第11話
大月がC-SOLに到着したのは、日が暮れてからだった。白衣を羽織らず、入管証とセキュリティカードのみをネックストラップで下げた彼女は、ピンストライプのスーツ姿だとまた別の威圧感がある。プロジェクトの主要メンバー全員が顔を揃えてから、一同は共同研究室の隣にあるミーティングルームに移動した。
「それで、使用された銃器の種類は特定できたの?」
「軍用狙撃ライフルのM110です」
大月からの視線を受けて、リューが抑揚がない声で答える。
ミーティングルームは一度に二十人が入れるくらいだろうか。白い机で部屋の中央を囲うような形態は、企業の会議室によく見られる光景だ。一番奥の上座に当たる席に大月と、現場責任者である生沢が座っている。そこに向かって右手側に杉田が、左側にリューと私服に戻った未来が腰を落ち着けていた。
先の襲撃についてリューから簡単な説明があり、ビニール袋に入った弾丸が回されている。リューがロボットを使って安全に回収し、分析を終えたものだ。
「ライフルは、アメリカ軍で正式採用されていたものね」
「国防軍でも使用されています」
「一般には流通してるのか?」
生沢が大月とリューの間に口を挟む。
「民間人には購入すら許可されてませんが、警備会社の市場や無許可の店には出回っているでしょうね」
「真っ当にで入手したとは思えねえな。今回はどこから狙ってきたかまでわかるか?」
「スーツの傷の具合と跳弾の角度から考えて、距離はおよそ一五〇〇メートル程度の建物上方からかと思われます。敷地のすぐ外にある倉庫のいずれかからでしょう。未来のメモリを調べましたが、生憎どの倉庫かまでは不明です。最も可能性が高いと思われる建物の屋上には人影はありませんでしたから、最上階の窓の隙間から撃ったのかと」
リューも本当は一番怪しい倉庫を調べたくはあっただろうが、機密保持のために目立った調査は断念せざるを得なかった。その代わりに未来の後頭部に差し込まれているメモリから、襲撃があったときの情報の分析までは行っている。
メモリには、未来の眼に内蔵されているカメラを通した画像が〇・五秒毎に記録されている。メモリは訓練時もしくは実戦時のみ装填することになっており、取り出されたデータは専用のパソコンで表示できるのだ。これは戦闘時の様子をそのまま記録できる、重要なものだった。
「リューか、私か、どっちを狙ったかはわからないけど。やっぱり一般人の悪戯じゃないですよね」
「私たちの知らないところで、恨みはたくさん買っているでしょうし」
未来とリューが立て続けに頷くが、リューの口調には軽い皮肉が込められていた。
「それか、このプロジェクトの中心メンバー全員を狙っているとも考えられるわ。今回は、たまたま外に出ていた二人が運悪く標的になっただけかも」
「……じゃあ、そうなると僕たちも危ないわけですか」
大月が腕組みして一同の顔を見渡し、目線が合った杉田が口を開いた。
「相手が誰だかわからない以上、何とも言えんな。万一このプロジェクトのことが外部に漏れたんだとしたら、敵が日本人じゃないかも知れんわけだ」
杉田の言葉を受けて生沢も視線を向け、ぼそりと呟いてくる。
「外国の軍かもな。テロリストとか」
「その敵に関しての情報だけど」
その場にいるメンバーの注目が大月に向けられる。間を置かずに言葉が続けられた。
「ここに来る直前に、軍の担当者から連絡があったわ。生沢くんが言った通り、国外にプロジェクトのことが漏れたらしいと」
「どこにです?」
リューが鋭く突っ込むが、大月は首を横に振った。
「私も知りたかったけど、そこまで教えてはくれなかったのよ。でも、こちらに何か仕掛けてきてもおかしくない状況ではあるわけね。サイボーグ歩兵の存在なんて、諸外国にとっては脅威になるから」
「となると、やっぱりこのプロジェクトの関係者全員が危ないってこと?」
未来が眉根を寄せると、リューが頷いた。
「とりあえず、今日はここを出ないほうが安全ですね」
「そうね。今夜はここに全員泊まることにして、明日も自分の車や徒歩では出ないこと。社内便のトラックの荷台にでも乗せてもらったほうがいいわね。少なくとも、狙ってきた相手がはっきりするまでは、ここに来るときも姿を見られないように」
「えっ、僕たちも車をここに置きっぱなしにするんですか?」
「相手がどこまでこちらの情報を掴んでいて、誰を狙っているかがわからないのよ。当然でしょう?貴方が撃たれたいのなら、どうぞ自分の車で好きにするといいわ」
驚いた杉田を大月が一喝するが、生沢がたしなめた。
「大月、言い過ぎだ。車は後で運んでもらうようにすればいいだろ」
