第19話
部下のダハブとシェルクから定時発信が途絶えていた。
自分の命令に忠実に動く彼らのコードネームは、今まで主に仕事をしていた中東地域にちなみ、アラビア語で色を示す単語をそれぞれ与えている。
九人の部下にはそれぞれ小型の発信機を渡し、十分毎にスイッチを押すよう命令していた。ダハブとシェルクは屋上の見張りに就かせていたが、先刻上層階から上がった銃声と爆発音が止んでからも発信が無いことから、侵入者と交戦し敗北したのだろう。
ゴーグルに装着された小型ディスプレイには、現時点で生存しているメンバーと同じ数である八つの光点が表示されている。他の部下には、今のところ異常がないようだ。
味方のバディー(二人組)の状況を確認したサージェントは、隣に控えているアルハンブラに片手のハンドシグナルで内容を伝えた。頷いたアルハンブラが無線機にラテン語の暗号を囁き、廃墟内に散っている仲間に同じことを連絡する。
指定の時刻が経過して三分。敵がこうも早く見張りを片付けるとは予想外だ。
相手の女は経験は浅いが、戦闘に特化し、聴力や視力も人間の百倍以上に強化された最新型のサイボーグであることはわかっている。見た目に騙されて油断しないよう厳命したものの、敗れたなら仕方ない。弱者は強者に食われるのが戦場での掟だ。サージェントの顔が皮肉な笑いに歪む。
だが、この廃墟内をくまなく調べ上げ、罠を設置したのは自分たちだ。建造物内で戦闘を展開する場合、防御する側が圧倒的優位に立てる。
敵をこの病院の最深部、逃げられない場所まで追い込んでからゆっくり料理すればいい。依頼人からは女を殺すつもりでやれと言われているのだから、遠慮する必要はなかった。
再び爆発音がした。
先程の交戦場所よりやや下方か。
女は罠を仕掛けた階段は通らず、窓からの侵入を図ったらしい。C-SOLに向けて狙撃したときと言い、素人上がりにしては賢明な行動だが、いずれ廃墟内部に設置してあるセンサーに経路が捉えられるだろう。
次の作戦に移る頃合いだ。
アルハンブラへ行動に移ることをハンドシグナルで示し、サージェントは立ち上がった。
二メートルを優に超える巨躯には、長袖の服の上からでもわかるほど異常に発達した筋肉がごつい岩肌のように盛り上がっている。手にしているアサルトライフルが、おもちゃの銃のようだった。黒で統一した武装は部下たちと同じだが、スキンヘッドに剃られた頭にはヘルメットを被らず、モスグリーンのベレーだけを載せている。
サージェントがコンバットブーツで一歩踏み出すと、足元に散らばっていた注射器が濁った音を立てて砕ける。部下のアルハンブラへ先に行くよう顎で方向を示し、二人の傭兵は第二手術室跡から慎重に出て行った。
未来が窓から降り立った五階の部屋は、嘗て病室だったのだろう。広めの部屋に壊れたベッドが四つ並んでおり、砂埃で薄汚れ引きちぎられたカーテンの残骸が天井からぶら下がっている。天井や壁に穿たれた無数の穴は、未来が先刻投げ込んだ手榴弾の破片が食い込んだためだが、この部屋はもともと無人であったらしい。
未来は安全確保のために見張りから奪った手榴弾を窓から投げ入れ、ロープを使い屋上から侵入していた。
屋上に放置した見張りの遺体はまともに見ていない。自ら爆死した男は手榴弾で顔がつぶれ、射殺した男は内臓を破壊されている。どちらも二目と見られた姿ではないだろう。直視していたら吐き気を堪えられず、心までも折れる気がしていた。
未来が手早くロープを手繰り寄せてベルトにつけ、廊下の様子を確認し病室を出る。爆発音を立てた以上、速やかに居場所を変えなければならなかった。
墨を流したような暗闇が支配する廊下には物音一つせず、耳の痛くなるような静寂がある。未来はデザートイーグルを抜いて構え、特に膝下に注意を払い足を進めた。
廊下からカルテの散乱したナースステーションらしい大部屋を尻目にし、暗闇の中を滑っていく。二十畳程の広さがあるエレベーターホールに出たところで、未来の動きが不意に止まった。
「……やっぱり」
呟いた未来が足元から横に視線を送った。細いワイヤーが、足首の位置にまっすぐ渡してある。その先はホールの角に積み上げられたソファーの中に続いているが、ワイヤーを跨いで上から覗き込むと、その中に恐るべき罠が姿を晒しているのがわかった。
跳躍地雷だった。
対人地雷の中でも最も凶悪なもので、仕掛けのワイヤーに何かが引っかかると地雷本体が一メートル半の高さに跳躍、破裂して広範囲に鉄球や釘をばら撒く爆弾だ。一九九九年に対人地雷全面禁止条約にて生産と使用が禁止された非人道兵器で、サイボーグの未来でもこんなものを至近距離からまともに食らえば、身体の組織がずたずたにされることは必至だ。
