第16話
「本日午前一時頃、新宿中央公園付近で警報装置が鳴っているタクシーが路上に放置されているのを、通りがかった男性が発見しました。発見当時タクシーには誰も乗っていませんでしたが、メーターの料金より、新宿駅付近から乗客があったものと思われます。助手席の窓ガラスが割れており催涙弾とGPS妨害装置が使用された形跡があった一方、車内は荒らされておらず、売上金もそのまま残っていることが確認されています。新宿警察署では乗客が何らかの事件に巻き込まれたものと見て、事実関係の確認を……」
ラジオを聞き流していた未来の耳に、深夜事務所のすぐ近くで起こった事件のニュースが流れてきていた。あの辺りは夜だと特に物騒だが、このところはタクシーを使っていても安全ではないのだろうか。
そうかと思うと、とっぷりと日が暮れて街灯が灯り出した歩道を、ベビーカーを押した主婦がのんびり歩いているのが目に入ってくる。今走っているのは幹線道路でそれなりに車は多いが、殆どはやや値段が高い国産車か外車だ。その中に未来が運転するビートルも溶け込み、暖色のヘッドライトの群れが光の筋を描いていた。
一七時を回ると、住宅街の夕闇は迫り来るのが早く思えてくる。他の車に倣い、未来もヘッドライトのスイッチを入れた。
目的地は、ここ一ヶ月ほど帰っていなかった実家だ。
、新宿の自宅マンションを出てすぐに高所得者特別居住地区の境界線があり、実家はその内側である世田谷にあった。一般地区とは高さ七メートルほどのコンクリート壁で仕切られており、主要道路の要所に設置されている検問所では、武装した警官によるチェックが厳しく行われていた。
高所得者特別居住地区は渋谷区、港区、世田谷区、目黒区、杉並区で、基本的には住民かその家族、在勤者及び公共事業関係者しか入れない。また、銃器類を持ち込むには特別の許可も必要だった。未来などは大型の銃火器を複数所持しているため、実家に戻る際には軍から発行される特別許可証を常時身につけておく必要がある。
故にこの地区での犯罪発生率は極めて低く、殺人事件や発砲事件もここ数年はほとんど発生したことがない。
未来が今住んでいる新宿区は暴力沙汰など日常茶飯事だし、ちょっとしたいさかいで銃が使われることも珍しくない。また、所得が低い者、移民が圧倒的多数を占めているためか、街と同じく人の心も荒んでいる印象が拭えないのが特徴だった。
未来のシルバーのビートルが国道二四六号線を抜け、やや狭い道に滑り込んでいく。これ以降は狭い道が続くので、アクセルを踏む足を少し浮かせて速度を落とした。
主要道路から少し脇に逸れるとすぐ住宅街に入るが、大体の家は広めの庭つきのため、あまり家自体の姿が目立たない。夕暮れも遅い時間帯となった今は外を歩く住民の姿もまばらで、街全体がひっそりと休息の支度を整えているかのようだ。常にどこかで人が働いており、忙しなく、騒々しく、眠らない街が多い一般地区とはこれも大きな差であろう。
この特別居住地区は、塀の外側にいる者からすれば天国のような別天地だ。未来もこの地区で生まれ育ち、十代半ばまで外の世界とは無縁だった。
一般地区の大学へ進学を決めた時は、特に母からの反対が激しかったものだ。結果、殆ど飛び出すようにして一人暮らしを始めることになったが、そんな未来を密か応援してくれたのは父だ。
その父が三年前に離婚し出て行った実家には今、母しかいない。母も仕事を持って毎日外出はしているが、広い家に一人でいるのは寂しいのか、未来には度々連絡をよこしてくる。しかし、実家に行くのは気が重い仕事の一つだった。
娘としてはもう独立しているのだから、生活への介入は必要最低限にして欲しいと思っているが、母からはいつまで経っても子ども扱いのままだ。
今日も母からの余計なお節介に付き合わされるかと思うと、溜息しか出ない。自分は一人前に仕事を持って立派に生活しているつもりなのに、母はそもそも便利屋というものを職業だと認めていない節があった。それを何とかして納得してもらおうと努力はしているものの、実を結ぶのは果たしていつになるか予想もつかない。
