第24話
「未来の怪我だが、普通の人間だったらとっくに死んでたレベルだな」
「ええ……僕もメモリの画像の要所は確認しましたけど。地雷を一度に四個も喰らったり、対戦車砲で撃たれた時点で命はないでしょうね」
未来の病室があるセキュリティエリアから完全に退出してから、生沢が口を開いていた。杉田がそれに同意して頷くと、リューも会話に入ってくる。
「彼女はそのために作られたサイボーグです。ですが、初めての実戦であそこまで戦って生き残り、かつ敵を全滅させたのは生来の素質でしょう」
杉田や生沢と同じく、戦闘時の様子を全て確認したリューは実感を込めて言った。
未来が眠っている間に後頭部にセットされていたメモリが抜き出され、そこに記録されていた画像の分析が一通り行われていた。戦闘時に何があったかは判明しており、彼女の携帯のメール画像や翔子の話から、事件の全貌がほぼわかっていると言ってもいいだろう。
未だに敵が何者であったかだけがはっきりしていないが、これに関してはこの三日で大月が軍からの情報提供を受け、判明したことをこの後のミーティングで話すことになっていた。
「ただ、心配なのは戦闘によるストレスが悪影響を与えていないかということです」
「PTSD(心的外傷後ストレス症候群)か何かになる可能性があるのか?」
生沢が問うが、リューは首を横に振った。
「まだわかりませんが……ベトナム戦争で戦闘ストレスに精神をやられた兵士が数多く出たのは、先生たちもご存知でしょう。未来はもともと民間人で、兵士ではありません。人殺しということに対して強烈な心理抑制が働くところを、強制的にやらせたんです。しかも初めての戦闘で孤立した上、一晩で生きるか死ぬかの極限状態に置かれ、十人もの敵を殺しています。我々は彼女が負ったであろう心の傷を、まだ自覚のない今のうちから考慮しておくべきです」
珍しく、リューは噛み締めるように呟いていた。
「そうだな。未来は確かに強い精神の持ち主だとは思うが、脆い側面を突かれるとあっけなく崩れる危なっかしさがある。俺たちでどれぐらいそれを支えてやれるかが問題だが……」
軽く溜息をついて、生沢が研究所の広い廊下にある大きな窓の外を見やった。
杉田は、まだ改造手術が続いていた頃の未来を思い出した。
今いる病室で絶望の叫びを上げ、涙を流していた姿は、弱く儚げな影を彼の心に残している。生沢が言う通り、彼女は一見すると気丈な女傑だが、その裏側に優しく感受性が強い心を隠しているのだ。
「普通ならそういう場合、自分に一番近い存在である家族を頼るもんだがなあ。何でだか、未来は妙に家族を避けてるところがあるようだし」
「僕も、それは前から気になってました。最初の事故の時でさえ、母親に知らせるなとずっと言ってたって聞きましたよ」
「しかし、両親の離婚があったこと以外は結構いい暮らしをしてたようだ。もっと荒んだ家庭に育ってるんだったら、親のことを恨んでいてもおかしくはないが……」
未来の家族関係について生沢から話が出たところで、杉田がこれまで疑問を抱いたことを口にした。
やはり何かあったとき、娘であれば真っ先に母親を頼るのが普通だ。
もし未来に信頼できる相談相手がいないのだとしたら、心理的ダメージを一人で抱え込むことになる。
「あいつに彼氏がいるとかって、聞いたことあるか?」
「え……さ、さあ。僕に話してくれたことはありませんけど」
生沢からの唐突な質問に杉田が答えてリューを見るが、元軍人のオタク青年も首を横に振った。
「そうだよな。彼氏がいりゃあ、ストレスの矛先を向けるのに持ってこいなんだが……考えてみたら、サイボーグになった時点で恋人は諦めるのが当たり前だ」
「それまでに付き合ってた相手がいても、ですか?」
やれやれ、と言いたげに生沢は首を振った。
「想像してみろ。ある日を境にして自分が普通の人間じゃなくなって、しかも国家機密に関わるようなもんにさせられる。おまけに子供を作ることもできなくなった。いくら隠してても、一緒にいりゃあいつかはバレる。それでもお前は、彼女を作ろうって気になるのか?将来を誓い合った相手がいたとして、そのままの関係を続けられると思うか?」
「それは……」
杉田が口ごもると、生沢が溜息混じりに続ける。
