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機械娘の心的外傷(トラウマ)~旧タイトル:SAMPLE  作者: 日吉 舞
亡霊とテロリスト
18/93

第18話

 中央道八王子インターチェンジから国道一六号線、八王子バイパスを経て片倉インターチェンジを降りると、道路脇以外の街灯は殆ど点灯していないようだった。

 未来の暗視フィルターがついた肉眼にはモダンで小奇麗な住宅がはっきりと見えているだけに、その暗さは異常であることがわかる。この先は恐らく対向車にも、歩行者にも出くわす可能性はないだろう。

 用心のため、未来はヘッドライトを消した。

この辺り一帯は八王子ニュータウンと呼ばれており、今から五十年程前の一九九〇年後半から、宅地開発された地区に大量の入居が始まって現在に至っている。都内商業地区に電車で一時間圏内にあり、広い庭とガレージのついた一戸建てが比較的安価で購入できることから人気があった地域だ。

 現在は少子高齢化が進んで住民が減ったため過疎化が急速に進行しつつあり、嘗ての賑わいはかけらもない。駅近くに出ればまだ店があり人も住んでいるのだろうが、最寄り駅から徒歩圏外であるこの北野台周辺は、放置された空き家が大半を占めていた。築四〇年が経過している家屋が多く、手入れがされていないものは倒壊の危険すらある。

以前は充分に隣家との間隔が取られ、ゆとりがある造りの邸宅が美しい街並みを作っていたであろう住宅街だった。が、皮肉なことにその大きく開いた空間は、国にすら見放され、捨てられたゴーストタウンの不気味さを煽るだけとなっている。

 未来のビートルは荒れ放題の庭や錆びだらけの門扉、落書きに汚された邸宅を抱えた廃墟の間をぬっていく。

 道路のアスファルトもかなり劣化が進んでいるようで、車体の揺れも激しくなってきた。たまに見える標識やミラーも破損しているものが多く、信号すら点灯しないところもしばしばだ。これでは、他の車はまともに走れないだろう。

 時刻が二十時半を回ろうとした頃、目的地のニュータウン総合病院跡まであと一キロの距離に迫った。

 一旦車を停め、辺りを見回す。すぐ先に、実家と同じく一階部分がシャッターの下りるガレージになっているタイプの家があった。ガレージに車が停まっていないことを確認し、ビートルを中に進ませてエンジンを止める。

 グロックのホルスターを掴み車外に降りた未来は、聴覚の感度を最大まで引き上げた。

 人間の五百倍の感度を持つ鼓膜に響くのは、風と動物の動く僅かな音。虫の鳴き声。

 それ以外に何も聞こえない。辺りには確実に人がいないのだ。

 一息ついてからビートルの後ろに回り、トランクを跳ね上げる。

 中にはリューから渡された、個人装備を詰めたジュラルミンのセーフティボックスが入っていた。側面のパネルに暗証番号を打ち込んで指紋センサーのディスプレイを開け、右手の親指を押し当ててロックを解除する。

 ケースの蓋を開けると、未来が愛用している銃であるデザートイーグルが入った木箱と予備のマガジンに弾丸、大型サバイバルナイフ、手榴弾、それらを身につけるためのベルトやポーチ、ホルスター、救急セットといった諸々の武器と装備品が一気に視界に入った。

 まず、弾薬を装填したマガジンを入るだけ、マガジンポーチに詰め込んだ。

 サスペンダーにナイフ、マガジンポーチ等の小物を取り付けてシャツの上からしっかり固定する。次にショルダーホルスターを身につけ、グロックにマガジンを装填しホルスターに収める。今度はベルトにカイデックス製レッグホルスターを通し、細いウエストに巻きつけてから太腿にホルスター本体を固定する。その上で、マガジンを装填しコッキングを済ませ、弾丸を一発多く詰めたデザートイーグルを差し入れた。

