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受難の恋  作者: 安芸
最終章 もう一度はじめから
24/35

23 エミオン・夜会にて・3

拙作 愛してると言いなさい・3 文庫版 8月中旬発売予定です。

本編完結。書き下ろし番外編あり。未読の方はお手に取っていただければ嬉しいです。

      


 捜すまでもなく、一目でゼクスを見つけた。

 大広間には大勢の人間が溢れかえっていたが、エミオンの眼はわずかな隙間からほんの一瞬で凛とした漆黒の姿をとらえた。

 驚いたことに、ほぼ同時にゼクスの眼もこちらを向いて、エミオンを見つめ返していた。

 二人の間には距離があったが、視線は通じている。


 好き。


 ただ立っているだけで膝が震える。

 眼が合ったことが嬉しくて、こうして遠くから見つめられるだけでも切なくて、胸が苦しい。


 どうしようもなく、好き。


 この気持ちからは逃れようもなさそうだ。

 たとえゼクスの眼がよその女性に向けられていて、自分はこのままずっと名ばかりの妻で居続けなければならないとしても、傍にいられるのなら、それでいい。

 想うのだけは自由のはず。報われたいと願わなければ軋轢も生まれない。


 寂しいけれど。

 とても寂しいけれど、望まれない身である以上なにもできない。


 だけど……。


 エミオンはアギルの言葉を思い返した。


 ――ただひとつのものに執着し、心をそっくり明け渡している。

 ――それほど深く、恋に狂っている。


 身震いした。

 胸の焼けるような嫉妬を味わう。

 二年前、ゼクスにむりやり妻にされたときには想像もしなかった心境の変化だ。

 無口で無愛想、不器用でとっつきづらく、わかりにくい優しさしか示さず自分には手も触れないゼクスが、恋に狂っている、なんて。

 そんなこと、俄かには信じられない。


 違う。

 信じられないのではなくて、信じたくない、だ。


 ゼクスが恋に狂っている……? 

 いったい、誰に……?


 エミオンは嗚咽を噛み殺した。目の前が真っ暗になるほど衝撃を受けた。それと同時に納得もしていた。ゼクスの心が別の女性にあるなんて、とうの昔に気づいていた……。


 相手は――? 

 知りたい。知りたくない。

 知りたい。知りたくない……!


 エミオンはそんな相反する気持ちを抱えながらゼクスのもとへ一歩を踏み出した。

 するとゼクスもはっと我に返ったように、エミオンの方へ歩みを進めて来る。

 周囲より興味を惹かれたような視線と声がまとわりつく。


「おい、あちらの美しい女性はどなただ?」

「バカ、あれがゼクス殿下の妃殿下だろう」

「夜会に出席なさるなんてお珍しいこと」

「王妃陛下のおめでたい席ですもの、当然いらっしゃるわよ」


 すぐ近くまで来たので声をかけようとエミオンはいったん口を開いたものの、話しかける前に突然ゼクスの手が伸びて腕を掴まれた。


「あ、あの」

「来い」


 有無を言わさず引っ張られ、大広間のバルコニーから夜陰の深い中庭へ連れ出される。


「どちらへ」

「……」


 訊ねても返事は返ってこない。


 無言のまま中庭を突っ切り、一つ目の噴水広場を過ぎて二つ目の噴水広場まで来た。

 天空にぽっかりと浮かぶ月を突くような細い糸杉が左右の散歩道に一直線に立ち並び、大理石造りの噴水は夜でも水を撒き散らしている。人影はなく、点々と灯る角灯の薄明かりが優しい空間を演出して憩うにはもってこいだ。


 ゼクスはエミオンを空いているベンチに座らせ、肩を怒らせたままエミオンの足元に片膝をつく。上目遣いに顔をじっと覗き込まれて、エミオンは怯んだ。ゼクスは見るからに不機嫌で、眼が険しく細められていて怖い。

