05 頑張ることにしたのよ
「いやぁ、私としたことが――。まさかエレナさんに病気をうつしてしまうとは、本当に申し訳なかったです。」
エレナが回復して、一週間ほどたった昼下がり。
すっかり元気になったグローテが、新しい宝石箱を携えて、彼女の家を訪ねて来た。
「いえいえ。王都では亡くなる方もいらっしゃるのでしょう?
グローテさんが回復されて、本当に良かったです。」
エレナはニコニコと笑いながらティーカップをテーブルに置いた。
グローテは、ちらりと部屋の隅で無表情に腕を組んで立っているアシュレイを見やり、微笑を浮かべる。
「アシュレイ坊ちゃんがエレナさんのお世話をされると聞いた時は、正直少し心配しましたが……
まあ、ちょうどいい話も出ておりました。近いうちに護衛と使用人を、とカタリナ様がおっしゃっていて。
坊ちゃんも、渡りに船――といったところでしょうか」
「爺……」
部屋の隅で微動だにしていなかったアシュレイが、グローテへ鋭い視線を投げかけて黙らせる。
「グローテさんは、アシュレイさんをご存じなんですか?」
エレナが好奇心を隠さず聞くと、グローテは好々爺然として答える。
「ええ、もともと私は、グランディス家で家令をしておりましてね。カタリナ奥様がいらっしゃったのを機に、家のことは息子に任せました。
で、その奥様から『ヴィラ・エトワール』の支配人を頼まれまして……。家でじっとしているのも性に合わなかったもので、今はこうして楽しませてもらっているんです」
「そうだったんですね」
エレナが微笑むと、グローテは机の上の宝石箱に手を伸ばし、うやうやしく蓋を開けた。
「坊ちゃんが届けてくださったデザイン画は、すぐさま彫金魔術師の元へ。おかげさまで、一週間後にはサロンでのお披露目となりました」
「まあ、さすがですね」
「どちらの品も、王室がお買い上げくださいまして。クローディア殿下とアンジェラ殿下が、それぞれお召しになることが決まったのです。
クローディア殿下は、すでにご自身の主催されたお茶会でお召しになり、大いに話題となったとか。
アンジェラ殿下も、デビュタントを終えた直後、公爵家主催の舞踏会にてお召しになるご予定です」
グローテは誇らしげに語りながら、宝石箱の中をそっと指し示した。
「病み上がりではありますが――この機を逃したくない、と奥様はお望みです。
つきましては、こちらの魔石を用いて、サロンの若い女性向けに五点から六点ほど、デザインを起こし、適した魔石を選んで魔法をお込めいただければと」
「――期日は?
今からでは大舞踏会には間に合わないわよ?」
エレナが眉をひそめて言うと、グローテは首を横に振った。
「構いません。奥様は、大舞踏会の後――今年の社交シーズン中盤以降を狙って、攻勢をかけるおつもりです。
ブランドコンセプトとしては、爆発的に話題になるよりも、じわじわと。“知る人ぞ知る至高の一品”として、静かに浸透させてゆきたいとお考えで」
「なるほど、そういうことでしたら、今からでも十分間に合いそうです。
そうだ、刺繍とコサージュも仕上がっていますので、お持ちになりますか?」
「はい、ありがたいです。
ところで、刺繍の方――実は今、殿方の間でちょっとした話題になっているのはご存知ですか?」
グローテは宝石箱の蓋を閉めながら言う。
「いいえ、初耳です。それは……どういうことですか?」
エレナが驚いた顔をすると、グローテはニヤリと笑って続けた。
「あの刺繍のハンカチを身につけていると、ささやかだが運が向く、とか、自信がつく、とか、晴れ舞台で緊張しない、とか、そんな噂が出回ってるそうです。
中には、刺繍をされたお針子を探している御令息もいらっしゃるとか……」
それを聞いたエレナは少し表情を曇らせた。
「それは……望ましくない展開ですね。」
「熱心に探しておられる御令息の中には、婚約者のいない、将来有望な方もいらっしゃいましてね……」
暗に「あなたもその気になれば、相手に困らないのでは?」と示唆するグローテに、エレナは心底うんざりした様子で首を振った。
「ご冗談を!ご心配いただくのももっともですが……伯爵令嬢のエルフィーナは、まだまだ心を病んでおりますの。次の殿方など、とても考えられません。
それに、エレナは今の仕事にやりがいを感じていて、結婚なんて、今は考える余地もありませんわ」
エレナの言葉に、グローテはちらりと部屋の隅を見やった。
護衛騎士よろしく、アシュレイは無表情のまま動かない。
感情の一端すら、読み取らせる気配はない。
それに気づかず、エレナは静かに話を続けた。
「それに、あれはもともと、刺繍が苦手なご令嬢たちのために、最後の仕上げにイニシャルを入れれば、気持ちよく贈れるように、と思って始めたものでした。
確かに魔力は込めましたが、それが“効く”のは――ご本人の想いが、ちゃんと針に宿っているからこそ、なんです」
「……なら、魔力を込めた材料をキットにしてはどうだろう。刺繍が上達するまじないを掛けて。
そうすれば――君の針の魔法が、不特定多数の男の手に渡らずに済む」
壁際からよく通る声。アシュレイだ。
一拍の間をおいて、エレナが振り向き、グローテが視線を投げる。
「「それです!!」」
2人の声がハモる。
「針と刺繍枠も一緒にしたらどうかしら!
