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機械娘の心的外傷(トラウマ)~旧タイトル:SAMPLE  作者: 日吉 舞
プロトタイプ2
32/93

第32話

 怪我の治療と手術を終えたばかりの未来は、オフィスのメンバー全員から暫く現場に出ることを避けるよう意見されていたため、社内で書類の山と格闘中だった。

 昼下がりの今は男性陣が全員現場に出ており、オフィスには未来と翔子に三台のロボットたちしかいない。

「どうぞ、所長」

「ありがと。そこに置いといて」

 翔子が未来の飲みかけたコーヒーの横に、依頼者から差し入れられた焼き菓子を置いてくれた。切りがいいところまで役所に提出する書類を作成してから食べるつもりで、すぐには手をつけないでおく。

 軽く会釈して振り返った翔子が着ているグレーのシフォンスカートの裾が視界の隅でふわりと翻り、薄いピンクのサマーニットの背中が下がっていった。

 未来は、本当は怪我をしてからずっと疲れが取れず、食欲もあまりなかったのだが、最終検査の結果では異常がなかったため、あまり気にしないことにしていた。多分、夜に何度も目が覚めてしまいきちんと寝られないせいなのだろうが、それも原因がはっきりしない。

 ただ、それでも自分の仕事ができなかった間のブランクは埋める必要があるのだから、栄養ドリンク剤とコーヒーとで何とか気持ちは奮い立たせていた。

 未来のデスクの上には、プリントアウトされた書類が積み重ねて置かれている。主に目を通さなければならない報告書類だが、何とか今日中には訂正と捺印までやれそうな量ではある。

 今日は緊急以外の新規依頼件数がさほど多くないようで、どちらかと言えば平和に通常業務に没頭できる日になってくれそうだった。

「私がいない間にもっと事務処理がたまってるかと思ったんだけど、意外とそうでもなくて安心したよ。翔子ちゃんとアショークのお陰だね」

「いえ、それもお給料のうちですから。所長は気にしないで、ちゃんと怪我を治してくださいね」

 乱雑に積まれている書類の束を直しながら感心して未来が漏らすと、自席に戻った翔子が微笑を返してくれた。

 彼女の顔に殴られたあとの腫れは見当たらず、絆創膏も取れている。折れた歯もインプラントにしてもらったと、昨日の夕食時に話してくれていた。

「それにしても、私がこんなにしょっちゅういないんじゃ、会社としては問題だよね。いっそのこと私は理事長にでもなって、アショークに所長の席は譲ろうかな」

「え……」

「あ、いや。今のは冗談だよ。まあそういう選択肢もあるかなってくらいで」

 冗談半分で言ったことに複雑な顔を見せた翔子の反応は、未来の思いもよらなかったことだった。実のところ半分本気でもあったため、慌てて手を振って誤魔化し笑いを浮かべておく。

 本当は自分がサイボーグの身となって以降、定期メンテナンスや訓練にかなりの時間を取られていて、ケルビムからの援助金がなければ経営は苦しい状態だった。先日資料で見たP2との戦いがいつ始まるかも予測不可能だし、援助金があるうちにオフィスの人事を一度見直す必要があるのは確かだ。

 所長である自分が戦死する危険と背中合わせでいるのは、翔子以外のメンバーは知らないことだった。会社としての体制を保つためにはもう少しスタッフを増やし、上位決定権を持つ者を数人配置しておく必要がある。

「……まあ、それはもうちょっと落ち着いてから慎重に考えることにしよっかな」

 翔子には聞こえない程度の声で、未来がぼそりと呟く。

 P1と戦って以来、オフィスの今後について考えることが多くなってきており、業務中でも今のようについ考えに沈んでしまうことがあった。

 そのぼんやりしていた未来を、デスクに置いた携帯電話の大きな振動音が驚かせた。

「も、もしもし!」

 マナーモードにしていたため、震え続けている携帯電話を反射的に取り上げて着信ボタンを押す。

『大月よ』

「大月さんですか……珍しいですね。どうかしましたか?」

 ディスプレイの番号を確認する余裕がなかったため、見覚えがない番号からかかってきた電話だとういうことはわからなかった。

 やや冷たい印象がある女の声に、未来の態度と口調の温度が低くなる。

『緊急事態が発生したわ。すぐC-SOLに来てちょうだい』

「まだ業務中なんですけど。夕方以降じゃだめなんですか」

『そんな悠長なことは言ってられないのよ。携帯だと盗聴の危険性があるし、車に乗ったら通信装置をオンにして。詳しいことはそれから話すから、十分以内にそっちから発信するように』

 ぶっきらぼうに断ろうとした未来だったが、ぴりぴりした大月の声が耳を打ち、そこで通話は一方的に切られてしまった。

 まるで母からの電話のような一方的な態度にむっとして、未来は携帯電話を乱暴にデスクに置く。

「ひょっとして、お母さんから連絡があったんですか?」

「いや、大月さんだよ。ケルビムの取締役」

 未来の機嫌が目に見えて悪くなったことに、翔子が不安そうな声を上げた。

「ごめん、C-SOLで緊急事態が発生したらしいんだ。戻りがいつになるかわからないけど、すぐ来るようにって」

「わかりました。みんなには、緊急の案件が入って出かけたって言っておきますから……気をつけてくださいね」

 一応AWPの関係者となった翔子には、いちいち事情を偽らずに済むのが有難い。

 未来は立ち上がって革ジャケットを羽織り、携帯電話を内ポケットに突っ込んだ。ビートルのキーを引き出しから取り上げてデニムパンツのポケットに差し入れ、翔子に手を挙げてからオフィスを後にする。

