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機械娘の心的外傷(トラウマ)~旧タイトル:SAMPLE  作者: 日吉 舞
変わりゆく距離
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第47話

 定期メンテナンスはいつも午後二時に開始するが、未来がいない診察室は妙に広々としている。杉田は午前中に用意しておいた検査用の器具や書類の片付けに、一人黙々と作業していた。

 実施項目は、前半が心電図や血液検査などの基本的な健康状態の確認が中心で、後半は人工パーツを移植した部位の反応確認を行いつつ、動きが悪い部分が見つかった場合は適宜対処するものだ。

 未来の体内に移植されたパーツは、人工骨や人工繊維以外にも内部にプログラムを搭載され稼動する様々なものがある。今回動作異常を起こしていると見られるSNSAもその一つだ。

 ただこれらのパーツは、ハード的な故障でなければ外部からの無線通信によるプログラム修正が可能となっており、ソフト的なバグは即時対応できることが大きな特徴である。

 大月によればこれが旧型であるP2との最も大きな差であり、不具合が生じた際により素早い修理が可能な点がP3である未来の優れている点でもあるとのことだ。

「あら。今日、未来は来てないの?もう定期メンテナンスの時間なのに」

 自動ドアが開き、ダーク系スーツ姿の大月が珍しく診察室に姿を現した。未来の様子が、彼女なりに気になっているのだろう。注射器を棚に戻していた杉田は、大月をちらりと見ただけで答えを返す。

「ああ、今日は体調が悪いから来られないって、さっき連絡がありまして」

「そう。今まで一度も来なかったことがないのに?」

 改めて振り返った杉田は大月の鋭い視線を受けて怯み、そして後悔した。何故自分は、未来の体調がメンテナンスを中止するほど優れないことを、あっさりと口にしてしまったのだろう。

「ちょっと心配ね。様子を見に行きましょうか。杉田くん、ここを片付けてガレージに行っててちょうだい。私の車を出すから」

「様子を見に行くって、今からですか?」

 ぎょっとした杉田が、もう白衣を脱ぎ始めている大月を見やる。

「ええ。貴方も最近研究室に籠もりっぱなしのようだから、丁度気分転換にもなるでしょう」

「いや、でもしかし」

「何も問題ないでしょう?部下の体調を心配する上司が、お見舞いに行くだけなんだもの。男の上司だけで押し掛けるわけでもないんだし」

 見舞われる本人の嫌っている人物である大月が現れるほうが、余計に体調を悪くするに決まっている。だから貴女は来なくていい。

 杉田はそう言いたかったが、どうしても最初の言葉を喉から振り出せない。慌てふためいた様子の彼を尻目に、大月は脱いだ白衣を腕にかけて検査室を出ていった。

「十分以内にガレージへ来なさい。遅刻は厳禁よ」

「……わかりましたよ!」

 だめ押しのように残された大月の声に返した杉田は、荒くなっていた。いつもながら、強引な大月専務に何も言い返せない自分に腹が立つ。

 彼は残った検査器具を乱暴に片付けた後、白衣を脱ぎ捨てると鞄をひっつかんでガレージに急いだ。

 小一時間の後、大月と杉田の姿は新宿歌舞伎町界隈にあった。

「本当にこんなところに未来のマンションがあるの?あんまり、人が住む環境に適してるとは思えないけど」

「誰でも特別地区に住めるわけじゃありませんよ。住所によればこの辺りです」

 あからさまに眉をひそめている大月に、杉田が大声で返した。昼間からパチンコ屋やカラオケ店、飲食店が大音量で宣伝や客引きをしているこの街では、大声でなければ会話もままならないのだ。

 二人の背中は世界各国の言語と料理の匂い、肌の色が織りなす新宿の景色の一部となって靖国通りを経由し、歌舞伎町一番街を進んでいく。

 高所得者特別居住地区に自宅を構える大月は、このごみごみした活気でむせ返っている新宿に馴染みはなく、親しみも感じないらしい。人混みの中では杉田が先に立って大月を案内し、歌舞伎町から少し外れた、それでも人通りが多い広めの路地に入っていく。

 北新宿方面の古いビジネスホテルや雑居ビルが並ぶ一角に、目指す未来の家はあった。外見はベージュのタイル貼りで、古めに見える総戸数一五程度の独身女性用マンションである。入口はオートロックで二世時間有人管理かつ、防犯カメラも備えたシステムだ。未来は事務所開設当時からここに住んでいるようで、流石に身の安全にはかなり注意を払っているのだろう。

