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受難の恋  作者: 安芸
最終章 もう一度はじめから
30/35

29 エミオン・夜会にて・9

 ゼクスの告白をエミオンは身動ぎもせずに聞いていた。

 血を吐くようにとつとつと話すゼクスの苦しげな顔は蒼白、恐ろしく緊張した態度にエミオンも覚悟を持って臨んだ。

 どんな事実を教えられようと最後まで倒れずに聞こうと。

 だから余計な口を挟まず、ゼクスが語る言葉にじっと耳を傾けていた。

 だけど。


 ――これは、ない。


 エミオンの頭に上っていた血が急速に冷めていった。

 確かに、ゼクスの話を聞きたいと言ったのは自分だ。

 でもそれは真実を知りたいからであって、もっともらしい嘘八百など聞くだけばからしい。


 ――そんなに真剣な顔で。


 エミオンは眼を眇めた。


 ――愛している、なんて嘘を吐く。


 気がついたとき、エミオンの自由な方の手は空を切っていた。

 パシッ、とゼクスの頬を平手で打つ。


「……」


 ゼクスは動じず、ただひどく傷ついた眼でエミオンを見つめた。

 エミオンもまた傷ついていた。

 いま耳にした言葉のどれか一つでも本当だったら、どれほど嬉しいか。

 でも心ときめくようなセリフをいくら並べられても、そこにゼクスの気持ちがなければ虚しいだけだ。

 エミオンは激しい胸の慟哭を一言に込めてぶつけた。


「嘘吐き」


 断罪を待つ囚人のように沈黙していたゼクスが眼元を険しくしてエミオンを睨んだ。


「嘘ではない」


 エミオンは繰り返した。


「嘘吐き」


 ゼクスも繰り返した。


「嘘ではない」


 掴まれていた手首にグッと力が入り、エミオンはゼクスに引き寄せられた。

 一度は冷めた怒りがまたぶり返してくる。

 エミオンは自分の中で抑えていた理性のタガがブツっと切れた音を聞いた。


「嘘ではない、ですって? 私のことが好き? 四六時中私のことを考える? 私に心から恋焦がれて――私を愛している?」

「……そうだ」


 エミオンはゼクスを力いっぱい罵った。


「よくもそんな大嘘が吐けたものですわね。はじめて会ったときから、あんなに冷たかったくせに。ドブスと罵られたことは忘れていませんわよ。グズだのバカだのアホだの、よく苛めてくださっておかげでしばらく男性不信になりましたもの」


 ゼクスも激昂した。


「それは……っ。私が愚かだったのだ。私があなたに惹かれるあまり、あなたに私を見てもらいたくて、いらぬちょっかいをかけることしかできなかったゆえ……悪かったと、思っている。謝って済む問題ではないが、許してくれとも、言えないが……」

「会えばいつも意地悪で、皮肉めいたことばかり言って、優しくなくて!」

「私はあなたを前にすると緊張してうまく話せなくなるのだ!」

「求婚の言葉もなく騙されるように王宮に連れられて結婚させられて!」

「求婚したところで断られるに決まっているのだ、できるわけがない!」

「結婚しても名ばかりの夫婦で、あなたは私を放って置きっぱなしで!」

「あなたに嫌われているとわかっていて手が出せるか! 少しでも無理強いしてまた自決されでもしたらどうする!? あんなに死ぬほど恐ろしい思いをするのは一度きりで十分だ!」

「あのときはああするよりほかなかったのです! 殿下にとってとるに足らない存在だと思い知るのが嫌で嫌で堪らなく、それくらいなら死ぬ方が遥かにましでした!」

「死ぬだと!? 許さん! 私の息があるうちはあなたを冥界の王になどくれてやるものか! あなたは私のもの、私の妻、誰にもやらぬ!」

「誰が誰のものですって? もの? 妻? おかしなことをおっしゃいますこと! 私たちが夫婦であったためしなど一度たりともありませんでしょう」


 エミオンが乾いた笑いを浮かべると手首からゼクスの手が離れ、両方の二の腕を掴まれた。


「……その、他人行儀な口の利き方はやめてもらおう」

「……だったら、あなたも嘘なんて吐かないで本当のことを言って。あなたが本音を言ってくれるなら、私も本音を言います」


 ゼクスがピクリと片方の眉を持ち上げて反応した。


「……あなたの本音、だと?」


 エミオンはおもむろに顔を背けた。


「……あなたが私に本音を聞かせてくれたら、です」


 するとゼクスは困ったような戸惑いを見せた。


「だから私は嘘など吐いていないと言っているだろう」

「信じられません」

「信じろ」

「信じられません!」

「信じろ!」


 エミオンはいきり立って叫んだ。


「あなたが私を愛しているなんて、そんなことあるわけないわ! 私はあなたに妻らしいことをなにもしてあげられていない。この二年、あなたにばかり働かせて私はただのうのうと過ごしていて……こんなんじゃ愛想尽かされても当然です」


