第39話
嘗ての上司であった大月の外見が五年前と殆ど変わっていないことは、若松には別に意外ではない。自分が年齢不詳の印象が強いのは昔からだが、大月は出世するに従って自身の美を異常なまでに気にするようになっていたことを知っていた。
「俺がここにいた頃から、外見が歳を取ってないのはお前だけだな。相変わらず脂肪吸引だの若返り手術だの、美容整形が趣味か?」
若松がからかうように言うと大月の顔が一度かっと赤くなり、みるみるうちに真っ青になった。
瞬く間に生気が失われた美貌の女から、掠れ声が漏れる。
「未来……」
「はい?」
「彼を殺しなさい。今すぐ」
低く傍らの未来に命令した大月の顔は、能面のように無表情だった。
常に精力的だった大月が皆に初めて見せた不気味さは、肝の座った生沢さえ寒気を感じるほどであった。
大月玲香は、中の下の家庭に第二子として生まれた。
出来がいい兄とは、常に比較された。
いつも一番を目指していて死ぬほど努力したが、何をやっても二番にしかなれなかった。
学校の成績は二番目、美女コンテストでは準優勝、卒業した大学も国立医大ではなく私大。
一番と二番の間には決して越えられない壁が存在し、学生時代はそのせいで充実した時間を味わったことがなかった。
いつしか大月は、一番になれない理由は自分のぱっとしない外見だと思うようになっていった。
最高ではない姿だから教師に気に入られず、面接でも特別印象に残らず、男は他の女のところへ去っていく。
だから社会に出て自由にできる金を手に入れると、美しくなるために何でもやった。
顔の整形、豊胸、脂肪吸引など、数を挙げればきりがない。しかしそうして手に入れた美貌も、生まれついて持ち得たものにかなわないこともまた、事実だと知っていた。
だから努力もせず生来の美しさや才能に恵まれた同性が妬ましく、同時に彼女らを叩き潰してやりたい暗い情熱も、常に胸の中にくすぶっていた。
だが、仕事で全ての同期を出し抜いて成功を収めてきた自分のそんな醜い一面は、誰にも知られてはならないものであった。
それを他人に明かした若松は、今ここで死ぬべきなのだ。
大月が発する凄まじい無言の圧力に、未来の腕が意図せずに動きかける。
鎧の腕がアサルトライフルに伸ばされようとしたのを、若松は鋭く見咎めた。
「おっとと、それ以上動くなよ。無関係な奴等を殺されたくなけりゃな」
「……何だと?」
茶化した態度の若松に、生沢が眉が跳ね上げる。
薄笑いを浮かべた若き博士は、親指で自分の後ろを指した。
「お前たちがちょっとでも妙な動きをすれば、この中庭へ無差別に発砲するようP2に命令してある。P3、お前なら見えるだろう」
反射的に、未来は若松の遥か後方の空間に視線を合わせていた。
敷地の外に建ち並ぶ倉庫の屋上に黒い人影があり、更にズームを絞ると、金属光沢のある見間違いようのない姿が確認できた。P2はガトリング砲を構えており、束ねられた銃弾が台尻に取りつけられていることまではっきりと見える。
千メートルは離れているこの位置からではP2がどこを狙うか予測できず、中庭にいる一般の研究員全員を人質に取っているも同然であった。
「あいつの言ってることは本当です。これでは私も手が出せません」
「くっ……」
未来が呟くように告げると、彼女の背後で生沢が歯噛みする。
彼らの周りには中央管理棟から開放されたAWP職員だけでなく、厳戒令を解かれた他の各棟からも一般職員が出てきており、中庭は混雑し始めている状況だ。
圧倒的に有利な立場から、若松は目の前の男女を見下ろした。
「なあに、お前らが大人しくしてくれてりゃ、俺にもP2をけしかけるつもりはねえよ。今は何も戦いに来たわけでもないからな」
「よく言うわね。特殊警備隊やP3とあれだけ派手にやりあっておいて」