刺繍を失敗する原因って、根気や集中力の不足よね?
なら、それを補う“道具のまじない”があれば、きっと自信につながると思うの!」
「それは結構ですな!
やはり殿方は、愛する乙女手ずからの贈り物が欲しい物です。
これは、ヒット商品の予感がしますぞ!」
「カタリナは了承してくれるかしら?」
「むしろ歓迎されるでしょうな。
『雨森の魔女監修、魔力封入済み』――そう銘打って、作品例と共に並べれば、手に取るご令嬢の姿が目に浮かびます。
エレナさんは、材料と道具に魔力を込めてまじないを施すだけ。
これまで刺繍に割いていた時間を、宝飾品のデザインに回していただけるのですから」
グローテは嬉しそうに言って、胸算用を始める。
「帰りましたら、すぐに奥様にご提案して、早ければ次回にはパッケージをお持ちいたします。
それをたたき台に、商品化を進めていきましょう。
エレナさんから、ご要望はございますか?」
「そうね、材質のグレードを数段階用意してほしいわ。
『殿方への刺繍を施した手芸品』を贈りたいと悩んでいるお嬢様方に、身分の高い低いは関係ないもの。
王女様が手に取っても恥ずかしくないものから、侍女や女官として働く子爵や男爵家のお嬢様方まで――できれば、皆に応えられる品にしたいわ」
「承知しました。では、さっそく取り掛かります。
宝飾品のデザインの方も、引き続きよろしくお願いいたします。
……さて、そろそろおいとまいたしましょうか」
グローテはいそいそと帰り支度を整え、立ち上がった――が、
ふと思い出したように、足を止める。
「奥様から、次回のサロンには、ぜひエレナさんにもご出席いただきたいとのことです。
ご正体が明かされぬよう、マスクをご着用いただき、ミステリアスな雰囲気を演出なさりたいそうで。
衣装も、奥様の方で一式ご用意されるとのこと。どうぞ、よろしくお願いいたします」
エレナは一瞬、顔を曇らせた――が、それがカタリナ直々の願いとあっては、断ることなどできなかった。
きっと彼女なりに、エレナの回復具合を見極めたうえで、「そろそろ王都へも出られるように」と、心を砕いてくれたのだろう。
「わかりました……王都へは、アシュレイさんに、同行してもらってもよろしいですか。」
表向きには、田舎の一魔女として――女ひとりで王都へ向かうのは心細く、護衛が必要だった。
けれど本当は、あの場所へ――婚約破棄で傷ついたまま、心の整理もつかぬまま、立ち去った場所へ、戻るのが、まだ怖かった。
伯爵家に護衛を頼めば、“あのエルフィーナ”が舞い戻ってきたと、あっという間に噂が広まってしまう。
それだけは、避けたかった。
“エルフィーナ”は、もうしばらく療養していてほしい――それが、エレナの本心だった。
動揺を押し殺しながら告げたその一言の裏で、エレナの胸の内には、千々の思いが静かに渦巻いていた。
「坊ちゃん、よろしいですか?」
グローテの問いに、アシュレイは小さくうなずいた。
「もちろんだ。……頼まれなくとも、ついていく。
馬車は、商会か公爵家に手配してくれ」
「承知いたしました。王都でのご滞在先には、カタリナ様の別邸をご用意いたしましょう。
地方から職人を招く際によく使われておりますので――ご安心を。目立つことはございません」
グローテは、内心――エレナが王都行きをなかなか承諾しないのでは、と心配していたのだろう。
その顔には安堵の色が浮かび、帰り際の足取りも、どこか軽やかだった。
「……エレナ、本当に、大丈夫か?
無理そうなら、今からでも断って構わないんだぞ」
心配そうなアシュレイの声に、エレナはふっと肩の力が抜けるのを感じた。
軽く伸びをして、天井を見上げる。
「そうね……大丈夫、だと思いたいけど――本当は、わからないの。
でも、いつまでもここに引きこもっていたら、“魔女エレナ”ははばたけない。
……だから、頑張ることにしたのよ」
彼女は宝石箱をちらりと見やって、さらに続ける。
「それに、お嬢様方を、直接拝見したいの。
私のアクセサリーを身に着けて、どんなふうに輝くのか――この目で見てみたいから」
そう言って、彼女は笑った。
「さて、仕事、仕事」
宝石箱を胸に抱え、エレナは作業机へと歩き出した。