 更に肩まで伸びた髪をねじって黒い金属のクリップでまとめ、後頭部のメモリスロットに一番容量の大きいメモリを差し込んだ。黒い革のライダースジャケットを着込み、クッションパッドのついた革手袋をつける。

 こうした一連の戦闘準備動作を間違いなく流すことで、昂ぶっていた未来の神経も徐々に落ち着いていった。仕上げでバイク用防塵ゴーグルを装着し、ローファーをコンバットブーツに履き替え、革パンツの裾をブーツに押し込んだ。

 ガレージの外に出て、錆びて上がりきったシャッターに跳びついてぶら下がる。反動をつけて思い切りシャッターを地面に叩きつけると、その勢いに負けて悲鳴を上げた鉄の板が下りてきた。

 その際に勢いがつきすぎたらしく、シャッターの上三分の一は歪み、二度と上られなくなったようだ。

「まあ、車を隠すのには却って好都合か」

 未来はその様子を見て呟いてから、目的地である病院跡地の巨大な影に向かって走り出した。本気で走れば百メートルを三秒台で突破できる未来が目的地の確認ポイントまで要したのは、ほんの数秒だった。

「何とか間に合ったみたい……かな」

 携帯電話の時計表示によると指定の時間まではあと五分しかないが、リューに連絡を取るには充分な余裕だ。

 が、未来は携帯電話の時刻横に表示されている「圏外」の文字を見て絶句した。

 いくらここがゴーストタウン化しているからといって、他の住宅街も程近い場所なのにありえない。

 そこで頭に浮かんだのは、敵の仕業だということだった。

 迂闊だった。

 相手は恐らくプロだ。外部への連絡手段を真っ先に封じてくるのは、考えてみれば当然だった。携帯電話の電波を攪乱する装置くらい、今日日大型電器店で誰でも入手できるのだ。

リューへの連絡は、翔子の誘拐が判明した時点でするべきだった。

未来が鋭い舌打ちを漏らす。電波が通じるところまで、戻っている時間はない。

いよいよ、独りきりで戦う覚悟を決めるしかなかった。一気に緊張が背筋を走り抜け、革グローブをはめた両手に汗が滲む。口の中が乾き、一旦落ち着いた心臓も再度、狂った旋律を響かせていた。

「大丈夫、私はサイボーグなんだから。戦い方さえ間違えなければ……」

 普通の人間に負けるはずはない。

 自分自身に向かって囁きかけ、右手を左胸に当てて深呼吸する。

 乱れた呼吸が整ってくる。

 リューとの訓練前も、こんなふうに緊張する。似たような状況での訓練は、幾度となくこなしていたではないか。自信を持て、と自分を騙すように自己暗示をかけた。

 廃屋の陰に身を潜めた未来は、目的地の大きな影に視線を合わせてズームを絞った。

直線距離にして、三百メートルはあるだろうか。薄汚れたコンクリートの塊にしか見えない病院廃墟の外壁は、スプレー缶の落書きでけばけばしく彩られ、窓ガラスはほぼ全て割れていた。幽霊が出ると有名な心霊スポットであるだけに、夏は夜にここを訪れる若者も多かったのだろう。

一階部分は伸び放題の街路樹に覆われて、正面入口を除き外から見えなくなっている。しかし未来は暗視フィルターのお陰で真昼と同じように見通せており、地上階の窓際に人影がないことが確認できた。

だが、屋上は別だった。

こちらの位置が低いため詳しく判別はできないが、ヘルメットを被った人間の頭らしきものが張り出した縁に二つ見える。

恐らく見張りだろう。しゃがんでいる姿勢を数分毎に変えているのか、たまに揺れる程度で立ち上がってくる様子はない。

まだ、未来が側に来ていることに気づいていないようだ。

「ふうん……」

 彼女はリューが訓練や座学で言っていたことを反芻した。

 敵が守る建造物占拠に当たる場合、突入しやすく見える場所にはブービートラップが仕掛けてあると思って間違いない。また、可能であれば上層階から制圧していく方法が最適とのことだった。

