分に対して絶望したかわからない。いっそのことP2の言った通り、自分が人間ではないことを認めて感情を捨て去ろうと何度も思った。

 だが、無理だった。

 今まで生きてきた人生を否定することなどできず、だからと言って苦しみを正面から受け止め、跳ね除ける強さもない。未練がましく人間の自分という存在にすがりつき、痛みと苦しみを抱え、味方がいない世界でも独りぼっちで生きていくしかない。

 その現実に押し潰されかけていた自分に投げかけられた言葉と温もりは、あまりに眩しく、そして魂を揺さぶるほどだった。

 自分の存在を認めてくれる人が、手を差しのべてくれる人がいる。

 そう思えた今、表に出すまいとしていた様々な感情が一気に噴き出したのだ。

 未来は杉田の胸で、声を上げて子供のように泣き出した。

「ごめん……ごめんね、未来……」

 彼女はずっと、誰かの胸を借りて泣きたかったのだろう。

 低い声で呟いた杉田は骨ばった背中を何度も撫で、感情の全てをさらけ出した未来をしっかりと、優しく抱きとめた。

 彼自身も、こみ上げる涙を堪えるのに必死だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