表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
機械娘の心的外傷(トラウマ)~旧タイトル:SAMPLE  作者: 日吉 舞
亡霊とテロリスト
14/93

第14話

 翔子は仕事の合間の息抜きに、オフィスにいる熱帯魚の餌やりと観葉植物の水やりをすることにしていた。

 このオフィスは、セキュリティに最大限に気を使っていて殺風景だ。それでは落ち着かないから、と所長が自腹で購入したものだという。

 彼らの世話は、いつの間にか事務担当の翔子の仕事になっていた。オフィスは古い雑居ビルの三階にあるが、窓は天井近くに換気兼採光用のものがあるだけで、外の様子は全く見えないようになっている。更にこのガラスと外壁は防弾加工という念の入れようだ。それも人から恨みを買いやすい業種であることを考えれば、あながち大袈裟だとは言えなかった。

 だから、熱帯魚や植物の世話は仕事でなく楽しみだ。くすんだ白い壁の前に彼等は置かれており、それだけでも十分仕事に疲れた人間の眼を休めるのに役立ってくれていた。

「こいつらの種類って、何だっけ?」

 翔子が粉末状の餌を水槽に撒いていると、隣のシュレッダーを使いに来た男性スタッフが話しかけてきた。

「グッピーとネオンテトラですよぉ。アショークさんも覚えてくださいってば」

「熱帯魚って、変な名前が多いだろ?覚える気になれなくてね」

 男性はインドからの移民で、アショークは愛称だ。流暢な日本語は生粋の日本人と間違えるほどだが、彫りが深い顔と浅黒い肌、細身の身体はいかにもインド人らしい。

「でも、可愛いんですよ。私が水槽の側まで来ると、一斉におねだりしに来て」

「まあ魚だけに、本能には忠実ってことかねぇ」

 アショークは翔子の横から水槽を覗き込み、今度は小柄な彼女の顔を正面から見つめた。

「ところで俺も本能に忠実に、ディナーを君と一緒に取ろうかと思うんだけど。いい?」

「こら!」

 と、そこでアショークの短い黒髪に包まれた頭を、紙の束が音を立てて殴っていった。

「あ、所長!お帰りなさい」

「アショークは残念そうだけどね。ただいま戻ったよ」

「……本当に残念です」

 アショークの後ろ頭を郵便物の束ではたいたのは未来だった。嬉しそうな笑顔の翔子と恨めしそうにしているインド人のスタッフを交互に眺め、未来はあまり真剣でない口調でたしなめる。

「あんたね、翔子ちゃんはいい加減に諦めれば?口説くんなら、せめて業務時間外にしてよ」

「所長の留守を預かってた副所長の俺に、いきなりそりゃないでしょう。発言はもうちょっと配慮してくださいよ」

「ああ、そうだっけ。留守番ありがとう。んじゃ、翔子ちゃんはもう彼氏持ちってことで」

「あれ?それでもこの前、合コンに行ったって聞いたような」

「翔子ちゃんはモテるの。口説いてる本人なんだから、わかるでしょ。これ、今日の分」

「もう!せんぱ……所長、私のことでそんなに盛り上がらないで下さい!」

 受付ロボットが危険物チェックを済ませた郵便物の束をアショークに放る未来に、翔子は顔を赤くして怒っていた。

「ごめんごめん。私がセクハラしてちゃ、話になんないよね。お詫びに夕食奢るから」

「それは素直にご馳走になりますけど……私、本当にモテないんですから」

 まだ憮然として、翔子は鉢植えの隣に置いてあった如雨露を取り上げた。

 事務を担当している鈴木翔子は、未来の学生時代の後輩だった。未来よりも小柄で幼い印象があり、少しぽっちゃりとしている。性格は未来と正反対で、男が放っておかないタイプの柔らかさ、明るさがあった。が、彼女は早くに両親を亡くし、知り合った頃は既に天涯孤独の身という十字架を背負っていた。

