第13話
銀色の小さなコンテナを背負ったトラックが、C-SOLのAWP棟地下ガレージに入ってきた。
ケルビムの社内便用トラックは、車体に何も文字が入っていない中型のトレーラーだ。中身は書類と危険物ではないもののみとなっており、毎日大体定刻に都内の各事業所を回っているが、その運転席に当たる座席に人間の姿はない。
労働力が慢性的に不足している今日では、このような定期便等に使用される車両には大概自動運転システムが組み込まれているのが常だ。車両が目的地に到着するとシステムから到着の信号が送信され、専用の受信端末で検知して人間が荷下ろしを行うようになっている。この荷下ろし作業は仕分けなどがあるため、この部分はまだまだ人間の手を必要とする作業であった。
「まあ、いくら自動運転システムとは言っても……人間を後ろに乗せてるときは静かに運転する、なんてプログラミングされてるわけないよね」
社内便用トラックのコンテナ側面についている引き戸を開け、未来が溜息をついた。コンテナの内側に首を伸ばして様子を確認する。ダンボール臭が漂う中は作業用の電灯と覗き窓、防塵フィルターがついた通風孔と最低限の空調設備しかない。車に弱い者が荷台に乗ったら、ものの十分と経たないうちに気分が悪くなりそうな環境だ。
「お前は三半規管が強化されてて車酔いしないんだから、まだいいだろ。ローダーはもう手配しておいたから、車は今日中に事務所の近くの駐車場に届くからな」
「ありがと、生沢先生」
ガレージに未来を見送りに来た生沢が、奥のほうに停めてある彼女の車を右手の親指で指した。未来の愛車はドイツ車で、フォルクス・ワーゲンのニュービートル復刻版だ。かなり昔からある型が古い車だが、丸っこくて愛嬌があるデザインに根強い人気があり、幾度もマイナーチェンジを繰り返して生産され続けている車である。
本格的な戦闘訓練の実施直前から未来個人と彼女の事務所に対し、ケルビムより補助金が支払われている。この車も、その一部を使って購入したものだ。
「このガレージだったら、車が砂まみれにはならないもんね。私のビートルはシルバーだから、もともと汚れがそんなに目立たないけど」
「杉田の車なんかは黒だからな、雨が降るとあいつはいつも汚れを気にしてる。まあ、女の趣味と同じで手がかかるところが好きなんだろうが」
「……ああ、車と女の趣味は一緒ってこと?杉田先生、世話好きそうだもんね。あれ、でも杉田先生って彼女いるんだったっけ?」
「いや。前に、彼女いない暦と年齢が同じだって言ってたと思ったが」
「へー、意外。杉田先生、お姉様っぽい女の人にモテそうなのに」
杉田がこの場にいないのをいいことに、生沢も未来も遠慮がない。杉田はと言えば、硝煙の臭いをぷんぷんさせて研究室に出勤したところを生沢に罵倒され、寝惚け眼で身支度を整え直しに行っているところだった。
AWPメンバーへの発砲事件から明けて一夜の朝。未来は大月が指示した通り、ケルビムの自社便トラックの荷台に便乗して事務所に戻ることにしていた。
未来と生沢が軽口を叩き合っている横では、セラフィムグループの一企業であるドミニオンズが開発した荷捌きロボットの試作品二台が、慌しく動き回っている。
荷捌き用ロボットは、一見すると倉庫でダンボールの上げ下ろしをする車から運転席を取り払ったような形状だ。作業用アームは合計四本で、うち下部に取り付けられた二本は荷の上げ下ろし専用となっている。もう二本のアームはその上にあり、それぞれ異なったセンサーが先端に内蔵されていた。
片方は荷物に貼りつけられたバーコードを読み取り、もう片方で同時に荷物の形状や温度も測定できるのだ。一緒に置けない荷物も、このときに自動で判別してくれる。大きく重いものは下に、軽く小さいものは上に積むという気の利いた作業もできる、なかなかに頭がいいロボットである。
彼等がてきぱきと仕事をこなす様子を眺めつつ、未来たちは雑談を続けていた。
「ふうん。杉田先生が女の人苦手って、私は初めて聞いたけど」
「特に大月みたいな女王様系は一番ダメだそうだ。側に行くだけで緊張するんだと」
「あれ、でも杉田先生は私には普通に接してくれてるよ?」
「そりゃあ、杉田がお前を患者として見てるからだろ。それにほら、お前にはあんまり女を感じないしな」
