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人差し指

一.


 まず初めに切り落としたのは、人差し指だった。


 何故だろう、僕は一番に人差し指を選んだ。

 食指が動いたとでも言おうか、とにかく相手を凛と突き刺すその指に僕は惹かれた。家にある出刃包丁で上手くいくかと思っていたが、中々指だけを切り落とす作業というのは難しいものだった。


 静まり返った風呂場で、驚く程予想以上に血まみれになりながら、僕は必死になって人差し指を切り落とした。切り口はお世辞にも綺麗とは言えず、ズタズタになった付け根を見て僕は一寸後悔した。何らかの方法で血を抜いてから切るべきだったんだろうか? 気がつくと足元のタイルは真っ赤に濡れていた。だけど、僕は医者でも快楽殺人鬼でもなんでもない、ただの高校生だ。人の指を綺麗に切り落とすだなんて、誰かに知られたら通報されそうな技術は生憎持ち合わせていない。


 だが、それで構わない。衝動的でなければ、そもそも指を切り落とすなど躊躇っていたに違いない。何より僕が僕自身の力だけで指を切り落とすことが、彼女への『禊』になるんじゃないか、と勝手に思ったからだ。


 切っている間、彼女は……正確に言うと彼女の『指』は……じっと大人しく僕の行為を見守ってくれていた。少なくとも僕にはそう見えた。僕はそっと切り取った人差し指をハンカチで包むと、カバンの奥に仕舞い込んだ。



二.


 彼女の指が好きだった。


 真っ白に、まるで陶器のように澄み切った、それでいて柔らかそうな質感。力を込めれば折れてしまいそうな、か細い均整のとれた形。その先端に添えられた小さく健康そうな爪も、節々に刻まれた歪な曲線も、何もかもが完成品だった。


 およそこれ以上の芸術作品がこの世にあるとは思えない。

 教室の隅から。

 登下校の合間に。

 放課後のふとしたひと時。

 隙があれば、僕は彼女の指をこっそり眺めては見とれていた。退屈な日々の繰り返しの中で、その時間だけは僕にとって永遠にも、一瞬にも思えるほど尊いものだった。


 一度でいいから彼女の指に触れてみたい。

 何時からだろう、僕はずっとそう願っていた。

 願わくば、その世界に唯一つしかない美しい指の紋様で、僕の身体に触れてみて欲しい。その先端から、暖かな体温をそっと分け与えて欲しい。嗚呼、できることなら彼女の指をそのまま切り落とし冷凍保存して、その美しさを永遠のものにしてしまいたい……!

そんなゾクゾクするような妄想を毎晩胸に秘め、僕は教室の片隅で、その機会を只管待っていた。  


 そんな彼女が亡くなったのが、ほんの一週間前のことだ。



三.


 学校は騒然となった。


 彼女を悼むために廊下に置かれた花瓶の中に、誰のものとも分からない黒ずんだ『人差し指』が混入されていたのだ。勿論それから、その日は大混乱だった。悪趣味を超えた『事件』として、警察が呼ばれた。僕らの学年は午前中で休校になり、僕も強制的に帰宅することになった。


「……あいつの『指』だと思うか? ナカノ」


 帰り際、廊下で後ろから呼びかけられて、人混みの中僕は立ち止まった。わざわざ僕に話しかけるだなんて、きっとスズキに違いない。振り返ると、案の定、鼻の穴を膨らませたクラスメイトのスズキが僕の肩を掴んでいた。その表情は興奮しきっている。スズキの鼻の穴が更に五ミリくらい膨らんだ。


「だって、ほらあいつ……バラバラになったんだろう? まだ見つかってない破片がたくさんあるって聞いた……! だけど……」

「…………」

 僕はスズキの目をじっと覗き込んだ。彼もまた僕の目を覗き返して来た。

 実は一度だけ、スズキに僕の『嗜好』をバラしたことがある。どういう経緯だったかは覚えていない。僕は女性の『指』が好きで、彼は『太もも』が好きだとか、そんな男子高校生同士の下らない日常会話のよくあるやつだ。

 僕が忘れかかっていることを、スズキが覚えているとも思えないが……やけに『指』の発音を強調したのが気になった。好奇に塗れた彼の瞳の奥に、微かに詮索の色が……僕を疑う探りの色が混じっているような……。


 ……僕の考えすぎだろうか。


「そこ! 私語をするな! さっさと帰れ!」

 がやがやと人でごった返した靴箱に向こうから、罵声が飛んできた。だがこれほど大勢の生徒が一箇所に集まって、話をするなという方が難しい。肩を竦ませながら、噂好きの友人はさらに小声で僕に耳打ちしてきた。


「……だけど問題は、誰が何のために(・・・・・・・)こんなことやったかってことさ」




四.


 僕が彼女を悼むために・・・・・・・・・・・やった。


 だけど問題は、彼女の指の美しさが、だんだんと失われていくことだった。

 風呂場で小指を切り落としながら、僕は気がつくとうっすら涙を浮かべていた。どんよりと黒ずんだ細い指は、些かの美も宿してはいなかった。


 嗚呼そうだ、僕は彼女の生きた指が好きだったのだ。自分の気持ちに改めて気付かされて、僕は溢れる涙を堪えきれずにいた。昨日よりは少なくなった血を拭い、朦朧とした頭で、僕は人差し指と小指が無くなった手を眺めた。


 彼女は喜んでくれるだろうか。

 僕の問いかけに、もう命の温もりをなくした彼女の指が応えてくれるはずもない。しばらくそのまま静かに、僕は黙祷を捧げた。それから切り落とした小指を優しく拾い上げ、大切にカバンに仕舞い込んだ。


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