小指
五.
次の日、やはり学校ではどこのクラスでも欠席が目立った。
真冬の受験シーズン真っ只中とは言え、流石に昨日の事件を受け学校側も考慮しているのだろう。先生達は空白の席を見ても、目くじらを立てることはなかった。授業が終わり、放課後になると僕は一目散にとある人物の下へと急いだ。
その人物とは、『彼女』の妹だ。
彼女の妹は、あの日以来学校へは登校していない。来週には引っ越すのでは、という噂も僕はスズキから聞いていた。白い息を吐きながら、僕は足早に目的地へと向かった。
彼女の家はやはり静まり返っていた。
外から人の気配は見えず、電気は全て消されていた。僕は適当な木陰に身を潜めてこっそり様子を伺った。待っている間、僕はカバンから小指を取り出し、手でギュッと握り締めた。
何時間経っただろうか。
辺りもすっかり暗くなった頃、突然彼女の妹が玄関から現れた。……似ている。遠目から見ても、『指』がそっくりだ。両親は留守なのだろうか。だとしたら都合がいい。周囲を確認し、急いで僕はその子に話しかけた。
「貴方は……?」
当然のことながら、彼女の妹は必要以上に僕を警戒した。僕は彼女の友達だと嘘を付いた。そして今回の事をとても悲しんでいる、是非彼女にもう一度お悔やみを言わせて欲しい、とお願いした。彼女の葬式は身内だけのもので、学校では各々のクラスで黙祷を捧げただけだったのだ。僕はそれが心残りだった。とてもそれぽっちでは足りないと感じた。
「それは……ダメです。今、こういう状況ですし、知らない人を家に上げるのはちょっと……」
彼女の妹が迷惑そうに首を振った。考えてみれば、彼女の言い分は尤もだ。僕は肩を落とした。僕は彼女の妹に再度お悔やみを伝え、最後に握手して欲しい、とお願いした。きっと気持ち悪がられるだろうが、僕はどうしてもその指に触れたかった。
緊張しつつ顔を上げると、彼女は引き攣った顔をしながらも、握手に応じてくれた。やはり彼女の妹も優しい人だった。僕は手袋をしたままだったが、確かな温もりを感じた。お揃いの手袋を見て、僕は教室で手袋をしていた彼女を思い出して涙が込み上げてきた。慌てて手を離すと、僕はそれから一度も振り向かないで急いで来た道を戻っていった。
六.
あまりに慌てすぎて、妹さんに小指を渡すのを忘れてしまった。
しょうがないので、引っ越した住所の方に小包で送った。その住所は例の噂好きの友人から手に入れた。いつ届くかわからないが、彼女の家族が落ちついてきた頃にでも届いてくれればいい。
次の日、僕はこれまでにないほど晴れやかな気分で登校することができた。校舎裏に行き、目的の生徒を見つけ思いっきり拳骨で殴り続ける間も、僕の心はとても澄み切っていた。
「もう勘弁してくれ先輩! あいつが死んだのは俺たちのせいじゃねえ!」
周りで取り巻きたちが騒ぎ立てている。あまり大騒動になるとまずい。僕は早急に済ませることにした。
「た……確かに俺たちは昔あいつをからかったりしてたよ! でも、でも苛めだなんて……あんたに言われてからはやってねえし! ホントだって! それに、何も自殺するほどじゃあ……あああああっ!!」
僕は渾身の一擊を思いっきり顔面に叩きつけると、用意していた中指を彼の口の中にねじ込んだ。
「ああ……あぁ……ゲホ……ゴホッ……!! ぐ……なんじゃこりゃ……ゆ……指!?」
混乱する後輩に、僕は駄目元で尋ねてみた。
「見覚えあるか? この指に」
「はあ!?」
「なんなんだよ!? イかれてんのかテメエ!?」
ぎゃあぎゃあ騒ぐ後輩を尻目に、僕は教師に見つかる前にさっさと屋上を後にした。
七.
これ以上は、まずいかもしれない。
僕は轟音を立てながら通り過ぎていく特急列車を眺めながら、終わりが近づいてくるのを感じていた。
あの騒動以来、僕もまた学校を休みがちになっていた。寒空の下、僕は備え付けの古びたベンチに腰掛け、手袋をつけたまま黒ずんだ薬指をギュッと握り締めた。
結局、警察は『自殺』と判断した。
一人の高校生の死。地元民ですら利用者の少ない無名の無人駅。普段陰ながら苛められ、クラスでも孤立しがちだった少女が深夜、特急列車に飛び込んだ。目撃者もいない。こんな田舎では殺人事件など遠い世界の話だ。
それでも、これ以上切り落とした『指』をばら撒いていけば、誰かがこの騒動を意図してやっていることだと気づかれる。そうなれば、警察だって文字通り指を咥えている訳にはいかないだろう。
再び轟音を立てて向こうから鉄の塊が向かってきた。あの塊が、彼女をバラバラに砕いた。そう思うと僕はぞっと背筋が凍るのを感じた。特急列車がこの寂れた無人駅に止まることなど決してない。強烈な風圧を受け僕は身体を流された。その最後尾が通り過ぎ、あたりが静まるのを待って、僕はそっと握りしめていた薬指を、花の手向けられた事故現場へと放り投げた。
「ナカノ!」
背中から呼びかける声がして、僕は振り返った。そこにいたのはあの噂好きの友人だった。スズキは駅の外の金網の向こう側で、白い息を切らしてこちらを見ていた。大方僕を追いかけて走ってきたのだろう。
「やっぱり……お前が犯人だったのか!!」
スズキが鼻の穴を膨らましながら声を絞り出した。
犯人、という芝居めいた言葉にピンと来ないまま、僕は立ち上がってスズキとフェンスを挟んで向かい合った。僕がホームの中。スズキが駅の外。
「犯人? 犯人って何の?」
僕は首をかしげた。
「お前が……花瓶にあいつの指を入れた!! ……お前が、あいつをこ、殺したんだ!!」
「…………」
よくよく観察してみると、彼は震えていた。自分の言っていることに、行っていることに興奮しているか、彼の目は血走っていた。
「おかしいと思ったんだ……お前、あいつが死んでから俺に家の場所尋ねたり、引っ越す住所を知りたがっただろ……」
「…………」
「だから俺気になって、嘘の住所教えたんだ」
「……!」
僕は目を見開いた。スズキの鼻の穴が、目の前で限界を超えてさらに五ミリ膨らんだ。
「レンタルポスト使ってさ。あとで……俺の手元に届くように」
彼は勝ち誇ったように捲し立てると、カバンから小包を取り出した。僕が先日彼女の家族に送ったはずの小包だった。
「中を見た……。中に……彼女の指」
彼の手が一層震え始めた。
「お前が殺したんだろう! 彼女を! お前がここで突き落としたんだ!」
「いいや違う」
僕は静かに尋ねた。
「スズキ。何でその指が、彼女のだって思ったんだ?」