「……すいませんね、男勝りで」
「それだって悪いことじゃない。人間、自然体でいられるのが一番だ」
生沢が大きな掌で未来の頭をぽん、と軽く叩いた。
「自然体、ねぇ……」
生沢の言葉に、未来はやや目を伏せた。
「どうかしたか?」
「んー、別に。生沢先生は、今日ここから出るの?」
「俺は暫くここに泊まるか。どうせ、家に帰っても誰もいないことだし。留守の間の部屋掃除くらい、HARがやるだろうしな」
「ラボの中は、不用意に外に出なければ大丈夫だとは思うけど……先生たちも気をつけてね。何かあったらすぐ、リューか私を呼んでよ」
すぐに顔を上げた未来は、上背のある生沢の目を正面から見つめて言った。
「ああ、わかってる。未来も気をつけてな」
「うん。いつも以上に、周りに気を配るようにするよ」
荷捌きロボットが作業を終えたのを確認し、未来がトラックのコンテナに飛び乗った。
「未来、それからな」
「はい?」
「リューからも言われてるだろうが、お前の最強の武器は最後の最後まで使うなよ」
外側からコンテナの扉を閉める直前、生沢が未来に声をかけると彼女は笑顔で応えた。
「うん、大丈夫。折角、素手の状態でも有利に戦えるように設計してもらってるんだから。使いどころは心得てるつもりだよ」
頷いて生沢がコンテナの引き戸を閉めると、未来が内側から扉をロックした。それを検知した自動運転システムが、ほどなくエンジンをかける。やや乱暴にトラックは発車して、ガレージの出口に向かった。
「わ」
急発進でバランスを崩しそうになった未来が、コンテナの内側に片手をついた。予想通り、乗り心地は良くない。コンテナの中は雑然とダンボールや紙袋が積まれているが、室温は一定に保たれており、砂埃が入ってこないのが救いだった。
トラックはガレージ出口のシャッターをくぐり、武装警備員がいる詰め所にまっすぐ向かっている。厚い鉄の扉で厳重に一般道への道を閉ざしたゲートが、運転システムからのロック解除要請を自動で検知し、派手な軋みを上げながら口を開ける。
コンテナの中は快適とは言えないまでも、何とか汗は出ない温度になっている。しかし外はまだかなり暑いようだった。このところまとまった雨が降っていないせいで、C-SOL敷地内の射撃場やヘリポートから土煙が舞い上げられ、この付近一帯にベージュのもやがかかっているように見える。
九月も終わりの今、まだ気温が三〇度を超える日も珍しくない。これでも温暖化対策は昔に比べて進んでいるため、ずいぶんとましになってきたという話ではある。それでも、この倉庫街のように炎天下の屋外で働くのは、人間にとって酷な話だ。
そういうときこそ単純労働に特化したロボットが活躍するが、資金に余裕がある会社しかロボットを導入できないのが現状だ。その代わりになるのが単価が安い外国人労働者だった。
未来の事務所もスタッフは全部で七人おり、二人を除いて全員が外国の出身だ。移民が来てくれたおかげで慢性的な若年層の労働者不足は解決しつつあるが、そうすると今度はどこぞの市民団体が彼らに仕事を奪われている、と国に文句をつける。
もちろん、こういった事態に陥るまで効果的な政策や法案を作らずにいた国の責任は大きい。ただ、日本人の癖として、何か大きな問題があっても国民が一致団結して動き出すということがない。そのせいでずるずると国の内情が悪化して、半世紀前のアメリカのような犯罪大国の悪名を欲しいままにするようになった。
未来のようなサイボーグ歩兵が生まれた理由の一つとして、軍と民間企業が共同で治安悪化対策に乗り出したことがある。ただしこれは犯罪に対抗はできても、その根本的な原因を排除することはできない。その場凌ぎ的な対策であると言えるだろう。
しかし今のような世の中だからこそ、便利屋稼業もちゃんと機能できる。そしてその仕事に生き甲斐を見つけ、自分なりの充足感があるのもまた間違いなかった。
「……皮肉なもんだな」
呟いた未来の視線の先には、延々続く倉庫街とそこで働く多くの作業用ロボット、人間たちの姿があった。
その遥か上方に焦点を合わせて、昨日銃撃してきたと思しき大手文具メーカーの倉庫最上階にズームを絞った。今日は窓に暗幕がかかっておらず、棚に積まれたダンボールの商品名までが見える。そこには、人がいたような痕跡は見つからなかった。
