第42話
「おう杉田、付き合え!」
杉田が茫然としたまま共同研究室の自動ドアを開けるなり、勢いよく出てきた生沢が正面から首に肘を巻きつけて引っ張った。
思いがけない一撃を喉に喰らい、一瞬杉田の息が詰まる。
「どうしました、杉田先生。顔色が悪いですよ」
「こんな不意打ちを喰らえば、誰だって顔色が悪くなるだろ!」
生沢の背後から顔を覗かせているリューへ、仰向けにひっくり返るところだった杉田の抗議が飛んだ。
思いがけず怒鳴り声を上げた杉田の反応には構わず、生沢が迫力のある笑顔で迫る。
「今日は朝まで飲むぞ。新橋行きのバスの最終便がもう出るから、早く支度しろ」
「飲みに行くって、今からですか?」
「朝までやってる飲み屋は結構知ってるからな。心配しなくても、今日は俺の奢りだ」
驚いている杉田の背を研究室内に突き飛ばし、生沢は時間を確認した。
「でも、今日は帰って寝ないと……」
「お前は受験中の高校生か?始発でこっちに戻って、出勤時間まで寝てりゃいいだろ」
「いや、僕は車が……」
「そんなもん置いて行け。ほれ、早くしろ」
今日は疲れていると言おうとした杉田だったが、口を開いたところでやめた。一度言い出したら聞かない生沢のことだ。首に鎖をつけてでも、飲みに連れて行くつもりだろう。
慌てて荷物をまとめた杉田を加えた男三人の姿は、一時間の後にサラリーマンの聖地である新橋の小さな居酒屋の卓にあった。雑居ビルの二階にある古い店は、平日の深夜ということもあって他の客は少なかったが、その分落ち着けるのが有り難い。
各々の酒とお通しの揚げうどんが元気のいい男性店員にサーブされ、最初の一口を飲んだところで、皆は一様に小さな溜め息をついていた。そこから先は皆でまた黙りがちとなり、次々と料理や酒を注文しては腹に詰め込むことの繰り返しとなる。
彼らがぽつりぽつりと言葉を交わせるようになるまでは、ある程度脳を麻痺させる必要があった。そうしなければ、とても今日一日を振り返とろうという気にはなれなかったのだ。
「しかし、今日は災難だったな。俺は本社会議で吊し上げ、お前らはP2の襲撃に遭遇か」
「不覚にも少し混乱して、ベストを尽くせなかったのが不本意です。やはり、長らく現場を離れていると勘が鈍ります」
ボトルの芋焼酎をストレートでちびちびやっている生沢の前で、リューが冷やの日本酒に口をつけていた。焼酎は親父臭漂う生沢にはこの上なく似合っているが、外見がほぼ白人のリューが旨そうに日本酒を煽っているのには違和感が漂っている。二人とも酒には強く、まだ乾杯のビールを飲み終わっていない杉田に対して、彼らはもう三杯目に突入していた。
「それでも、お前はまだそうやってちゃんと動けたからいいだろ。片や俺たち医者は、専門の道具がなけりゃ何もできやしねえ。ここまで悔しい思いをしたのは、勤務医だった頃以来だ。畜生」
生沢の愚痴にも律儀に反応するリューは、首を横に振った。
「しかし私も、運良く武器を手にできたから動けただけです。手榴弾やアサルトライフルがなければ、あそこまで長時間は保たなかったでしょう。未来が駆けつけるのが少しでも遅ければ、どっちみち死んでました」
と、未来の話が出ると場の空気が止まったようだった。この店は生沢の行きつけであまり大きくない上に客の入りも少ないとなると、静けさが気まずい雰囲気を作り出してしまう。
「……未来は大丈夫なんでしょうか」
「ボケ。普通に考えて、大丈夫な訳ねえだろ。俺たちの前で泣いたり喚いたりしなかったのは、あいつが大人だってだけだ」
杉田が遠慮がちに言うと、生沢は一喝して皿に残っている焼き鳥に手を伸ばした。リューも頷いて、こちらは串揚げをつまみ上げる。
「そうですね。未来は普段子どもっぽい一面がありますが、戦いのときは大人の男顔負けの強さがあってまるで別人です。自分の立場を弁えて振る舞っているんでしょうが」
「しかし今回のことは、恐らく未来の一番脆いところに響いたようだな。あいつ自身で何でもないことなら話の種にしてるところだが、何も言ってこない。相当堪えてるんだろう」
肉がなくなった焼き鳥串を串入れに突っ込んで、生沢が続ける。
