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第4話

 数度に渡る手術を終えた未来は、ピンクの入院着姿でベッドに横たわっていた。

 彼女は未だ眠りの中にあり、軽く閉じられた瞼の下にある黒い大きな瞳に意思の輝きは戻ってきていない。これまでに何度か朦朧とした状態で目を開けることはあったものの、まだきちんと目覚めたとは言える状態ではなかった。

 とは言え内臓に大方の移植を終えて顔の修復の八割が済んだ今、身体に繋がれていた点滴や測定機器の数も大幅に減り、かなり容態が良くなったように見える。


「結果は良好だ。じゃあ、僕はまた夕方に来るからね」


 未来が眠っている横で、検診結果をタブレットに入力し終えた杉田が穏やかに語りかける。額をゆっくりと撫でてやると彼女の睫毛が細かく震えることから、眠りも徐々に浅くなってきているらしいことがわかった。

 若き医師の隣では、助手代わりをつとめるヒューマノイドのHARがせっせと未来の入院着の前を合わせて身なりを整え、毛布をかけ直してやっていた。


「じゃあ、もう行こう。手伝ってくれて助かったよ。ありがとう」

「いえ。これも仕事ですから、お構いなく」


 と、杉田が言った礼にかしこまって応えたHARが、球状の可愛らしい顔につけられた丸いLEDをちかちか光らせる。

 HARは子どもの背丈ほどしかない、小型のヒューマノイドである。一般作業用として使われているロボットの中でも特に人気が高い機種で、丸っこいフォルムにスカート型の脚部と一体化したボディには愛嬌があった。安価な割にある程度の雑務がこなせる性能のブレインを搭載しているのも、特徴の一つと言えるだろう。

 そのHARが杉田の後について未来の病室から出たところで止まり、ぎこちなく一礼する。


「それでは、自分の持ち場に戻りますので」


 若い女性のトーンに調整された人工音声で流暢に断ってからわざわざ礼をするのが、何とも人間っぽい。


「ああ、ありがとう。また頼むよ」


 まるで人間の同僚に話しかけるような口振りの杉田は、HARに軽く手を振ってからその場を後にした。

 定期回診を終えて廊下に出た杉田は、思ったよりここが暑いことに気がついた。幾つものセキュリティドアで仕切られた区画のために、空調の効きが甘いのだろうか。もう五月も下旬に差し掛かろうと言う時期の今は、空気に湿気が混ざり始めてきているのだ。


 後でメンテナンス部門に連絡を入れることを考えながら、彼は来た時と同じくドアのロックを解除しつつ進んでいく。指紋認証や暗証番号に虹彩認証と種類は多いが、毎日やっていると慣れるものであった。

 最後に当たる五つ目のドアを抜けると、大きな窓が続いている明るいホワイエに出た。静寂な空間から抜け、大勢の助手や作業用ロボットが急ぎ足で行き交う、ざわめきが満ちたいつもの場所ーー多数の研究室や実験場が集まった大型ラボに戻ったのだ。


「おっと、ごめん」


 自分の持ち場に向かおうとした杉田の腰の辺りに何かが触れ、ひょいと身をかわす。歩き出したところへHARが正面から進んできていたのに、危うく体当たりしてしまうところだった。

 ここで多数運用しているHARは、杉田が勤める医療メーカーのヴァーチュズと同系列のドミニオンズが開発したロボットである。彼等はゆっくり歩いてくる人間に対してはきちんと認識して、止まる気配がないと音声で注意を促してくれる。それを走ってくる人間に対しても同じように判断できるようにするのが、この次の課題らしい。


 よそ見をしていると背が低いHARに気がつかないことがよくあったが、万一衝突しても彼らは怪我をしない。

 機械が詰まったボディは背丈の割に重量があるし、スカート型の胴体には足がなく、車輪で動いているから安定している。滅多なことではひっくり返らない構造は、このロボットも売りにもなっていた。熱いお茶でも運んでいた場合、損害を被るのはぶつかった人間の方なのだ。

 そうした事故を防ぐため、大型の公共施設では彼らHARや箱形の清掃ロボットのための専用スロープを設けるとことも増えている。


 また、道路標識では「ロボットの飛び出し注意」の新しいデザインが公募され、専用車線が標準化されるところまでロボットが人間の生活に入り込んできていた。

 自分たちが手がける軍用サイボーグも、そのうち珍しくもない存在となるのだろうか。

 度が合わなくなった眼鏡を作り直すように、性能の落ちた身体の一部を手術で取り替えるのが当たり前の時代になるのだろうか?