未来は曲がりくねった道でハンドルを切りつつ、ヘッドライトが照らす先を見て運転を続けていた。古い型のビートルは小回りが効かないことで有名だが、このニュービートルは多少改善されており、慣れれば狭い道でも支障がない程度に動けるのが有り難い。ニュービートルは内装がベージュで落ち着いた感じで、女性に人気が高い車ではあっても、運転してみると結構男っぽい車であることがわかる。だから、小回りがきちんと効くのは意外と言えば意外な印象だった。
とは言え、実家のガレージもあまり大きくないため車庫入れも以前は苦労した。
「でも、父さんの車がなくなった分だけ広くはなってるからいいか……」
呟いて、未来はビートルを道の端に停めた。手を伸ばしてダッシュボードを開け、ガレージのリモコンを取り出してスイッチを押し、再度ダッシュボードに放り込む。
すぐ後ろにある民家の一階部分のシャッターが軋んだ金属音と共に上がっていくのに合わせ、ギアをバックに切り替えた。そのまま、車二台分のガレージにゆっくりとビートルを進ませる。暗いガレージに入庫を完了してかえあ携帯電話とリモコンをつまみ上げ、愛車から降りた。
ドアとガレージのロックもそこそこに、道から実家を見上げてみる。
未来の実家は高所得者特別居住地区では珍しくない、庭とガレージつきの4LDKだ。斜面を背にしているので、道路に面した一階部分がガレージ、その上が庭と家というつくりになっていた。家は赤レンガで作られた暖かい印象の建物で、一階リビングの窓を覆った遮光カーテンの隙間から明かりが漏れており、母がいることがわかる。肉料理らしい香りが漂っているのは、夕食の準備をしてくれているからだろう。
小さく息をつき、ガレージの隣に設けられた門扉に開いているカードのスロットに住民IDカードを通す。スロットに並んだ青いLEDが点灯すると、かちりと音がして鍵が開いた。
「うわ!」
門扉を押し開け、庭に続く石段を上がった未来の前に、四本足の何かが立ち塞がった。低い位置で眼が赤く光り、警告の合成音が発される。
「武器を所持しています。許可証を提示してください。許可証がない場合は敷地内から一分以内に立ち去りなさい。警告を無視した場合は通報します。繰り返します……」
セントバーナードくらいの大きさがある、犬を模した警備ロボットだ。目に内蔵されたLEDが点滅して合成音の警告を流し、沈みこんだ威嚇の姿勢を取っている。前に実家に来た時はこんなロボットはいなかっただけに、未来は一瞬慌てた。
「ああ、はいはい!これが許可証」
急いで黒い革パンツのポケットから軍の大型銃器携帯許可証を引っ張り出し、センサーがあると思しき犬ロボットの顔に翳す。
カード型の許可証に内蔵されたチップからコードが読み取られると、ロボットは警告を止めて大人しくなった。同時に家族であることも認識されたのか、くぅん、とやはり合成音で鳴いて尻尾を振る芸の細かさだ。
「もう、びっくりさせないでよ」
苦笑して、ロボット犬の頭を撫でてやる。見た目は鈍く光る金属部品がむき出しでごつい印象だが、性格は主人に対して極めて忠実に設定されているようだ。
お座りして甘えるロボット犬を後にして玄関のロックを解除し家に上がると、母がリビングで待っていた。未来がまだ苦笑したまま、凝ったアンティークのダイニングに携帯電話を置く。
「どうしたの、未来ちゃん。庭で何か騒いでたみたいだけど」
「ロボット犬がいるんだったら、先に言ってよ。驚いたじゃない」
言いながら、未来は自分とあまり似た印象のない母の顔を見た。
母は白髪が目立ってきていたが、美容院に通って染めており、濃い茶色に見える短い髪をパーマでまとめいる。背筋をきちんと伸ばしてはきはきと喋る姿は、四八歳よりもずっと若く見えた。外語大学で英語の講師をしていて、人並以上に外見にも気を使うせいもあるのだろう。身長は未来よりも小柄だが、存在感がある女性だと言えた。
「ああ、あの子はまだ今月うちに来たばっかりなのよ。でも、家族には反応しないようにセットしてあるのに、おかしいわね……未来ちゃん、またそんなもの持ってきてるの?」
「……あ」
