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機械娘の心的外傷(トラウマ)~旧タイトル:SAMPLE  作者: 日吉 舞
プロトタイプ2
38/93

第38話

『中央管理棟、聞こえますか?P2は逃走しました。少なくとも、私の目が届く範囲に姿は確認できません。どこかに身を隠している可能性も捨て切れませんので、敷地内での負傷者の搬送については私が護衛につきたいと思います』

 特殊通信が回復し、未来の事務的とも言える言葉がインカムから聞こえてきたのは数分後のことだった。モニターの映像では未来が一度発砲したようだったが、それ以外に戦闘が継続した様子は見受けられない。

 いくらかほっとした様子を見せたリューが応答する。

「了解。未来、怪我はありませんか?」

『大丈夫。スーツは傷だらけだけどね』

 応えてきた通信相手がリューだとわかり、未来の口調もやや、和らいだものになる。

 彼女が通信を切る直前の通信相手は予備のインカムをつけていた大月だったが、P2が何を口走ろうとしていたかを察したらしく、かなり狼狽していたようだ。それからはインカム外してを首に下げてしまい、リューの傍らでただ呆然と、モニターに映る未来の姿を眺めているだけだった。

「では、治療に当たっている生沢先生たちに連絡しておきます。負傷者が多いので、グループの提携病院への手配も整ってます。南ゲート外に専用車両が控えてますから、未来はそこまでのルートを確保してください。中央管理棟のシャッターを開ける準備ができたら、また連絡しますよ」

『了解、中庭を通るのが最短だね。待ってるよ』

 モニターの中に佇んでいた未来が駆け出す。

「……未来は?」

「普通です。怪我もなく、落ち着いてますよ。P2も逃走しました。これから負傷者の搬送に移ります」

「そう。一人でも多くの人が助かるといいわね」

 聞き慣れた冷たい口調に戻った大月は、もういつもの自分を取り戻したようだ。普段彼女は緊急事態でも何でもないときの方が大騒ぎするくちだが、こういった場合の自制心は流石だと言える。

 が、インカムを外してモニター室の椅子から立ち上がったリューがぼそりと含んだ言葉は、高級ブランドのスーツに包まれた彼女の背中に冷水をかける効果があった。

「あまりにも普通すぎて、私は逆に怖いですけどね。敵が一体、未来に何を教えたのか」

 生沢たちの応援に行こうとモニター室から出ていったラフな私服のリューに、大月は鋭い一瞥をくれた。

 しかし、何も知らない筈のオタク青年に敵意を向けるのはあまりにも筋違いだと思い直し、すぐに目元の力みを緩める。

 P2が未来に何を言ったのか、大方の予想はついていた。

 二年前、免疫抑制剤FZ5006の治験時に起きた事故。

 未来が巻き込まれ、彼女をサイボーグ化するきっかけとなったあの事故が、AWPによって仕組まれたものであったことが告げられたのだ。

 いや、あの子どもっぽい未来があれだけ落ち着いているということは、P2は何か別のことを伝えたのかのか?

 それとも未来は敢えて何でもなかった様子を装い、恨みを込めた一撃を大月の背後に放つつもりでいるのか?

 話の流れから、未来が今まで知らなかったことをP2が教えたのは確かだ。

 が、内容を知ろうとして下手に動けば、自分の立場を危うくしかねない。様子を見て慎重にことに当たるしかないだろう。

 未来がAWPそのものを糾弾したり、組織に対する報復を企てる素振りを見せた場合は、本社に重大な欠陥が発見されて危険だとして即刻処分を申請すればいい。

 それにこれ以上、AWP内で事を荒立てるわけにもいかない。

 そうでなければ、提案中となっている次世代のサイボーグ計画にも差し支える。

 未来は扱い辛いが、極めて優秀なサンプルなのだ。利用できるうちはなるべく長持ちして欲しい、というのもまた本音だった。

 結局今すぐに事態をどうにかできる訳ではない、という面白くもない結論に達した大月は、舌打ちしたい気持ちを大きな溜め息で誤魔化した

「私もそろそろ行った方が良さそうね」

 ついでに、声に出して呟いておく。

 本当は使い捨ての特殊警備隊員が何人死のうが興味はなかったが、統括者として姿は見せておかねばならなかった。廊下がストレッチャーの軋みや足音で騒がしくなってきたことを合図に、ハイヒールの足音を響かせてモニター室を後にしようとする。

