第44話
閉鎖された屋内に銃声が反響し、連続した破裂音を撒き散らす。その後ろに、建物の陰からランダムに姿を現す木製マンターゲットが砕け散る音もまた、連続して重なっていた。
「チェックポイント十を撃破、目的地までの最短ルートを確保!伏兵の有無を再度確認して、援護部隊の到着まで待機します」
殺傷力を弱めた訓練用アサルトライフルを携えたパワードスーツ姿の未来が、通信役であるリューに低く鋭い声で状況を伝える。
「援護部隊が十メートル後方まで来ていることを想定して行動してください。数は歩兵七、狙撃兵三」
「了解。確認後、突撃準備に入ります」
アサルトライフルを構え直し、未来は簡素なコンクリート造りの建物の陰に身を寄せた。
AWP棟地下二階、屋内訓練場は市街戦を想定した戦闘訓練の只中だった。コンクリート製の建造物が立ち並ぶ一般的な市街を模したここでの訓練は、パワーズの特殊警備隊を動員して大規模に実施することもある。しかし、今は彼らもC-SOLの警戒態勢強化のために駆り出されており、今回の訓練はAWPメンバーでのみ行っていた。
アサルトライフルを腰の位置に構えた未来は、八十キロあるパワードスーツの重量を感じさせない滑らかさで建造物の間を進んでいく。バイザーの内側に映し出された映像は彼女の視界そのものであり、天井に近い位置にある指令室のリューも、同じ映像をパソコンのディスプレイで確認することができた。
ヘルメットは予備のものに少し手を加えて使用しているが、動作は順調のようだ。各センサー類は正常な反応を示し、映像も途切れることがない。
「杉田先生、そちらの調子はどうです?」
リューが通信用のインカムを外して首にかけ、隣で脳波と脳血流をチェックしている杉田に声をかけた。
「こちらも動作は良好だ。ただ……」
杉田は大脳全体の血流を示す色鮮やかな像を見つつ、眉間に皺を寄せた。
「訓練中の割に、脳全体の働きが鈍いみたいだな。特に、前頭葉が顕著だ。これも装置の異常と関係があるのか?」
「それも、ある程度は仕方ないですよ。一昨日、あんなことがあったばかりなんですから」
昨日はAWP施設の補修工事があったこともあり未来を休ませていたが、メンテナンスと訓練は本日から再開されていた。破損したパワードスーツは予備のもので代用し、杉田から依頼があった脳波計と脳血流モニター用の電極を内部に取りつけて使用している。
未来の話ではP2にも同じタイミングで左脚に異常が起きたとのことで、訓練中にもし痙攣の発作らしきものがあれば脳波にも変化が表れるはずだった。問題を引き起こしている脳への移植装置の調査に関しては生沢も協力を申し出てくれており、今日からデータ分析と原因の特定検証が行われている。
本当は予備の部品を猿やチンパンジーといった類人猿の脳に移植して実験を行うのが理想だったが、動物実験の正規申請を出すと時間がかかるため、シミュレーションのみで原因を探ることになっている。後は原因を特定するだけだが、それでもかなり時間はかかるだろうとの見通しだ。
未来の脳波には、今のところ異常は見受けられない。一方で、数秒おきに脳全体の血流推移をモニターしている脳血流SPECTでは前頭葉部が黒~青の暗い色のまま変化がなく、感情が高揚する戦闘訓練中とは思えないほどだ。
これはうつ病の感情阻害時などにも見られる症状で、意欲低下や無関心といった負の心情が強い証拠である。
未来は昨日オフィスで働き、今日は午後から戦闘訓練と定期メンテナンスのためにC-SOLに出向いてきている。事件後初めてAWPスタッフに見せる顔は比較的落ち着いているように見えた。
が、彼女の沈んだ気持ちは訓練結果と脳血流モニターに現れた脳の働きに如実に現れていた。
「今までの訓練よりも、被弾回数が多いですね。弾丸命中率も低下してますし、何より動きに切れがありません。注意力も散漫なようです」
インカムは外したまま、リューがモニターに映し出している監視カメラの画像とパワードスーツのカメラ画像とを見比べて呟いた。
未来は今まで優秀な結果を常に叩き出していただけに、精神的な問題を抱えている現在はその動きに著しい粗さが見られる。見張りを想定した障害物から発射される光弾には既に五度被弾しており、この調子だと最悪の数値となりそうな予感がしていた。
「なあ……未来の状態は普通に見えるけど、明らかに普通じゃないよな」
杉田も脳血流のモニターから眼を離さずにリューへ声をかけると、端正な顔が頷いた。
「僕たちが今未来の心の負担を減らしてやるには、一体どうすればいいんだ?リューは軍にいた頃に、そういう兵士も見てきてるんだろ。どうやって彼らに接してた?」
「軍という環境は特殊です。人殺しや裏切りが日常なので、よくあることだから慣れるようにいつも言ってはいましたが、未来は民間人です。そんな慰めは却って逆効果でしょう」
息をついて、リューは椅子の背もたれに寄りかかった。
「かといって、私たちが土下座でもすればいいのかと言えば、それで済む問題ではありません。そうですね。私達が利害関係にないところでいつも心配している、ということを態度で示すくらいでしょうか。私について言えば、この訓練で出た最悪の数値を認めることですね」
リューの返事に、杉田は溜め息をついて無言の応えを返した。
今回の事件の首謀者である大月専務が本気で謝罪をするならともかく、立場的には未来と同じ位置にいる自分たちが頭を下げてもどうしようもない。
だからと言って、こちらも被害者なのだと開き直るつもりも杉田にはなかった。