眉間に皺を寄せた母に咎められるまで、未来はシャツの上につけたショルダーホルスターの存在をすっかり失念していた。弾は込めていないものの、予備の銃であるグロック17が収められたままになっていたのだ。外出時は上にジャケットを着込んでいるので、うっかりしていた。
「ごめん、つい癖で。すぐ車の中に置いてくるから」
「自分の家に戻るときくらい、そんな恐ろしいものは置いてきなさいって何度も言ってるでしょう。お母さん、銃なんか見たくないわよ」
「わかってるよ、だからごめんって言ってるじゃん」
グロックをショルダーホルスターごと外しながら玄関に向かう未来は、半ば言い捨てるようにリビングに声を残した。ぐずぐずしていると母の機嫌を損ない、後々面倒な事態になりかねない。
未来は急いでガレージに戻って車にホルスターを放り込み、車とガレージをロックし直してまたリビングへと駆け戻った。
再びリビングまで来ると、母は先のことはもう忘れたかのように夕食の準備を続けているようだった。隣り合ったキッチンからは、にんにくと牛肉をソテーする香ばしい香りが流れてきている。
「普段はろくなもの食べてないんでしょう?たまにはいいお肉も食べなきゃ駄目よ」
と、モカブラウンのシンプルなニットとベージュのパンツにエプロンをつけた姿の母がステーキの皿を持ってリビングに入ってきた。
特別区域内で販売されている食品は一般区域のそれよりも割高だが自然食品が基本で、遺伝子組み換え食品や添加物が入ったものは少ない。それだけに味がいいものが多く、実家に戻るのを面倒がっている未来でも、食事を振舞ってもらえるのは有り難かった。
ステーキの他に和風ドレッシングのグリーンサラダとミネストローネスープ、ベークドポテトも用意され、未来がテーブルに並べるのを手伝っていく。豪華ではないが上品なダイニングの明かりの下、白い陶器の食器に盛られた美味しそうな夕食がテーブルに並べられた。
これに母の仕事の愚痴が入らず静かに食事できるのであれば、それが一番よいのだが。
「未来ちゃん、今はセラフィムの関連企業と仕事してるの?」
「え、知ってるの?」
「だってそのストラップ、セラフィムのエンブレムがついてるじゃないの」
夕食の途中、母が傍らに置いてある未来の青い携帯電話を指し示した。彼女が言う通り、それには羽根を意匠化したセラフィムコンツェルンのマークが入ったメダルと、モスグリーンにゴールドのラインが入ったストラップがつけられている。
これはグループ会社の社員にしか支給されないものだ。AWPのメインであるケルビムだけでなく、パワーズやヴァーチュズといったセラフィムコンツェルン傘下の社員も皆持っているもので、さほど珍しくはないはずだ。
「……うん。グループ会社の人からもらったんだよ。でもお母さん、よくわかったね」
食べていたヒレステーキの味がわからなくなりそうだったが、変に隠すのも怪しまれるだろう。未来はさらりと答えた。
「そりゃ、お母さんだって昔は関係者だったもの。マークくらい覚えてるわよ」
「関係者って?」
「あら、覚えてない?もう一〇年近く前だけど、セラフィムの社長秘書だったことがあるのよ」
未来は言われて初めて、母がセラフィムコンツェルンの持株会社である総合商社、セラフィムの社長秘書を数年間勤めていたことを思い出した。
「でも、その頃は会社全体で気味が悪い事業をやってたようよ。世間に出ることはなかったみたいだけど。何でも、軍から希望者を募って身体を改造するとかって言ってたわね。社長もどうして、あんな事業をこそこそやってたのかしら」
未来の銀製のナイフとフォークを持った手が止まり、がちゃんと音を立てて皿にぶつかった。
「何……それ?」
「どうも、SF映画でやってるような……サイボーグ?あれを実際に作ってたらしいわよ。確かプロジェクト名はAWPかしら。Advanced Woriar Projectの略ね」
耳を疑うような、母からの言葉だった。
未来が改造手術を受けるずっと以前、十年も前から既にサイボーグが存在していたという話は聞いたことがない。手術前に、生沢医師は改造用パーツがまだ人間に使われたことがないと確かに言っていた。自分がこの国で初の実験体ではなかったのか。
