第12話
「どうかしたのか?」
「ううん。二人とも、先に行ってて。私、電話かけ直してから行くから」
苦手な相手からの電話なのか、杉田には未来の声がやや沈んだように聞こえた。事情を察したらしいリューが無言で杉田を促し、男二人は銃の箱を抱えミーティングルームの自動ドアをくぐっていく。
二人の足音が遠ざかっていくことを確認し、未来は溜息をついた。やや型が古い深みがあるブルーの携帯電話の画面を呼び出し、指紋認証のセキュリティロックを解除して履歴を見る。
不機嫌を絵に描いたような表情で、高所得者特別居住地区から発信されたその番号にリダイヤルした。
コール音一回で、回線がつながった。
「もしもし、お母さん?」
『あ、未来ちゃん?さっきいきなり切れちゃったみたいなんだけど』
「ミーティング中だったんだよ。何かあった?」
『何かって、最近連絡がないからかけたのよ』
「ああ、最近仕事が忙しくてね。あんまり時間がないから……」
『忙しいって貴女、電話一本かける暇くらいあるでしょう。お母さんだって仕事が忙しいんだから』
いつもながら、こちらの話を一方的に遮って自分の話をしてくる母親に対し、未来の表情に険しさが増した。
「夜とかも遅いんだよ、だから……」
『少しは人の都合ってものを考えなさい。こっちもね、大変だったのよ。今月から講座の受け持ちが変わって死ぬほど忙しくなっちゃってね。土日もなく働いてるんだから』
母の言葉はまだ続いていたが、未来は携帯電話からできるだけ耳を遠ざけた。聴覚の感度を、音が聞こえても通話の内容がわからない程度に調整する。
『……それで今月は次の土曜の夜しか空いてないの。未来ちゃん?』
二分程度が経過して母の一方的な話が終わった頃を見計らい、携帯電話を耳に当てる。自分の眉間に皺が寄っているのがわかった。
「聞いてるよ」
『あさっての土曜日は、こっちに来られるわよね?』
「さあ。仕事の具合次第だから何とも言えないけど」
『また貴女はそうやって!さっきも、人の都合を考えなさいって言ったばっかりでしょう。仕事って、例の何でも屋なんでしょう?そんな危ないことは誰か別の人にでも任せて、少しは家族にも気を使ったらどうなの。薫ちゃんは孫を連れてよく来てくれるわよ』
人の都合を考えて欲しいのはこっちだよ、と言いたいのを堪え、違う話を振った。
「亮太君は元気なの?」
『もうずいぶん大きくなったわよ。この間生まれたばっかりだと思ってたのに、もうあんよがすごく上手になっててね。目元は薫ちゃんによく似てて可愛いわ』
孫のことを聞かれて機嫌を良くしたらしい母は、声のトーンが先と全然違って聞こえる。逆に未来の声は杉田たちと話している時と比べて、はっきりと低くなっていた。
「そうなんだ。日曜日は行けたら行くから」
『亮太くん、未来おばちゃんにも会いたいって言ってるみたいよ』
「おばちゃんって言うのは止めてよ。じゃあ、この後もこれから仕事があるから。土曜日は行けそうなら連絡するよ」
ミーティングルームの窓際まで歩きながら一息に言うと、未来は通話を切った。携帯電話を乱暴にジャケットの胸ポケットに突っ込み、露骨な舌打ちを響かせて壁に上半身を預ける。
母、恵美子からの電話は毎回、感情を抑えるのに一苦労だった。リハビリを終えた頃は力の加減がうまくできず、母からの電話があるたびに携帯電話を握り潰してしまうことも多かった。
横目で窓を見てみると、仏頂面の自分の姿がそこにある。普通は独立したあとに家族からの連絡があれば、もっと嬉しそうな顔をしてもよさそうなものだ。そうならない自分は、やはりどこかおかしいのだろうか?