 未来が二年で大学を中退しこの便利屋事務所「オフィス・ユースフル」を開いた直後に、翔子が学費を払えず途方に暮れていることを知った。そこで彼女を事務担当として迎えたのだ。

 実に翔子はよくやってくれていた。

 やや頼りなげな外見から当初は不安だったが、荒っぽい電話の問い合わせも持ち前の性格で見事に流し、経理面でも妥協しない。特に何があっても明るさを捨てない芯の強さは、時として見習わねばならないものがある。どんな時でもオフィスの雰囲気を明るくするお洒落な服とメイクを欠かさない点は、未来では全く敵わないだろう。

 未来が一番奥にある自席に座り、郵便物を開けているアショークに声をかける。

「他のみんなは?単独で何か受け持ってるの?」

「いえ、みんな引越しで駆り出されてますよ。四人家族で、荷物が多いみたいだから」

「ふーん、事業に失敗でもしたのかな」

「俺は昨日遅くまで揉め事の立会いに行ってたんで、さっき出勤してきたとこです。例のストーカーの」

「ああ。依頼人を風俗嬢と勘違いして、つきまとってたって言うあれ?」

「相手の男に念書を書かせるところまでは行きましたよ。これ以上手に負えなければ荒っぽく警告、それでもダメなら証拠を持って警察行きです」

 様々な法律が改正されたお陰で、このユースフルのような民間の調査会社でも、状況によってはある程度の武装と強権行使が許可されている。オフィスの奥には頑丈なセキュリティロッカーが設置されていて、その中には人数分のハンドガンとライフルが一丁、スタンガン、特殊警棒や閃光弾も保管されていた。今回アショークが担当した依頼も、場合によっては相手を脅すためにこれらを携帯することもあるだろう。

 ただしユースフルは国から正式な許可を出されている以上、違法行為には一切手を貸さないという方針がある。なるべく銃火器は使わないに越したことはなかった。

 未来が後ろの壁にかかっている文字盤がカラフルな時計を見ると、一〇時半を回ったところだった。ついでにオフィスの中を、所長席から見渡してみる。

 アイボリーの一般的なオフィス用デスクが七つあり、うち四つは今出かけているスタッフのものだ。それぞれに個人用の小型端末が備えつけられ、ネットワーク接続されてドメインに参加している。

 向かって右手奥には玄関ホール入口、手前が応接室入口。正面が給湯室。左が仮眠室の入り口だ。玄関の自動ドアは外から入るのには虹彩認証が必要で、出てすぐの狭いホールには受付用ロボットが控えていた。

 そして給湯室では、汎用型雑用ロボットのHARがお茶の準備をしてくれている。

 仮眠室の入口横に置かれた熱帯魚の水槽も、観葉植物の鉢も、昨日と変わらない。とりあえず、大きな異常はなかった様子だ。

「所長、留守中に来た新規の依頼をチェックして欲しいんですけど」

 そこへ植物と熱帯魚の世話を終えた翔子が戻ってきて、プリントしたメールの束を渡す。未来は頷いて受け取り、内容に目を通した。

 凄まじく汚い部屋の掃除、妻の不倫調査、引きこもりの息子を部屋から追い出す、いなくなった犬の捜索、ボディガードとバラエティに富んでいる。

「そのボディガードの依頼元、有名なアイドル歌手がたくさんいるプロダクションの社長さんからなんですよ」

 メールをチェックする未来の様子を見ていた翔子の声が、嬉しそうに弾む。

 内容をよく見てみると、ある女性ヴォーカリストの身辺警護を一ヶ月程度やって欲しい、との内容だ。金額も本文中に標準の数倍の提示されているが、必ず女性が警護チームにいることが条件としてあった。

「このボディガードはダメだね。他の依頼はスケジュール次第かな。みんなが帰ってきてちょっと休憩したら、ミーティングにしようか。予定確認して、一時受付のメールだけ出しといてね」