「……で、そのサイボーグって……軍からの希望者で実験してたんでしょ。じゃあ、今も軍にサイボーグの人がいるってことなの?」
未来がやや、言葉に詰まりながら問いかける。自分の話に興味を持った娘に気をよくしたらしい母は、得意気に見える表情で話を繋いだ。
「それが、最終的には破棄されたらしいのよ」
「破棄?」
「作られたサイボーグは失敗作だったらしいわ。お母さんも詳しいことはよく知らないけど、社長がその頃に話してくれてね。出来損ないの人間がいて、気が狂ってしまったって言ってたのよ。そのせいで、処分されたとかされないとか」
「処分って……殺された、ってこと」
「そうでしょうね。そんな化物が、この世に野放しになる前に消えて良かったわよ」
愕然として呟いた未来に、母が頷いた。
「でも進んでそんな化物になりたがるなんて、正気の沙汰じゃないわよねえ。お母さんもその話を聞いたときはぞっとしたけど、今もその事業が続いてるんだとしたら、それこそ怪物を作り出す仕事に他ならないわけね」
未来は俯いたまま答えないが、饒舌になっている母は気づかない。
「確か、人間を遥かに凌ぐ戦闘能力を持つ化物を作り出すって言ってたわよ……本当に恐ろしい。どうして、自分から人間をやめてしまうのか。お母さんにはとても理解できないけど、そういう神経だから化物になろうと考えるのかしらね」
「お母さん……」
未来がゆっくりと顔を上げると、掠れた声が漏れた。
「そうそう、思い出した。その化物は、処分される前に同僚を何人も殺したそうよ」
「お母さんったら!」
きっと母を見据える未来の眼は、静かな怒りを湛えていた。
「そんなふうに化物化物って、人づてで聞いた話でしかないんでしょ。それで決めつけるのはどうかと思うよ」
「でも、人を何人も殺してるのよ。狂った犯罪者だということじゃないの」
「その人だって、最初はまともな人間だったんでしょ。狂ったんなら、その理由があるはずだよ。その人はセラフィムに人生を狂わされた被害者かも知れないのに、化物って決めつけていいの?」
「……そう、貴女は犯罪者の肩を持つの」
語調も荒く反論してきた娘の言葉に耳を貸すことなく、母は冷たく言い放った。
「どこかで育て方を間違えたのかしらね。お母さん、未来ちゃんはもっと正しくものがわかる子だと思ってたんだけど」
「正しくものがわかってないのは、お母さんのほうじゃない!」
「未来!その言い方は何なの!」
未来の静かな怒りはたちまち激しいものに沸騰した。銀食器をテーブルに叩きつけて立ち上がると、皿が高い音を立てる。母も娘を怒鳴りつけて、勢い良く椅子から立った。
母はいつもこうだ。こちらの意見には聞く耳を持たず、自分の思ったことだけを述べて相手の考えに歩み寄ろうという姿勢を見せたことがない。彼女に逆らおうものなら、最後はいつも怒鳴り合いの喧嘩になってしまう。
「自分の考えを言葉にして相手に伝えるのが、怒られなきゃいけないことなの?」
「親を馬鹿にするようなこと言うからでしょう!そんな子に育てた覚えはありませんよ」
「私だって、こんな風に育ちたくて育ったんじゃないよ!」
「いい加減にしなさい!だいたい貴女がそんな野蛮な仕事なんかしてるから、相手に対していつでも喧嘩口調になるんじゃないの。昔はあんなに大人しい、いい子だったのに」
「生憎、私はいつまでも子どもじゃないんだよ。夕食美味しかった、ご馳走様」
これ以上言い争っても無駄だった。こちらの気分が悪くなるだけと判断した未来は、何とか大声を抑えて締め括ろうとする。母に対して謝らないのは、ささやかな抵抗だ。
立ち上がっていたついでに、ほぼ食事が終わっていた皿をそのまま下げ始める。母も一緒に食器を片付け始めたが、終始無言だった。
「今日は泊まっていきなさいよ」
まだ不機嫌そうに母が話しかけてきたが、未来は聞こえなかったふりをした。最後の皿をキッチンに運んでから、ダイニングに置いてあった携帯電話をレザーパンツのポケットに突っ込み、二階にある自分の部屋に上がる。
母もそれ以上は追及してくる様子はない。




