30 ゼクス ・夜会にて・10
ゼクスは胸の中のエミオンが観念したようにおとなしくなったのでホッとした。
ギュッとする。
エミオンは一瞬ビクッとしたものの嫌がる気配はない。
「……好きだ」
自然とそう告げていた。
エミオンはまだ疑わしそうに弱々しく訊き返してきた。
「……本当ですか?」
「ああ」
「本当の本当に?」
「天地神明に誓って」
エミオンはちょっと黙り、ぽつりと呟いた。
「……好きです」
恥じらいを残した声に温もりを感じた。
ゼクスはエミオンの肩口に顔を埋めた。
「……本当に?」
「本当です」
「あなたが私を好きなのか……?」
「私があなたを好きなんです……」
小さく呟いたエミオンが動いて身体の向きを変え、ゼクスの背中に華奢な腕をまわし、正面から抱き合った。
長いことそのままでいたゼクスとエミオンだが、徐々に熱が冷めてくると猛烈な羞恥が襲った。
だがそれでも離れたくなくて一枚岩さながら二人で固まっていると、月が雲に隠れた。
「あの、殿下」
「ゼクスでいい」
エミオンが口ごもる。
「エミオン姫」
「エミオンでいいです」
今度はゼクスが黙り込む番だった。
「……」
「……」
月が雲から顔を出す。
ゼクスはクッと笑った。
「なにをしているのだろうな、私たちは」
エミオンもクスッと笑った。
「本当に」
ゼクスがエミオンを見つめると、エミオンの白い指がゼクスの頬をなぞった。
「叩いてごめんなさい。痛かった?」
「いや……私より、あなたの手の方が痛かったのではないか?」
エミオンがかぶりを振る。
「手より、胸が痛かった」
「そうか、そうだな。私も同じだ。正直、あなたが私を好きだなんて……まだ少し信じられないのだが」
「それはこっちのセリフよ」
上目遣いで愛らしく詰られて、ゼクスの頭の芯が痺れた。
エミオンの魅力の前に恍惚としてよろめき倒れそうだ。
「……困った」
「……なにが」
「……あなたと離れたくない」
「……私も離してほしくない」
エミオンの甘い声にゼクスは耳まで真っ赤になった。
幸せで、幸せで、幸せで……胸がいっぱいになり危うくエミオンを抱き潰すところだった。
「痛い痛い痛い痛い」
「あ、あ、あ、す、すまぬ! つい力が入って……あまりにも、その、あなたがかわいくて」
ゼクスが微笑むとエミオンが顔をくしゃくしゃにして突然泣き始めた。
「な、な、な、なぜ泣く!?」
「嬉しいの!! いいからしばらく泣かせて」
女性の涙に弱いのは男の性で。
ゼクスはあたふたとうろたえたが、エミオンが胸にしがみついてきたのでそのままにし、迷いためらった末におずおずと髪を撫でた。
「……もし、許してもらえるなら」
断られるかもしれない、と覚悟しつつゼクスは続きを言った。
「……もう一度、はじめからやり直せないだろうか」
エミオンがしゃくり上げる。
「……はじめから?」
ゼクスはエミオンの涙を指で拭った。
「……はじめから。あなたと私が出会った、あのときから」
思えば、一目惚れだったのだろう。
大勢の大人の中でつまらなそうにしていた小さな女の子。
――笑顔が見たくて、声をかけた。
――声をかけたら、泣かれて嫌われた。
ひたすら想い続けたこの十四年の歳月が無駄なものだったとは思わない。
けれど気持ちの重ならない時間だったことはまぎれもなく事実で、だったらせめて過去を礎にエミオンとの関係を一からやり直すことで、この先の二人の未来を幸福なものにできればいい。
ゼクスはエミオンの両手をそっと握った。
「生涯、あなただけを大切にすると誓う。だからどうか私と共に生きてくれないか」
エミオンは眼を涙で濡らしたまま小さく笑った。
「……なんだか求婚されているみたい」
ゼクスは手と眼に力を込めた。
「……まぎれもなく求婚しているのだが」
エミオンは笑声を弾けさせた。
「いやだ、はじめの出会いからやり直すんじゃなかったの?」
「そうだ。だからやり直しているじゃないか」
ゼクスが憮然として言うとエミオンはきょとんとした。
「出会い頭に結婚の申し込み?」
「悪いか?」
するとエミオンがとびきりの笑顔でゼクスに飛びついてきた。
「悪くないわ!」
小気味のよい返事にゼクスも破顔し、エミオンを胸いっぱいに抱きしめた。
「……やっと、あなたの幸せそうな笑顔が見られた。もう思い残すことは……あるな、結構」
「思い残すことがないなんて言ったら怒るわよ。私たち、なにもかもこれからなんだから」
ゼクスはエミオンの甘くとろけた瞳を覗き込みながら、和やかに追及した。
「これからなにを?」
エミオンはかわいらしく小首を傾げ、少し考えて言った。
「やっぱり自己紹介かしら。私たち、お互いに知らないことがたくさんあるもの」
「なるほど」
相槌を打ったゼクスの前でエミオンが優雅にお辞儀した。
「――あなたの妻のエミオンです。どうぞよろしく」
意表を突かれたゼクスは一瞬呆けたものの、すぐに姿勢を正した。
眼の前ではエミオンが畏まった態度ながらも楽しげで、ゼクスが挨拶に応じるのを待っている。
ゼクスの胸にエミオンへの熱い想いが込み上げて、衝動にかられるまま、ゼクスはエミオンの頬を両掌に挟み、額に優しく口づけした。
「――あなたの夫のゼクスだ。こちらこそ、末永くよろしく」
次話、エピローグです。