 幸い、廃墟には街灯がない。この距離であれば、相手に発見されずに動くことは可能だろう。

 決断した未来は、一気に行動を起こす覚悟を決めた。

 黒ずくめの装備で身を固めた身体が陰から飛び出し、風となって邸宅の間を走り抜ける。距離は保ったまま病院入口を避けて裏側に回るようにし、素早く視線を巡らせて全ての角度から全体像を把握した。

 丁度建物の裏側に、建物が三階分まで張り出している箇所がある。

 暗視フィルターにサーモセンサーの画像を重ねても、窓際に熱反応はない。

デザートイーグルをレッグホルスターから抜いて右手に構え、安全装置に指をかける。

 病院裏側へまっすぐ伸びる道路へ出ると、全力疾走で建物三階部分へ突進した。

 十メートルほど手前で未来の細い肢体がアスファルトを蹴りつけ、しなやかな影が一二メートルの宙に躍った。そのまま民家の屋根を見下ろし、張り出した病院の三階屋根へ跳び下りる。今度はその硬いコンクリートを蹴り、病院屋上を眼下に見下ろす高さまで跳躍した。

 未来の開けた視野に、二十メートル四方はあるだろう屋上の全体が入った。

 その中ほどに、二人の男が捉えられる。コンクリートに響いた僅かな音で反射的に立ち上がっているが、予想外のことにそれ以上は身体が反応しないようだ。

躊躇っている暇はない。

未来の指が空中でデザートイーグルの安全装置を弾いて外し、一人に狙いを定めてトリガーを絞った。

 銃声と言うには大きすぎる爆音が轟き、屋上の朽ち果てた鉄柵を震わせた。.五〇アクション・エクスプレス弾に胴体を捕捉され、血と内臓を飛び散らせた男の一人がコンクリートに叩きつけられるように倒れこむ。

 その一瞬前にもう一人の男が、空中に突如躍り出た女へとアサルトライフルの銃口を向けていた。実戦で動物的な勘を積み上げた者ならではの反応速度だと言えよう。

 が、彼女はデザートイーグル発砲時の反動を利用して巧みに落下の方向をずらしており、三発連続でバースト発射された弾丸は見当違いの空間に撃ち込まれていた。

 乾いた銃声が影の支配する廃墟に四散し、静けさを破る。

 未来は身体を空中で回転させ、屋上の上にある給水塔タンクへ自身を足から激突させた。衝撃で金属タンクがひしゃげ、大穴が口を開ける。彼女は壊れたタンクの一部を左手で摘み、力任せに引きちぎってから屋上に身を投げ出して転がった。無論、その間ももう一人の敵から目を離さない。

 見張りの男は、受身で着地の衝撃を逃す未来にアサルトライフルの銃弾を浴びせ続けた。だが、動いている標的に弾丸を命中させるのは、訓練を積んだ者でも容易ではない。弾丸は全て屋上のコンクリートを穿つだけで、一発たりとも命中しなかった。