未来は荷崩れしづらく、かつ降りやすい場所を選んで床を片付けた。生沢が自動運転システムに事務所の住所を入力したときに確認した時間では、一時間程度かかるらしい。定期便のシステムはセキュリティが厳重で、イレギュラーな場所に停車したときは事前に入力済の場所であっても、一定時間が過ぎると警報が鳴り出してしまうのだ。
運転席に当たる座席のすぐ後ろに設けられた窓から、システムのコンソールを覗き見る。今コンソールに映し出されているのは、一般的なカーナビの画面だ。せめてあの席に座れていればコンソールからテレビを見るなり、音楽を聴くなりして時間をつぶせていたのだが、姿が丸見えになるのでそうはいかない。
トラックが倉庫街を抜けると、ちらほらと巨大マンション郡が道の脇に姿を現すようになってくる。その間を縫うようにして、舗装の悪い劣化したアスファルトの道路が走っており、それなりのスピードを出すと足元の安定も悪い。
どのマンションも、一棟五〇〇戸分はあるだろうか。いずれも遠目からは立派に見えるが、近くからその姿を見ると薄汚れ、歩道を歩いている住民たちの身なりもぱっとせず、どこかしらくたびれた顔をしている。ここ数年はこういった大型マンションも乱立し、急激に膨らんだ移民分の人口をその腹に収めてきていた。東京都の中心部でも、比較的低収入の労働者層が住民の大半を占めている。
ふと未来の目に、出勤途中と思しきある若い男の姿が映った。恐らく建築現場で働いているのだろう、半袖の色褪せたシャツにペンキまみれでぶかぶかのズボン、という格好でぶらぶら歩いている。むき出しの腕は、片方が明らかな金属光沢を放つ義手であった。
貧民層が多い地区では、彼のような者も珍しくない。
失われた手足の再生は既に実用レベルになっている一方、本人の細胞から全く同じものを培養して再生し、移植するのには、保険適用外で莫大な費用がかかる。その料金を払えない者は義肢を選択をするが、その中でも見た目にこだわるのであれば、やはり金属を晒したものより形をよく似せたもの、感覚はなくても性能が良いものに、高額な報酬を払わねばならない。
大型銃火器を使用した犯罪が頻発する今日では、巻き込まれた者が大怪我をし身体の一部を失うのもありふれた出来事だ。そんな中で、未来は普通の人間と見た目が全く変わらない。サイボーグパーツを表面に露出させていないだけでもいい方だ、ともたまに思う。
でも、そんな世の中は間違っている。
暴力と貧しさに汚染され、それが当たり前の世界なんて、どうかしている。
そこで未来は頭を振り、勢いをつけてコンテナの床に腰を下ろした。
便利屋の仕事で色々考えているうちに、いつも突き当たるジレンマだ。
どんなに自分が考えて悩んでも、世の中はすぐに変わらない。結局は、その中でもがきながら生きるしかない。昨年から支給されるようになったケルビムからの補助金も、最初は汚れた金のように思えて使えなかったが、利用できるものは利用するという開き直りは必要だった。この荒れた東京の地に自分の足で立つため、少しでもそこで生きる人たちを助けるため、この仕事を自分で選んだのだから。
考えているうちに、義手の若者はとっくにトラックの遥か後方になっていた。貧民層では義肢は普通で差別の対象でもないから、彼も堂々と働きに行けるのだろう。
トラックは暫し変化がないマンション群立地帯を擦り抜けていたが、ほどなく商業の中心地である新宿区に入っていった。
交通量が増え、コンテナの中にも排気ガスの臭いが漂ってくる。ケルビム自社便は新宿駅方面に向けて大通りを走り、周りに徐々に小さな会社のビルや店舗が増えてきた。と同時に歩道を歩く者も急激に増えていく。
国民の少子高齢化が進んではいたが都心部は比較的、移民中心の若い労働力が多くざわめきに溢れている。それに伴い犯罪発生率が全国一高いのもこの地区だ。もともと多くの様々な人が集い、あらゆる職業が存在する街であったから仕方ない、と言えばそれまでだ。その分、他に類を見ない濁った活気が篭るのもまた、新宿と言う地区の昔からの特徴であった。
「さてと……あの狭い道に誰も駐車してなきゃいいけど」
未来が呟いて立ち上がる。彼女の事務所は、生まれるずっと昔から悪名高い歌舞伎町にあった。