「……でも、それぐらい警戒するんだったら、いっそ敵の正体が掴めるまで研究所から出ないほうが安全なんじゃないかと思いますけど」
「そこまでする必要はないわ。敵が四六時中こちらを監視してるとも思えないし、施設に出入りするところや未来がスーツを着ているところさえ見られなければ大丈夫よ。それに、そんなに長期間ここにいるわけにもいかないし」
不安そうな杉田に対し、大月の態度は嫌に自信たっぷりだ。微妙に生沢の表情が曇る。
「そうか?相手はテロリストの可能性もあるんだろ。そんな連中は、痺れを切らしたら何をしてくるかわかったもんじゃないと思うが」
「とにかく、私はこのことを軍の担当者に報告して、総力を挙げて敵の情報収集をしてもらうよう依頼するから。未来は一応、破損したところがないか生沢くんと杉田くんに診てもらうのよ」
「……もうやってますけど。特に異常ありませんでしたよ」
立ち上がって退席しかけている大月の命令口調に、未来はいちいち反発しないと気が済まないようだ。
杉田と生沢は医師であり、リューのような戦闘時の指令役ではない。有事の際は研究所に待機し、未来が負傷した場合にすぐ治療が施せるようにするのが主な役目である。彼女は強靭な身体のサイボーグとはいえ、手榴弾や機関銃を喰らい続ければ無事では済まない。
更に厄介なのが、人工パーツは生身の部位と違って自然治癒しないことだ。そういった部分に傷を負った場合は極小の治療用ロボットを血管内に注射し、遠隔操作で修復を行うのが基本だった。
これは八足歩行で使い捨ての、外見から「スパイダー」という愛称で呼ばれるナノマシンによって行われる。動力は血液中の微量なブドウ糖で、治療に必要なたんぱく質やカルシウムといった物質は主に体内で収集し、傷ついた箇所に向かう。治療が終わった後に一定の時間が過ぎれば、抗体保護のコーティング効力が無くなり、白血球から攻撃を受けるため体内で消滅するものだ。
スパイダーは機器回収の必要がなく患者の負担も最小限で済むため、サイボーグに特化した医療パーツだけでなく、一般医療にも使用が検討されている優れた装置だった。
もっと大きな傷の場合は生身の人間と同じく手術が必要になるが、今までの訓練ではそこまでの重傷を負ったことはない。スーツを着用しない訓練で身体が擦り傷、切り傷だらけになる程度だった。一時はあまりに生傷が絶えないため、杉田や生沢がリューに抗議したほどだ。
しかしリューは、生き残るためにはまだまだ足りません、と一蹴するだけで、杉田たちの言葉など聞き入れようとせず、相変わらずのスパルタ方式で未来を鍛え続けていた。
その方針の多くは大月が決めたもので、無駄の少ない見事な運用だと言えるが、何でも自分の意見を最優先するやり方には反発を覚える者も少なくない。
当の未来も、その一人であった。
「田原くんと生沢くんは、非常事態に備えて物品の確認をしておいてちょうだい。この研究所が襲われた場合のことも考えてね」
大月は皆の応答を待たずに、ミーティングルームの自動ドア横にあるスロットにセキュリティカードを通し、早足で去っていった。軍の担当者に連絡を取るつもりなのだろう。
「ここが襲われるって、あり得るのか?」
「人間には、何考えてるんだかわかんない連中も沢山いるから。ないとは言えないかもね」
大月の後姿を見送りつつ杉田が呟くと、未来も溜息混じりに続けた。
「大勢の負傷者が出た場合か。薬は倉庫に備蓄してある分があるからまあ足りるだろうが、実際には起こって欲しくないもんだな」
言いながら、生沢が立ち上がる。
「リューの場合は武器弾薬か?お前も元軍人だから、いざと言うときは戦闘要員として考えられてるのかもな」
「……戦いますよ。必要なら」
普段のパターンであれば黙っているはずのリューが、思いつめたように答えた。意外そうに眼をしばたかせる一同を尻目に、リューは机の下に置いてあった布製のバッグから二つの木箱を取り出してくる。
「今日からこれを持ってください。携帯許可証も後で渡します」
巻き毛の青年が二つの木箱を順に開けると、全く同じ拳銃が中に収められていた。
「おい、物騒なものを出すなよ」
「スミス&ウェッソンM990。このプロジェクトの主要メンバーには軍から無償で提供される銃の一つです」
生沢が苦笑するが、リューは構わずに銃を箱から取り出して説明を始めた。
「ポリマー製なので、手入れも簡単です。鉄製の銃に比べれば軽いものですし、初心者でも扱えます。使い方は私が教えますから」
強引に杉田と生沢へ銃を押しつけ、リューが二人の顔を交互に眺めた。
「銃を扱った経験は?」
「僕は一度もないけど」
「以下同文だ。医者の俺がこんなものを持てるか」
杉田が戸惑いつつ答え、生沢は吐き捨てる。