 杉田は複雑な想いを胸に、共同研究室のドアの横にある小さなパネルに指先を触れさせる。そこから瞬時に遺伝子情報が照合され、ロック解除された鉄のドアが横へと滑って彼を中へと迎え入れた。


「サンプルの経過はどう?」


 杉田、生沢、大月が共同で使っている研究室では、大月が杉田の戻りを待ち構えていた。いつものようにダークスーツにハイヒール、白衣といういでたちの彼女が差し出してくる右手が、杉田の持つ回診結果を要求している。

 反射的にタブレット端末を抱え込み、杉田がむっとして答えた。


「良好ですが、彼女をそんな風に呼ぶのは……」

「貴方こそ、実験材料に余計な感情を移入しないよう注意を払うべきね。素材は記号化しておくほうが、何かあった場合に精神的に楽だと思うけど?」


 大月が右手を軽く振って、再度若き医師に催促する。

 女上司の発する無言の圧力にそれ以上逆らえず、杉田は無言でタブレットを手渡した。

 彼女が画面のロックを解除し結果に見入る間、研究用の機材に囲まれてただでさえ殺風景な研究室の空気が余計に動かないように思え、何とも居心地が悪い。


「そうね。これなら、今週中にバッテリーユニットの組み込みができるくらいに回復するかしら……それにしても、こんなにFZ5006との相性がいいなんてさすがだわ。この素晴らしい回復力は、サンプルの選択に間違いはなかったということね」

「しかし、まだ意識は戻っていません。そろそろ覚醒してもいい頃なんですが……やはり、精神的なショックもあって目が覚めないのではないかと思われる節もあって」


 満足気に呟きながら画面に指を滑らせる大月の独言に杉田が私見を挟むと、彼女はタブレットから鋭さを感じさせる視線を上げた。


「そんなことじゃ困るわね。身体が治ったら過酷な戦闘訓練も待ち受けてるんだから、もっと精神的にも強くなってもらわなくちゃ。覚醒次第、早々にリタリンの投与でも検討しましょう」

「彼女はやっと基本的な治療が終わったばかりなんですよ。心のケアが最優先です!」


 その足ですぐにでも薬剤を準備しそうな大月を制しようと、杉田が慌てて反論する。

 未来のサイボーグ手術は、生命維持のため必要な器官を優先して実施していた。そのため、肺と心臓及びその周辺にある器官の強化は、治療と同時に完了したと言っていい。


 ただし、それ以上の強化手術ともなれば全くの別問題だ。

 今の未来の身体は、療養生活を送るだけであればバッテリーユニットの移植がなくても不自由がなく、まず本人に状況を説明してから事を先に進める必要がある。

 今後の改造に伴い精神にかかってくるストレスを考慮すれば、それが至極当然と言えるであろう。


「あまり悠長なことはやっていられないのよ。意識が戻ったら、とにかく何らかの処置はするわ。自分の立場をわからせるためにもね」


 ところが、大月は一般論を推してくる杉田を睨みつけて厳しく言い放つばかりだ。

 あくまで職務に燃える責任者の姿勢を、頑として崩そうとしないのである。

 改造の相手が機械や単なる実験動物であれば、彼女の仕事に対する情熱は評価されていいのであろう。


 しかし、意思ある人間の尊厳を踏みにじる行為は、杉田に到底受け入れられるわけがない。子どもの頃から身体に不自由がある者を救いたいと願っていた彼にとって、相手の意思を無視するのは最も忌むべき行いの一つなのだ。


「彼女は僕の患者です!勝手な判断は……」

「あれは患者ではないのよ。同じことを何度も言わせないでちょうだい」


 女上司の冷たく強硬な態度に再度拒絶された杉田は、口をつぐまざるを得ない。彼女の迫力に圧されたのではなく、こちらの主張を馬鹿正直にぶつけても無駄だと覚ったのだ。

 とは言っても、大月の言うことに従うつもりは毛頭ない。

 それならばと、杉田は彼女の高いプライドをくすぐる手に出ることにした。


「ですが、やはり精神のケアを疎かにしては……今後のプロジェクトの進行にも影響が出かねません。精神が不安定になってしまったら、彼女はいつ自殺を図るかもわからなくなるんですよ?薬剤の投与でそれが抑えられたとしても、そんなのは所詮一時しのぎに過ぎません。最初から手厚く扱う方が、結局はプラスの結果になるかと思いますが。薬物中毒の厄介さは、専務だってご存じでしょう」