未来はこの二日間、自分から過去の事故のことについて触れようとはしてこない。が、その精神に負った傷は深く大きなものであることは、精神科医ではない杉田にも予想はつく。
彼女を癒すのに必要なのは、苦しみのさなかにあることを理解している姿勢を見せることだろう。
モニターの未来は敵に必死で反応して普段の数値を追いかけているが、やはり動きにまるで精彩がないことは素人の杉田にさえわかるほどだ。
パワードスーツ姿の彼女をじっと見つめるリューの眼も、いつになく険しい。それでも彼は訓練中止を告げることなく、未来が制圧ポイントである建造物の司令室に侵入し、最後のマンターゲットを破壊するのを見守った。
「よし、訓練終了ですね。上がってきてください」
結果は今までの訓練の中で回避率、弾丸命中率、ミッションクリアタイム等全てが最低の数値を記録していた。しかし、先に言ったとおりにリューの口調には普段と全く変化がない。
「了解」
今までの訓練よりも明らかにミスが目立っていたのに口出しが少なかったリューに対し、未来は戸惑っている様子だった。モニターから見えるヘルメットを外して現れた顔もおどおどしていて、落ち着きがない。
彼女は数秒間だけ眼を伏せていたが、すぐに顔を上げて踵を返した。
その様子を確認したリューは、司令室のパソコンで取っていた各種データファイルをメディアに保存して、さっさと片付ける準備を始めているようだ。細かいミスについて今回はいちいち記録しなかったのだろう。
そこで司令室の自動ドアが開き、ヘルメットを抱えた未来が戻ってきた。五人程度が定員の小さな部屋は、重厚なパワードスーツを着用した彼女が混ざるとそれだけで手狭になるような印象だ。
「ごめんなさい、今日は何だか調子が出なくて」
明らかに沈んだ表情の未来は、開口一番の台詞がそれだった。
「仕方ありませんよ、誰だって調子が悪いときはあります。まあ、あまり気にしないことですね。今日はもう終わりましょう」
「追加の座学とか特訓はないんですか?」
「却って疲れるだけですよ。あんなことがあった直後にこうして訓練を一通りこなしただけでも、大したことなんですから。自分を誉めてあげてください」
驚いている未来に対するリューの口調は、やはり普段と変わらない。逆に戸惑っている未来の方がぎくしゃくした印象だ。
「あれ、未来。今日はメイクしてる?」
そこで、リューに倣って後片付けをしていた杉田が未来の顔をふと見て気づいた。いつもすっぴんのままでいた未来が化粧をしているのは、初めてではないだろうか。
「え。あ、ああ。今日はちょっと。たまには手持ちのメイク用具も使わないと、劣化しちゃいますから」
指摘されて照れ笑いを浮かべた未来の表情は、やはりぎこちない。何気なく頬に触れたスーツの指先にもファンデーションが移ったところを見ると、相当厚塗りしているようだ。
「あ、そうか。今日は何となく違うとは思ってたけど、未来の敬語も久しぶりに聞いたからかな」
「えっ?私、敬語なんか使ってた?」
再び杉田に指摘され、彼女はぎょっとして身体をすくませていた。
「あれ、気づいてなかったのか?無理はしない方がいいぞ。君は精神的にも相当……」
「やだなあ。私は全然大丈夫、いつもと変わらないですってば!もう着替えてきますね。また後で」
杉田の言葉を遮って大げさに笑って見せると、未来が慌てたように出口の自動ドアへと向かう。若い医師は、立ち上がってその背を追った。
「待てよ。全然大丈夫になんか見えないぞ」
気遣うつもりで声をかけ、パワードスーツの肩に右手を置いて呼び止める。
刹那、痩せた手は振り返った未来の金属の腕に横へ鋭く弾かれた。
「あ!……す、すいません」
反射的に取ってしまった行動に、彼女は自分でも戸惑いを隠し切れないようだった。
ばつが悪そうに視線を外し、軽く会釈してから改めて指令室を後にする。
手を振り払われた杉田は、未来の表情に強い嫌悪と拒絶の色が走っていたことを見逃さなかった。
やはり今の未来にとっては、C-SOLなど自分を欺いていた者しかいない敵の巣同然なのだろう。先の一撃は、彼の手が痺れるほど強かったのだ。
「未来、相当堪えているようですね」
二人のやり取りを眺めていたリューの声もため息混じりだ。
未来本人は普段通りに振る舞っているつもりかも知れなかったが、自然な笑顔も明るい声も失っている証拠に、AWP主要スタッフには灯が消えたような居心地の悪い静けさが生まれつつある。
「……早く、何とかしないと」
先に未来の敵意が込められた視線を受けた杉田は、鈍痛が残る右手を見つめて呟く。が、彼はすぐにその手を握りしめて呻いた。
「しかし、僕たちは……一体どうすればいいんだろう?」
「私たちが謝ったところで済む問題ではありませんしね……それでも、未来の溜飲が下がるのであれば、謝罪の言葉の一つも伝えるべきでしょうが。彼女に害を加えた、という立場は私たち全員が同じなわけですし」
先と似たことを口にした杉田に対するリューの返事も、半ば途方に暮れたような印象がある。
「そうだな……でも、未来がそれを本当に望んでるのかな」
ぽつりと返す杉田に、リューは答えない。
二人とも、謝罪を受けた未来が悲しげに微笑んで頷く姿を容易に思い描くことができていた。
謝ってみたところで、彼女が普通の女性に戻れるわけではない。
野蛮な死の匂いを知らなかった時間に、帰れるわけでもない。
失われたものは、もう二度と取り返すことはできないのだ。
生沢が以前指摘した通り、今回の一件は未来が持つ心の脆い側面を直撃していた。その痛みに耐え切れなくなる前に、何としても救いたい。
それは医師としても、研究者としてでもない。
杉田の、一人の人間としての願いだった。