「つまり、サイボーグになるってのはそういうこった。そういう意味で、俺たちは未来にとんでもない重荷を押しつけちまったとも言えるか」
「自分がなりたくもないものにさせられた上に、成果を期待されるプレッシャーもありますね……」
「だから、あいつのサポートに俺は全力を尽くすつもりでいる。それが、あいつの身体を預かった医者としての責任だからな」
「わかってます」
口調は普段と変わらない生沢だが、杉田は先を行く広い白衣の背中に力を込めて自分の意志を投げた。
杉田の横で、同じようにリューも頷く。
他の研究員たちやロボットが忙しく行き交う廊下をそのまま歩き、彼らは共同研究室へ戻ってきた。
「遅いわね。ミーティングは二時からってメールは流してあったでしょう」
入口の自動ドアを入ってすぐのところに、大月が待ち構えていた。
相変わらずの上から目線にかちんと来たのか、生沢が背の高い分だけ大月を見下ろすようにして返した。
「やあ、これはこれは。未来の意識がついさっき戻ったから全員で様子を見に行く、だからミーティング開始はちょっと遅らせてくれと携帯にメールしたんだが。それとも、買ったばっかりのお高いブランド品で化粧直しするのに忙しくて、メールに気がつかなかったか?」
「茶化すのはやめたらどう?単に見ていなかっただけよ」
腕組みしている大月に生沢が投げかけた口調は嫌味たっぷりだが、彼女の反応は薄く冷たい。
かっちりとした仕立てがいいグレーのスーツと開襟のブラウスにブランド物のハイヒールを合わせた大月は、ラフな私服の上に白衣を羽織っている研究員が多い中でも目立っている。軽く首を振って額の前髪を払った彼女が、目線が上にある生沢をじろりと横目で睨んだ。
「それに奥さんに逃げられるほど女のことが理解できてない貴方に、個人的なことをとやかく言われる筋合いはないわね」
大月が皮肉に皮肉を返すと、もっともな点を指摘された生沢はより悪意を込めたお返しに及んだ。
「ほう。それじゃ、シミ隠しの化粧するのに本当に忙しかったんだな?いや、黙ってなきゃならないところを済まん」
「いい加減にして!私が何をしていようと勝手でしょ!」
研究室には彼らの他に大勢の助手がいるのにも拘わらず、大月がやけにヒステリックな怒鳴り声を上げる。驚いた者が分析機器や計測器を操作する手を止めて顔を上げたが、次の瞬間に彼女は完璧に平静さを取り戻していた。
「とにかく、今日のミーティングでは懸案事項が多いから時間がかかりそうなのよ。帰れなくなったらお気の毒ね」
まだ先刻上がった金切り声の余韻に耳をやられている生沢たちを尻目に、大月はさっさとミーティングルームに向かった。
「ちょっと言い過ぎですよ、生沢先生。大月さんはもう若くないんだし、顔とか歳のことでからかうのは……」
じと目になって生沢を睨んだ杉田に囁かれ、生沢は大げさに肩をすくめてぼやいた。
「それ、大月の前で言ってみろ。今度こそ殺されんぞ」
生沢は、美貌の三七歳がああまで過剰反応を示すと思っていなかった。
日頃からやれエステだ、美容食品だと情報収集に余念がないのは知っていたが、ここ三年くらいでそれが更に過熱する方向にあるようだ。三五歳を超えて色々なところにほころびが目立つようになり、彼女なりに焦っているのだろうか。
それとも、すぐ側に一四歳下の可愛らしい女の子がいて意識するせいか。
勿論、大月もきつい性格を考えなければかなり見栄えがするし、美女であることには変わりない。しかし彼女は、未だに独身であること以外の何かで、いつも追い立てられるかの如くに日々を過ごしている。
その姿は年月による美しさの劣化を何よりも恐れていた、晩年の楊貴妃を思い起こさせた。
「まあ、女ってのは不条理であると同時に、不便な生き物でもあるんだよなあ」
溜息を交えつつ、生沢は杉田たちと共に一階に下りてミーティングルームへ足を踏み入れた。
既に席についた大月は、個人のノートパソコンを開いてキーボードを叩き、寸暇を惜しんで資料作成に当たっているようだった。もうとっくに準備を整えて待っていたのだろう。
他のメンバーがミーティングルームに入ってきたのに気づくと、ファイルを閉じて顔を上げる。早く行動しなければ、また無駄な時間を使っていることを非難されること請け合いだ。
リューと杉田もそれを察したらしく、慌てて個人の端末の準備にかかる。