 大月は学生時代、薬学が専門だった筈だ。

 覚醒剤と同等の化学式を持つリタリンと類似物質の常用性、それらがもたらす悪影響をまさか知らないとは言うまい。


「……あら、リタリンの話を本気にしたの?単なる例えのつもりだったんだけど」


 痛いところを突かれたであろう大月が返してきたのは、何食わぬ顔と杉田を茶化すようなとぼけた態度である。

 このお高くとまった上司が、他人からの指摘を素直に受け入れることは絶対にないとわかっていた。それでも、ひとまず話題を逸らせたことに満足するべきだろう。


「けれど、そろそろバッテリーユニットの移植準備を始めておいた方がいいことは変わらないわね。貴方がサンプルの精神状態を考慮しろと言うなら、私から話をすることにするけど」

「それは……」


 しかし、大月は杉田に胸を撫で下ろす暇を与えてはくれなかった。

 杉田と同じく、大月も頑固に最初の話から離れようとしてくれない。まして今度は、男である彼に口を挟み辛い範囲の内容であった。

 未来に移植された各人工パーツや超小型の機器類、筋繊維の動力源として、バッテリーユニットの移植は不可欠だ。問題なのはその場所で、大きさの問題から生命維持と関係の薄い、ただしそれなりの場所を占める臓器と入れ替える形でしか移植ができない。


 女性である未来にはそのための場所、即ち子宮がある。

 いくら何でも、そんなことを男の医師の口から告げるのは憚られるのだ。

 勿論、病気治療のためにやむなく切除という話であれば、未来も何とか納得するだろう。が、これ以上の肉体強化のために必要となれば、話は大違いなのだ。


「そういう話……子宮を切除して移植することとか、その手のことは男の医者から告知されるのは嫌でしょう。それに早く話しておいたほうが、心理的にも余裕ができるわ」

「そういうデリケートな問題は、いくら大月さんでも早急な判断を下すのはのはどうかと思うんですが」


 言い返してみるも杉田に先と同じ迫力はなく、やや尻すぼみだ。

 ここでどんな口上を述べようとも、所詮自分は男の身なのである。未来の気持ちを根本から理解することは不可能で、確信が持てないことにはたちまち自信を失ってしまう彼の悪い癖が、ここでも現れることとなってしまったのだ。


 だが、大月のような人物から突然女性の機能を失うという告知があるのは、未来にどれほど強いショックを与えるか計り知れなかった。

 そんな事態は何とか避けたいが、自分が何を言っても的外れな判断だと一蹴され、叱責されるかわからない。

 それでもただ黙っていることが我慢できない杉田は、大月に対して質問を投げかけてみることにした。


「仮に専務が患者と同じ立場だったら、気持ちがわかるんですか?」


 なるべく強い口調を意識はしたものの、おずおずとしか言えない自分が情けない。

 部下である杉田が早々に萎縮しかけたと取ったのか、大月は平然と返した。


「私は……私だったら、そんなことに負けないよう自分を励ますわね。普通はそうだと思うけど。あの子もしっかりした子のようだし、大丈夫なんじゃないかしら。それに卵巣は残すんだから、完全に女じゃなくなるってことではないわよ」


 全く悪びれない、とはこういう態度を言うのであろう。けろりとして一瞬の表情の変化も見せなかった女上司に、杉田は身体から力が抜けていくような気がした。

 やはり大月は、自分の感覚を基準にして物事を考えている。他人を思いやり、理解しようとする意識が潜在的に欠けているのだ。


 誰もが「普通に」強い精神を持つのでなく、明るく考えられるわけではないのに。

 他人までが自分と同じではないのに。

 そう反論したくても、杉田には咄嗟に適した言葉が思い浮かばなかった。


「いや、そういう問題では……」

「それじゃあ、貴方や生沢くんから話すつもりなの?特に女性の身体について、専門というわけでもないのに」


 必死に考えながらその先を続けようとする杉田を、大月が無遠慮に遮る。

 とにかく彼女との会話の平行線から抜け出さねば、今後もまた同じことの繰り返しになるであろうことは想像に難くない。

 元来女性とのやりとりが得意でない杉田にとって、苦難の時はまだまだ先が長い予感がしていた。

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