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機械娘の心的外傷(トラウマ)~旧タイトル:SAMPLE  作者: 日吉 舞
プロトタイプ2
37/93

第37話

 未来の右眼近くを襲った衝撃は、チタン製ヘルメットと液晶モニター、センサーといった電子部品が粉砕される甲高い金属の悲鳴を伴っていた。内側に張られている緩衝材が頭骸と脳を守ってくれたが、それでも吸収し切れなかった鈍い重さが神経に響き、平衡感覚とまっすぐな視界をぐにゃりと歪めた。

 バランスを失った身体が傾きかける。飛び散ったヘルメットの青いチタンが陽の光を反射し、輝きがスローモーションのように空中に漂って見えた。

 ここでこれ以上隙を見せれば、間違いなく殺される!

 P2の巨大なナイフの一撃を右側頭に喰らった未来の足を無意識のうちに踏ん張らせ、全力で地面を蹴らせたのは、戦慄に近い感覚だった。

 彼女は跳び退り、土嚢群の端まで後退する。

 P2との間に七メートル程度の間が空いたが、意外にも、P2は逃げた彼女に追撃を加える素振りを見せていなかった。

「今の、何?……まさかこれが、杉田先生が言ってた……」

 まだ脳震盪でぐらぐら揺れる上半身を土嚢にもたれさせ、精神に鞭打って構え直した未来が、呆然と呟いた。

 P2も今まで見せなかった動揺を僅かながらその動作に窺わせているようだったが、今はヘルメットの下から現れた未来の素顔に驚きを隠せないでいるようだ。

 未来がP2の懐に飛び込んで、喉元へ斬撃を浴びせようとした時だった。

 今まで経験したことのない激しい筋肉の震えが、突然左脚全体に走ったのだ。思うように力が入らず、攻撃にするのに十分な高さまで跳躍できなかった。

 同時に突き込んできたP2の身体が、こちらも前触れなく横に傾いたのを覚えている。そのため互いに狙いが逸れ、P2は未来のヘルメットを砕き、未来はP2の胸を深く抉ることになった。

 だが、二人同時に身体に異常が出なければ、あるいはヘルメットがなければ、未来は今し方の一撃で即死だっただろう。

 金属を織り込んだアンダースーツの下にある肌に、冷たい汗の筋が伝う。

『未来、大丈夫ですか!無事なら返事を……』

「大丈夫。でも……こいつ、強いよ」

 珍しく慌てたリューの通信に応えた未来は、低く掠れた声で続けていた。

 ヘルメットは右反面がほぼ破壊され、右眼と頬が完全に露出している。一部断線が起きたために電源供給も停止し、モニターやセンサーはもう使いものにならない。

 視界を遮るだけとなったヘルメットを片手で毟り取るように外して投げ捨てた未来は、初めて素顔をP2に晒した。

 気丈そうな顔のP3こと未来は、P2に眼にはほんの子供にしか映らなかった。

「……お前のような若い女が、P3だったとは」

「若い女がサイボーグだったら悪い?」

 未来のアンダースーツのぴったりとしたフードが跳ね除けられ、ポニーテールに結ったしなやかな髪が風になびいた。

 顎までが装甲で防護されている小さな顔は色白で、黒い大きな瞳は溢れんばかりの躍動感と生気に輝いているのが、P2に強い印象を与えたらしい。今まで表情らしい動きを見せていなかった彼の顔に、微妙な揺らぎが生じたようにも見える。

 一方で未来の左脚に現れた痙攣は、今もまだ尾を引いていた。

 それはP2も同じらしく、左膝から上がる微かな金属の軋みが小刻みに未来の耳に届いている。加えてP2は、銃撃を二度、打撃攻撃を数度喰らっていのだ。ダメージが重なっていることは明白であった。

 敵の動きが鈍くなっていることを見越した未来が、素早く土嚢裏に飛び込んで立ち上がる。

「マガジンを交換したか」

 P2が呟いて確認した先に、再び立ち上がった未来の腕に構えられたアサルトライフルがあった。

 土嚢裏に到着していた偵察ロボットからマガジンを掴み上げ、空になっていたそれを一瞬で交換したのだ。

 有利に戦いを展開できる武器を復活させた女サイボーグ戦士は、険しい顔で言い放った。

「私は弾薬が無尽蔵にあるけど、あんたはそうじゃない。大人しく撤退しろ!」

「降伏しろ、ではないのか」

「それが目的なら、最初からもっと卑怯に戦ってる。それに例え今ここであんたを降伏させたって、命令してる奴がこっちに従うわけないもの。私はこれ以上ここで戦闘を続けて、被害を広げたくないだけだよ」

 脅しなのであろう。彼女のアサルトライフルを握る指は既に安全装置を外し、トリガーに置かれている。

『ガキのくせに、なかなか頭が回る女のようだな。もっとも、こいつの言うことを聞くつもりもないが。油断させて近づいて、今度こそ奴の頭を叩き割ってやれ』

 P2と視界を共有している若松には、未来の素顔は生意気な小娘としか映らない。

 嘲笑混じりで彼はP2に命令を下すが、漆黒のサイボーグの身体は動こうとしなかった。

「お前の味方に守るほどの価値があるのか」

「……何?」

 P2の落ち着いた意外な言葉に、未来がアサルトライフルを構えたまま細い眉を跳ね上げる。

「価値なんて関係ないでしょ。守りたいから守る。それだけだよ」

「お前は自らの意志に反して機械の身体となり、戦いの道具にされ、死してからも研究材料として扱われ、安らぎさえ得られない。その重荷を押しつけた者たちを、本当に守りたいのか?」