 涙がせり上がってきた。だが泣くのは我慢した。泣いて縋るなんて卑怯なことはしたくない。最初で最後の告白ぐらい潔く決めたい、そう思った。


「私に気を遣う必要はありません。本当に好きな方のところに行ってください」


 エミオンは気丈なふりをして精いっぱい微笑んだ。


「優しくできなくてごめんなさい。私ももっと早く自分の気持ちに気がついていれば、素直にあなたに好きだと伝えられたのに。そうすれば私たちもいまとは違った関係で、もしかしたら、普通の、ケンカしたり、仲直りしたり、そんな普通の夫婦に……」


 なれたかもしれないのに。

 

 最後までは言えなかった。途中で嗚咽が漏れて、大粒の涙がボタボタと溢れてしまった。

 大泣きするエミオンを前にゼクスは思いっきり顔を顰めている。


「……待て。いま、なんて言った?」

「や、優しくできなくて」

「違う。その次だ」


 じれったそうに語尾を荒げてゼクスはエミオンを揺すった。


「……好きだと? あなたが、私を? そう言ったか?」

「……言いました、けど」


 するとゼクスは突然怒って、エミオンを手放した。


「嘘もたいがいにしろ! あなたが私を好きだと? よくも言えたな、そんな大嘘が! それで? そんな愚にもつかないことを言って私をしおらしく騙し追っ払って別れようという腹か? あいにくだったな。私はあなたと離縁するつもりなどないし、あなたを手放さない。どれほど嫌われようと死ぬまで、いいや、死んでも傍にいてやる!」


 エミオンは涙を手の甲で拭い、興奮して怒鳴り返した。


「どうして嘘なのよ!? 私は嘘なんて言ってない! 私があなたを好きでなぜいけないの!?」


 ゼクスはむっつりと言った。


「信じられない」

「信じなさいよ」

「信じられるか!」

「信じなさいってば!」


 声高な応酬のあとエミオンはゼクスと額を突きつけて相対した。

 エミオンも怒り狂い、ゼクスも怒り狂い、二人は同時に凄んで言った。


「……私の方が先にあなたを愛していると言っただろう」

「……妻が好きだと言っているのに信じない夫がどこにいるのよ」


 二人の間をひゅうっと一陣の風が通った。


「……」

「……」


 痛いほど殺伐とした空気が漲り静寂が続く。


「……」

「……」


 ややあって、ゼクスがふと動揺したようにまごついた。

 まだ警戒を解かないエミオンの前でゼクスが少し俯き、照れたように手で口元を覆う。

 エミオンはゼクスの豹変した態度を胡散臭そうに眺めて、わざとつっけんどんに訊ねた。


「……なによ。なにか言いたいことがあるなら言えば?」

「……思ったのだが」

「……」

「……もしかして、私たちは、その……」

「……?」


 ゼクスが艶を帯びた一瞥をエミオンに投げかけて言った。


「……両想い、なのでは、ないかと……違う、か?」


 違ったらすまぬ。とゼクスが恐々と付け足した。

 エミオンはゼクスのいまの言葉を反芻した。

 そして事ここに到る相互のやり取りを思い返して、一気にパニックになった。


「え? えっ!? ええ!?」

「……やはり、違うか」


 がっくりと肩を落とすゼクスの前でエミオンは大きく首を振った。


「勝手に納得して落ち込まないでください! だ、だって、両想いなんてそんなことあるわけ、でででででも」

「違わない、のか?」

「そ、そ、そ、そんな熱いまなざしを向けないでくださいってば!」


 それだけで勘違いしてしまう。

 ああでも、もしかしたら勘違いではないのかも――?


「エミオン姫」


 名前を呼ばれてうっかりゼクスを見たのがいけなかった。

 いままでに見たことがないくらい優しい眼と慈しみにみちた微笑みがすぐ間近にあって、そっと手を伸ばされた。


「!?」


 思わず走って逃げた。

 だがすぐに追いつかれた。

 案の定、ゼクスは怒った。


「なぜ逃げる!?」


 エミオンはゼクスに手を握られて真っ赤になりながら答えた。


「逃げたくなったんです!」

「ダメだ、逃がさない」


 ゼクスは抵抗するエミオンの腰を強引に腕にさらって、覆いかぶさるようにエミオンを背後から強く抱きしめた。

 エミオンの思考が沸騰しかけたそのとき、ゼクスの消え入るような囁きが届いた。


「……頼む。逃げないでくれ……」



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