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受難の恋  作者: 安芸
最終章 もう一度はじめから
29/35

28 ゼクス ・夜会にて・8

 月明かりのもと、ゼクスはいまにも卒倒しそうなほど眼を見開いて立ち尽くすエミオンのきれいな瞳に自分が映っていることに、なんだか申し訳ない気持ちになった。


「こんなことを言えば、あなたに気持ち悪がられることはわかっているのだが……」


 ゼクスは唇をきつく結んだ。


 ――苦しい。

 ――言ってしまった。

 ――とうとう知られてしまった。


 心臓から、十四年もの歳月の間溜めていたものがどろどろと溶けて流れ出していく。

 積み重ねていたエミオンへの想いが血の泥となって滴り、ゼクスを足元から浸食していく。


 もう終わりだ、と思った。

 一度口にした言葉は、なかったことにはできない。


 ――生涯、告げるつもりはなかったのに。

 ――言葉にしなければ、これ以上嫌われずに済んだのに。


 ゼクスはかつてないくらい深く落ち込んだ。

 ただでさえ疎まれているというのに、「好きだ」なんて言ったらますます嫌がられるだろう。今度こそ、別居を申し出てくるかもしれない。いや、いっそ離婚を願われるおそれもある。

 ぞっとした。

 エミオンを手放すことなど考えられない。死んでも嫌だ。離れるなど夢でも断る。たとえどれほど厭われようと、別れはしない。絶対に。


 ゼクスは口角を歪ませた。本当のことを打ち明けなければならないかと思うと気分はどん底で口が重く、胸が潰れそうな苦痛を味わった。

 だがそれでもエミオンが望むのならば、致し方ない……。

 ゼクスはエミオンを見つめながら、途切れ途切れに話した。


「あれは、いまから三年前、私が十五のときだった。ジョカ兄上が、私のために第二王位継承権を放棄したのは……暗黙の王家の掟により王子が三人以上生まれた場合、長男と次男を除いて王籍は廃される。ムダな後継者争いを防ぐために。そして王家の暗部を支える役割を担う……私もそうなるはずだった。だが……」


 咽喉が詰まった。

 あの日のことが脳裡に甦る。


 当時次兄ジョカは二十一。

 不真面目で奔放、いつも他人の迷惑になるようなことをしでかしては騒ぎを起こしていた。

 それでも不思議と人徳があり、人品骨柄卑しからぬ長兄アギルと肩を並べてもなんら遜色のないカリスマ性を備えていて、王家は安泰だと見込まれていた。

 ところがゼクスが十四で成人したその一年後、ジョカがゼクスを訪ねてきて言った。


「俺、王子辞めるわ。あとはおまえがやれよ」


 ゼクスは訝しんだ。


「辞める……?」

「そ。第二王位継承者―なんて面倒くせぇ立場はおまえに任せるわ。俺は裏で好きにさせてもらう。だからおまえはさ、あくせく働いて気立てのいい嫁でも貰えよ。じゃあな」


 ジョカはひらっと手を振って背を向けた。

 それきりジョカは表の世界から姿を消した。

 翌日から第二王位継承者の地位に就いたのはゼクスで、ジョカの代わりにアギルの片腕として執政に深く携わるようにもなった。

 なぜこんなことになったのかわからないまま多忙な日々が続いたある日、珍しく長兄アギルと二人きりになった。

 それは他国の使者との面会を控えたほんの束の間の時間だったが、アギルがゼクスを見て言った。


「ジョカがおまえの身代わりになったのは、罪滅ぼしのためなのだよ」

「――兄上が私の身代わり……?」


 逆ではないのか。

 私が兄上の身代わりだったはず、と言いかけたゼクスを制してアギルが続ける。


「おまえとエミオン姫との出会いをメチャクチャにした責任を取った。ジョカはなにも言わなかっただろうがあれで結構繊細なところがあってね、おまえのエミオン姫に対する傾倒ぶりを見て本物だと気づき、バカな悪戯心でおまえの純真な心を痛めつけたと、ずっと気に病んでいたんだ。だからおまえがエミオン姫と結ばれるよう自分が身を引いた」

