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受難の恋  作者: 安芸
最終章 もう一度はじめから
22/35

21 エミオン・夜会にて・1

 拙作 異世界の本屋さんへようこそ! 第2巻 8月下旬発売予定です。

 詳細は活動報告&拙宅ブログ安芸物語をご覧ください。


 エミオンはゼクスに手を取られて王妃陛下に誕生祝いの挨拶をする。(しん)から震えるほど緊張していたが、どうにかつつがなく終えることができた。

 国王陛下も王妃陛下もにこやかに微笑み、ゼクスと一緒にエミオンが祝賀会へ出席したことを喜んでくれた。

 両陛下に歓迎されたことが嬉しくて、エミオンの心も和らぐ。まだ簡単にゼクスを許すわけにはいかないが、今日くらいは一時休戦してもいいかな、とも考えた。

 ゼクスが「自分を殺せ」とエミオンに迫ったあの日以来、一切口を利いていないのだ。


「でもあれは、ゼクス殿下がいけないのよ」


 ゼクスがどうしてあんなことを言い出したのか不明だが、エミオンとしては自分を大事にしないゼクスの発言は到底許せるものではない。

 第一、あんなことを言われて傷つかないわけがない。ショックだった。心臓が止まらないのが不思議なほど心を抉られた。

 名ばかりとはいえ妻なのに、名ばかりとはいえ夫から、殺害を許容されるなんてどれだけ情がないのだろう。

 死に別れてもいいくらい存在価値がないのだ、と突きつけられた気がした。

 なにも教えてくれず、傍にもいてくれず、婚姻は結んでも妻としては扱わず、他に誰か想い人がいるようなのに、離縁はしてくれない。


 挙句の果てに、「殺せ」だなんて。


 ――ゼクスの気持ちがわからない。


 エミオンは横に並ぶゼクスをちらっと盗み見た。黒一色の正装は見惚れるほど様になっている。月の光も弾くような真っ黒な黒髪、微塵も甘さのない黒い瞳。普段よりずっといつにもまして顰め面で、取りつく島もないくらい重苦しい雰囲気を漂わせていた。念入りに身支度を整えたエミオンを迎えに来たときからずっとこうなのだ。


 むっつりと口を噤むゼクスに対し、一時休戦を申し出ようにもどう接すればいいのかわからず、結局エミオンも沈黙を押し通していた。

 そうする間にも粛々と華やかな式典が進み、終了すると、続いて舞踏会がはじまった。


「音楽を!」


 国王陛下と王妃陛下が最初にフロアを独占する。皆が見守る中、一曲目が終わると二曲目にはアギル第一王子が王妃陛下に指名された美しい令嬢の手を取って、溜め息が出るほど優雅に一曲踊った。

 次は本来ならばゼクスがエミオンの手を引いてフロアに出て行くべきだが、ゼクスはそうしなかった。短くかぶりを振り、音楽隊をまとめる指揮者に合図してワルツを開始させる。たちまちフロアは大勢の紳士淑女でいっぱいになった。

 そしてゼクスはあっという間に女性たちに取り囲まれてしまう。


「ゼクス殿下!」

「殿下、こちらにいらして。どうぞお話を伺わせてくださいな」

「ごきげんよう、ゼクス殿下。今日はまた一段と素敵ですわね」


 エミオンは内心がっかりしていた。ゼクスがダンスを申し込んでくれる可能性は限りなく低かったが、最初の一曲くらいは、と淡い希望を抱いていたのに。


 せっかくゼクスに見劣りしないようにと一生懸命ドレスを選び、髪型を選んで、きれいに化粧をしてもらったのに、全部無駄になってしまった。

 こうなることも覚悟はしていたが、実際ぽつんと取り残されると想像以上に空しい。


「……」


 エミオンは美しく着飾った女性たちの相手をするゼクスをぼんやり眺めた。


 もしかしたら、あの中にゼクスの好きな人もいるのかもしれない……。


 そう思うと、誰もかれもがそう見えた。どの女性も甲乙つけがたいほど美しく、華やかで、とてもかなわない。

 エミオンはギュッと手を固く握りしめ、唇を噛んで、一人一人をじっと見つめる。


 もし――ゼクスがダンスを申し込むような女性がいれば、たぶんその女性が彼の想い人だろう。


 見たくない。

 そんな場面は、見たくない。


 エミオンは堪らず、ゼクスに背を向けた。涙腺が決壊する前に急いで大広間を抜け出す。ドレスの裾を引き、逃げるように走った。通りすがりに声をかけられても足を止めなかった。涙が溢れてきて、嗚咽が堪えようもなく込み上げて、こんな顔を誰にも見られるわけにはいかなかったから。