しかし母からの電話ときたら、いつも言いたいことだけを言って、こちらの話を真剣に聞いてくれたり同調してくれることはほとんどない。仕事の愚痴を言いたくても言えず、相手の一方通行の話に付き合わされるだけでは、時間の無駄だしストレスにしかならない。話を早くに切り上げて電話を切ろうとしても、今度は思いやりがないと小言を言われてうんざりする。
母はもう五〇歳近くなるのに、語学のスキルを生かして外語大学の講師として働くキャリアウーマンだ。
外資系の会社で専務だった父とは三年前に離婚しているが、間をおかずに父は再婚した。それを知って子どもである自分たち姉妹に愚痴ってきたりする辺りは、まだ未練があるのだろう。
父と母は、物心ついた頃から冷め切っていたようだった。家族が顔を揃えて食事している時さえ父の笑顔の記憶がなく、学校の行事にも父が来てくれたことはほとんどない。
そもそも父は仕事で海外を飛び回っていて留守の方がずっと多く、未来は友達が素直に父や母に甘えているのを見て、心底羨ましいと思ったものだった。
大きな一戸建てが高所得者特別居住地区にあり、モノの不自由を感じたことがない生活ではあったが、子どもの未来はそんなものより、両親の笑顔が欲しかった。自分がいい子にしていれば、いつか両親が自分を囲んで笑ってくれるものだと信じて、言いたいことも我慢することが多かった。
しかし、それでも母は心から笑ってはくれなかった。
未来がよその子が褒められるようなことをしても、「あらそう、でも」と開口一番に言われるのが常で、本当に喜んでもらえたことは少なかった。母にこうしなさい、と言いつけられて、それを叶えたときだけ手放しで褒めてはもらえていたが。
二〇歳でそれまで貯金していた資金を使い便利屋を始めたときも、何故そんな危ない仕事をするのかと、母の怒りを買った。最終的にはしぶしぶ認めてくれたが、今でもそんな仕事は辞めろとよく言ってくる。所長として責任があり、スタッフの生活を自分が預かっているのだから、と言っても毎回同じことの繰り返しだ。
母は今、未来がサイボーグとなり軍事機密にかかわっていることも知らない。事実は一親等内の者にのみ、限られた情報を伝えることは許可されてはいるが、未来は肉親の誰にも知らせていない。
結婚して子どもを持つ四歳上の姉、薫をこんな血生臭いことに巻き込みたくなかったし、母に伝えたら何を言われるかわからなかった。
子どもの頃に具合を悪くすると面倒は見てくれたが、最初は「体調が悪いのは自分の不注意でしょう」と言われたことも一度ではない。だから、二年前の大事故のときも母には知られたくなかったのだ。
「……くそっ」
小さく悪態をついて、未来は身体ごと窓の方を向いた。
外はもうすっかり暗くなっていて、磨かれた強化ガラスには、肩まで伸びた髪を流行のスタイルでまとめ、目鼻立ちは父親によく似た自分の姿が映っている。今の格好は黒の革ジャケットに派手な細身のプリントシャツ、デニムのホットパンツとライダースブーツだ。ジャケットの内側にはショルダーホルスターが装着され、予備の拳銃も収められている。
ガラスに映る自分へ灰色に曇った気持ちを残すように、窓に勢いをつけて背を向けた。
屋内射撃場で思い切り銃を撃って、それでも残る苛立ちを砕いてしまいたい気分だった。
地下二階でエレベーターを降りたところは、四方がコンクリートで囲まれた殺風景な廊下の終点だ。通風孔が壁に設けられているが、閉鎖空間なので音がよく反響する。空気がごうごうと音を立てて通り過ぎ、未来のブーツが床を打つ音が早い調子で響いていった。
灰色の廊下は高い天井にある灯りに煌々と照らされ、鋭い曲がり角の向こうにも光が届いていた。廊下を二回曲がった先の突き当たりには鉄製のドアがある。そのすぐ横に取り付けられたスロットにIDカードを通し、未来は屋内射撃場へ通ずる重い扉を開けた。
予想に反し、銃声は聞こえてこず、七つある射座の真ん中にリューと杉田がいるのが見える。
この射撃場は、敷地内にある武器工場で作られた銃の試射にも使用される場所だ。有効射程一〇〇メートル以内のものは基本的にここで試射や訓練が行われるが、時間の遅い今は自分たち三人しかいないようだった。
「遅いですね、未来」
「ごめん。事務所に今日は戻らないって電話したりもしてたから」
防護眼鏡をかけたままのリューは、未来に声をかけてから隣に立つ杉田に向き直った。
