14.実家
朝の光がまぶしく絵理子の顔を照らした。時計を見ると午前9時を少し過ぎていた。いつもは休日でも7時には起きるのに、昨日いろんなことがありすぎて疲れていたのだろう。ベッドから起き上がると冷蔵庫まで歩いて、いつも冷やしてある清涼飲料水をグラスに注ぎ一気に飲み干した。
今日は北鎌倉の実家に顔を出す予定だ。帝都銀行を退職したときに母に会ったので、1ヶ月ぶりになる。銀行に入行したころは北鎌倉から大手町まで通っていたが、ITの仕事は時間が不規則で帰宅する時間も深夜になることが多く、母が毎日心配するのでわずらわしくなり横浜にマンションを借りた。退職をした時には北鎌倉に戻ろうかとも考えたが、転職先が決まってからと思い、ずるずると今日に至っている。
パジャマを脱ぎ捨てるとTシャツにジーンズをはきカーキ色のジャケットを羽織った。軽く化粧を済ませると、低めのヒールのパンプスを履きマンションを出た。地下鉄の駅までは歩いて10分かからない。外へ出ると日差しがまぶしかったので、カバンの中からサングラスを取り出した。歩きながら携帯電話でこれから鎌倉に向かうと母に伝えた。
地下鉄を2駅乗り、横浜で横須賀線に乗り換えた。20分ほどで北鎌倉の駅に到着する。休日の割に車内は混んでいた。家族連れが多い。鎌倉にでも遊びにいくのだろう。優しい風景だった。小さい頃は父とよく電車に乗っていろんなところに遊びに連れて行ってもらった。絵理子は扉にもたれかかって外の景色を眺めた。大船の観音様が微笑んでいるのが見えた。
北鎌倉の駅を降りると、道路を渡った正面の細い路地を入った。鎌倉はどこも道が狭い。車が通れない道がたくさんある。観光目的で車で来ると渋滞につかまり大変な目にあう。鎌倉は歩いて移動する街だ。
2つ目の路地を曲がったところに絵理子の実家がある。
門から玄関までは20メートルほどの石畳が続いていた。右には高い生垣があり、隣の家との境を区切っていた。左側には紫の綺麗な花をつけた大きな藤棚がある。絵理子はパンプスの音を響かせながら木漏れ日の中を歩いた。
扉を開けると六畳ほどの玄関があった。そこには亡くなった父の革靴がいまでもキチンとならべてあった。訪問者に一人暮らしと思わせないカモフラージュだと母は言っていたが、今でも父が「お帰り」と言って出てきそうだった。上がり口の段差は40cmくらいあった。昔よくここで母が腰掛けて近所のおばさんと談笑していたのを思い出す。正面には李朝の壷が飾ってあり、そこに菖蒲などの鮮やかな花々が活けてあった。
家にあがり、玄関にかかっている暖簾をくぐって廊下を進むと左手前の10畳が客間で奥の10畳が居間になっていた。家の中に漂う匂いは昔のままだった。
「絵理ちゃん?」
右の台所から母の声がした。
「ただいま」
「お帰り」
絵理子は母の声に応えて、左の客間に入った。それから仏壇に線香を上げ、五年前に亡くなった父の遺影に向かって手を合わせた。
「おとうさん、おとうさんの教え子の那智さんという方といっしょに仕事をすることになりました。自分になにができるかわからないけど、見守っててね」
遺影の中の父が微笑んだような気がした。
それから居間へ行くと、母が紅茶とアップルパイを用意してくれていた。
「きょうのアップルパイは上出来よ。さあ食べて」
母は上機嫌だった。
「おいしい」
母はうれしそうだった。絵理子は子どものころにもどったような感覚を覚えた。
「おかあさん、今度の会社はお父さんの知り合いの方の会社だったのよ」
「そうなの?」
「那智さんって知ってる?」
「そういえばそんな名前の方がお父さんの研究室にいらしたわ」
「そうなのよ。今度働く会社はその方が社長なのよ」
「よかったわね。お父さんに感謝しなくちゃね」
ひとしきり母としゃべった後、絵理子は父の書斎へ入った。机も本棚もすべてが生きていたときと同じだった。しばらく窓も開けていなかったのだろう、少し黴臭さが鼻についた。絵理子は窓を開けて、新鮮な空気を入れた。