『P2、何を言っている。とっととP3を片付けろ。奴に攻撃のダメージが残っている今が絶好の機会だろう!』

 相変わらずその場に立ったままでいるP2を見かね、若松の早口がまくし立てる。が、若い工学博士の声はまたもP2を従わせるに至らなかった。

「違う!事故で死にかけた私を助けるためには、サイボーグ化するしか方法がなかった。私は、命を助けてくれたみんなを守りたいだけだよ!」

 気づけば、未来は自分でも驚くような大声になっていた。

 P2の指摘した点は全て、嘗て一度は悩んだことだ。

 しかし、今も杉田や生沢を始めとした全てのスタッフに感謝する気持ちは変わらない。失った四肢を作り替え、再び自由に動かせる身体をくれた彼らを守ることで、その恩が少しでも返せるのなら喜んで戦うつもりだった。

 だからP2が根源的なことを問いかけ、動揺を誘おうとしても無駄だ。

 そう思っていたのに、次に発せられた言葉はその自信に綻びを生じさせた。

「……どうやら、お前は事実を知らないようだな」

 低い男の呟きは、何気なく発せられていた。

 P2が先にサーバから得た断片的な情報にはP3の身辺情報が記されたファイルが存在したが、本人の話とは明らかに内容が食い違っている。

 それを指摘するだけのものだが、対するP3の反応は顕著だった。

「事実?」

 短く、未来が息を飲む。

『未来!P2が……』

 そこへ特殊通信を聞いていたらしい大月の声が割り込み、途切れた。

 未来が反射的に左耳のピアスを捻り、通信スイッチをオフにしたのだ。

「何を知ってるの?」

 戦闘中も常に堂々として軽口さえ叩く余裕があった未来の声は、ここに来て初めて震えていた。口の中が乾き、嫌な緊張が身体を巡り始めている。

 P2は黙してただ、未来を見つめているだけだった。

「言ってよ。事実ってのを!」

 険しい表情の未来が、P2にアサルトライフルの銃口を突きつける。

「お前がサイボーグにされた理由は、命を助けるためではない。車両事故も、AWPによって予め計画されたものだ」

 P2の発した言葉の内容が、未来には一瞬理解できなかった。

 時間の動きが凍りついた気さえする。

 一体、この男は何を言っているのだ?

 朱に染まりかけた陽光の眩しさも、乾いた砂埃を抱く潮風の匂いも、周囲の全てがこの世のものでないように実感できない。

 自分の意識だけがテレビ画面の外に放り出され、そこからただ中に在るものを眺めているような、奇妙な現実感の喪失に襲われた。

 未来の表情が全く動かないのを受け、P2は言葉を紡ぎ続けた。

「私がAWP棟のサーバから抜き出したデータには、部外秘の実験用生体調達依頼書があった。作成者は大月玲華、日付は五月十日、同日に承認。二〇三八年の同月に実施された治験にて、最も適合した数値を記録。サイボーグ改造用サンプルとして「間未来」の調達を申請する、とある」

 一度言葉を切っても、未来は動こうとしない。

 動かない、と言うよりも反応できないと言った方が正しいだろうか。

 五月十日という日付が未来の頭に繰り返し浮かび、刻まれる。

 あの事故、治験の被験者たちを乗せた車両が高速の高架から落下する事故が起きたのは、忘れもしない二〇三八年の五月一五日だ。

 五日も前に当たる五月十日に、自分をサンプルとして調達するという依頼書が作られていたということ。

 それだけの日数があれば、一連のことを運ぶ準備など容易くできていたということ。

 そして何より、そこには未来自身の意思など全く挟む余地がなかったということ。

 眼前に突きつけられた新たな事実は、事故がAWPプロジェクトのために計画されたものであり、巻き込まれた者たちが欺かれていたことを裏付けていた。

 未来の瞳が大きく見開かれ、苦しげな浅い呼吸が繰り返される。

 さほど強化されていないP2の耳にも障るくらいに大きな息遣いであったが、彼は自在に動かすことが可能であるはずの表情に変化をきたすことはなかった。

 更に、低い男の声は秋の澄んだ空気に流れる。

「同じ書類の備考には、更なる詳細がある。知りたければ、仲間の誰かに聞いてみろ」

 P2の話は、唐突に終わったようであった。

 ならば、沈黙の時間ももう終わりだ。

 殆ど本能的な反射で、未来のアサルトライフルがセミオートで発射される。

 単発で吐き出された弾丸は、避けようともしないP2の左膝を掠めた。

『ふん。自分が騙されていたことを知らされても、肉体的な反応は殆ど乱れず、か。大月め、なかなかいい素材を手に入れたじゃないか』

 ついさっきまで刺激に対し無反応だった未来の正確な射撃を見て、若松が驚嘆混じりで呟いた。てっきり未来が恐慌に陥って喚き散らし、大きな隙ができるものと予想していたのだ。

 きっと視線を上げた未来の低い警告が響く。

「……とっとと失せろ」

「言われなくても撤退する。左膝の損傷が思ったより大きいようだ」

 彼女の顔はやや青ざめているが、その声にも揺らぎはない。

 大きく後方に下がって呟いたP2に再び未来は銃口を向けたが、三十メートルは離れた距離から発砲しても命中しないことはわかっていた。

「次に戦う時までに、スーツは完全に復元しておけ」

 P2が背を向ける前に残した一言は未来の耳に届き、彼女は遠ざかる後ろ姿を狙撃する構えを見せた。

 しかしそのトリガーが絞られることはなく、ガトリング砲を拾い上げたP2の背中は、そのまま未来の視界から消えた。


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