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08 魔女の初舞台と、王女の誘惑

『ヴィラ・エトワール』は、貴族向けの服飾や装飾品の店が軒を連ねる、華やかな街区に建っている。三階建ての間口に比して奥行きの深い建物で、一階は誰でも買い物ができるフロアで、二階は、貴族や豪商の奥方など、店頭で他の客と肩を並べることに抵抗のある者たちが、落ち着いて品を選べる空間となっている。

 そして、三階──サロンが開かれる、特別なフロアである。

 このフロアに足を踏み入れることができるのは、カタリナ・グランディスからの招待状を受け取った者のみ。身分や年齢は関係なく、彼女の一存で招待客は選ばれていた。


『ヴィラ・エトワール』には外商部門もあり、外出の難しい王族や高位貴族の間では、そちらの利用が一般的だ。もともとは、前公爵夫人が興した事業であり、当時は外商こそが主たる販売形態であった。現在の外商顧客の多くも、その名残に連なる存在である。


 そんな彼らにとっても、『ヴィラ・エトワール』のサロンに招かれることは、特別な意味を持っていた。


 サロンは不定期で開かれるが、毎回作家やコンセプトで決まったテーマに沿って内装が一新され、その雰囲気に相応しいとカタリナが思う招待客を、毎回十四、五人選び抜く。

 招待状自体がその回のテーマを象徴しており、客たちはそれに沿った装いを自ら考え、サロンに臨むのだ。


 対外的には、サロンは『ヴィラ・エトワール』の方向性や戦略を示し、招待客はその最先端の要求に応える、華やかな舞台と見なされていた。だが、当のカタリナにとっては、自らの審美眼を愉しみ、ひそかに嗜むささやかな遊戯にすぎない。その事実に気づいている者は、ごくわずかである。


