第30話
「……ああは言ったものの、こうまで糸口が掴めないとはなあ……」
AWP棟五階セキュリティフロアにある個人研究室デスクで溜息をつき、杉田は眼鏡を取り眼の間を指で揉みほぐしていた。
閉じた視界に光がちらついて頭に鈍痛があるのは、モニターを長時間見ていたせいだろう。
HARが持ってきてくれたコーヒーのマグを口に運ぶが、淹れてからかなり時間が経っているためすっかり冷めてしまっている。
デスクの上には赤のボールペンで所見を書き込んだ睡眠脳波、脳血流図、MEG(脳磁図)、磁気共鳴スペクトロスコピー(MRS)等の各種印刷物が山積みになっていた。パソコンの液晶画面には、MRIの画像が何枚も専用のビューアで開かれている。
未来は手術の翌日午後にC-SOLから新宿の自社に戻っていたが、前日の夕方から翌日午前中にかけては身体の負担が少ない検査を厳選して行っていた。殆どが脳の機能や代謝を調べるものだったが、今度はどれ一つとして異常所見が見つからなかったのである。
未来にてんかんの持病がなく、純粋にSNSAが原因である可能性が高いことが証明されたが、異常脳波が発生した原因はまだ皆目見当がつかない。
徹底的に治すと約束した手前、諦めるわけにはいかなかった。
これ以降はヴァーチュズに保管されている予備パーツを持ち込んで、刺激に対する検証と内部に搭載されたプログラム解析を中心に行うことになるだろう。
それに今回は十名近くの助手を補佐につけてもらっているため、大月への中間報告は必須になっている。今までに判明したことを何とかまとめて、明日中に一度報告しなければならないのが一番気が重い仕事だった。
杉田は、気分転換に大月から昨日配信されたメールを開いた。
【重要】のフラグがついたメール本文はしかし、関係者は閲覧後に返信する旨が一言書かれているだけだ。
添付ファイルのパスワードを入力し、画面に表示されたドキュメントに目を通す。
生沢から聞いていた、五年前に逃走し未だ消息が掴めていないAWP2番目のサイボーグであるP2の資料だった。大月が記憶を頼りに作成した文章と、個人端末の片隅に眠っていた小さな画像が貼られたつくりだ。
その資料によれば、P2の本名は岩元源三、改造当時二八歳。元国防軍中尉。性格は生真面目な軍人そのもので、軍に貢献できるのならと実験体に志願した。
改造の度合いは機械八十パーセント、脳も七割以上を機械化していた。結果、次第に作戦行動時や通常の思考に融通がきかなくなり、制御が困難となった末に処分とある。また、機械化を進めすぎたために維持コストがかかり過ぎたことも処分原因の一つとなっていた。
武装も一部体内に内蔵し、機械パーツの動力に必要な電力は腹部に設置された、MHD発電(磁性流体発電。熱媒体不要の超小型原子炉を使用する)で賄われている。
三番目のサイボーグである未来よりも機械化の度合いが高く、よりロボットに近いサイボーグだと言えるだろう。ドキュメントに貼り付けられている画像は、一般家屋を想定した建造物内での訓練中とおぼしき姿を望遠レンズで撮影したものだ。
あまり鮮明ではないが、顔の特徴や身体の全体は確認することがでる。
顔を除いた全身は全て鎧状の金属になっており、暗灰色に光るボディが巨大なことが何よりも印象に残る。
顔には眼を含めた右半面に金属パーツが露出し、恐らく改造前の本人とはかけ離れた外見になっていたのだろう。これら金属パーツは着脱不可で人間の姿には戻れないとされており、彼は改造後殆どの日々をこのC-SOL内で過ごしていたようだ。
P2を伴って失踪した開発者の情報も、併せて記されていた。名は若松貞明、当時二三歳。一九歳でアメリカの大学を卒業と同時に博士号を獲得、AWPに引き抜かれた天才だ。
が、その頃の顔写真はどう見ても生意気そうな十代の少年にしか見えない。
金髪にした頭といい、首から上しか写っていない写真なのにアクセサリーが目につく格好といい、性格には相当問題がある人物のように思える。P2のロボット寄りとなった性能や外見には、彼が多大な影響を及ぼしていたのだろう。
「大月さんも、こんな奴と一緒に仕事をしてたってことか」
杉田が呟いた口調には、意識しない皮肉が込められていた。