これは条約で禁止されているとは言っても材料があれば簡単に自作できることから、今なお紛争地域のゲリラやテロリストが好んで使用するものの一つだった。
こういったものが、無数に仕掛けてあると見ていいだろう。罠の場所さえわかれば怖いものではないが、除去を試みるには危険過ぎる代物だ。
ワイヤーは細いため、暗視フィルターだけで発見するのは難しい。金属センサーのフィルターをオンにして再確認すると、ワイヤーが紫色の細い光となって浮き上がった。勿論金属全てを感知するセンサー故、ソファーの金具類も反応し光って見える。罠が仕掛けられているのは、建造物内部を移動する際に必ず通らねばならない階段や通路の出入口である確率が高い。
地雷を破壊できないのは歯がゆいが、こうして回避していくしか方法がなかった。
エレベーターホールの向こうにはまだ病室に続く廊下が伸びており、その一番奥に階段があるようだ。あちらにも罠が仕掛けられている可能性が高いし、敵が潜んでいる可能性もある。
どう行動するべきか、次第に考えがまとまらなくなってきた。
「万が一、万が一ですよ。もし一人だけで戦わなければならない場合は……」
作戦行動の講義中に咳払いをしたリューの声が、未来の脳裏を掠めた。
まずは自身の持つあらゆる探知能力を駆使して、敵の情報を収集する。
敵の情報を掴んだら、最も戦力が手薄な箇所を突いて攻撃する。
多対一の場合、数の優位性を発揮される前に可能な限り各個撃破を試みる。
「そっか、まずは……」
ホールの奥にあるエレベーターの前に立ち、聴力レベルを上げる。人間の呼吸音と似た音に意識を集中してフィルタリングするが、この五階に怪しい音源はないようだ。各階に人員を配置している様子がないことからすると、敵の人数もそう多くないと推測できる。
未来は今来た廊下を戻り、侵入してきた部屋の窓枠に再度ロープをかけた。壁を伝い、四階の窓の横へ滑り降りる。
片目だけで部屋を覗くと、やはり昔の病室であることがわかった。罠に繋がっているらしいワイヤーやセンサーがないことを確認し、音を立てないようにして窓枠に下りる。
割れたガラスが飛び散っている床に両足を下ろしてロープを手繰り寄せたとき、右から密やかな足音が接近してくるのを鼓膜が捉えた。忍び足のつもりだろうが、強化された聴覚に対しては通用しない。
コンバットブーツらしい二つの足音と、ベルトに下がった装備品がぶつかる微かな金属音。身体を動かす度にアサルトライフルから上がる、僅かな軋み。
それらは、廊下の突き当たり右にある階段から徐々に迫ってくる。足音の調子は一定で、こちらに気づいていないのかも知れない。
奇襲による先制攻撃で戦闘の主導権を握るべきと判断し、未来は右足のカイデックス製ホルスターからデザートイーグルを抜いた。
銃口を下に向けて構えてから踵を浮かせ、爪先に重心を移し距離を計る。
「三……二……一!」
未来は覚悟を決めるカウントを取り、窓際から廊下へ一気に跳んだ。
右足を踏み下ろしてブレーキをかけ、身体ごと右へ振り向く。
幅三メートルもない暗い廊下には壊れたステンレスのワゴンと破れたソファーが投げ出されており、その向こうに敵の影が浮かんでいる。やはり、黒一色の装備に身を固めた見張りと同じ武装の男たちだった。
こちらに向いたアサルトライフルの銃口が狙いを定めるよりも早く、デザートイーグルが無慈悲な銃弾を放つ。
爆音の塊が黒く淀んだ空気を震わせ、闇に連なる穴を穿つような発砲音が轟く。
敵のアサルトライフルが火を吹き、一刹那留まった未来の革ジャケットの袖を掠める。
未来の脚の筋肉が伸び、力強く床を蹴って反対側の病室に飛び込む。
その全てが瞬間のうちに起こっていた。飛び込んだ向かいの病室で再度ブレーキをかけた未来の視界は、一瞬前に男の一人が呻き声を上げて前のめりに倒れる姿を映していた。
袖を掠めた銃弾は下にあった未来の腕を傷つけていたが、痛みは問題にならないほど軽い。
すかさずドアがない病室出口の壁に身を寄せ、片目を出して相手の様子を窺う。
敵が連続でバースト発射したアサルトライフルの銃弾が弾幕を作り、耳障りな金属音と資材の煙を飛び散らせて壁をえぐった。暖色の火花が散り、一呼吸の間だけ眼前を照らす。
一度身を引いて弾を避けた未来が、今度は滑り込むような低い体勢で廊下に躍り出てデザートイーグルを撃った。
.50AE弾は、素早く跳んで後退する敵の頭上に逸れる。
未来が三角跳びの要領で壁を思い切り蹴りつけ、今度は身体を九十度回転させながら天井へと跳ぶ。
逆さまになって更に天井に脚をついてから、また廊下に降りる。