 そこへリューが入れ違いに戻ってきた。

「搬送準備完了です」

 振り返りもせずに大月へ報告し、彼はインカムを取り上げた。

 大月が廊下に出たらしいことを気配で察し、未来に通信を入れる。

「未来、もう中央管理棟のシャッターを開けます。経路はどうです?」

『中央管理棟から中庭、AWP棟及び倉庫付近に現在のところ異常なし。倉庫屋上に武器を携帯したまま待機中。敵がいれば、即時で狙撃できる態勢にあるよ』

 リューが満足げに頷いた。未来は通信時の報告にも慣れてきたようだ。

「了解。人手が足りていないので、私も搬送作業の応援に入ります。所要時間は十分程度。その間だけ通信ができませんが、作業の目処がついたところを確認して、中庭に下りてきてください」

『了解、引き続き警戒してる』

 応えた未来の姿は、既にAWP棟隣の倉庫の上にあった。

 そろそろ陽光の色も濃いオレンジ色に変わり始め、首から下がスーツの反射光に包まれて輝いている。彼女は肩に担いでいた一.五メートルあるアサルトライフルを下ろし、射撃姿勢を取っていた。

 覗き込んでいるスコープを、中央管理棟の方へと向ける。

 すると、正面入口のシャッターが上がりきらないうちから大柄な人物が出てきて、指揮を取っているのが見えた。

 珍しく、スーツの上に白衣を着た生沢だった。搬送ルートを大まかに説明する声に従い、次々と担架やストレッチャーが出てくる。彼の白衣は普段のものと形が違うが血痕が無数にあり、今まで修羅場が展開されていたことは明白だった。

 未来が片膝をついた姿勢で搬送の様子を見守り続けていると、風に乗って聞こえてくる雑音から、周囲の各研究棟も大分騒がしくなってきていることもわかってくる。最終的な安全確認が終わり次第、皆も解放されるだろう。

 厳戒令が全面撤回されたなら、凄惨な戦場だったAWP棟の後始末も始めなければならなかった。

 軽く息をついた未来がアサルトライフルを下ろすと、先の戦闘で右腕の装甲についた切り傷が目に入ってくる。パワードスーツを纏っていたから良かったものの、生身だった場合を考えるだけでも背筋が寒くなる思いだ。

 P2は人間が何人束になってもかなう相手でないことは、嫌と言うほどわかった。

 あの黒い立ち姿を思い出すと、彼が先に発した言葉までが頭に蘇ろうとする。

 未来は慌てて頭を激しく振って、黒い煙のように心を覆い尽くそうとする不安を振り払った。

 今はそんな個人的なことを考えている場合ではないのだ。

 P2がまだ敷地内に潜んでいる可能性も否定できず、戦闘中に起こった左脚の痙攣についても杉田に報告せねばならない。今回の戦闘で得たデータの分析と作戦会議も必要だし、破損したスーツの補修もある。やらねばならないことは山積みだった。

 そうして気を張らせておかねば考えに沈みきってしまい、浮かんでこられない気すらする。

 少なくともここにいる間は、そんな醜態は許されるわけがない。

 それに、自分の弱い姿を皆に晒したくはなかった。

 弱いことは、それだけで罪になるからだ。

 一度この考えは生沢にたしなめられたことがあったが、最近はまたそう思うことが多くなってきていた。戦闘用サイボーグたる自分の心は、強靱でなければならない。決して弱音を吐いてはならないのだ、と。