「引き金はもっとゆっくり引くようにしてください。銃を構えた時に上体が反ってます。それに、連射してると脇がどんどん開いて、銃身が安定しないから危険ですよ」
「そんなこと言われたって、僕は今日初めて拳銃を持ったばっかりだって。眼鏡もつけられないから、的もあんまり見えないし……」
「とにかく、もう一度弾を込めましたから撃ってみてください」
どうやら初めての射撃が終わったらしいが、杉田の困惑した言いようからすると、結果が上々とは言い難いようだ。むっとした杉田はリューから銃を受け取って、握り方を確かめている。
「どお、具合は?」
防護眼鏡と防音ヘッドフォンをつけた未来が二人の後ろにつくと、リューが黙って肩をすくめた。未来は射座の後方に下がっている紙の的に視線を向け、同じように肩をすくめる。
杉田の初回の試射では、的に一発も命中していなかったのだ。
「撃つ瞬間まで、引き金に指はかけない。腰が引けてます、もっと背筋も伸ばして」
リューが白衣を着たままで構える杉田の背を軽く叩き、淀みない指導の言葉を続ける。普段と違い、誰かにものを教えるときはリューも多弁だ。しかし、その内容も緊張している杉田に届いているかは怪しいかも知れない。白衣の青年が防護眼鏡越しに見せる瞳は、怯えた小動物のそれだ。
元軍人の混血青年の指示通りに姿勢を直した杉田は、なるべくゆっくりと引き金を引いた。パン、という破裂音が上がり、それとは見合わない反動が腕全体に伝わる。
銃を持った両手が、一瞬遅れて跳ね上がった。薬莢が視界の隅を掠めて飛んでいき、火薬の匂いが立ち込める。
だが、視線の先にある紙の的は微動だにしない。きちんと狙ったつもりでいたのに当たらなかったようだ。銃のグリップを握る手にじんわりと汗が湧く。
杉田は指の位置を直し、緊張で乾いた唇を舐めた。意味もなく手が震えるが、彼は続けざまに引き金を引いて何とか合計一〇発を撃ち切った。
「……あちゃー」
様子を見守っていた未来が大げさに首を振った。彼女が後ろの壁にあるパネルを操作して、射座のすぐ上から奥に渡された針金に吊り下げられた的を手元まで寄せてくれた。
やはり、紙の的に弾は一発も命中していなかった。
「やっぱり杉田先生には向いてないのかなあ、こういうの」
「暴発させたり、射座に穴を開けなかっただけでもいいでしょう。火薬の量を減らしたわけでもありませんし」
リューの言葉も溜息混じりだ。
「リュー、お手本見せてあげたら?アメリカ軍では教官だったんでしょ」
「……わかりました。自分の銃を使います」
未来の言葉にリューが一瞬的を付け替える手を止めたが、頷いて足元に置いてあった黒い革のホルスターを取り上げた。中に収められているのは四五口径のコルトM1991A1、またの名をコルト・ガバメントだ。
ハーフの青年が安全ストラップを外し、予め弾を込めてあったマガジンを取り出す。
「的を奥に」
頷いた未来が操作盤を操って、新しい的を一五メートルほど先にセットした。
リューがマガジンをセットし終わり、足を開いて軽く膝を曲げる。上体を安定させてからスライドを引くと、初弾が装填された。銃口を下げたコッキングから両腕で構える体勢に移る際も、元軍人らしく無駄な動きがない滑らさかだ。
「正しい姿勢はこうです。脇は締めて、照準を合わせやすいように銃を目の高さに持って行きます」
教官時代を思い出したのか、いつもよりきびきびとした口調でリューは言った。普段から姿勢はいいリューだが、今は更に気迫でこちらの背筋までが伸ばされてしまうような空気だ。紙の的に狙いを定める視線も、鋭く厳しいものになっている。
長いがややごつい親指で安全装置が外され、人差し指が引き金を引く。
乾いた射撃音が炸裂してリューの肘が一〇度程上に上がり、硝煙の臭いが立ち込める。
射撃音は杉田の銃と比べると重く、ドン、という濁音の表記で表せるような低い衝撃を伴っていた。防音用ヘッドフォンをつけていても、その重量感は周囲の者の腹にずんと響く。その後に熱された薬莢が床に当たる高い金属音が重なった。
射撃音の残響がまだ消えきらないうちに、また指で引き金を引く。
一連の動作を繰り返し、リューは二〇秒足らずで七発の弾を撃ち終えた。
「さすがリュー。すごい命中率」