大月はAWP発足当初からのメンバーだ。
いかにも我儘そうな若松の扱いに苦労していたであろうことが、容易に想像できる。彼女もなかなかに我が強い人物なだけに、衝突も度々あったのではないか。
そんなことが、若松の備考欄に記載された「性格は極めて反抗的で、他者と対立しても譲ることを知らない。かつ、自分の能力に絶対的な自信を持っており……」という、思わず苦笑を誘われる過激な記述に表れているかのようだった。
杉田はファイルをクローズした後に眼鏡をかけ直し、やや硬い椅子から立ち上がった。
もう一度深く息を吐く。
今朝は八時に出勤し、昼過ぎになる今の時間まで休憩を取らなかった。そのせいで、肩がずっしりと重い。とにかく一度軽く食事を取っておかないと、糖分不足で自分の脳が音を上げそうになっていた。
「リューを誘って、カフェテリアにでも行くか……」
杉田は腕と肩を軽く伸ばし、黒い革の財布を白衣のポケットに突っ込んで自室を出た。
「珍しいですね」
隣の研究室にインターホンで来訪を告げてから自動ドアを開けるなり、リューは一言だけ漏らし作業に戻っていった。
彼は戦闘時の司令官と未来の訓練を担当しているだけでなく、パワードスーツの調整と武器整備も兼任している。故に、彼の研究室は杉田の研究室と内部の様子が大きく違った。
あちこちに電子工具、工作機械や試験機が設置してある部屋は、杉田の研究室よりもその分広い。しかしものが多い分だけ雑然としていて、金属とオイル臭の苦手な者にはきつい匂いが漂っているのが何より印象に残る。
パワードスーツを置いておくためのマネキンまで隅に立たせてあるが、リューの趣味のキャラクターフィギュアも資料棚に収められているのが、普通の研究者と違うところだろう。
デスクは作業台も兼ねていて、工具や細々とした金属パーツ、ニクロム線、予備の防護用眼鏡等が散乱しているのが見えた。その中に埋もれるようにして未来のヘルメットが転がされており、リューはその内部に何かを仕込んでいるようだった。
杉田が作業台の側まで行き、再度声をかける。
「ちょっと煮詰まってきたんだ。リューも、昼飯はまだだろう?生沢先生は本社会議でいないし、軽く食事に行かないか」
「私も、丁度作業が終わったところです」
いつものぶっきらぼうな口調で応えたリューが、防護用眼鏡を外してグレーの分厚い作業用ジャケットを脱いだ。
今まで弄り倒していたらしい未来のヘルメットに接続していたケーブル類の束を外し、工具も片付けていく。
「そうだ。リューにちょっと頼みたいことがあって」
「何です?」
「その未来のヘルメットの中に、脳波と脳血流モニタ用の電極は仕込めるか?」
美形の元軍人でオタクな青年が、片付けの手を止めて顔を上げた。言葉には出さないが、その表情は怪訝そうだ。
「未来の脳パーツに異常があるかも知れないんだ。一通りの検査はしたけど、その間には異常が再現しなかった。もっと長時間の調査と、異なった状況で脳の動きを見る必要がある」
「そういうことなら、お安いご用です。シュークリーム一個で手を打ちましょう」
あっさりと、納得したリューが頷く。
「ここのコンビニで売ってる奴でいいのか?本当にお安いな」
「カフェテリアの抹茶シフォンでも可です」
杉田が思わず吹き出したのに対し、リューは一本調子の声ながらも大真面目だ。
「わかった、わかった。両方奢るから頼んだよ」
スーツに白衣の医師が、リューの背中を押した時だった。
二箇所ある出入口の片方から電流がショートしたような耳障りな音が上がり、自動ドアが開いた。
今ここに出入りできるメンバーの大月、生沢、未来は不在のはずだ。
はっと口をつぐんだ二人は、研究室内に足を踏み入れてきた者が視界に入るなり、危うく呼吸すら忘れるところだった。
室内で二メートル以上の高さがある什器を越す巨躯。
右半面に金属パーツと高性能なレンズが光る、端正で冷たい顔。
肩から下は黒いマントに覆われているが、間違いなく人工物で構成されていると直感できる身体。
杉田が今し方画像を確認したばかりの旧型サイボーグ、P2の姿がそこにあった。
失踪したはずのP2が何故、このC-SOLにいるのか。
どうやってリューの研究室まで入ってきたのか?