「今回は、貴女に合わせて森の中をイメージしてみたの。調度品は、神代のエルフ族のものを参考にあつらえたのよ。いい趣味でしょう?」


 サロンの開催を目前に控えたひととき、カタリナはエレナとアシュレイを人払いされた会場に案内し、嬉しそうに解説を添えた。


 会場の壁には、魔法によって深い森の風景が投影されていた。

 木漏れ日が揺れる木立の中に、繊細なテーブルセットが据えられており、

 まるで物語の中──エルフの王女が開く静かな茶会の場に迷い込んだような、幻想的な空間だった。


「すごいわね。都会の真ん中にいるって、忘れちゃいそう。」


 キビタキのマスクをかぶったまま、きょろきょろとあたりを見回すエレナは、

 本当に木々の合間を飛び回る小鳥のようだった。

 一方、カラスのアシュレイは、木立の闇に紛れて、ひっそりとたたずみ、守護者のような佇まいを見せていた。


「一足先に見せておくわね。ほら、これが貴女が今回デザインして、魔力を込めてくれたアクセサリーよ。」


 カタリナは、苔を思わせる深緑のベルベットの上に、そっと並べられたアクセサリーを指さした。


「本当に、この植物のモチーフは素晴らしいわ。魔石だけじゃなく宝石もあしらってあるから、表現に奥行きがある。

 このルビーのカボションなんて、本当に野イチゴみたい。翡翠も、自ら光り輝いているように見える。

 石の使い方が、本当に見事だわ。

 それにこの魔石、“祝福”だけじゃなくて、視覚的なエフェクトも入れてるでしょ? 魔石ならではの技だって、彫金魔術の工房もほめてたのよ。」


「ええ、まあ。でも、ここの工房で仕上げてくれてる彫金師の技術がすごいのよ。

 それに――“祝福”って、何?」


 エレナはそっと、出来上がったネックレスのペンダントトップに触れながら言った。


「貴女のアクセサリーや魔石に込められた、おまじないや魔法。

 それを、これからは“祝福”って呼ぶことにしたの。

 間違ってはいないでしょう?」


 カタリナは華奢なサークレットを持ち上げ、光にかざしながら微笑んだ。


「そんな大層なものじゃないわよ。」


「いいえ、大したものだわ。謙遜もほどほどにね。」


「義姉上、招待客はどんな顔ぶれだ?」


 黙って二人のやり取りを見ていたアシュレイが、ふと口を開いた。


「そうね。いつもの、私の大切なお友達が五名ほど。それから、大舞踏会で声をかけてくださった“こういうのが好きそうなお嬢様”を数名──

 ああ、今年デビュタントのハインデル伯爵令嬢も、この雰囲気がお似合いだと思って、お誘いしたの。

 それから、“雨森の魔女”にどうしても会いたいとおっしゃっていた王女殿下方にも招待状を出したのだけれど、残念ながらクローディア殿下はご都合が合わなかったわ。

 でも、アンジェラ殿下は張り切っていらっしゃるそうよ。妖精のような御姿が拝見できるのが、今から楽しみだわ。」


「エレナに危害を加えそうな者はいないんだな?」


 アシュレイが低く問いかける。


「いるわけないじゃない。」

 カタリナはあっさりと返し、それ以上の詮索を許さぬように話を切った。


「さあ、そろそろお客様が到着される頃だわ。一度、控室に戻りましょう。」


 そう言って立ち上がるカタリナの言葉に応じるように、アシュレイはそっとエレナの隣へ歩み寄った。

 そして、何気ない仕草で、エスコートの手を差し伸べる。


「アシュレイさんは……王女殿下とお話しされたこと、ありますか?」


 彼の手を取りながら、エレナは少し緊張した声で尋ねた。


「ああ、騎士として、ほんの少しだけ。」


 アシュレイが静かに答えると、前を歩いていたカタリナがくるりと振り返る。


「心配なさらないで。今日は王女殿下も、貴族令嬢の“エルフィーナ”ではなく、あこがれの“雨森の魔女”に会いに来られるのだから。

 私のサロンでは、身分の上下は関係なくてよ。どうか、自然体でお話しなさいな。」


 カタリナの笑顔に、エレナは緊張がほぐれるような気がした。




 薄暗い森の中、木漏れ日がちらちらと揺れながら降り注いでいる。

 その光を受けて、令嬢や貴婦人たちのアクセサリーが、きらきらと美しく煌めいた。


 めいめいが気の合う者同士で集まり、和やかな笑い声と会話がそこここに咲いている。


 ふいに、照明がふっと落とされた。


 沈黙が空間を満たす中、部屋の奥から、サロンの主──カタリナが、まるで滑るように現れる。

 その後ろに従うのは、キビタキとカラスの衣装をまとったふたり、“雨森の魔女”とその護衛騎士であった。


「皆さま――ようこそおいでくださいました。

 本日は、ご紹介したい方がおりますの。

 私の大切な友人であり、すばらしいデザイナー、そして“祝福”の付与士でもある――

 “雨森の魔女”ですわ。」


 皆の視線が、“雨森の魔女”へと一斉に集まる。


 エレナは静かに一歩進み出ると、すっと腰を落として、美しいカテーシを披露した。

 その優雅な所作に、あちらの貴婦人も、こちらのご令嬢も、思わずため息を漏らす。


 やがて、令嬢たちの輪の中から、まるで妖精の王女のような愛らしい姿の少女が現れ、

 にこにこと微笑みながら、まっすぐエレナの方へ歩み寄ってくる。


「貴女が“雨森の魔女”様なのですね? 私、とってもお会いしたかったの。

 はじめまして、アンジェラです。」


 その小さな手が、エレナに向かって差し出された。


「この前のネックレスとイヤリング、本当に素敵でした。

 私、ダンスには自信がなくて、大舞踏会のことなんて、ほとんど覚えていなかったの。

 でも……貴女のアクセサリーをつけて参加した公爵家の舞踏会では――

 初めて婚約者様に、褒められたんですのよ。」


 アンジェラは、少し照れたように笑ってから、

「なんだかこう……貴女のアクセサリーをつけていると、何でもできるような気がしてきますの」と、真っ直ぐな目で言った。


 エレナはその手をそっと両手で包み込み、仮面の下でやわらかく微笑んで応えた。


「私の魔法が、お嬢様のお手伝いになれたのなら――こんなに嬉しいことはありませんわ。

 でも、私はほんの少し背中を押しただけ。

 本来の力を発揮されたのは、お嬢様ご自身が、日ごろから努力を重ねてこられたからですのよ。」


 エレナの言葉に、アンジェラは頬をうっすらと染め、照れたようにカタリナへと視線を移した。


「グランディス公爵夫人……あなた、一体どこでこんな逸材を見つけていらしたの?

 ねえ、私の侍女になってくださらない?ああ、義姉様でもよろしくてよ

 うちにはまだ、婚約者が決まっていないお兄様が二人もおりますのよ?」


 ――「うち」って……王家よね……

 確かに第二王子殿下と第三王子殿下は、まだ婚約者が決まっていないけれども……。


 エレナが仮面の奥で思わず言葉を失っていると、カタリナがぴしゃりと釘を刺した。


「お断りします。いくらアンジェラ殿下のお願いでも、“雨森の魔女”はお譲りできませんわ。

 それに――もうすぐ先約が入る予定ですし。……ね?」


「あら、残念。」


 アンジェラはちらちらとカラスの騎士を見ながら、引き下がった。

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