猫並みに三半規管が強化された、サイボーグならではの攪乱動作だ。その合間にもデザートイーグルを撃つが、激しい動きを伴うためこちらの弾も命中しない。
倒れた仲間の後ろに立つもう一人の男は、こちらを向いたままじりじりと後退しつつ弾幕を張り続けていた。硝煙の臭いが嘗て最も無縁であったろう病院の廊下に充満し、壁と言わず天井と言わず無数の穴を穿っていく。
しかし敵も動きながら撃っている故、標的である未来には命中しなかった。
五メートル程後退した男が、背中を向け奥の方に走り出す。
壁を駆け下り、床に膝をついて着地した未来は、まず倒れていた男の頭を撃った。万一死んでいなかったときの保険だ。
「逃がさないよ!」
舌打ちしてから、未来は呟いた。敵を殲滅しなければ翔子は救えないのだ。
立ち上がり、逃げる男の姿に猛然と追いすがる。
が、両者の距離が三メートル程度に縮まった時だった。未来の後方でごく小さく、不規則な金属音と衣擦れの音が上がった。
本能が察知した危険信号を脊髄に送り、それに応えた身体が横っ飛びに投げ出される。
同時に、後ろから雪崩のような発砲音と共にアサルトライフルの銃弾が浴びせられた。
うち一発が、未来の左脚を掠る。
痛みを気にしている暇はない。
狭い廊下の壁面を蹴りつけ、放置された金属ワゴンの向こうへ飛びこむ。間一髪で、第二撃の弾幕はワゴンが防いでくれた。
「挟み撃ちか!」
悪態をついた未来の眉間に皺が寄る。
後ろから撃ってきた敵は、足音から判断して二人。今いる廊下は全長五十メートルはあるだろうか。その両端に非常階段があったのだ。
最初の足音にのみ気を取られ、反対側に潜み忍び寄ってきていた敵に気づかなかった。初歩的にして致命的なミスだ。
うずくまっていた未来は膝が胸に触れるほどに足を曲げ、兎が跳ねる要領でワゴンを力一杯後ろに蹴り放った。重いステンレスの塊がジェットコースターのように、新たな敵二人を押し潰さん勢いで吹き飛ばされる。
彼らが不意を突かれて身を引く様を確かめる間もなく、未来が手近な病室へ身を投げ入れる。その背を貫き損ねたアサルトライフルの弾丸を放ったのは、未来にバディーの片割れを撃たれた男だ。
彼女が転がり込んだ病室の出入り口は一つだけだった。
廊下の両側からは、プロの傭兵と思われる武装した三人の男たちが迫ってくる。一瞬にして敵を全滅させるのは不可能だ。彼らが踏み込んでくれば、一秒とかからずに射殺されるだろう。
ここは四階で、無傷で飛び降りるには、ぎりぎりの高さだ。
どうする!
未来の目が細められる。
右脚のホルスターにデザートイーグルを突っ込み、意を決した黒い姿が窓ガラスに向かって躍った。
女がいるはずの病室から、ガラスが割れる甲高い音が響いてきた。銃弾から逃れるため、窓から外へ身を投げたのだろう。
窓の下はコンクリートの遊歩道になっている。そこへ四階の高さから落ちた場合、例え完璧に受身を取っても良くて骨折、悪くて死亡だ。
しかし、相手は普通の人間ではない。
用心を重ねるに越したことはなかった。
傭兵の一人であるアフダルは、油断なくアサルトライフルのトリガーに指を置いて病室入口脇の壁に身を寄せた。病室の中に人の気配はなく、何の音も聞こえてこない。
相棒であるアスワドがまさか女に撃たれて即死するとは思っていなかったが、アブヤドゥとブンニがうまく動いてくれたお陰で逆に彼女を追い詰められた。サージェントからは、相手を人間ではなく自分を超える殺人ロボットだと思え、と命令されている。
アブヤドゥとブンニが入口の反対側に、同じようにして身を寄せる。アフダルは彼らにハンドシグナルで合図を送り、低い姿勢から病室の中へ片目だけを覗かせた。
壊れて砂埃にまみれ、茶色くなった四つのベッドとぼろぼろに朽ちたカーテン。あらぬ場所に動かされ、横倒しにされた袖机。
唯一身を隠せるベッドの下に、女の姿はない。窓の内側にガラスの破片が少ないところを見ると、やはり窓の外へ身を躍らせたのだ。
訓練を積んだ軍人でも手に余るデザートイーグルを苦もなく片手で撃ち、獣並みの筋肉と神経を併せ持った恐ろしい女だ。一二メートルの高所から落ちても、怪我一つない可能性もある。
アフダルはアサルトライフルを構えたまま、素早く室内に滑り込んだ。窓際まで移動し、窓枠の下に膝をつく。ポーチから後方確認用の小さな鏡を取り出し、右手で窓の外に翳した。
鏡に映った地上の遊歩道に女の姿はないように思えるが、暗視スコープを通した光の像は不明瞭だった。一度肉眼で直接確認しなければならない。
鏡を戻して立ち上がり、まず銃口を外に出してから慎重に片目のみを下に向けて出す。
その後頭部が、やや下方の至近距離からデザートイーグルに撃ち抜かれた。