 小さなエントランスホールの管理人室で大月と杉田が身分証と社員証を提示して要向きを告げると、管理人は意外とあっさりと自動ドアを解錠してくれた。ただし、個人宅の鍵は開けないとの条件つきではある。

 二人は未来の部屋がある三階へ、小さなエレベーターで上がっていった。三階は部屋が三つ短い廊下に面しており、未来は突き当たりの角部屋に住んでいる。黒いスチール製のドア横には部屋番号があるのみで、表札も出ていない。

「じゃあ未来ちゃん、また来るからね。部屋はこんなに汚くしてちゃ駄目よ!」

 杉田と大月が廊下の中程まで進んだところで、未来の部屋から中年の女性が憤慨した様子で出てきた。その面影が未来と似ているところを見ると、母親なのであろうことはすぐに予想がついた。

「間未来さんのお母様でいらっしゃいますか?」

 杉田が大月を止めるより早く、女専務はドアを閉める女性に近寄って会釈していた。

 女性は特に警戒した様子もなく頷き、質問を返してくる。

「そうですが、あなた方は?」

「私はケルビム株式会社の専務取締役で、大月と申します。こちらは協力会社の者で、同じプロジェクトメンバーでもある杉田です」

 大月は隙のない仕草でポケットから名刺を出し、両手で未来の母に手渡した。

「あら、ご丁寧にどうもありがとうございます。私は未来の母で、間恵美子です。翻訳と大学の講師をしておりますの」

 未来の母もそれを受け、バッグから出した自分の名刺を両手で大月に手渡した。硬さのある表情が、大月の名刺にある会社名と肩書きを確認して見る間にほころんでいく。

「お嬢さんには、社内の大きなプロジェクトにご協力頂いているんです。ただ、ここ何日か体調が良くないようで。私と杉田とでお見舞いがてら、少し様子を見に来たところでして」

「それは……娘がとんだご迷惑をおかけして、申し訳ありません。私も今、あの子の部屋をやっと片付けてやったところで。もう信じられないくらいに汚くて、人様が上げられるような部屋じゃなかったんですよ。今はもう大丈夫ですから、どうぞゆっくりしていって下さいね」

 未来の母が大袈裟な抑揚をつけて大月に言い、今し方出てきたドアを振り返る。

「あの子ったら、ちっとも動こうとしなくて。あなた方に不愉快な思いをさせてしまったら、本当に申し訳ない」

「いいえ、彼女は素晴らしいお嬢さんですよ」

「まあ、そんな。未来はいい上司に恵まれてるのね。わざわざお見舞いにも来て下さって」

「大事なお嬢さんをお預かりしているのですから、これぐらい当然のことですわ。私たちは彼女と企業秘密にも関わる話を、どうしても今日しなければいけませんので。こちらこそ、負担になるようなことをしてしまって申し訳ありません」

「いえ、とんでもない。じゃあ、ごゆっくりなさって下さいね」

 笑顔で大月と話していた未来の母は、気を利かせたつもりかそこで会釈すると、大月と杉田の脇を擦り抜けてエレベーターへと消えた。

 杉田は未来の母に会釈を返しつつも、釈然としなかった。

 あれが、落ち込んでいる娘に対する母親の言い種なのだろうか?未来と口喧嘩でもして気が立っていたのかも知れないが、体調を崩した未来が悪いと一方的に卑下するばかりで、庇ってやろうとする気持ちがまるでないかのようだ。

