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機械娘の心的外傷(トラウマ)~旧タイトル:SAMPLE  作者: 日吉 舞
変わりゆく距離
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第41話

 その冷酷な顔を貼りつかせている女を睨みつけ、杉田は椅子を蹴るようにして立ち上がった。

「貴女は……一体、何てことを!あの事故をわざと起こして何人も死者を出した挙げ句、未来を利用したんだ。その上……僕たちまで騙して、あんなことを!」

「けれど、貴方の研究していた技術のおかげであの子は助かったのよ。誰かの役に立てたんだから、満足するべきことでしょう」

 皆の反発は予想していたのであろう、大月の返事は冷ややかなものだ。

 過程はともかく結果として未来の命を救い、回復が絶望的だった身体の自由を再び与えることができた。研究者なら、それを受け入れるべきだ。

 しかし杉田の心は、女上司が一方的に押しつけてくる主張を受け入れることを拒否していた。頭の中から大月に対する苦手意識が一時的に吹き飛んだ杉田は、正面から反論をぶつけていく。

「話をすり替えないでください。そんな結果論はどうでもいいんだ!」

 自分は、誰かを殺めるための人間を作りたかったのではない。

 まして、本人の気持ちを無視してでも自分の技術を試したい、などと思ったことも断じてない。

 未来の深い慟哭に触れていた杉田は、涙さえ浮かべて続けた。

「あんな事故さえなければ、未来は身体を……将来を捨てることもなかったし、こんな辛い戦闘なんかやらなくて済んだんだ。それなのに……貴女って人は!」

 言葉に詰まった青年医師が、握りしめた右の拳をテーブルに叩きつける。

「よせ、杉田」

 生沢が、女上司を睨み続ける杉田を短く制した。

 後輩の瞳には敵意がはっきりと表れており、抑えておかねば今にも殴りかからんばかりの剣幕だ。

 男たちの暑苦しい茶番劇などに興味はないと言いたげに、大月が長い前髪を軽くかき上げながら視線を外す。

「このプロジェクトに、人体を使った実験は必然なのよ。国家の威信がかかっている計画に、たった一人の意思なんていちいち構ってはいられない。そういうことよ」

 そして小さく息をついてから、一同の顔を素早く見渡して続けた。

「ただし知らなくても良かったことを知られてしまったのは、間違いないわね。それは認めるわ」

「……プロジェクトの基本的な動きに、変更はないということですね。来るべきP2との戦いに備えて、手を尽くす。今はそれだけだと」

 大月の様子から今後を見越したリューが淡々と先を継ぐと、彼女は無言で頷いてから席を立った。

「私は現場指揮に戻らなきゃならないのよ。まだ話があるなら、後で個別に来てちょうだい」

「専務!逃げるつもりなんですか!」

 足早に応接室から去ろうとするスーツの背に向かい、杉田が怒鳴る。

 更に、自動ドアをくぐりかけた後ろ姿に追いすがろうとした青年の手首を掴んだのは、生沢であった。

「よせと言ってるだろう!」

「しかし……!」

 抑えてはいるが迫力のある声に抗い、杉田ががっちりと右手を捕らえた腕を振りほどこうとする。

 だが、生沢の顔を見上げた途端に憤りが萎んだ。

 生沢は敢えて怒りを殺し、杉田より若いリューすら自らを律して言葉を荒げぬように振る舞っている。自分一人が感情を爆発させてもどうにもならないことに、彼は気づかされたのだ。

 杉田が力んでいた肩から力を抜くと、生沢も静かにその手を離す。

 が、眼鏡を外して目許を拭った杉田は、そのまま俯いて呟いた。

「生沢先生……リューも、このままでいいんですか?未来は殺されかけて、僕たちが彼女を無理やりサイボーグにしたのも同然なんですよ。本当なら普通の女の子でいられたはずの未来を、僕らがあそこまで傷つけて、苦しめたんだ……なのに……」

「いいわけないだろう。しかし……いくらあいつを責めたところで状況は変わらんし、未来が人間に戻れるわけでもない……それよりも、これからどうするかを考えにゃならん」

 未だ苦しげな喘ぎを漏らしている杉田の背を軽く叩いてやっている生沢も、心なしか声を震わせている。時折言葉を途切れさせるのは、彼もまた不自然な浅い呼吸を繰り返しているからであった。

