26 ゼクス ・夜会にて・6
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「すまなかった」
ゼクスはベンチに座るエミオンからゆっくりと距離を取った。つくづく眺める。淡い月光に浮かび上がるエミオンは罪なくらい美しい。
思った通り、白いドレスがよく似合っている。
今宵のために、清純なエミオンに相応しい純白を選んだ。布地は光沢を備えた最上質のものを取り寄せ、着心地に配慮しながらも露出の少ない最先端のデザインで作らせた。正面はシンプルに、背面はドレープを贅沢に、過度な装飾のないドレスは動作やしぐさの一つ一つを際立たせ、より優雅にエミオンを輝かせていた。
今日は髪型も手が込んでいたし、化粧も華やかだ。
眼が眩むほどきれいで、なのに一言も褒め言葉を口にできないなんて。
ゼクスは自分の不甲斐なさにほとほと嫌気がさしてしまった。着飾った妻を称賛することもできないなど、夫失格だろう。
怒って非難されても仕方ないくらいなのに、エミオンはゼクスを責めなかった。ゼクスといえば、自分にがっかりしていた。
せめてこの口下手な性分さえどうにかできれば、もう少し上手にエミオンの心に近づけるだろうに。
だがどうしてもエミオンの前に出ると委縮してしまい、思うように振る舞えない。
ダメな男だ……。
ゼクスは顔を背けた。この続きはとてもではないがエミオンの顔を見ては話せない。
式典の間中、ゼクスはこっそりエミオンだけを眺めていた。幸福だった。ただ傍にいられるだけで、それだけで本当に幸せだった。やや離れた場所で式典に列席する側近のダンが「自分の妻にぼけっと見惚れているな、前を見ろ! しゃきっとしろ!」としきりに目配せを送って寄こすが、ゼクスはかまうものか、と開き直っていた。夫が美しい妻に見惚れてなにが悪い。
「……?」
だが当のエミオンはなんだかしょんぼりした様子で、元気がなかった。迎えに行ったときはそわそわと落ちつかないながらもこんなに暗い顔をしてはいなかったのに。原因を探ろうにもなんて言葉をかけたらよいものかわからず、グズグズする間にダンスが始まり、うまい誘い文句も思いつかず機を逃し、あとは人波に殺到され、はぐれてしまった。
大広間に入って来たエミオンを見つけた瞬間は、一気に気分が高揚した。眼が奪われる。呼吸をするのも不自由なくらい陶然となりかけたところで、周囲の男たちの物欲しげな視線がエミオンに注がれていることに気づいた。
嫉妬した。見るな、と大声で叫びたかった。これだから人前にエミオンを連れ出すのは嫌なのだ。他の男の眼に触れるだけでエミオンが穢されるようで、とても我慢ならない。
ゼクスはすぐさまエミオンをこの場から隔離しようとした。
だがその前にエミオンの様子がおかしいことに気がついた。
――頬に涙の痕がある。
たちまちどす黒い感情が沸き上がる。他にはなにも考えられなくなった。
あの気丈なエミオンが泣くほど傷つけられたことに抑えようのない怒りを覚えた。胸の奥から報復を誓う念がむくむくと首をもたげてくる。
だが結局のところ、ゼクスの心配は杞憂にすぎず、エミオンの言い分では誰も悪くはないらしい。
釈然とせず表情を曇らせたゼクスの前で、エミオンもなにか葛藤に苛まれている。
……お互いがお互いの拠り所となれるような夫婦関係だったらよかったのに、と思う。
今更そんなふうに理解し合うことは無理があるにしても、せめて泣かせたくない。いつだって笑っていてほしい。
たったそれだけの願いすらかなわないのは、やはり自分の行いに非があるのだろう。
……私の身勝手さが、あなたを不幸にしている。
ゼクスはますます自己嫌悪に陥りながら、無様な懺悔を続けた。
「あのとき……」
「『あのとき』……?」
「はじめて会ったあのとき、あなたは大人たちに囲まれて一人つまらなそうにしていた。私はあなたを一目見たときから眼が離せなくて、笑った顔を見てみたくて」
まるでエミオンの居場所にだけ光が射したように鮮やかで、キラキラと輝いて見えた。
「近づきたいのに近づけなくて、私はただ遠巻きにあなたを見ていたんだ。どうしたらあなたの笑顔を見られるのか、それだけを考えながら……」
――名前も知らない女の子。
――どうか、笑って。
ゼクスは夜陰の中で自嘲的な笑いを浮かべた。
「生憎と言葉を選び損ねてしまい私の願いはかなわなかったが、あなたを傷つけるつもりはなかった。泣かせるつもりなど本当になくて……いや、言い訳など見苦しいな」
深い後悔に苛まれながらゼクスは「ふーっ」と肩から力を抜き、溜め息をつく。
「後悔先に立たずとはよく言ったものだ。あの一言で私はあなたに嫌われ、避けられるようになり、ようやく物心がついたときには既に溝は深く……あなたは私を見るごとに険悪な表情を浮かべるようになった」
自業自得だ。
もう何千回もそう繰り返して己のバカさ加減を呪った。
「取り返しのつかないことを言ったと、ずっと後悔しているんだ。あんな心にもないことを告げなければ私とあなたの関係はもっと違ったものになった可能性もあるのに……無知とは罪だな。私は掛け値なしのバカだ」
「……ま、待って……」
エミオンがうろたえた声を漏らした。
ゼクスは急にエミオンに触れたくなって、指先を伸ばしかけたものの、寸でのところで衝動を堪え、手を引っ込めた。
触れたくても、触れられない。
こんなに近くにいてさえ遠い。
どうにも切なくて、ゼクスは眼を細めてエミオンをじっと見つめた。
「あなたはブスではない。あなたは」
口ごもる。
本当の気持ちをほんのひとこと言葉にするだけなのに、どうしてこんなにも緊張するのだろう。
ゼクスは心を震わせながら、エミオンにはそれと悟られぬよう息を詰めて呟いた。
「あなたは、この世で一番美しい人だ」