 だがゼクスが憤る理由に心当たりがなく、エミオンは不審のあまり口ごもってしまう。


「どうして……な、なにを怒っていらっしゃるんですか?」

「誰に泣かされた」

「え?」

「誰に泣かされたのだ、と訊いている」


 憮然と繰り返す声は低く、殺気すら帯びている。

 エミオンはゼクスの気色ばんだ態度におののき、返事が出来なかった。俯くと、即座にゼクスの指が顎に伸びて顔を上向けられ、視線を絡め取られる。


「眼が赤い。腫れている。こんなに涙の痕を残して……」

「あまり見ないでください」


 恥ずかしい。

 散々泣いたあとなのに化粧直しにまで考えが及ばなかった。さぞやひどい顔なのだろう。

 エミオンが身体をずらしてゼクスより距離をとろうとすると、両方の二の腕を掴まれベンチに押さえつけられた。

 ゼクスはいまにも切れそうな理性を抑えている表情でエミオンを問い詰めた。


「涙の理由は? 暴言か、暴力か? それともなにか辱めを受けたのか? 誰があなたを悲しませたのだ? 言ってみろ、私が報復してきてやる」


 エミオンはびっくりして、かぶりを振った。


「誤解です。誰にもなにもされていません。これは……その……」

「その、なんだ」

「醜い嫉妬のため、です」


 エミオンの弱々しくすぼまる言葉にゼクスは怪訝そうに眉を顰めた。若干、拘束力がゆるくなる。


「……嫉妬……?」


 掴まれている腕が熱い。

 強い力。訝しそうな黒い瞳。

 こんなにも近くにいて、心だけが遥か遠くにあるなんて理不尽だ。もっとも、自業自得、とわかってはいるけれど。

 でも、どうにかしたい。少しでもわかりあえたら、と思う。すぐには無理でも関係改善のための一歩を踏み出したい。

 エミオンは勇気を振り絞って言った。


「あの」


 訊きたい。

 知りたい。


「殿下にお訊ねしたいことがあります」


 聞いて欲しい。

 知って欲しい。


「――話があるんです」


 エミオンはいまにも挫けそうな心を鼓舞しながら、吃とゼクスを見据えた。


「以前、殿下は話が苦手だとおっしゃしましたが、今日はどうしても聞いていただきたいのです。お、教えていただきたいことも、あります。殿下が私を嫌いでも、ほんの少しの時間でかまいません。どうか私に付き合ってください。お願いします」


 一気に喋った。

 緊張のあまり息が切れた。手足が震え、歯の根も合わない。ゼクスの返答が怖くて腰が抜けそうだ。

 

 ここまで言って、断られたらどうしよう?


 エミオンの切羽詰まった心中をよそに、ゼクスの反応は間が抜けていた。


「……は?」


 面食らった顔で一瞬沈黙し、そのすぐあとにゼクスは血相を変えてエミオンを揺さぶった。


「待て。なんだそれは。私があなたを嫌いだと? 誰がそんなばかなことを言った」

「嫌いでしょう? ごまかさなくてもいいんです。もう、わかっていますから。私は名ばかりの妻です。結婚して二年も経つのに殿下のお役に立つようなことをなにもしていないんですもの、嫌われても仕方ありません。あまり相手にもしたくないのでしょうけれど、でもお願いです。少しだけでかまいません、話をさせてください」


 ゼクスは眼を剥いて叫んだ。


「嫌ってなどいない! 誰があなたを嫌うものか」


 エミオンも同じくらい激しく言い返した。


「嫌いでもいいんです! 話をする時間をくださればそれで」


 ゼクスがエミオンの額に額を寄せて怒りもあらわに不満を爆発させた。


「よくない! 私があなたを嫌いだなどと、そんな悪辣な誤解をそのままにしておけるかっ。話だと!? そんなものはいくらだって聞くし、時間だって好きなだけくれてやる。あなたが付き合えと言うならどこへでもいつなりとも付き合うし、幾日でも望むだけ相手になろう。だからいいか、私があなたを嫌いだなんてでまかせを金輪際一瞬たりとも信じるな!!」


 ゼクスの迫力に気圧されてエミオンはしばらく固まっていた。


 ……でまかせ?


 混乱する。

 エミオンはいましがたぶつけられた言葉を反芻した。意味をまともに咀嚼すると、齟齬が生まれる。理解できない。


 その言い方では、まるで。

 まるで、真逆の意味に受け取れてしまう。そんなはずはないのに。


 思考回路が正常に機能しはじめたのはゼクスの息が上がって鳩のように膨らんだ胸が平らになってからで、それでもまだ茫然としたままエミオンは呟いた。


「変です」

「なにが」

「変ですよ」

「だからなにが」

「だって私のことを嫌いじゃないって聞こえます」

「そう言っている。私の話を聞いていなかったのか」


 すごくきつい眼で睨まれても、怖くない。

 徐々にいまの会話が身に沁みてきて、今度はエミオンがうろたえる番だった。



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