射撃中でも、肉眼のズームで確認できたのだろう。未来が笑顔で引き寄せた的をクリップから外す。リューが撃った七発は、全弾が的の中心部数センチ以内に穴を穿っていた。
「……やっぱり僕は向いてないんだな、武器を持つこと全般に関して」
自分の射撃結果を思い出しつつ、杉田がはあ、嘆息を漏らした。そう言えば、学生時代に体育の授業でやらされた剣道も、成績が最悪だったことを思い出してしまった。
見事に打ち抜かれた的を恨めしそうに睨んでいる杉田へ、リューがスミス&ウェッソンを手渡す。
「戦場では別ですが、普段の生活だったら銃を持っているだけでも、相手に威嚇はできます。今は弾が入ってません。杉田先生が持っておいてください」
「わかったよ。これで相手が逃げてくれれば、儲けものだしな」
とことん自分はこういったことに向いていないことを思い知らされた杉田は、抜かれた弾丸の分だけ軽くなった銃を素直に受け取ることにした。
「じゃあ、今度は私に撃たせてよ」
テンションの低くなった杉田を尻目に、未来がリューの方を振り返る。巻き毛の青年がそれを受け、射座の下に置いてある書類入れから新しい的を用意しだすと、彼女は隣の射座に置いておいたカイデックス製ホルスターを持ってきた。
そこから取り出された銃は、リューが持つコルトよりも更に大きいものだ。
デザートイーグル。未来が持つのは五〇口径のそれで、自動拳銃の中で世界最高の威力を誇るとされている。大きさも二七センチはあり、細身の若い娘が持つにはいささか大きすぎる印象だ。
しかしそんなことはお構い無しに、未来は手早くマガジンを装填して銃口を下に向け、コッキングを済ませた。リューのように滑らかではないが、慣れた仕草だ。
「音が大きいから、二人とも後ろに下がって」
未来が両手で巨大な拳銃を軽々と構え、低い声で警告した。言われるまま、杉田は彼女の数歩後ろへリューと共に下がった。細い指が安全装置を外し、引き金にかかる。
一瞬、大砲が至近距離で撃たれたと勘違いするような爆音が炸裂した。リューの射撃時の音は腹に響く音だったが、未来のそれは全身を空気の塊で打たれたかのような衝撃だ。
デザートイーグルの発砲音は、それほどまでに凄まじかった。装填された.五〇アクション・エクスプレス弾に当たれば、人間の頭など一発で粉砕されてしまう恐るべき銃なのだ。その大きさからしても、体格が小柄な者が扱えるような代物ではない。
しかし「ハンド・キャノン」の異名を取り、射撃時の反動が恐ろしく強いデザートイーグルを撃っても、未来の腕は微動だにしていなかった。サイボーグである彼女の腕は普通の人間のように重さで震えることもなければ、反動で手が跳ね上がることもない。加えて、瞳のズームを使えば極めて正確に標的を撃ち抜ける。
もしかしたら、自分たちはとんでもない生き物を作ってしまったのかも知れない。
デザートイーグルを躊躇なく撃ち続ける未来の背中を呆けたように眺め、杉田は戦慄に近い感情を過ぎらせていた。
「全弾命中ですね」
「……いや、凄いな」
未来が合計九発の射撃を終えたことを確認して的を引き寄せたリューが呟いたが、杉田はまだ呆然とした様子だ。
「未来はこれが当たり前です。一発でも外してたら、これから特訓するところでした」
巻き毛の青年は、未来に対し相変わらず容赦がない。的は真ん中が放射状に裂けており、全ての弾はその中心部に命中していたようだ。
「うーん、でも微妙に弾道がずれるみたい。この前撃ったときとちょっと違うような」
「また手入れをさぼってますね」
防護眼鏡を外してデザートイーグルを眺めていた彼女は、しまったという顔をした。
「や……いや、でもほら、最近は事務所の仕事も忙しくて時間が……」
「言い訳は聞きません。上に行って私と一緒にやってください。その前にここの掃除もしますから、杉田先生は落ちてる薬莢を拾ってください」
「え、僕も?」
「当たり前でしょう」
驚いた杉田を尻目に、リューは今まで使っていた紙の的をくしゃ、と丸めた。
「ここは公共の場です。使った者が綺麗にするのは常識ですよ」
「でもそんなの、HARに任せておけば……」
「いいえ」
杉田の言葉を遮って、リューはごみを杉田の手に押し付けた。
「連帯を高めるためには、共同作業が必須なんです。特に私と未来は、守る対象となる人の行動パターンを常日頃から掴む必要があります。おわかりでしょう?」
元アメリカ軍教官の言葉には、それ以上反論できない杉田であった。