 それに、いつものことではあるが大月の外面の良さにも腹が立つ。

 未来のことを大事にするどころか使い捨てるつもりでいるくせに、よくあんな嘘を満面の笑みでしゃあしゃあとつけるものだ。

「杉田くん」

「は?」

「未来を呼び出しなさい」

 未来の母が姿を消したのを確認すると、大月は閉ざされたドアを指した。

「僕がですか?」

「彼女は、貴方の言うことだったら聞くのよ。様子を見ようにも、ドアを開けてもらわなきゃ話にならないでしょう。早くなさい」

 このマンションのドアは、最近良く見られる鍵穴がないタイプだ。ドア内部にある鍵を車のキーのようにリモコンで開閉する方式になっており、高い安全性を誇るものである。

 自分一人しかいないのなら携帯電話で連絡するところだが、杉田は敢えて呼び鈴を押した。

 反応はない。

 更に数回連続して呼び鈴を鳴らす。

『はい』

 ひどく掠れた声が、インターホンから聞こえてきた。

「未来、いるのか?僕だ。杉田だよ」

 杉田が呼びかけてからたっぷりと十数秒の間をおき、未来が探るような返事を寄越してくる。

『杉田先生だけ?』

「いや」

『生沢先生かリューが一緒なの?』

「いや」

 そこでインターホンの終話ボタンが押される、耳障りな雑音が響いた。杉田と大月は暫し待ったが、それ切り何の反応もない。

 たまりかねた大月が呼び鈴を連打する。

「未来、開けなさい。心配で様子を見に来たのよ」

 それでも沈黙を守るドアを軽くノックし、彼女は呼びかけた。苛立ったような調子ではなく、あくまで猫なで声である。

「大月さん、今日はもう諦めましょう。これ以上は怪しまれますよ」

 更に数分間、呼び鈴の連打と呼びかけを繰り返していた大月を見守っていた杉田が、首を横に振った。これでは、電話をかけても同じ状態だろう。

 他の住民に不審者として管理人に連絡されたら、面倒なことになりかねない。

 女専務は軽く溜息をついてから、じろりと横目で杉田を見やった。未来が出てこないのは、最初に杉田が話し方を間違えたからだと視線が語っている。

「こんな調子じゃ、P2との戦闘も怪しいわね。次にC-SOLに出てきたときには、薬剤の投与も検討するわ」

 大月の台詞は、憤りは感じさせない。研究者の落ち着いた冷徹な態度は、杉田の背中にもぞっとするような怖気を這い上がらせていた。

 が、彼は聞こえないふりをすると先に立ってエレベーターに向かっていく。マンションの出口をくぐり人通りの多い通りに出るまで、彼らは終始無言だった。

「未来の母親には初めて会ったけど、しっかりした方のようね。機会があったら一度、きちんと話してみたいものだわ」

「そうですね」

 歌舞伎町一番街の喧騒に飲まれる頃、大月が周囲の騒音に負けじと口を開いた。杉田は適当に相槌を打ちながら、再度大月の前を歩く。二人は夕方が近くなりやかましさが倍増した靖国通りに沿い、新宿駅前駐車場に向かった。

 西口広場の籠もった臭いがする地下道に下りる手前の階段で、不意に杉田が振り返った。

「じゃあ、僕は生沢先生に頼まれた本を探してから戻りますから」

「どんな本?」

「これを馴染みの古本屋に持って行けば、探してくれるらしいです」

 訝しんだ大月の突っ込みに、杉田が皺を伸ばしたメモを差し出す。何匹かのミミズが絡まったような生沢の筆跡を見て、大月は呆れたように言った。

「相変わらず読む気が失せる字ね。何の本か知らないけど、あまり遅くならないようになさい」

 頷いた杉田の脇を抜け、女専務が鉄のドアの先に広がる薄暗い地下駐車場に消えていく。

 彼女の足音が遠ざかっていくのを確認してから、杉田は行動に出た。

 東口方面に戻る道すがら、駅構内の小さな店でできたてが売りのシュークリームを買い、ピンクの薔薇と季節の花をアレンジしたミニブーケを買った。階段を駆け上がって駅地下から地上に出て、つい先刻歩いてきた道を早足で遡る。軽い息切れを起こす頃には、未来の部屋の前まで辿り着いていた。

 最初にここへ来たときにインターホンで来訪を告げたのは、未来に大月がいることを悟らせるためだ。生沢から本の買い物を頼まれたというのももちろん咄嗟に思いついた嘘で、生沢から以前預かったギャンブル雑誌のメモが、偶然役に立ってくれた結果となっていた。

 呼吸を落ち着け、スーツの内ポケットから白いプライベート用携帯電話を出す。祈るような気持ちで未来の携帯番号を呼び出し、発信キーを押した。

 数回のコールの後にディスプレイに「通話中」の文字が現れ、発信音が止まる。

「もしもし、未来?今部屋にいるのか?」

 携帯電話を押し当てている杉田の耳には、僅かな雑音しか聞こえない。

「いるんなら、開けてくれないか?今、ドアの前にいるんだ」

 返事はない。十数秒の間が空く。

『……知ってるよ、そんなの。会社の命令で来たんなら帰って』

 やっと、抑揚がない低い声が返ってきた。

「会社は関係ないよ。僕の意志でまた戻ってきたんだ」

 一呼吸置いて、杉田が閉ざされたドアを見ながら続けた。

「急には信じてもらえないかも知れないけど……僕は未来のことが本気で心配なんだ。少しだけでもいいから、顔を見せてくれよ……それに、今は僕一人だけだ。他に誰もいないから、安心してくれ」

『本当に?』

「ああ。嘘だったら、僕の首をあげるよ」

 再度、十数秒の間が開いた。

『そんなの、いらないもん』

 くぐもった未来の声が応えると同時に通話が切れ、黒い鉄のドアからかちりと錠が外れる小さな金属音が聞こえた。



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