それからあちこちを探して、本棚にあったスクラップブックから10年前の『官庁サイト改竄事件』の資料を見つけた。
そのスクラップブックには当時の新聞や雑誌の記事が切り貼りされていた。
<スクラップブック20XX年1月~>
・20XX年1月下旬から2月初めにかけて、官庁や政府関係機関で16件のサイトの書換え事件が発生した。
・20XX年1月24日午後5時45分ごろ、科学技術庁のサイトのトップページが書換えられていることを発見。黒地に赤い文字で書換えられていた。「日本人は今や負け犬だ」という内容とともに、「here」をクリックすると「プレイボーイ」のサイトにリンクがはられていた。
・科学技術庁はサイトの運用を委託している民間の業者に連絡し、午後6時過ぎにサイトの運用をストップした。
・1月25日午前8時50分ごろ、今度は総務庁のサイトのトップページが改ざんされていたのが発見された。
「日本人は歴史の真実を直視する勇気のない民族。アジアの恥だ」という内容で、1937年の南京大虐殺に対する日本の対応を非難していた。
「r00t 1 25 Y2K 8y ch1ne3e @#@#$@#@」という署名があった。
・25日午前9時頃、総務庁統計局のサイトにアクセスできなくなり、サイトで公開していた国勢調査や消費者物価指数といった各種統計データが削除されていることがわかった。この場合はデータが削除されているだけで不正侵入者の手がかりとなる書き込みはなかった。午前中にはバックアップデータで復旧した。
・1月26日午前7時頃、仮復旧していた科学技術庁のサイトが総務庁と同じ南京大虐殺に関するメッセージに書換えられていることが一般からの通報で発覚した。
・科学技術庁では24日の被害を受けてサイトをいったん閉鎖し、25日に「調整中」という文字を表示して仮再開していた。
・1月26日の午後8時頃、経済企画庁のシンクタンクである総合研究開発機構のサイトが書き換えられていることが一般からの通報でわかった。トップページと同機構の紹介ページが英文とわいせつ画像に改ざんされていた。
・警視庁は生活安全部と捜査1課などに捜査本部を設置し、電子計算機損壊等業務妨害容疑で本格的な捜査を開始した。
・1月27日午前7時ごろ、総務庁統計局のトップページが改ざんされているのを同局の職員が発見。内容は大阪で南京大虐殺を疑問視する集会が開かれたことに対する批判とみられ、「日本の右翼勢力は歴史を改ざんしようとしている。政府は国民に正しい歴史教育をすべきだ」という意味の中国語の文章が書かれていた。
By Miracle 20XX/1/27という署名が残されていた。
・1月27日午後9時には運輸省のサイトのトップページが書き換えられた。総務庁と2回目の科学技術庁の被害と同様の南京大虐殺の内容だった。
・1月27日午後7時30分、人事院近畿事務局のサイトではサイトを構成する3652のファイルのうち3500ファイルが削除されていた。管理者用パスワードが解読されていた。
絵理子はスクラップブックを閉じると、いっしょに保管してあった父の日記を開いた。そして20XX年1月のページを探した。
<日記20XX年1月~>
1月26日
警視庁の生活安全部の山岸部長から「官庁サイト改竄事件」の解決の要請を受けた。私の研究室ではITのセキュリティを研究していたので要請があったのだろう。私は那智くんとともに警視庁に出向き、対策本部に合流した。対策本部には政府のサイトを運営していた民間の業者や、銀行やコンピュータ等の財界のIT関連部門の人も参加していた。対策本部の協議は遅々として進まない。犯人は国内ではなく海外であること、そのため海外の政府との交渉が必要となるが(たぶんブラジルと中国と推測できた)、それよりも警察のIT技術では全く歯が立たないのが最大の理由だった。