「先生方が大月専務に腹が立つのは、私だってわかりますよ。未来がAWPに寄せていた信頼を、裏切ったことになるんですからね。こんなこと、米軍でさえその場で射殺されても文句は言えない、重罪に当たります」

 この場で唯一、医療従事者ではないリューが漏らす。

 彼は未来の改造手術完了後からプロジェクトに参画した人物であるが、未来に戦闘技術の全てを叩き込んだ教官という立場だ。言ってみれば弟子のような彼女のことを、気にかけないわけがない。

 加えてリューは、米軍海兵隊の特殊部隊フォース・リーコンの出身者だ。

 血を分けた肉親より仲間との絆を重んずる環境にあった彼にとって、今回発覚した事実は何よりも許し難いものであろう。

 三人の男たちに重くのしかかってくるのは、ここに姿のない一人の若い娘のことであった。

「……未来のことが心配ですね」

 誰からともなく、リューがこぼした。

 武装を解除した未来がこのミーティングに加わる予定であったなら、もうとっくに合流していてもおかしくはない。

 しかしそれはありえないだろうし、今から彼女を迎えに行っても無駄だろう。

 あの大月が、間違いなく大きな火種となる未来を自分たちにこのタイミングで接触させようとするわけがない。

 それが皆の共通認識であったが、生沢が重く頷いた。

「ああ。しかし……今のあいつに俺たちがどう見えているか、それも考慮に入れるべきだな」

「どういうことです?」

 顔を上げた杉田に、リューが視線を合わせてくる。

「未来にとって、 私たちスタッフ全員が敵に見えているのではないか。そういうことですよ」




 ミーティングの最後にリューが発した一言は、未だに杉田の頭に残っていた。

 彼女にとって自分はどう見えているのかを考えるとしたら、やはり今までと同じように感じられていることなどありえないと、自然に結論が導かれる。

 自分たちは未来の身体をメスやレーザーで切り刻み、セラミックコーティングの強化骨やセンサー、バッテリーのように、決して人間には必要のないモノを組み込んだ相手なのだから。

 本当のことを知らなかったとは言え、彼女にやった全てが許されるはずもないのだから。

 それなのに。

 なのに、戦闘直後の未来は何事もなかったかのように振舞っていた。

 杉田でさえ感情を露にし、みっともなく叫んだというのに、彼女は何も言わなかったのだ。

 その強さは、一体どこから来ているのだろう?

 いや、とそこで杉田は自らの考えをすぐさま否定した。

 一見強く見える者ほど、内に抱えた闇は深くて暗い。

 今彼の目に浮かび上がっているオレンジ色の夜間灯のように、沈んだ心に燻った想いを滲ませているのだろう。

 自分は一体、未来に対してどう接するべきだったのだろうか?

 逡巡しながら自動ドア脇のパネルでパスコードを入力し、杉田は大月の研究室へ足を踏み入れる。

 しんと静まり返った部屋に、女専務の姿はなかった。離席しているらしい上司を、そのまま研究室内で待つことにする。

 大月の研究室にはP2も侵入しなかったようで、荒らされた形跡は一切ない。

 几帳面な性格の彼女らしく、分厚い薬学の専門書の並び順から各種標本、社内で授与された表彰状の額まで整理整頓が行き届いた個室は、AWP棟全体に起こった事件と無縁であるかのようだった。

 が、重厚なつくりのデスク前まで行くと、横のシュレッダーに入れ損ねたらしい×の描かれたプリンタ用紙が一枚落ちていた。気を利かせて捨てるつもりで拾い上げた杉田は、印字された表題に釘付けになった。