 強くあれば、どんな悲しみや苦しみも乗り越えられるのだから。

 眼下で負傷者の搬送を続けている仲間を、彼らの笑顔を守り続けることができるのだから。

 負傷者の搬送経路である中央管理棟から中庭、AWP棟横を経由し南ゲートに抜至る空間は、未来がいる倉庫屋上から一目で見渡せる。

 そこをせわしなく行き交う白衣の集団は、五十人以上はいるだろう。作業はそろそろ終盤にさしかかっていて、空のストレッチャーや担架、点滴台などの器具を運んでいる者が多い。

 大勢の助手や研究員に混じって、杉田や大月、リューの姿も確認できた。リューは白衣を着ていないため、妙に浮いた印象がある。

 ふと顔を上げた混血の青年は、倉庫の屋上から自分たちを見つめている未来の姿に気づいた。

 小さな青い光に見える彼女に向かい、ハンドシグナルで下に下りてくるよう合図を送る。その横で、杉田も手を振った。

「未来はあそこか」

 後輩が倉庫の屋上に向かって手を振っている仕草に、生沢も側に歩いてくる。

 ほどなく青い点が消え、倉庫の裏側から金属の足音が走ってくるのが一同の耳に伝わった。

 アサルトライフルをバックパックに固定してヘルメットを抱えた未来を見るなり、リューが改めて驚きの声を上げる。

「かなり酷くやられましたね。大丈夫ですか」

 それほどにまでパワードスーツの傷は多く、破損個所が目立っていた。腕や脚はガトリング砲の銃弾を浴びてでこぼこになり、つや消し加工が施されていた表面には高周波振動ナイフによる刀傷が縦横に走っている。

 全て、生身では一撃で即死に至るであろう攻撃だったことが容易に想像できた。

「武装してなかったら危なかったよ。私も、ここまでスーツが壊れるなんて思ってなかった」

 脇に抱えたヘルメットを叩く未来の口振りは硬く、まだ緊張を残しているようだった。

「スーツの傷が酷いのに、中身の未来がピンピンしてることの方が俺には驚きだ」

 生沢は未来の無事な姿を認め、疲労の中にもほっとしたような笑みを浮かべているが、未来の表情はまだ明るくはならない。

「私より、杉田先生とリューが無事で本当に良かったよ……あ、特殊警備隊の人たちは?」

「P2に撃たれた重傷者が十人以上。まだこれから遺体を回収に行くから、正確な死者の数はわからないけど」

 やはり疲れた顔をした杉田の言葉に、未来の顔が悲しげに曇る。杉田の白衣も血だらけで、今まで彼らが負傷者を必死に救おうとしていた姿が目に見えるようだった。

「ごめん。私がもっと早くここに着いてれば……」

「未来のせいじゃないでしょ。今は、犠牲者に少しでも報いることを考えた方がいいわ」

「……はい」

 俯いていた未来は側に来た大月をちらりと見やり、珍しく素直に頷いた。

「思ってもないことを言いやがって。お前が偽善者ぶるのは、上役の前でだけじゃねえんだな」

 一同の背後から突如として叩きつけられた乱暴な口調に驚いて、思わず彼らは振り返った。

 十個の眼が注目する先に、両手を白衣のポケットに突っ込んだ細身の若い男が立っていた。

 逆立てた短い金髪と十個以上はつけているピアス。白衣の下は私服だが、レザーを基本としたファッションを好む研究員など誰も見たことがない。傲岸不遜そのものの不敵な顔つきは、年齢の印象をぼかす三白眼で一層ふてぶてしく見える。

「よお。久しぶりだな、大月」

 男が薄い唇の片側を吊り上げてにやりと笑うと、全身のアクセサリーがじゃらりと音を立てた。

「貴方……若松くん」

 五年前にP2と共に失踪した若き天才工学博士の姿を認めた大月の声は、動揺で裏返っていた。

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