第34話
三階の各部屋でゴミに火をつけておき、四階にも同様の仕掛けを八箇所に施した杉田とリューは、再び二階に戻ってきていた。
リューが電子ロックのないリネン室のドア陰に身を潜め、注意深く廊下の様子を窺う。
廊下には戦闘の痕があるのみで、静まり返っていた。火災報知器の警告音はとっくに止まっており、何の音もしない。
「……静かすぎて不気味です」
「リューの作戦が成功して、P2が上の方をうろうろしてるからじゃないのか?」
「だといいんですが、あんな単純な手に長い間騙されてるとも思えませんし。このまま未来を待つつもりでいましたけど、この隙に脱出も考えた方がいいかも知れませんね」
リューはリネン室の隅にしゃがんでいた杉田のところに戻って囁いてから、再び立ち上がった。
「でも、AWP棟は封鎖されたのに……」
「特殊警備隊は一階から突入してきてます。彼らが使った侵入口を探しましょう」
リューに続いて杉田も立ち上がり、二人で廊下の様子をもう一度窺ってから忍び足で外に出た。
リネン室は階段の裏側にあり、リューが先に立って廊下に出てから曲がり角まで走る。進行方向を片目だけ出して素早く確認し、杉田を招き寄せた。
と、杉田がリューの隣に辿り着いたとき、僅かな機械の稼働音が聞こえた。
階段を下りてくるらしいそれは、P2の足音ではない。
二人に緊張が走る。
リューが壁に身を寄せてアサルトライフルの安全装置を外し、杉田はM990を構えた。
機械音が階段から廊下に移った瞬間、リューがアサルトライフルの銃口を鋭く向けた。
数秒の後に、その口からほっとしたような吐息が漏れて銃身が下がった。
「……HARか。脅かすなよ」
武器を下げたリューの後ろから愛嬌があるロボットの姿を認め、杉田も胸を撫で下ろす。HARは階段の横にある専用スロープから下りてきており、ゆっくりと二人の方へ近づいてきていた。
「でも、変ですね。非常時には自動的にスタンバイになるはずなのに、誰が動かしたのか……」
そこまで言ったリューは、HARがアームに握っているものを目にして怒鳴った。
「危ない!」
リューは杉田の首を肘に引っかけるようにして振り向き、廊下の曲がり角に向かって勢いよく身を投げ出した。
HARのアームからぽとりと落ちた黒いものがその一瞬後、太鼓を突き破るような破裂音を伴って爆発した。廊下の陰に飛び込んだ二人は、飛び散る金属の破片から辛うじて身を守れた格好だ。
「手榴弾です!HARはもう片方の手にも持ってます、下がって!」
リューの低い警告が杉田の耳を打つ。
HARが左右両方のアームに持っていたのは、安全ピンを抜いた手榴弾だった。
この汎用型作業ロボットは国が定めた安全基準よりも遙かに頑丈に作られており、手榴弾の一発ではその機能を停止できなかったのだ。丸っこいボディーに無数の金属片を食い込ませてすすで汚れながらも、HARはなお二人に接近し、もう一つの手榴弾をアームから床に落とした。
リューと杉田が慌てて身を起こし、先のリネン室に飛び込む。
爆発音が響いて再び静寂を破り、リネン室の引き戸が揺れた。
車輪が空回りする音を確認したリューが、引き戸の陰から廊下の様子を窺う。
HARは二発目の手榴弾に足元を吹き飛ばされた格好で仰向けに倒れていたが、足代わりの車輪はまだ動いていた。二人は慎重に廊下に出て、HARはもう起き上がれないらしいことを確かめてから小さく息を吐いた。
「……恐らく、P2がプログラムを書き換えたんでしょう。この建物で、動いてる人間は我々だけです。人間を発見したら近づいて、片方のアームからものを離すのは単純な命令ですからね」
リューが倒れたHARを見下ろしてから、背後から恐る恐る覗き込んでいる杉田を振り返った。