杉田とリューが瞬間的に閃かせたことは同じだったが、パニックになりかけて明らかに浮き足立っている杉田とは逆に、リューは次の瞬間にはある程度の落ち着きを取り戻していた。
P2は、次に戦う可能性が最も高い敵だ。まさか自らここに乗り込んでくるとは思ってもみなかったが、青天の霹靂というほど意外ではない。
P2を連れて逃げたメイン開発者である若松という人間の性格を見る限りでは、未来の存在をどこからか嗅ぎつけて興味を持ち、様子を探らせようとしているのだろう。飛び級を繰り返した若き天才科学者ゆえ、その思考パターンは一般人の斜め上を行くと思っておいた方がいい。
だとすれば、P2の狙いは若松が最も欲しがっているもの、つまり未来のデータだろうと推測できる。
自分たちが抵抗しなければさしあたって攻撃されることはなさそうだったが、だからと言って黙ってデータを渡すなど言語道断だ。
リューが冷静な軍人時代の自分に戻って考えをまとめ、注意深くP2の様子を窺っていると、相手も杉田とリューの姿を認めてゆっくりと視線を向けてくる。そこには未来のような感情の色は窺えず、機械の電気的な反応があるばかりのように見えた。
「お前たちは関係者だな」
「え……あ、ええと……」
「違います」
突然の問いに混乱して反応できない杉田とは反対に、リューがきっぱりと否定した。
「何の関係者かは聞いていないが?」
「……!」
しまった、とばかりにリューの顔色が変わる。見事に誘導尋問に引っかかってしまったのだ。
P2は目的地であるサーバルームに侵入するため、経由地点である研究室のロックを解除して入室していた。
そこで鉢合わせした二人の若い男たちは、先のAWP関係者名簿の顔写真と照合した結果、メインスタッフであることが瞬時に確認できた。
「情報源として捕獲する」
P2は網膜に映し出された二人の顔写真を見比べつつ、素早く前進して二人に向かい両手を突き出した。
「うわっ!」
リューは咄嗟に身を引いてかわしたが、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなっていた杉田が、右腕を金属の腕に掴まれて叫び声を上げた。
そのまま背後に腕全体をを捻り上げられ、P2の手元へと引き寄せられる。
「いてて、離せ!」
「お前も医者なら、下手に動けば骨が折れることは判っていよう。大人しくするがいい」
捕らえられてじたばたと暴れる杉田を見下ろし、P2が静かに言い放つ。どんなに杉田が動いても、彼を拘束するP2の指はびくともせず、痩せた腕を締め上げ続けていた。
「待て!お前の目的は情報だろう。この中に、マシンルームに設置されている全サーバのバックアップメディアが入っている。これを持っていけ!」
作業台の後ろに走って黒いアタッシュケースを掴み上げたリューが鋭く叫び、P2に向かって得物を投げつける。
P2が杉田医師を捕らえている手を離し、顔目掛けて飛んできたアタッシュケースを受け止めた。
杉田はよろけつつも、慌ててP2の側を離れる。その隣に未来のヘルメットを抱えたリューがついて手首を掴み、そのまま研究室奥にあるもう一つの出入口へ引きずらんばかりの勢いで走っていった。
『そんなひょうろく玉は放っておけ。ケースの中身を確認しろ』
廊下に逃げた二人を追おうとしたP2の聴覚に、若松の声が響いて動きを中断させた。
P2の脳にも、未来に新たに移植されたものと同じタイプの通信機がついている。
またP2には、網膜に投射された映像をそのまま特殊なモニターへ転送し、外部で同時に出力できるシステムも搭載されていた。地下ガレージで待機している若松は、ゴーグル型スクリーンに映し出されているアタッシュケースの中身をP2と共に確認することが可能なのだ。
P2がケースのロックを外して中を改めたが、そこにぎっしりと詰められていたのは記録用メディアではなく、国内一流ブランドの工具セットだった。
『くそっ、単純な手に引っかかりやがって!』
「……私はお前の指示に従っただけだが」
簡単に一杯食わされたことに若松が思わず声を荒げたが、P2の態度は先と変わらない。
『うるさい!いいか、さっきの連中は絶対に逃がすな。多少手荒にやっても構わん。P3をおびき出す餌にしてやれ』
激昂していた若松ではあったが、最低限の冷静さはまだ保っていた。
『その前に、P3のデータを頂戴する!マシンルームは一番奥のドアだ。どのブロックのサーバかはわかってるな』
返事を返さなかったP2だが、若松のモニターに映された視界が縦に揺れたことで頷きの動作は伝わっていた。