「そいつらが傷ついたり死んだりしても、別にてめえの心が痛むわけじゃねえんだろ。P3とは逆に、ちょっとは脳を改造して、人間らしい心の一つでも植えつけてみたらどうなんだよ」
若松は大月を挑発し続けるが、彼女はもう自らを厳しく律する術を取り戻しており、冷たい表情を他のそれに変えることはなかった。
「P3と一緒にしないでちょうだい。彼女はあくまで軍事開発用のサンプルなのよ」
「ふん。身体をいじっている点では、お前も簡易美容サイボーグなんだろうが」
「……サンプルと一緒にするなと言っているのよ。貴方の傲慢さと子どもっぽさも、ここから逃げ出した当時とちっとも変わってないわね」
若松が再度大月の逆鱗に触れ、彼女の指がきつく組んだ腕に食い込んだ。
「逃げた?心外だな。お前が俺たちを殺そうとして、失敗しただけだろ。俺の最高傑作を、そう簡単に潰されてたまるかよ」
大月の発言に、今度は若松が怒りを見せる。
「五年前の復讐のためにわざわざ危険を冒してまで、古巣へ戻って来たのかしら?ご苦労なことね」
「復讐なんて、ちゃちなもんじゃねえよ。俺の作った地上最強のサイボーグの実力をお前に見せてやりたいだけだ。まさか、俺が何もしないで五年も隠れてたと思ってはいないだろうな」
若松が独力でP2の開発を続けていた事実に言い及ぶと、大月の脳裏に失踪事件当時のことが蘇ってきた。
確かに失踪当時、P2はネットワークに侵入してデータを改竄したり、電子機器のコネクタに触れるだけで情報を読み取ったりする機能はなかったのだ。
「そのためには、大月。お前の最高傑作であるP3を必ず叩き潰してやる。俺の目的はそれだけだ」
若松の三白眼が未来へ向くと、彼女は一瞬怯むように重心を後ろへ移しかけたが、自分の役目を思い出したかのようにきっと睨み返した。
「P3か……成程。生意気そうなガキだな。首を洗って待ってろよ」
破天荒な天才工学博士の宣戦布告は、そこで終わったようだった。
嫌味な笑顔を残して黒い革のエンジニアブーツが踵を返し、白衣の背中が他の研究員たちに紛れようとする。
男にしては細くひょろ長いシルエットを、AWPのメインメンバーはただ見送ることしかできなかった。
「あれがP2のメイン開発者だった若松貞明?とんでもないことをする奴だな」
「ありゃ、子どもがいいオモチャを手に入れて意気がってるだけだ。精神年齢だったら、未来のほうがよっぽど大人だな」
杉田がまだ緊張を残した様子で呟いたが、生沢は呆れ半分だった。
「今のうちに彼を捕捉する包囲網を作ります。警備員に連絡を……」
元軍人らしい考え方で動こうとしたリューを、未来が無言で制する。
P2はまだガトリング砲を構えた腕を下ろしていない。未来は他の者たちにも動かないよう目配せした。
「ああ、それからな」
憤慨する一同の視線の先で、若松が顔だけを振り返らせる。
「P3。仲間はあまり信用しないほうが身のためだぞ?何たって、お前を騙してサイボーグにした連中なんだからな」
「……何ぃ?それはどういう……」
若松の悪意が込められた言い種に、生沢が片方の眉を跳ね上げる。
「おいおい。そのガキがどうしてここに来たのか、まさか大月以外知らなかったとでも言うのかよ?ったく、どこまで性悪女なんだか。わかったもんじゃねえな」
だが、言いかけた髭面の医師の言葉に被さった若松の声には、一同を本気で小馬鹿にする調子があった。純粋に心外だと思っているらしい男たちを、真実に気づかない愚か者として見下げたのである。
若松の悪意ある微笑みとともに放たれたその言葉は皆の心に覆い被さり、芯までを毒に染めてしまうような気さえするものだった。
「大月。後で話がある」
早くも、どういうことなのかを悟ったらしい生沢の声が低くなる。
厚く重く、氷の如き冷たさのある彼の一言の後を、杉田の困惑とリューの疑念が込められた視線が追ってきている。
大月はきつく組んだ両腕を崩さずに、ただ若松の去り行く背中を睨み続けていた。