手榴弾は三階の武器開発室から持ち出されたものであろう。だが、この危険な爆発物が関係者しか知らない保管場所から持ち出されたこともまた、これではっきりした。
やはりAWP棟に詳しい者、つまり嘗て関係者だった若松貞明がどこからか指示を与えている可能性が非常に高い。
「とりあえず、ここは急いで離れたほうがいいですね。非常階段へ……」
「いや、駄目だ!」
今度は廊下の先を確認した杉田が怒号を響かせた。
彼らの後方には非常階段があったが、中間点に手榴弾を持ったHARがいつの間にか姿を現していたのだ。
「中央階段へ!」
リューの背後にも非常階段はあったが、そこに至る廊下にもHARがいる。
二人の男はAWP棟のほぼ真ん中にある、最初にHARと遭遇した階段を目指し走り出した。
AWP棟に果たして何体のHARがいるか定かではなく、もし全てに同じ命令が与えられているとしたら、アサルトライフルで一体一体を破壊するのはきりがない。それに射撃時の衝撃で手榴弾が弾け飛ぶ危険もあった。
二人は階段に辿り着いたが、上の踊り場にはやはりHARが待ち構えていた。しかも一体だけではなく、上から何体も殺到してきているのが駆動音で嫌でもわかる。
「上は駄目です、下に!」
リューが叫んで先に立ち、転がるように階段を駆け下りる。
二階から一階に下りる階段は他の階の階段と違ってしっかりとした鋼で作られ、両脇に透き通ったアクリル板が張られている洒落た造りだ。階段の下にも最低限の支えしかないため、直接空中を下っているかのようだ。
一階の階段前は開けたホールになっており、その先に今はシャッターが下りた正面入口がある。左にはカフェテリアの店舗が構えられているが、店先に並べられたテーブルは薙ぎ倒され、その陰には特殊警備隊員が倒れていた。斑模様の大理石が敷き詰められた床も血で汚れて薬挟が散らばり、ここにも激しい戦闘の爪痕が認められる。
この階には非常出口が四箇所あり、特殊警備隊はそこから入ってきていたはずだ。
が、非常出口に続く廊下に足を向けようとしたリューの足が止まった。
HARが彼の視線の先、狭い廊下へ続く通路にいる。使用者に堅い印象を与えないよう可愛らしい顔をつけられた姿が、却って凶悪さを煽っていた。彼らがやはり一体だけではないことは、独特の小さな稼働音があちこちから聞こえてくることで二人に思い知らされた。
「無駄だ。非常出口は全て、手榴弾を装備したHARが塞いでいる。もう逃げられんぞ」
杉田とリューの背後から重い金属の足音が響き、無情な言葉が冷たく投げつけられてきた。
P2は一階の奥にある部屋に先回りし、待ち構えていたのだ。
「私も散々振り回されたが、お前たちも単純な手に引っかかったものだな」
皮肉を口にしてゆっくりと歩いてくるサイボーグの男はしかし、笑ってはいない。声は間違いない肉声であるのに、抑揚がまるでなく無機質だった。
リューは杉田を背後に庇いつつじりじりと後退し、なおも近づいてくるP2にアサルトライフルの銃口を向けた。
安全装置を外し、怯まずにバースト発射で弾丸を浴びせる。だが、数発ずつの発砲音を響かせた弾丸はP2の身体の表面で火花を散らし、甲高い音で弾き返されていた。
舌打ちして、今度は左半面の皮膚が露出している顔目掛けて撃ち込む。今度は、P2が腕を顔の前に翳して弾丸を弾いた。
「諦めろ。そんな武器では、私を倒すことは不可能だ」
アサルトライフルの射撃が全く通用しないことに、さしものリューも焦りを隠せなかった。歯ぎしりの音が、後ろにいる杉田の耳にも届いたほどだ。
杉田もM990を構えてはいたが、安全装置すら外していない。この小型拳銃はリューが持つアサルトライフルに圧倒的に火力が劣るうえ、自分が発砲しても援護にすらならないことはよくわかっている。
