11.レストラン その1
霧旗は駐車場から愛車を発進させると、すぐに日比谷通りに出た。右には皇居が見えた。そのまま来たときとおなじ逆のルートを恵比寿に戻った。
霧旗は恵比寿に着くと、会社のすぐそばにある一流ホテルのロビーに車を横付けした。絵理子がドアを開けて出ようとすると、霧旗が助手席のドアを開けて絵理子をエスコートした。
「男性にドアを開けてもらうなんて、慣れてなくて」
「レディなんだから、これからいつもやってあげる。そのうち慣れるよ」
絵理子はいつもなら男性と対等に張り合うはずなのに、霧旗に女性扱いされることにあまり抵抗感を感じなかった。彼の扱いが上手なのか、自分の気持ちが変化したのかはわからなかったが、女性扱いされるのも悪くない。
絵理子はこのホテルに足を踏み入れるのは初めてだった。
ロビーで待っていると、霧旗はホテルの従業員らしき人とこちらに向かってきた。
「紹介するよ。こちらのホテルの支配人だ」
初老の男性は礼儀正しく丁寧に絵理子に挨拶をした。
「ようこそいらっしゃいました」
「こんにちは」
絵理子はちょっとどぎまぎしながら挨拶をした。それから霧旗たちは支配人に見送られてエレベータで最上階のレストランに向かった。
「その辺の居酒屋でいいのに。緊張するじゃない」
「今日はあなたの就職祝いだよ」
「高いんでしょ?」
「大丈夫、経費で落ちるから、気にしないで。那智さんのおごりということで」
二人がレストランに入ると、すでに連絡があったのだろう。すぐにウェイターが飛んできた。照明は暗く、落ち着いたムード音楽を生バンドが演奏していた。店内は半分が外国人で残りの半分は年配の人たちで絵理子たちのような若い世代は一組もいなかった。絵理子たちは一番奥の窓際の席に案内された。そこから東京の夜景が一望できた。
「いつもこんなところに来るの?」
「たまに。女の子を口説くときだけ」
「まあ、今日は私を口説くの?」
「それは、結構手ごわいと思ってる」
絵理子は男性とふたりで食事なんて何年ぶりだろうと思い返した。大学時代には付き合っていた同級生の彼氏がいたが、銀行に就職すると毎日帰りが遅く、とてもデートなどできる余裕がなかった。そのうちその彼との関係も自然消滅してしまった。銀行内では特定の彼氏はできなかった。
「銀行では男性との一対一のデートはご法度だったのよ」
「何で?」
「セクハラ防止ってこともあるけど、社内恋愛禁止みたいなものね」
「ふうん。あまり楽しそうじゃないね」
「そうね、あまり楽しくはなかったわ。でもそれが仕事だと思ってた。これでも仕事一筋だったのよ」
「ぼくはとても生きていけそうにないな」
そこにウェイトレスがやってきて注文を聞いた。
「何を食べたい」
「お昼も豪華だったからあんまり食欲がないけど…」
「じゃあ軽いコースでいきますか。好き嫌いはある?」
「特にはないわ」
「食前酒はシェリーでいい?」
「ええ」
霧旗はテキパキと注文を済ませた。ウェイトレスが一礼をして去っていくと、絵理子に向かって、
「これから『エリー』って呼んでいい?」
「それってあだな?」
「そう。みんなに言っておくよ」
『のぞき屋』なんてつけられるよりはずっといい。それに、『エリー』は中学生のときから友達に呼ばれていたあだ名だ。
「いいわよ。『エリー』って呼んで」
「峻くん、一つ質問していい?」
「どうぞ」
「なんで今日スカートをはいて来るってわかったの?メモを見てびっくりしちゃった」
「きみの家に隠しカメラがあって、着替えるところを見てたから」
「うそ!」
「はい、うそをつきました」
「そうよね。あのメモを書いたのはきのうよね。それに私の自宅なんて知らないでしょ?」
「横浜の自宅?」
「なぜ横浜って知ってるの?あっ、履歴書ね」
「正解」
「でもスカートをはいてくるのがわかったのはなぜ?」
「昨日初めて会ったときに『システム開発のチーフをやってる』って言ったよね?たぶん銀行のような男性優位の職場で対等に張り合うためにパンツスーツをはいていたんだと思ったんだ。でもうちを見て『お茶くみでもいいかな』っていったでしょ。ということは男性と張り合う必要がないと感じたんだよね。だから今日は女性らしい格好をしてくると推理してみただけ」