 メールの束を返すと、ぱっちりした目が可愛らしい翔子の顔がふくれっ面になった。

「えー?これ、条件もすごくいいのに断るんですか?それに名前はまだわかりませんけど、多分アイドルにも会えるし、この前来た関係者の方もいい感じだったし……」

「条件に女性がいること、ってあるでしょ?私が暫く現場に出られなくなりそうだから」

「え?」

「所長、具合でも悪いんですか?」

 翔子の表情が曇り、アショークが顔を上げる。

「そうじゃないんだけど……ちょっと個人的な厄介事に巻き込まれちゃって。他の人が一緒にいたら、却って危ないかも知れないから。翔子ちゃんは現場担当者じゃないし、私の代理は無理だからさ。丁寧に断っといてくれるかな」

「わかりました」

 残念そうに、翔子が未来からメールのプリントを受け取る。彼女と入れ替わりにHARが来て、デスクにコーヒーを置いてくれた。

「ありがと」

「どういたしまして」

 未来のお礼に反応してHARが合成音で淀みなく返答し、そのままアショークの机に紅茶を置きに行った。HARには個人の好みも設定してあるので、一番好きな飲み物を用意してくれる。久しぶりに自分のマグカップでコーヒーを飲むと、ようやく気分が落ち着いた。

 恐らくないとは思うが用心して、このオフィスがC-SOL狙撃事件の犯人に狙われた場合のことも考えておかねばならないだろう。壁と窓は防弾仕様だからそう簡単には壊れないだろうが、爆弾を送りつけられたり、投げ込まれてきた場合はどうしようもない。

 夜は旧型の警備ロボットが入口を守るとしても、あくまで対人用のもののため、それ以外に対してはあまり効果がなかった。郵便物や宅配便で危険物を送られた場合は、受付ロボットが不審物として受け取らないため阻止はできるが、問題は人間が直に爆発物を持ち込む場合だった。

「所長……本当に大丈夫ですか?」

 考えに耽っていた未来は、翔子がマグカップの横に焼き菓子を置いてくれていたことにも気づいていなかった。慌てて顔を上げて、顔の前で硬く組んでいた両手をほどく。

「あ、ああ。ありがとう」

「何か心配事でもあるんですか?」

「この仕事じゃ、心配事は山ほどあるって。大丈夫だから、仕事に戻ってて」

「……はい。ミーティングは三時からにしましたから」

 まだ心配そうに未来の顔を覗き込んでいた翔子が頷き、自席へと戻っていく。

 このオフィス、スタッフも相手の狙いに入っている可能性も捨て切れない。それをどう皆に言うべきなのか。今現場に行っているメンバーが戻ってくるまで、本当に悩みの種は尽きなかった。



 ミーティングはユースフルの全員が参加できるよう、別室でなく所長である未来のデスクにそれぞれが椅子を持って来る形式で行っていた。そうすれば会議中であっても、電話番の翔子が対応できるのだ。

「……以上が来週までの大まかなスケジュール。私が暫く現場に出られないから、みんなの負担が大きくなって悪いけど、頼むね。代わりに書類作成とかは、全部引き受けるから」