杉田は初めて直面した生命の危機に、青ざめて足が震えるのを抑えるのがやっとだった。リューに守られているだけの姿は心底から情けないとは思うが、身体は恐怖で萎縮して言うことを聞いてくれそうもない。
リューは未だこの窮地を脱する方法を考えていたが、少しでも逃げようとすれば、P2はガトリング砲で二人を撃つつもりでいるだろう。自分一人なら顔を射撃し続けて隙を作り背後に逃げることも可能だが、一般人の杉田が自分の身のこなしについて来られるとは到底思えない。
唯一有効と思われる閃光手榴弾も手持ちがなく、このホールのように開けた場所では逃げ場がなかった。
「恨むなら、間に合わなかったP3を恨むがいい」
十メートル程度の距離に迫ったP2が、右腕のガトリング砲を二人に向ける。
「待て!撃つなら、私だけを撃て。この人は医者だ。殺すな!」
「お前はその男を助けるために、自分の命を捨てるというのか?」
「私はお前と同じ元軍人だ。命は戦場に置いてきた。それに、目の前で仲間が死ぬのはもう見たくない!」
杉田の前に立ち塞がったリューは普段ののんびりした口調とは似ても似つかない、威厳さえ感じられるような鋭い声でP2に言い放った。
僅かに、P2の眉が動く。
「元同胞か。だがお前も軍人だったなら、命令が絶対であることも知っているな。私は、必ずお前たちを血祭りに挙げろと命じられた。それが取り下げられない限り、逆らえん」
P2の六つの銃口が、リューと杉田の上半身に狙いを定める。
「……悪く思うな」
杉田が反射的に目を堅く閉じ、リューは逆に敵から最後まで視線を外さない。
P2のガトリング砲が、火薬の臭いを爆発させて吼えた。
AWP棟一階のホールに響き渡ったのは、連続する耳障りな甲高い音色。
二人の青年の命を奪うはずだった凶弾は、弾道を遮った青き疾風に阻まれて目標を見失った。
それはどこまでも蒼い海のような深い色の金属に身を固めている、異形の人影。
「……未来!」
一瞬呆然とした後に発せられたリューの驚愕に彩られた叫びに、杉田が薄目を開ける。
二人の眼前には、チタン製パワードスーツにジュラルミンのバックパックを背負った未来の背中があった。
P2が撃った弾丸は全て、未来の装甲に浅い傷をつけたのみだった。
彼女は背をやや丸め、腕で顔を護る防御態勢をゆっくり解いた。パワードスーツの強度は胸部と手足が特に高く、防御姿勢を取って全弾をそこで受たのだ。
「ごめん、遅くなって」
僅かに後ろの二人を振り返って一言呟いた未来の顔は、耳の後ろに四本の長い角が突き出しているのが特徴の密閉式ヘルメットに隠され、伺い知ることはできない。が、その抑えた低い声は、彼女の怒りが激しいものであることを物語っている。
未来は屋上のシャッターを壊してAWP棟に侵入し、音を頼りに二人を捜していた。
途中に手榴弾を持ったHARがいたが、高速で移動する金属の塊は人として認識されず、妨げにならなかったのが幸いした。
杉田とリュー、P2の会話の内容から危険な状況と判断して、二階階段の一番上から一階に飛び降りて更に跳躍し、ガトリング砲の弾道に割り込んだのだ。間一髪だったが、二人が無傷でいたことが少しだけ未来を安心させてくれた。
「未来、気をつけてください。奴には通常の銃器が殆ど効きません」
「わかってる。そのためにこれがあるんだから」
マイクを通した未来の声がリューに応えた。
その両手には、先まで金属製のバックパックの側面に取り付けられていた一二.七ミリアサルトライフルが構えられている。全長が一.五メートル程度あるこの巨大なアサルトライフルは未来の専用装備で、先日の試射でその凄まじい殺傷力が実証されていた。
『ようやく出てきたな、P3め』
その彼女の姿をディスプレイで確認した若松の声が、P2に届く。
「まだ後ろの二人を狙うのか?」
『そんなわけがあるか。小手調べに、奴と戦え。最新型のサイボーグがどれぐらい進化してるのか、自分の身体で確かめてみろ』