「あのブラック・ジャックだって、護身用の銃は携帯していたんですよ」
「そりゃあ、漫画の話だろ。現実を一緒にすんな」
真面目に例を出したリューに対し、生沢は不機嫌さを隠そうとしない。
杉田は、銃を持つこと自体がほとんど初めてだ。ポリマー製のためか、想像していたよりもずっと軽い。おっかなびっくりに銃のグリップを握る若い医師に、構わずリューは言った。
「それなら、後で屋内射撃場へ来てください」
「ああ、わかったわかった。だからこいつはお前が持ってろ。俺はもう研究室に戻る」
その一方で生沢がうるさそうに応え、銃をぽいと後ろ手でリューに放った。弾はこめていないことを知っているのだ。
「……絶対来る気ないね、生沢先生」
半分呆れたような表情の未来が、出入口の自動ドアをくぐる広い背中を見送った。
「あの人は、自分が医者だってことにプライドを持ってるからね。まだ病院勤めで救急担当だった頃に大規模な銃撃事件が近所であって、その患者の酷い有様を見て、自分は何があっても銃は持たないって誓ったんだって」
杉田は手の中の小型拳銃を見つめながら、生沢が語ったことを思い出していた。
自分がこのプロジェクトのメンバーになって間もない頃、生沢が初めて飲みに誘ってくれたときのことだ。
酒はあまり強くない杉田だったが、都内の繁華街でちびちびと二人で飲みつつ、男二人で色々なことを夜通しで語り合っていた。
医者を目指したきっかけ、学生時代のこと、家族のこと、入社してからの仕事のこと。
杉田はセラフィムの系列会社である医療機器、人工臓器やクローン技術等の開発研究企業であるヴァーチュズの社員だったが、生沢はグループ会社の社員ではない。AWP嘱託の医師という立場である。本来は脳外科が専門だが、研修明けの頃から外科手術全般に天才的な手腕を発揮し、それを買われてプロジェクトに引き抜かれたらしい、とのことだった。
未来の改造手術においても主な執刀を生沢が、神経や筋肉等の培養、身体に埋め込む機械部品の調整に関しては組織生体工学が専門専門である杉田が担当している。
杉田自身は手術に毎回立ち会ってはいたが、殆ど助手程度のことしかやっていない。しかし生沢の腕を信頼しているからこそ、自分の作り上げた組織の移植を任せられるのだ。
その分だけ自信を持ち誇りもある生沢は、飄々としていながらも頑固な性質で、言いたいことはずけずけと言うし遠慮がない。嘱託になる以前は病院の上司と喧嘩になることもよくあったが、その度に叩きのめしてやった、と言いつつ髭面に満面の笑みを浮かべながら、かの男は煙草を吹かし続けていた。
そんな堂々とした振る舞いができるのは、杉田から見ると羨ましいものだった。
「へえ……そうだったんだ。それなら、私たちがしっかり守らなきゃね。杉田先生は?それ、持っとくの?」
「僕は怖がりだから、念のために持ってはおくよ」
生沢の話をした後では多少ばつの悪さを感じ苦笑したが、杉田は銃を持つことにした。C-SOLが襲撃されない限り使うことはないだろうが、用心に越したことはないのだ。
「じゃあ、射撃場まで付き合うよ。私も少し練習しときたいし、この時間なら他に使ってる人もいないでしょ」
「もう六時半過ぎですか……ああ、失敗しました。うっかりして予約するのを忘れるとは」
リューが無表情に呟く。予約というのは多分、夜間に放映しているアニメ作品の録画のものだろう。元国防軍中尉という立派な経歴を持っているリューの意外な一面は、所謂「オタク」であることだった。アニメやゲームは勿論のこと、漫画や特撮作品にもこよなく愛するものがあるという。
しかもその好みは国産の作品に止まらず、アメリカにいた時分のカートゥーン作品やアメコミにもこだわっていた。
更に五〇年昔の作品でも知らないDVDが発売されたらまず鑑賞し、気に入ればシリーズ全巻を買い揃えるのだから、凡人である杉田や生沢、未来にも理解不能だった。それだけにDVDやコミックスの蔵書量も凄まじいものがあり、ストレージを借りてそこに一部を置いているくらいだ。
「そんなの、どうせすぐにどっかのサイトに録画されたのが上がるでしょ?そこから落とせばいいじゃない」
「いえ、リアルタイムで観てこそ意義がある作品だってあるんですよ」
「だったらソフトが出るまで待ちなっての。はいはい、もう行くよ」
「もちろん、そっちは保存用と日々の観賞用として二つ予約してますよ。しかし……」
呆れ半分の未来が、まだぶつぶつ言っているリューを促す。そのとき、彼女はジャケットの胸ポケットから発せられた振動に気づいたようだった。着信を告げる携帯電話をポケットから引っ張り出し、ディスプレイの番号を確認する。
と、その着信を中断させた未来の表情に翳りが過ぎったようだった。