よく調査をしてみるとFTPサーバーに脆弱性があり、管理者用のIDとパスワードが盗まれていた。セキュリティレベルは私の目から見てもお粗末で脆弱な箇所がたくさんあった。私は那智くんと相談し、彼が数人の仲間と立ち上げていた「0CEAN」というハッカー集団に依頼してみることを提案した。対策本部では一般人の参加を渋ったが他に方法がなかったため、警察の捜査と同時並行で依頼することになった。
1月27日
那智くんは霧旗くんというひとりの高校生を連れてきた。彼らとともに対策本部に出向き、今後の対応策を協議した。那智くんたちが出した結論は二つあった。一つは政府のサイトのセキュリティレベルをアップさせること、もう一つは犯人への攻撃をすることだった。
セキュリティは早急に手当てしなければならない。これは現在私の研究室で新たに開発したセキュリティプログラムをベースに作成することになった。
一方で犯人を攻撃をすることについては対策本部の中でも論議を呼んだ。犯人のパソコンだけを攻撃することができるかどうかわからないからである。もし、一般のパソコンにウィルスをばら撒けば、インターネットを一時的にでも混乱させることになる。しかしこうでもしないと犯人からの攻撃を止めることができないという那智くんの意見を私は受け入れた。今の警察のレベルでは海外の犯人を特定し逮捕することは難しいが、攻撃をしてくる相手をこちら攻撃することは可能なのだ。
那智くんは霧旗くんとインターネットで連絡をしている仲間とともに作業に入った。私は先に失礼したが、彼らは徹夜になると言っていた。
1月28日
対策本部を訪問してみると、那智くんたちはプログラムを書き上げていた。私は最終確認のためそのプログラムをチェックした。セキュリティプログラムは私の研究室で研究している試作品をベースに書き上げられていた。まずこれで防止することは可能と思われた。これを早急に政府系のサイトのすべてに組み込まれることが対策本部で決定された。
さらに攻撃用のプログラムを見て驚いた。
今までの犯人の攻撃を分析すると想定されるのはDDos攻撃と呼ばれるもので、ターゲットのサーバーに大量のパケットを送信して機能を停止させるものである。これは「トロイの木馬」などで操っている踏み台のパソコンから一斉にパケットを送る方法で、パソコンの所有者が知らないうちに攻撃に参加しているケースが多い。那智くんたちのプログラムはこの攻撃をしてきたパソコンすべてにウィルスを送り込みそのパソコンの機能を停止するものだった。さらにプログラムをよく読むと、そのパソコンを機能停止にしているあいだに「トロイの木馬」を駆除するプログラムも加えられていた。これなら踏み台で使われているパソコンを正常化することができる。
もう一つ別のプログラムも開発していた。踏み台のパソコンから犯人のIPアドレスを割り出し、それに対して機能不全にする攻撃用プログラムだった。過激ではあるが一時的に攻撃を止めることができる。
私はこのプログラムを推奨し、とりあえず科学技術庁と総務庁のサイトにセットすることが決まった。
1月29日
科学技術庁のサイトに再度攻撃があったとの報告があった。セキュリティ機能はきちんと作動して、機能不全に陥ることはなかった。さらに那智くんたちは踏み台にされていたパソコンの一台から犯人のIPアドレスを割り出した。犯人は中国のサーバーから攻撃していた。そして、そのIPアドレスに『爆弾』と呼ばれるウィルスを送り込むことに成功した。たぶんこれで犯人のパソコンが機能不全になっただろう。
今回の事件で私のセキュリティの研究の方向性が間違っていないことが実証された。しかし、ITの進歩はめざましいものがあり、これからも研究を続けていかなければならないことを実感した。また、セキュリティと攻撃は表裏一体であることも那智くんたちの行動を通してあらためて気づかされた。
絵理子は日記を閉じた。十年前にこんな事件があったことはうっすら記憶していたが、父がこの事件に関与していたことは全く知らなかった。たぶん口外できなかったのだろう。転職したガイアの那智さんや霧旗くんも関わっていたなんて