「命令変更を確認した。攻撃目標はP3」
呟くように話していたP2の声は、未来の聴覚にしっかりと捕らえられていた。
どうやら杉田とリューがP2の攻撃に晒される危険はなくなったようだが、このままでは戦闘に巻き込んでしまう可能性が高い。
未来は背中に手を回して、バックパックの側面にあるスイッチを押した。するとバックパックの一部が外れて落ち、リューの足元に金属の小箱が落下した格好になった。
「それ、プラスチック爆弾一式が入ってるから。私があいつの注意を引いてるうちに、どっかを壊してここから逃げて!」
言いながらも、未来はP2から視線を外さない。
背後で小箱を拾い上げたリューが頷いたのは、気配でわかる。リューなら戦闘を開始しても回避行動の取り方は心得ているだろうし、速やかに脱出を試みてくれるだろう。
未来はヘルメットの内側に意識を向けて外部スピーカーから通信へと切り替えると、手短に報告した。
「パッケージは全て保護完了、無事です。これより交戦に入りますが、建物内での戦闘は危険が伴いますので、可能な限り早く屋外に出ます」
『待ちなさい、屋外は駄目よ。あんな大型のサイボーグと戦ってるところを、もし部外者に見られたら大事になるわ』
「背に腹は替えられません。AWP棟で戦えば建物を壊すかも知れないし、最悪杉田先生たちを巻き込むかも知れないんです。二人を逃がした後に、屋外へ移動します」
未来の通信相手は、中央管理棟にいる大月である。
とりあえずの指揮はあの女専務が担当しているものの、彼女は作戦行動に関して素人だ。やりにくいことこの上ない。
『貴女ね、企業の不利益を考えてる?このプロジェクトのことがもし世間に知れたら、どれほどの損害を被るのか……』
「人命には替えられないですよ。それに、あんな危険なサイボーグを野放しにしておくほうが、よっぽど世間にとって不利益です」
『……勝手にしなさい』
未来が大月の言葉を遮って主張すると、投げやりな応答が返ってきた。
――好きにすればいいでしょう。後悔しても知らないから。
また、大月と母の言葉とが脳裏で重なった。彼女らはあくまで未来のことを認めようとせず、自分の思いを実現させる所有物だと見ているところが似ているのだろうか?
こんな時に母のことを思い出した自分に舌打ちしたい気持ちを抑え、短く応えておく。
「了解。やりやすいように戦います」
その後に数秒待っても何も言ってこないところを見ると、恐らく大月も戦闘の指揮を取るのは無理だと、流石に理解しているのだろう。
戦闘の相手を睨みつけると同時にそう考えるだけの余裕を、今の未来は持っていた。アサルトライフルを構えるその姿の端々には、武装した初の実戦であることを感じさせない落ち着きもある。
先日のサージェント、つまりP1との戦闘と違うのは、ここが味方の地で仲間との通信も確保されていることだ。完璧に武装しているのも大きな違いだが、一人ではないことが何よりも心強い。
パワードスーツを着込むと外界から遮断され、戦闘だけに集中できるのもありがたかった。
未来のスーツに付属するヘルメットは完全密閉型で、そのままでは視界ゼロの状態だ。しかし使用者がヘルメットを装着すると、首から顎を覆う装甲部分に各種機器のコネクタが自動で接続されて起動し、眼の位置に取り付けられた小型カメラの映像がバイザーの内側に映し出される。映像は網膜に映るものと変わらないほど鮮明で、肉眼の視界とほぼ同じだった。
その中心に映っているP2は、先から動かなかった。こちらの出方を窺うつもりなのであろう。
お互い普通の人間とは違って表情の微妙な変化が見えず、動けないでいるのかも知れない。
「リュー、戦闘が始まったら後は任せるよ」
未来が前を向いたまま囁くと、リューが頷いた。