「そんな」


 ゼクスは絶句した。思いもよらぬ真相に頭が混乱した。

 王家の男児は十四で成人し、十五で役職に就く。三男以降は十五を境に表舞台から消えて裏舞台に潜り政治の裏交渉、諜報、暗殺など手を血と死に染める。

 それが連綿と続く王家の習わしだ。家族や友人との縁は断たれ、社会的に抹殺された存在となる。

 当然エミオンとも会えなくなる――そう覚悟していた矢先の出来事だった。

 ゼクスは思考の整理のつかない状態でアギルに訊ねた。


「私はどうすればいいのでしょうか」


 アギルはあっさりと答えた。


「仕事をしなさい」


 ゼクスはぼんやりと鸚鵡返しに呟いた。


「仕事……」

「仕事をして、幸せになるといい。それがジョカの望みなのだから」


 ゼクスは長く吐息した。


「だから私は仕事をする。いや、私にできることはそもそも仕事しかないのだ。それに仕事をしていれば……仕事をしている間だけは、あなたのことを考えずに済む」


 エミオンの瞳が息を吹き返してふと揺れた。

 悩ましい形の唇が疑問をぶつけようと動くが、声が声にならずに掠れる。

 ゼクスは口よりもはっきりと物を言う眼に気圧されて喋った。


「気色悪いと思われるだろうが、私は仕事をしている時間を除いては……あなたのことを考えるより他にやることがない。朝も昼も夜も、ずっと、ずっと、仕事以外は、あなたのことだけ考えて生きている……」


 好きで。


「あなたはいまなにをしているだろうか、なにを考えて誰を想っているのか……そんなことばかり考えては苦しくなって、気分は最悪、夜も眠れない。だからそういうとき私は仕事に逃げている」


 好きで……。


「こんな夫で、すまない」


 自分でもどこかおかしいと思うくらい、好きなのだ。


 段々と声がしりすぼみになっていく。

 大の男が「仕事に逃げる」などと公言することではない。ダンに聞かれれば胸倉を掴まれて無言の喝か頭突きを食らわされるだろう。みっともないことを言うな、と罵られるに決まっている。

 しかしゼクスはそこで口を噤まなかった。


「……あなたを隠しているのは、いま内政の一部に問題があり、国政に不満を持つ者が重職につく者のみならず、その恋人、友人、家族を含めて攻撃の対象としているからだ。あなたは私の妻だから狙われる恐れが多分にあったし、それに」


 情けなくて、こんなことは言いたくない。

 だがここまで暴露した以上、今更一つ二つ本音を隠したところで、どうなるものでもなく……やむなくゼクスはもぐもぐと口を動かした。


「その、これが一番の理由なのだが、美しいあなたを人目にさらしたくなかったのだ。それに、あなたの興味が余所に向けられるのも怖かったし……他の男の眼に留まる危険は排除したくて……つまりは、私のわがままで……すまない」


 エミオンの表情ははじめ茫然、次には疑念、混乱、戸惑い、呆れ、と忙しく変化し、しまいには虚ろを通り越して無表情になった。

 いまエミオンは一切の感情を欠いた顔でゼクスと向き合っている。

 その心がどうなっているのかなどまったく伺えない。

 ゼクスはいたたまれず、どうにも身を隠したい衝動にかられながらも必死に冷静さを保とうと懸命の努力をした。

 無様な告白だ、恰好悪いことこの上ない。


「……」

「……」


 ゼクスは極度の緊張状態にあった。

 こんなことを言えば決定的に嫌われる、そう確信があった。

 だから言うのは嫌だったのに。けれどエミオンがゼクスの言葉を待っている。

 ゼクスは身震いし、何度か呼吸をしたあと覚悟を決めた。

 もう月も木々も夜の闇さえも眼に入っていなかった。風も絶えた。

 ゼクスの眼に映るのは最愛の妻、エミオンの姿だけだった。


「私が執着しているのは、他でもない……あなただ」


 ずっとずっと言いたくて、でも言えなくて、黙っていたこと。


「私が心から恋焦がれているのは」


 ゼクスはエミオンを熱く真剣な眼で見つめた。

 そして一生口にする機会などないと諦めていた言葉を告げた。


「私が愛しているのは―ーエミオン姫、あなたなのだ」



     

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