「未来を実験体にしたのは大月の独断だ。が、それを知らずにいた俺たちも共犯者だ。俺や杉田は、未来に殺されても仕方がないだろうさ」
生沢が静かに呟く。ごつい手が灰皿を引き寄せて、くわえたタバコに火をつけた。
「改造された未来に、戦闘技術を一から仕込んだ私も同罪ですよ。私たち全員が加害者です。本当のことを知らなかったとは言え、被害者面をすることは許されないんですから」
タバコの煙を吐き出す生沢に再びリューが頷いて、残っていた日本酒を徳利から一気に飲み干す。
「やっぱりそうですよね。未来は、僕たち全員がよってたかって酷いことをしたと……」
「そんなのは当たり前だろ。あいつには、俺たちがどこまで関与していたのかをちゃんと教えたわけじゃない。最悪、C-SOLの人間全てが敵に見えてるかも知らん」
苛ついたように、生沢は早いペースでタバコを吸っている。
杉田の脳裏を、大月の台詞が掠めた。
『忠告しておくけど、あまり未来に肩入れしない方がいいわ。貴方もこちら側の人間なのよ。あれから見れば、貴方も加害者の一人でしかないのだから』
生沢が言う通り、未来は恐らくAWP全ての者を信頼できなくなっているだろう。身体のメンテナンスは一生続けなければならず、危険な戦いも避けられない彼女にとって、命を預けるスタッフが信用するに足るか否か判断できないのは、辛過ぎる状況だった。
考えれば考えるほど、八方塞がりに思えてくる。
別な発想の切り口を見つけるべく、杉田はジョッキを取り上げた。半分ほど残していたビールを一度に飲み下し、空のジョッキを卓に叩きつけるようにして置く。
「おいおい、下戸のくせに大丈夫か」
「放っておいてください!で、僕たちが何か、未来にしてやれることはないですか」
荒れ始めた後輩をたしなめようとした生沢は逆に一喝されて苦笑したが、直後に視線を宙に泳がせて考えを絞った。
「一番なのは普通の人間に戻してやって、C-SOLとの関わりを一切絶つことだが……それは不可能なんだよなあ……」
顎の無精髭を撫でてからぼそりとこぼし、天才外科医は再び黙り込んでしまう。
最上策は、未来のストレス源を全て無くしてやることだ。
しかし、まずサイボーグを人間に戻すこと自体が現代医学では不可能だった。
仮に人間に戻れたとしても、重要機密を知る者である現実は動かせないため、C-SOLとの関わりを絶つことはできないのだ。
髪に指を突っ込んでまだ考えている生沢に、上気し始めた顔の杉田が真剣に言った。
「せめて、AWPメンバーから外すことは?身体のメンテナンスと研究、機密保持は一生継続する条件で」
「無理だな。未来の開発には何百億という資金がかかってるし、今の敵であるP2に対抗できるのは、同じサイボーグの未来しかいない。仮に、プロジェクトの継続が不可能としてお偉方に報告したとしても、不良品と判断されたサイボーグの末路がどうなるか。お前だって知ってるだろう」
溜息をつきつつ、生沢は頭をばりばりと掻き毟った。
やはり、未来をAWPから除外すること自体が現実的な策ではない。
戦闘用サイボーグとして開発されている彼女が戦闘不可となり、実験体として不適格と判断されて研究対象から外れれば、あとはP1、P2と同じく処分されるだけなのだ。
相手は利益優先の巨大企業だ。AWPの辿ってきた軌跡を見る限り、実験体に情けをかけるとはとても思えない。未来に負担をかけないためには、処分され損なった過去のサイボーグたちのように行方をくらまし、世間から隠れて生きるしか残されていないのだろうか。
「じゃあ、どうすればいいんです!」
「うるさい!だから、こうやって考えてるんだろうが!」
酔いが回ってきた杉田が思いがけず大声を上げると、生沢も怒鳴り返す。
しかし先輩医師はすぐ怒りの温度を下げ、肩の力を抜いた。
「……俺だってなぁ、何とかしてやりたいと思ってるんだ。このままじゃ、未来が余りに不憫だ」
息をついて静かな口調に戻った生沢のついた溜息は、先より更に深いものになっている。
傍らで黙しているリューも、医師たちに目配せをして頷いた。この元軍人の青年も、思いは同じなのだ。