 駐車場はオフィスから五分ほど歩いた裏通りにある、立体式のものを借りていた。丁度未来のマンションとオフィスとの中間に位置しているので、置いておくには都合がいい場所だった。

 時間貸しと兼用の料金支払機へ、月極契約者に渡されるリモコンを向けて出庫のボタンを押す。

 甲高い金属音がして駐車棚が動き、車二台分の幅しかない狭小地にある立体駐車場の地下から、シルバーのビートルがせり上がってきた。この立体駐車場も立地条件の割には安いだけに設備もかなり古く、他の車を乗せている金属の柱も手入れが行き届いているとは言えないようだ。そろそろ更新も考えたほうがいいだろう。

 未来が急いで運転席に乗り込み、エンジンをかける。目の前の通りは狭く、あまり急発車させるわけにはいかなかった。慎重にクラッチをつないで発車し、五分ほど走らせて靖国通りまで進む。

 昼夜を問わず混雑する歌舞伎町近辺の道路では、やはり今も大小の車が押し合いへし合いしていた。広い車道の横断歩道で歩行者に割り当てられている時間もぎりぎりで、赤信号になってからでも強気な住人たちが平気で割り込んでくる。

 未来はそんな街を通り抜ける忙しないドライバーの一部となって信号待ちで停車し、左耳についた小さな真珠のピアスをかちりと音がするまで捻った。

「車を出しましたけど、聞こえますか?」

『思ったよりもちゃんと聞こえるわね。今どこなの?』

 未来が声に出して喋ると、驚いている大月の声が聴覚に直接届いた。

 杉田との通信テストで一言二言だけ使って以来の特殊通信だが、イヤホンをつけているわけでもないのに相手の音声が聞こえるのは、やはり妙な感覚だ。

「靖国通りに入ったところです。C-SOLで何があったんですか?」

 言いながら、未来は前の車の動きに合わせてゆっくりと前進した。エンストさせないよう静かにクラッチをつなぐのは、未だに苦手だ。

『私がメール便で送ったP2の資料は確認してる?』

「見ましたけど。次に私が戦う可能性が高い、二番目に作られたサイボーグですよね」

『そのP2がAWP棟のマシンルームに侵入して、貴女のデータを盗もうとしたのよ』

「……えっ?」

 相変わらずむっつりとしていた未来の口調が驚愕で変わった。

「ちょっと待ってください!P2って確か、メインの開発者が連れて五年前に失踪して、今も行方不明のはずですよね。そいつがどうして今頃、いきなりC-SOL内に現れたりしたんですか?」

『それがわかれば苦労はしない。恐らく、どこかから未来のことを嗅ぎつけたんだろう。例の不正アクセスの犯人も、断定はできないが多分P2だ』

 そこで、男の低い声が通信に新たに加わった。聞き慣れている、生沢の声だ。

『サーバのデータへのアクセスは杉田くんと田原くんが阻止してくれたから、多分大丈夫よ。ただ、P2はまだAWP棟に留まっているの。今のところはAWP棟を封鎖してるから、C-SOL外部への被害はないけれど……』

「けれど、何です?」

 大月へと返した不安気な未来の声に、一瞬の間が空く。

『杉田とリューが、AWP棟に取り残された。俺と大月はP2侵入当時外出してたから巻き込まれてないが、P2が武器を内蔵してる危険なサイボーグであることは、未来も知ってるな?』

「そんな……それ、本当ですか」

 愕然として、呟くように未来が漏らす。

 一瞬意識が真っ白になり、危うく前の軽トラックに追突するところだった。慌ててブレーキを踏むが、ぎりぎり十センチ程度の車間距離しか取れなかった。

『AWP棟には貴女が来るまで誰も入れないようにするつもりだったんだけど……指示が行き違いになって、パワーズの特殊警備隊三十名が一階に突入。現在P2と交戦中よ』

『リューからは人間がP2に立ち向かうだけ無駄だと報告を受けて以降、今現在は連絡が取れない状態だ。特殊警備隊の連中は全員退避の命令はもう出ていて、まだ脱出は完了してない。戻ってきた奴を捕まえてはみたが、リューと杉田がAWP棟のどこにいるのかも不明だと』

 大月に続いて、生沢からも悪い情報が伝えられる。

 が、不思議と未来の頭は段々冷静に働くようになっていった。戦いを前にし、脳内の興奮薬であるアドレナリンが増えてきているのだろうか。

 声を低く抑え、未来は応答した。

「了解。もう四谷まで出てしまいましたので、外苑から首都高に上がって急行することにします。私の装備は無事なんですよね?」

『それは大丈夫だ。専用装備とパワードスーツは無事に運び出して、中央管理棟にある。助手も何人か、俺たちの横に待機してるからな』

「あと三十分以内に装備を整えて、AWP棟に突入できるようにします。それまでにC-SOL内の他の研究所に依頼して、今から言うものを準備しておいてもらえますか?」

 未来は曙橋を右折して経路を変えながら、必要になると思われる物騒な物品名を数点、生沢に伝えた。

 P1との戦闘前は、ここまで落ち着いて考えることはできなかっただろう。

 我ながら、すんなりと味方を助けるために必要となるものを予想できるのが不思議だった。命を賭した戦いを経験し、予め雑念は取り払うのが楽だと本能が判断してくれているらしい。

 以前にも増して、自分が戦いに特化した存在に変わりつつあることが、嫌でも感じられることが多くなってきた気がする。

 本当はみんなを守りたいだけなのに。

 戦いなんて、嫌いなはずなのに。

 だが逆に戦いに勝利しなければ、誰かを守ることはできないことは、紛れもない現実だ。

 今の未来は、杉田とリューを無事に救い出すことだけを考えるしかなかった。


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