 未来が起き上がり、猛然と走り出す。

 人間の倍を上回る速度で動きフェイントを織り交ぜるサイボーグに、アサルトライフルの銃弾など当たるはずがない。

 未来が恐るべき速さで投げつけた金属タンク片が、空を切り裂く。

 殺意の刃と化した金属片は、男の胸に吸い込まれるように命中する。

 鋭い切っ先に左胸を貫かれた男が、声もなくその場に崩れる。

 一連の出来事が瞬きをするほんの僅かな間に起こり、給水塔の陰に飛び込んだ未来は、未だ自分のやったことの現実を掴みかねていた。

「私……やったの?」

 身を隠しながら見張りの二人が倒れていることを確認して、未来は立ち上がった。

 まだ相手が立ち上がってくるのではないか、という不安に逆らいながら、銃を手にゆっくりと倒れている人影に近寄る。

 デザートイーグルの餌食となった男は自身の血溜まりに沈んでおり、ぴくりとも動かない。即死状態だったのだろう。聴力レベルを上げても、心音と呼吸音は確認できなかった。

 一方、胸に金属片を受けた男はまだ息があった。傷は急所から外れているのだ。早く手当てすれば助かるかもしれない。

 未来はデザートイーグルを構えたまま、仰向けに倒れている男の方へ素早く駆け寄った。強烈な血の臭いが鼻につく。

体格が良い男の歳は三〇代前半くらいだろうか。無精髭だらけの東洋人だ。黒っぽい装備で全身を固めており、防弾ベストにヘルメット、顔にはゴーグルをつけている。ベストの上に未来と同じくサスペンダーとベルトで一通りの武器が下がっていて、腰からは予備の武器であろう拳銃がホルスターから覗いていた。

軍装というよりは、テロリストかゲリラに近い武装だ。

男の胸の傷から溢れる血は、ズボンまで濡らしている。

自分が負わせたむごたらしい怪我を目にして、未来の細い眉が辛そうにしかめられた。

更に近寄ると男の浅い呼吸と微かな呻き、肺の穴から漏れ出す空気の音がはっきりと聞き取れた。

アサルトライフルが傍らに転がっており、手には何も持っていない。未来が投げた金属タンク片が肋骨を砕き、肺を貫通したのだ。息をするだけで相当な苦痛を伴い、反撃する力も残っていないはずだ。

未来は男の上半身を跨いて立ち、拳銃を抜けないよう左足でホルスターを踏みつけた。

「質問に答えれば、命だけは助ける」

 デザートイーグルの銃口を男に突きつけ、威圧的な口調を意識し言い放つ。念のために英語でも同じ内容を繰り返した。男は何も答えない。

「人質はどこにいる?」

 聞こえるのは、男の荒い呼吸だけだ。未来は脅しのためトリガーに指をかけた。

「仲間は何人いる?親玉は何者だ?」

 そのとき、男の血で汚れた口が動いた。

「……死ね、雌犬が」

 嘲笑した男が、赤く染まった右手を返す。彼が握りしめていたのは、ベルトから外した手榴弾だった。

 驚いた未来が得物を奪う隙も見せず、素早く歯で安全ピンを抜き、レバーを離す。

 彼女は反射的に後方へ飛び退いて、再度給水タンクの陰に飛び込んだ。

 刹那、爆発音が響く。

 弾けた大量の金属片が叩きつけられてくる衝撃と人間が破裂する血の臭いは、遮蔽物越しであっても未来の神経を正面から刺激した。

 思わず、更に離れた別のタンクの陰に避難した未来が顔を歪めて悪態をつく。

「……くっそ!」

 彼女は唇を噛み締め、拳で壁を殴りつけたい衝動を必死で抑えた。

 捕虜の尋問など、当然やったことがない。相手の両手を自由にしておいたのが失敗だった。それに、命が助かる可能性があったのに相手が爆死を選ぶなど、考えもしなかった。

 プロの傭兵が戦闘不能になるほどの重傷を負った場合、自分の身元を消すと同時に相手の巻き添えを狙って手榴弾を使うことがあると聞いたことがあったのに、この様だった。

爆死した男はリーダーではないだろう。しかしメンバーの一人が覚悟を持っているのだから、全員が同じだと思って間違いはない。だとしたら、生け捕りにした相手から情報を得るのは不可能に近いし、下手に生かしておくのも危険極まりないことになる。

 敵を殲滅しなければ、翔子の救出は不可能なのだ。

 導き出された結果が、未来の心に重くのしかかろうとする。

 だが、やらなければやられる。

 人殺しは最もやりたくないことの一つであったが、だからと言って黙って殺されるわけにいかない。この極限状態で生きていたければ、非情に徹するしかない。

 優しさを忘れねばならない場所。人を殺しても、考えてはならない場所。

 それが戦場だった。


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