「……次期サイボーグ計画提案書?」

 思わず声に出して眼鏡を直し、書類全体に素早く視線を走らせる。

 プロジェクトの開始時期を来年三月とする提案書で、目的はPrototype4の開発とするものだ。

 前期サイボーグ実験体の遺伝情報を解析して受精卵の段階から改造を加え、優れた能力を持つ個体を作り出した上で、身体を効率よく機械化する。

 そのためには受精卵を育てる子宮、胎盤、羊水、臍帯、血液等を全て人工で賄う必要があるとし、この課程がプロジェクトの中で最も重要であると定義されていた。

「何てものを。これじゃあ……」

 呻くように呟いた杉田の手が震えた。

 これは戦闘用に使い捨てる人間を人工的に作り出す、悪魔の所業ではないか。

 このプロジェクトで生まれた者に人権など、人としての尊厳など、初めからありはしないのだ。

 更に彼を愕然とさせたことがある。現場チーフとして自分の名前が書かれ、基となる遺伝情報のサンプル提供者に未来の名前が記されていることだった。

「捨てるつもりだったものとは言え、他人の書類を勝手に見るのはマナー違反よ」

 いきなり後ろから大月に肩を叩かれ、杉田は心臓を吐き出しそうになるほど驚いた。

 彼女はそのまま彼の横に足を進め、血の気を失った手から書類を掠め取る。

「顔色が良くないわね。いくらこの提案が面白そうだからって、その反応はちょっと大袈裟じゃない?」

「あ、あの。僕の研究室の状態を報告、伝えようと思いまして」

 どもる杉田を尻目に、大月は涼しい顔で書類をシュレッダーに放り込んだ。

「被害はあったの?」

「いえ、その……いや、被害は全くありませんでした」

 彼女は紙がシュレッダーに吸い込まれ、切り刻まれる様子から目を離さずに続ける。

「それは何より。もう今日は遅いわ。貴方も、P2に襲われてショックを受けてるでしょう?早く帰りなさい」

「帰りますけど……でも、大月さん。その前に一つだけ、聞きたいことが……」

 杉田の口調が尻すぼみになる。

 戦闘後のミーティングでは怒鳴り声を上げてさえいたのに、今はまたそう強く出られなくなっていた。相変わらずの不甲斐なさに、自分でも情けなくなってしまう。

 しかしこんなことでは何もできないのだと自分を奮い立たせ、彼は意識して背筋を伸ばした。

「さっきの書類のこと?」

 杉田の葛藤などよそに、あくまで女専務は落ち着いている。彼女は部下の方を振り返ると、珍しく微笑みを浮かべた。

「見ての通りよ。まだ公表できる段階じゃないけど、確実に具体的な方向に進んでるわ。私としては……杉田くん、貴方にプロジェクトの中心になってもらいたいと思ってるの」

 穏やかで上品な大月の微笑に、杉田は背中にぞくりと氷の刃を当てられたような寒気を覚えた。

「貴方の実力は高く買ってるんだけど、なかなか目に見える形で評価できなかったのは申し訳ないと思ってるわ。特にクローンや各種人工組織の分野で、学生の頃から熱心に研究してるのよね?今度のプロジェクトでは、貴方が納得するまで存分に追究できるわよ」

「……生沢先生やリューはどうなるんです?」

「彼らは、未来のサポート要員として残ってもらうつもり。だから新規プロジェクトのメンバーから外したわ」

 大月が未来の名前を出したことで、ようやく杉田の切れかけた気力のスイッチが戻り始めたようだった。

 先よりもしっかりとした口調で、追加の質問を口にする。

「P4の細胞提供者が未来になっていたのは……」

「ああ、あれはもう本人も承諾してるの。何も問題はないから大丈夫よ」

 あっさりと、杉田が言おうとするよりも先に大月が返答を返した。

「本当なんですか?そんな簡単に、了承できることではないと思いますが」

「疑うなら、ここに証拠があるけど」

 美貌の上役がデスクの鍵を開けて一枚の書類を取り出し、杉田の鼻先に突きつけた。

 それは未来がある程度回復してから署名した、肉体強化改造手術同意書のコピーだった。

「これには軍事用強化人間の作成に当たり手術を施すことに対しての同意と、必要な体組織及び細胞の提供も承諾するものとあるわ。体組織と細胞については明確な記述がないから、何を使っても文句は言われないわよ」

 確かに大月が指摘した通り、同意書には『研究課程において必要とされる体組織及び細胞のサンプルの提供』について言及されているが、その種類は限定されていない。未来が反抗すれば、この書類を盾にするつもりなのだろう。

「今回は、研究がまさかここまでスムーズに進められると思ってなかったわ。あれだけいいサンプルが手に入ったんだもの、大いに活用させてもらわなきゃ申し訳ないでしょう?」