暫し宙を泳いでいた生沢の視線が、ふと後輩へと向いた。
「お前はどうしたいんだ、杉田」
「え……僕ですか?」
「そう、まずはお前がどうしたいかだ。これ以上、こんな非人道的なプロジェクトに関わりたくなけりゃ、配置換えを申し出ることだってできる。もしこのまま残るなら、自分の意志をはっきりさせておかないと多分やっていけん。まあ、残るとしたら相当な茨道を進むことになりそうだがな。俺やリューのことは関係なく、お前自身がどう思ってるかを言ってみろ」
「僕は……」
言い淀んだ杉田は、大月に告げられた次期プロジェクトの話を心で反芻した。
遺伝子を細工して一から細胞の培養を行い、人工臓器で人間を誕生させるには、確かに自分が適した人材だろう。プロジェクトを中心になって進めるということは、事実上の役職と同等だ。
が、大月は許されない過ちを幾つも犯している。利益を追求するあまり個人の存在を無視し、尊厳を踏みにじり、人道に背く仕事の片棒を担がされるのはごめんだった。たとえそれが出世に直結するものであっても、自分の良心が決して許しはしない。
それにあの女取締役は、杉田がこの話を断ったとしても、必ずどこからか適任者を見つけてくるだろう。
そうなる前に、何としてもプロジェクトの起ち上げは阻止しなければならない。それができるのは、恐らく今の段階でプロジェクトの存在を知っている自分しかいないのだ。
もう、未来の苦しむ姿を見たくない。
彼の心は決まっていた。
「残ります。未来に約束したんです。どんなことがあっても、彼女を守ると。それを違えるわけにはいかないんです……絶対に!」
思ったよりも強い口調に、杉田は自分で驚いていた。
未来は、戦えなくなったサイボーグが処分されるのではないかと恐れ、必死に人間である証を求めていた。その不安から涙を流しながらも、懸命に自らの足で歩もうとしているではないか。
強さの裏に儚げな弱さを隠した娘を、どうして見捨てられよう。
あの時、どんな困難があっても約束は守らねばならないと誓った。
せめてもの罪滅ぼしをするためだけでなく、重すぎる運命を背負わされた彼女を放っておけないのだ。
「よし、腹は決まったな」
生沢は珍しい杉田の短い熱弁に、にやりと笑って彼の細い肩を叩いた。
いつも弱腰だった杉田は、自分が決して譲れないもの、守らねばならないものを見つけて驚くほど強い意志を持つようになってきている。その純粋さにこそ未来は惹かれ、信頼を置き始めていたのだろう。生沢は若い医師のそんなところに、自分が失ってしまった可能性を見出していた。
「決まりましたね。私も、今のまま残る気持ちに変わりはありませんよ」
「実は俺もだ。何とかして未来を助けてやらんとな。そうと決まれば、堅めの杯だ。おーい大将、生一つ!」
リューと生沢が続けて頷き、店の奥へと注文が飛んだ。
「でも、あと一杯で勘弁してくださいよ」
「なあに、まだ夜は長い。気分が悪くなったら表で吐いて酒を抜いてくりゃいい」
杉田の苦笑いを、生沢は冗談とも本気とも取れる態度で流す。
ほどなく杉田の新しいビールがジョッキで運ばれ、生沢は焼酎のグラスを、リューは丸一本残してあった日本酒の徳利を掲げて乾杯した。
「なあ杉田、未来は俺やリューには言えないことでも、お前には素直に話してるだろ。あいつが心を開いてる証拠だ」
ようやく酔いが回り始めたらしい生沢が語り口調に入り、一旦言葉を切って焼酎をぐいっと流し込む。
「俺とリューは、今までに世の中の汚い面ばかり知りすぎてきた。だから未来に対しても、一線を置いた場所からしか見られないところがある。しかし、お前は違う。心底から未来を思いやることができるのは、お前だけだ。あいつは歪な性格だが、根は無垢な子どもみたいな娘だ。お前のことを信じさせてやれ」
普段ならばこんな台詞を恥ずかしげもなく口にする生沢ではないが、酒の力は偉大だ。
そして本音が出し合えるこういった場もまた、有難いものだった。
杉田は照れたように笑って頷くと、先輩医師の奢る新しいビールに口をつけた。
こくのある苦さと喉を通る刺激は、この上なく心地よかった。