 未来が全ての顔が揃っているメンバーを見渡した。

 現場担当サブチーフの香港系、レオン。

 同じく現場担当サブチーフのロシア人、フェージャ。

 現場担当のブラジル人、ジエゴ。

 もう一人の現場担当で台湾系、ドゥンカイ。

 そして現場担当チーフ兼副所長、インド人のアショークと事務担当の翔子。

 未来と翔子以外は全員外国人男性で、ラフな動き易いスタイルの私服だ。

「馬鹿力の所長が荒っぽい現場に出られないのは残念ですが」

 レオンが手元でメモを取り終え、籠もった独特の声で言いつつ顔を上げた。

「できれば、理由を聞かせてもらえませんか?」

「今説明しようと思ってたところだよ」

 苦笑した未来がデスクの引き出しから六枚のカードを取り出し、各自に配る。

「これ、みんなの分の武器携帯許可証。今日ここから出るときに、セキュリティロッカーの銃と一緒に持って帰ってもらえる?」

「……いきなりどうしたんです?」

 男性陣の中で一番若いジエゴが訝しげに、自分の写真が入った許可証を眺めた。

「この事務所を開いてすぐの頃に、私個人が受けた依頼に絡んだ話が最近あって。それでちょっと関係者がもめて、私にまでとばっちりが来てる状況なんだよ」

「依頼人は誰だったんですか?」

「軍の関係者とだけ言っておくよ」

 声を潜めるフェージャに問われた未来の返答に、全員が顔を見合わせた。

「昨日は銃で狙われてね、だから用心してこっちに戻らなかったの。ただ、相手の正体がまだはっきりわかってなくて」

「だから、武装して万一に備えろってことなんですか。まあ、いつも荒っぽいことばかりしてますからね、私たちは。許可証があるんなら、銃を持つのは構いませんよ」

「みんなを巻き込んじゃって、本当に申し訳ないと思ってるんだ。こんなものはなるべく使わないに越したことはないんだけど、命の危険を感じた場合は仕方ないから」

 ドゥンカイが未来に視線を向け、彼女は合わせて頷いた。

「そういう理由なら仕方ないですかね……俺はまだ銃を持ったことないけど」

 ジエゴは相変わらず許可証をしげしげと眺めている。

「私が許可を出すまでは全員、非常階段から帰宅すること。それから、もし発砲するような事態に至った場合は何時でも構わないから、すぐに私に連絡して。銃の扱い方がわからなければ、そこの射撃場で講習もやってるから。各自それを受講して、受講証明書と受講料の領収書を持ってきてね」

「了解。不審者や配送物におかしな物がないか、普段以上に気をつけますよ。窓も閉めたままにしましょう。何なら、客もホールで爆発物チェックをするようにしますか」

 いつも慎重論を唱えるフェージャは、ここを守ることに関しても敏感なようだった。

「そうしてくれると有り難いよ。じゃあ、解散」

 一時間程度かかったミーティングは未来の言葉で締めくくられた。メンバーが立ち上がり、それぞれが椅子を押して自席へ戻っていく。この後は引き続き現場に行く者、書類作成やメール対応を続ける者と、普通の民間会社のオフィスと変わらない風景に移る。

 銃器携帯の件についてところどころ嘘はついているが、何とか丸く収められたことで、未来の不安は多少和らげることができた。メンバーが武装してくれていれば、最悪の事態を免れる確率は多少上がる。

「あの、所長。私も銃を持たないといけないんですか?」

「……できれば。誰かいつも側にいられればいいけど、そういうわけにもいかないし」

 やや遠慮がちに未来のデスクに近寄ったのは、翔子だった。考えてみれば、オフィスの中で一番武器が似合わないのが彼女なのだ。

「済みません、私がもっと強ければ、所長を守れるのに」

「え?そんなこと頼もうと思ってないよ。そんな風に考えなくていいから。銃はまだ持ったことがないんだよね?今日の仕事が終わったら、私が射撃を一通り教えようか?」

「……はい。ありがとうございます」

 何故か翔子は申し訳なさそうにして、一礼してからデスクに戻っていった。

 現在時刻は四時十分。

 翔子を近場の射撃場に連れて行くなら、昨日の間にたまった仕事を急いで片付けなければならない時間だ。メールの返信に書類の確認、メンバー全員の業務進捗チェック。機械的に印鑑を押すだけの単純作業はHARに任せられるが、その他の作業を考えるだけで未来はめまいを起こしそうな気分になる。

 デスクワークが多くなるのは仕方ないが、今回の騒ぎを早く収め現場に戻りたいのが本音だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