言われてみるとそうかもしれない。気分転換をしようと思っただけで別に意識してスカートをはいてきたわけではないが、気持ちの中でリラックスしていたのかも。
そこへシェリー酒が運ばれてきた。
「エリーの就職に乾杯!そして初仕事の解決に乾杯!」
「ありがとう。でも今日は大して役に立っていないわ」
霧旗は小さなグラスのシェリー酒を一気に飲み干した。
絵理子は半分ほど飲んだが、思ったよりアルコールの度数が強かった。
「お酒を飲んで車は大丈夫?」
「帰りは人力車で帰る」
「自宅はどこなの?」
霧旗は窓から見える隣の高層マンションを指差した。
「すごいところに住んでるのね」
「ここで口説いた後に連れていくのに便利でしょ」
「私はちゃんと帰ります」
「ん、やっぱりなかなか手ごわい」
「でも峻くんと話してると楽しいわ。イケメンだし」
「あなただって美人だよ」
「あんまり言われたことはないわ」
「だって、口説かないでってオーラを出してるもん」
「そう?」
「とりあえずぼくはエリーのファンクラブ会員番号1番ね」
「ありがとう。うれしいわ」
そう答えてみて、絵理子は素直な返事をしている自分に気が付いた。いままでは部下を抱え、仕事を抱えて余裕というものがなかった。こうして霧旗の前にいるのが本当の自分なのかもしれない。
コースの前菜がテーブルに並べられた。霧旗はビールを二つ注文した。
「エリー、初仕事の感想は?」
霧旗は絵理子に聞いた。
「今日は驚きの連続だったわ」
「ぼくは結構楽しかったよ」
絵理子は前菜をつつきながら、
「でもまだ自分が本当に役に立つのかわからなくて。もっと勉強しなくちゃ」
「役に立ちたい?」
「でもお給料泥棒にはなりたくないわ」
「ぼくも一つ聞きたいんだけど、フィッシング詐欺の被害者の山崎さんがブランドのワンピースが届いたことを隠していたことがなぜわかったの?」
「うまく言えないんだけど、あの人のちょっと態度がおかしいなと感じたから」
「そういうのが大切なことかも」
「どういう意味?」
「ぼくらの仕事は情報処理能力やPCのスキルが高いだけでは駄目なんだ。むしろ犯人の心理が読めるような感性のほうがむしろ大切なときがある。エリーはその感性が優れてる。自分では気が付いていないみたいだけど」
今まではITの知識やスキルを評価されたことはあったが、感性をほめられたのは初めてだ。
霧旗は前菜を食べ終わるとビールのお代わりを注文した。絵理子もビールを注文した。ビールが来たところでもう一度乾杯をした。
「今日、被害者の山崎さんに会って感じたことがあるの。こんな人たちを守ってあげることができたらいいなって」
「すごいね。那智さんみたいだ。あの人は使命感で仕事をしてる」
「峻くんはそうじゃないの?」
「ぼくはゲームをしてる感覚かな。謎を解くのが大好き。いつもはちゃらんぽらんでもちゃんと結果が出てればいいんじゃない?」
「そんなものかしら」
今までは自分自身を企業の中の一つの歯車と思い、ストレスを感じながらも指示されたことをとにかくやり遂げることが仕事だと思っていた。しかし、目の前の霧旗みたいに仕事をゲームのようにこなしている人間もいる。しかもそれで何人もの人を助けている。
今日の初仕事でこの仕事のやりがいを強く感じていた。私も早く役に立てるようにかんばらなくちゃ。
魚料理がでてきたので、霧旗は白ワインを注文した。絵理子は霧旗と同じペースで飲んでいた。
「エリーは思ったよりお酒が強いんだね」
「わからないわ。あんまりたくさん飲んだこともないし、酔ったこともないし」
「いや、すでにたくさん飲んでるよ。でもまったく変わらないね」
「緊張しているせいかも」
「大丈夫、今日は口説かないから」
「そういう意味じゃなくて、初仕事だったからよ」
「じゃあ頑張って口説こうかな」
「私にはオーラが出てるんでしょ?」
「いや、消えかかってる」
と言って霧旗は、あははと笑った。絵理子もつられて笑ってしまった。




