鬼よ。
三題噺を頂いた(というよりも搔っ攫ってきた)ので書きました。
お題は『部屋』『跡(痕)』『鬼』でございます。
鬼、というあだ名の友人がいた。
もちろん、本物の鬼ではない。立派な角は生えていなかったし、剛堅な牙も口元には見当たらなかった。それに、彼が履いていたパンツは虎縞模様のいいパンツではなく、安売りされていたみすぼらしいパンツだった。
彼の部屋はなんでも揃っていた。
僕は桃太郎ではないから、友人である彼を退治して、彼の持っている宝を頂こうなんて考えたことはないし、犬や猿、雉といった友達もおらず、生涯を通して親友と言えるのは“鬼”、即ち彼一人なのである。
宝島。当時の僕たちはそう呼んでいた。決して鬼ヶ島ではなかった。
彼の部屋には、当時の僕たちには喉から手が出るほど欲しかったものが揃っていた。
ファミコン、漫画雑誌、駄菓子諸々。
僕らはそれを、競い合うように奪い合っていた。
鬼には僕以外の友達もいた。
積極的に遊んでいたのは僕が一番だったかもしれないが、そうでない時は他の友人とも遊ぶことが多いのが鬼の人望の厚さを物語っている。
三匹しか友の居ない桃太郎とはわけが違うのだ。
恐れられていたわけではない。むしろ、好かれることの方が多かった。
僕には当時、憧れを抱いていた女の子がいたのだが、彼女もまた鬼の虜になってしまった内の一人である。僕は大層悔しかったが、何せ勇者桃太郎ではないから、鬼の手から彼女を取り戻すことは終ぞとして出来なかった。
それでも僕は、彼の事を尊敬し慕っていた。
鬼はなんでも出来た。
運動をさせれば、その自慢の筋肉を以って男子たちを置き去りにしていたし、勉強だって、彼は人の何倍も努力して一番を取っていた。
隙があればゲームがしたい。隙が無くとも、宿題はしたくない。当時の僕とは真逆なのであった。
高校に上がると、鬼は一層目立った。
体格がその年齢に不釣り合いだったかもしれない。ハンサムではなかったけれど、性格はよく、立派な男であった。
──鬼よ。
僕はいつも彼の後を付いて回った。
鬼の腰巾着。それが僕のあだ名だと気が付いたのは、彼と昼飯を共にしていた時だった。
僕はそれが、とても嫌だった。願わくば、金棒になりたかった。
だから、とうとう僕は鬼の腰から離れた。
宝島にも寄り付かなくなったし、校内で鬼を見かけても知らん顔をするようになった。
──ああ、鬼よ。
彼の周りにはいつも人がいた。
そんな彼は、いつも寂しそうな顔をしていた。
鬼の目に涙は似合わない。僕はそれだけ伝えて以来、鬼の事については何も知らない。
クラス替えの有る学校だった。鬼とはクラスが離れた。それだけ。
無遅刻無欠席だけが取り柄の僕だ。
文武両道二刀流の鬼とはわけが違う。
何故か、鬼の寂しそうな顔だけが頭にこびりついて離れなかった。
努力はした。挫折した。諦めた。僕は鬼には成れない。
それが悔しくて悔しくて仕方が無かった。
二番目には嫉妬した。すれ違う鬼に悪態をついたこともある。
そうして僕らは学校を卒業して、行方も分からなくなった。
出来ることならば謝りたい。
出来ないけれど。
僕らは久しぶりに再会した。
彼の目元には涙の痕があった。鬼の目にも涙というのは、存外本当にあるのかもしれない。
やあ、大きくなったな。仕事の羽振りはどうだ。なんだかさらに一回りデカくなったんだなあ。子供は元気か。鬼の子供なんだ、さぞかし喧しいだろう。嫁さんは元気か。惚気るのはよしてくれ。
言いたいことは滝のように流れて、だけど小川のように萎んでゆく。
僕にはもう、口が無い。
鬼の霍乱という言葉がある。
無遅刻無欠席だけが、僕の取り柄だった。
唯一の取り柄だった。
その取り柄が、僕の中から消えていった。残ったのはちっぽけなプライドに友を失った、小さな小さな桃太郎だった。
その桃太郎は、桃ではなく棺に入れられ燃やされる。
ああ、鬼よ。
一度でいいから、謝りたかった。