「待った」


 不意に腕を掴まれた。

 驚いて振り返ると、アギル王子だった。

 気遣わしげな表情でエミオンの顔を覗き込んでくる。


「なぜ泣いているの?」


 エミオンは顔を背けてアギルの腕を振り解こうとした。


「殿下……あ、あの、お、お放しください……」


 だがアギルは首を左右に振る。


「泣いている女性を放ってなどおけないよ。こちらにおいで」


 有無を言わさず、休憩用の客室に引き入れられた。

 アギルは扉に背を預けて寄りかかり、腕を組み、エミオンを見つめて訊ねた。


「そんなに泣いて、私の弟があなたになにか無礼な真似でもしたのかな?」


 エミオンは黙ってかぶりを振った。

 アギルは静かな落ちついた声音で言葉を紡いでいく。


「本当ならば、妻を追いかけるのは夫の務めだと思うのだがね……不肖の弟ですまない。兄である私から謝るよ。それはそうと、なぜ最初のダンスを踊らなかったの? 具合でも悪かった?」


 エミオンはまた首を振った。下手な受け答えはできない。

 アギルは困ったような嘆息を漏らした。


「……できるなら、あなたの涙を拭って慰めてあげたいところだが、私がそんな真似をしたら嫉妬深い弟が怒り狂ってなにをするかわからないのでね、やめておくよ。さ、もう泣くのはおよし。美人が台無しだ。あなたのような美しい人に涙など似合わないよ」


 歯の浮くようなセリフだが、アギルが口にすると不思議と嫌味に聞こえない。

 エミオンは手の甲で顔を擦りながら、泣き腫らした眼でアギルを凝視した。

 アギルは優しくなだめるように、エミオンに話しかける。


「私にあなたが泣いている理由を話してくれないか? 微力でも力になれるかもしれない」

「……です」

「え?」

「……です」

「ごめん。聞こえない。もう一度言ってくれるかい?」

「……ゼクス殿下には、ほ、他に……」


 声が詰まった。

 アギルは黙ったまま眼で続きを促してくる。


「……他に好きな女性がいらっしゃるみたいです……」


 エミオンがようやくそう言うと、アギルは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。


「……ゼクスがそう言ったのかい?」


 エミオンは首を横に振って否定した。


「言葉ではなにもおっしゃいませんが……」


 二年間の夫婦生活は形だけのものでいまだに清らかな関係だ、などと誰が信じるだろう?

 でもそれが事実だ。

 さすがにこんなことまで打ち明けるわけにはいかないけれど。

 エミオンは俯いてポツリと呟く。


「私は、いらない妻なんです」


 みじめだ。

 自業自得だけれど。


 お互いにわかり合う努力を怠った結果がこうだ。本当は泣く資格すらないのに。望んで結婚したわけではないけれど、関係を改善する時間は十分にあった。それなのに変な意地を張って、話し合うことも、理解しようと努めることもせず、ただ無為に時間を過ごしてきた。


 後悔しても、こんなに心が離れてしまったいまとなっては、もう遅いけれど……。


 虚ろな眼で床を見つめるエミオンに、アギルはそっと穏やかな声で囁きかけた。


「あなたがどうしてそんな誤解をしているのか、私にはわからないけれど……一度ゼクスと話し合う必要があるね」


 アギルはあくまで優しく微笑んだ。


「私の弟は口下手で、仕事以外は要領が悪くて、人の気持ちに鈍いところがあるから苛々することも多いと思う。でもね、心根はまっすぐで誰より優しい男だよ。四歳のときから、たった一つのものだけをとても大事にしている。あんまり夢中で一生懸命だからまわりもほだされてね、ジョカなんて第二王位継承権まで捨てた」


 唐突に第二王子ジョカの名前が出てきてエミオンは訝しんだ。


「ジョカ殿下?」


 アギルは微笑を絶やさずに続けた。


「そうだよ。聞かされていない? だったら、訊いてみるといい。ジョカがなぜ第二王位継承権を放棄し、ゼクスがその地位を得たのか。ゼクスが朝から晩まで仕事漬けになっている理由や、あなたを南の棟に軟禁し外部との接触を極力断っている事情も、余さず教えてもらいなさい。すべてを知った上で、それでもまだ泣きたければ、今度は私の胸を貸そう。もっともその必要はないだろうし、あの独占欲の塊がそれを許すとも思えないけどね」


 エミオンは力なく肩を落とした。以前にも一度、「話をしたい」と申し出たことがある。あのときは断わられた。今度も同じことにならないだろうか。


 自信がない。


「私が訊いて教えてくださるでしょうか?」

「もちろん。ゼクスがあなたに逆らえるわけがない。ゼクスはね、狂っているのだよ」


 アギルの低い囁きに鳥肌が立つ。

 恐る恐る顔を上げて見返すと、アギルはぞくっとするほど美しい微笑を浮かべていた。


「ただ一つのものに執着し、心をそっくり明け渡している。それほど深く」


 アギルの声には苦々しさと呆れ、それに微かな羨望が含まれていた。

 エミオンはいつしか泣きやみ、アギルの言葉に真剣に耳を傾けていた。


「恋に狂ってる」


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