「大月さん……まさか、未来の卵細胞をもう……?」

「凍結した状態にあるけどね。バッテリーユニットを移植するときに、助手の一人に頼んで採取したの」

 冷や汗を浮かべる杉田に対し、頷いた大月の態度はあまりに穏やかで落ち着き過ぎていた。

 バッテリーユニットの移植手術は、子宮を切除してからパーツを埋め込むものだった。

 そして、あろうことか執刀したのは杉田だったのだ。確かに、一部の処置を助手に任せた時があったのは覚えている。

 そんな隙を作ってしまった自分にも腸が煮えくり返るが、何より許せないのはどこまでも未来を一人の個人として、人間として扱おうとしない大月の姿勢だった。

 大月は、未来に利用価値があるうちは骨の髄までしゃぶり尽くし、用済みになったらさっさと不良品にして処分するであろうことは明白だ。それこそ、彼女にとって未来は無機質なモノと同じなのだ。

 だから、勝手に卵子を採取するなどという倫理的に許されないことでも、平気でやってのけられる。

 未来が一番怖れているのは、自分が人間ではなくなってしまうことだと言うのに!

 先のミーティングで発散し損なった怒りと現状の腹立たしさが混ざり合い、杉田の心に一気に吹き出す。

 それは激しく、厳しい怒声となって喉から飛び出していた。

「何てことを……未来は人間なんだ。彼女の尊厳を、一体どこまで踏みにじれば気が済むんですか!」

「人間?いいえ、あれはサンプルよ」

 若い医師の激情を正面から浴びせられても、大月の冷たく、堂々とした態度は揺らがなかった。

「AWPの実験体となった時点で、意志や尊厳だなんてご大層なものとは縁がなくなる。モルモットやネズミと同じなのよ。それはもう同意を取ってあることなんだから、今更どうこう言われる問題ではないわね。馬鹿馬鹿しい」

 杉田の怒りは全て白衣の美女が纏った自意識というバリアに跳ね返され、行き場を失う羽目となる。

 その証拠に、彼女はもう頭を別の話題で切り替えていた。

「でも新しいプロジェクトをスタートさせる前に、P3にはP2を始末させなければならないわ。若松くんが、このタイミングで襲いかかってくるなんて思ってもみなかったけど。武装したサイボーグ同士の戦闘データが取れるのだから、願ってもないことよ。恐らく、若松くんとP2はどこかに潜んでメンテナンスを続けているはず。明日からでも、グループ会社に協力を要請して彼らの居場所を突き止めることにしないとね。杉田くんも、悪いけれどもう一踏ん張りしてもらえるかしら」

 大月が杉田に口を差し挟ませる隙を与えず側に寄り、僅かに高い位置にある彼の眼を鋭く見つめる。

「貴方には期待してるわ。後日改めて詳細は説明するけど、今度のプロジェクトでは、頑張り次第で役職も夢じゃないのよ。今日は疲れたでしょうから、もうお帰りなさい」

「そんなこと……!」

 それでも言い返そうとする杉田の脇を大月がするりと抜け、その動きに合わせて振り返ろうとする白衣の背をぽんと叩いた。

「忠告しておくけど、あまり未来に肩入れしない方がいいわ。貴方もこちら側の人間なのよ。あれから見れば、貴方も加害者の一人でしかないのだから」

 軽い微笑を再び向けて、大月は若き医師に無言で退出するよう促した。

 加害者、という単語を耳にした杉田の、もともと白い顔が一気に青ざめていく。彼の痩せた身体は気がつくと自動ドアをくぐった後で、廊下に薄い影を落としていた。

「僕が……いや、やっぱり僕も加害者……なのか」

 低い呟きが、色を失った唇から漏れる。

 先刻の流し目とともに残された言葉に、杉田は頭から爪先まで至る全身に巨大な杭を打ち込まれたかのような打撃を受けていた。

 事実は数時間前にもうわかっていたはずだった。

 なのに首謀者でもある大月の口から直に指摘されると、それが自身の力では耐えられないほどに重い枷となって、心身をがんじがらめにしてくる。

 彼の無意識のうちに共同研究室に向いた足も、力を失って引きずられているようだった。

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