ミーティングにはメモも含めて、基本的に紙は使わない。個人のノートパソコンかPDAを使用し、極力ごみを出さないようにすることが義務づけられていた。ミーティングルームに備え付けてあるホワイトボードも、そこに描いたものは全て画像ファイルとして記録され、ネットワーク接続された個人のデータベースに蓄積されていく仕組みとなっている。
「やっと全員の顔が揃ったところで、一連の出来事の整理からいきましょうか」
四十分遅れでミーティングが開始されると、先に金切り声を上げたのとは別人のように落ち着いた大月が口火を切った。
「九月二八日、日中にこの内部に向けた狙撃事件が発生。そして翌日の二九日深夜、未来の事務所のスタッフが何者かに拉致される。未来の携帯に脅迫電話があったのが三十日の午後七時前後。同日の午後八時台から八王子市ニュータウン総合病院跡にて、未来が犯人グループと交戦しこれを殲滅。そして今日、十月四日午後に目が覚めた」
「未来の状態ですが、右腕全体が亀裂骨折。両脚部分にクレイモア地雷による盲管射創が計一七発分。全身に擦過傷と打撲もありますが、こちらは全て軽傷。右腕亀裂骨折と毛管射創については、生沢先生執刀の緊急手術にて弾は全て摘出。骨の亀裂は同時にスパイダーの大量投入を行って処置。一三時四八分に未来は意識を回復し、経過は概ね良好です。傷が塞がって骨膜が安定するまで二週間は安静にする必要がありますが、以後は日常生活を送るのに支障はないでしょう」
大月に続いて、杉田が未来の現状について改めて詳細を報告する。
「どの怪我についても死ぬほどの苦痛を伴っていたことは、モルヒネを使用して抑えていたことからも判明している。しかし手術してみてわかったが、傷の深さは何とか命に別状はないと言えるものだった。あれだけ激しい戦闘をくぐり抜けたのに、その程度の傷で済んでる。サイボーグの強靭さと危険回避能力の高さは、実戦で十分に通用すると皮肉にも証明されちまったわけだ。クレイモア地雷なんぞ一発でも喰らえば、普通の人間なら身体がちぎれてもおかしくない」
吐き捨てるように、生沢が杉田の言葉を継いだ。
「未来が交戦した相手については現在のところ詳細が判明していませんが、人数は十名。手榴弾による爆死が一名、障害物による頭部圧死が一名。そして体内電池の電力を集中させた電撃を傷口から内部に浴びせられて感電死した者が一名。他七名は頭を撃たれるか、胴体を撃たれているかで即死に近い状態であることが確認されています。拠点にしていたと見られるニュータウン総合病院跡の遺留品から判断しても、残党がいる可能性はありません。全員の遺体はパワーズの特殊警備隊が回収済。内密に処理及び調査を進める方向で、軍にのみ情報を展開。警察には非公開です。彼らの身元は未だ調査中。携帯していた銃器や戦闘スタイルから、テロやゲリラを中心としたプロの武装集団と推測されていますが……」
一気に報告したリューが、そこで一息ついた。
「正直、未来の才能には驚きです。サイボーグであることを最大限に活かした戦い方といい、臨機応変に状況を判断して武器以外のものを利用する柔軟さといい……初めて戦場に立つ者がたった一人で十人のテロリストを殲滅することなど、サイボーグの身体があっても難しいのですから」
「そのテロリストたちだが、今は便宜上そう呼んでるだけだな?」
続いて未来のことを口にしたリューに生沢が問いかけると、混血の青年は頷いた。
「大月。お前、軍からもう情報を掴んだと言っていたよな。まず話はそれからだ」
大月に話を促した生沢の視線が僅かな疑惑の色を含んでいたことに気づいたのは杉田だったが、敢えて口を挟まない。大月が軽く咳払いをしてから話を始めた。
「この犯人グループについて。人質の誘拐時に催涙弾を装填したグレネードランチャーを使用したり、自動運転のタクシーのGPSを一般には流通していない妨害装置で狂わせたりしていたことも、追加の調査で判明したわ。加えて、研究所を狙撃したときの正確さ。よほどの訓練を受けた者でなければ不可能だったと同時に、使用されたのは軍用ライフルだった」
「勿体つけるな。結局、連中は何者だったんだ?さっさと言え」
「元国防軍特殊工作部隊軍曹、金城拓也率いる傭兵隊。金城は九年前にこのプロジェクトで生み出され、処分された筈のサイボーグ第一号よ」




