15 色づくのは、どちらの想い?
「アシュレイさん、起きてますか?」
エレナは扉に向かって、少しだけ声を張った。
室内から人が動く気配がして、やがてアシュレイが顔を出す。
「ああ、少し寝ていた。」
あくびを噛み殺すアシュレイは、どこか新鮮だった。
もうひと月以上も寝食を共にしているというのに、彼がいかに規律正しく、そして彼女の前では常に隙を見せないよう努めていたか――そのことが、今さらのように伝わってきた。
「起こしちゃいましたね? すみません」
エレナは本当に申し訳なく思いながらも、
ガシガシと頭を掻く彼の姿に、ふと目を奪われた。
乱れた髪、眠そうに緩んだ目元――。
そのどこか無防備な様子に、言いようのない感情がこみ上げてくる。
胸の奥が、そわそわと落ち着かなくなった。
「いや、大丈夫だ。何か用事か?」
アシュレイの居室に案内されると、シャツの裾を押し込んでいる彼の背が目に入った。
その姿をなんとなく見つめながら、勧められるままソファに腰を下ろす。
「カタリナからですねぇ、新しい素材を紹介されたんですよ。色々と試してほしいと依頼されまして――」
エレナはできあがったばかりのブレスレットが納められているジュエリーボックスを、隣に座ったアシュレイへと手渡した。
「開けて良いのか?」
「ええどうぞ。」
何気ない口調を意識して、彼の方ではなく正面を向いたまま、自分の膝を見つめる。
視線は膝に落としたまま、つい、横目で彼の手元を追ってしまう。
「……ブレスレット?」
「ええ、長さを調整して、肌にピッタリ添わせるようにすれば、邪魔にならないかなって。
しばらくの間だけでも……身に着けて――もらえるかしら。」
「もちろんだ。」
アシュレイは箱の中から黒い革のそれを取り出すと、左の手首に付けようとした。
が、指先がうまく動かないせいか、苦戦してしまう。
見かねたエレナは、黙って手を出して、手早く留め金を下ろす。
「ありがとう。だめだな、やっぱり指先がうまく動かない。」
「大丈夫よ。外すときは言ってくれたら手伝うから。」
留め金を指先で押し下げたとき、ほんの一瞬だけ、彼の脈が指先に触れたような気がした。
何だか胸がふわりと浮くような気がしたけれど、それには気付かなかったふりをした。
「義姉上の肝いりなんだよな。淡い色の石が付いているが……普通の宝石ではないんだろう?」
アシュレイは、腕をかざしたり、ひねったりしながら、色々な方向で眺めて言う。
一体どんな特別な石なのか、それとも魔法の仕掛けでもあるのか――。
アシュレイの目は、隠しきれない好奇心でわずかに光っていた。
「魔法――祝福は、まだ何も付与していないんです。
ちょっとこうやって、石の部分に手を当てて、握りこんでもらえますか?」
エレナが仕草で伝えると、アシュレイは素直に従った。
「そろそろいいでしょう。離してください。」
しばらくしてから手を離すと――何の色もついていない。
宝石は元の淡い色のままだった。
――これは予想通りね。
実は、これもエレナの実験の一つだった。
どういう条件で色づくか――ここに来る前に、エレナもひとりで自分のブレスレットを握ってきた。
もちろんその時は、片割れをまだアシュレイに渡していないから何の色もつかなかった。
――どれだけ想いを込めても、“いま”を共にしなければ、色は宿らない。
二人が揃って、同じ瞬間に触れていなければ――魔石は沈黙を守る。
エレナは、自分のブレスレットをそっと手で包み込むように握りこみ、目を合わせずに言った。
「……では、もう一度、同じように」
アシュレイは、状況を飲み込めないまま、少し戸惑った顔をした。
それでも黙って、もう一度宝石を握ってくれる。
沈黙が場を支配する。
――アシュレイさんの石には、私の気持ちが映る。
私の石には……アシュレイさんの想いが、もしあるなら……それが映るはず。
エレナは、時間の経過とともに、鼓動が早くなるのを感じた。
――何色かしら……私は、アシュレイさんを信頼しているから、きっと彼の石は、深い青色になるんじゃないかな。
私のブレスレットは……
色づけば、何でもうれしい。
青や緑だったとしても、きっと私は泣いてしまうくらい、うれしい。
「そろそろ……ですかね?」
「ああ。」
何をさせられているか知らないアシュレイは、ためらいなく手を開く。
彼の石は――
――うそ……アメジスト色?
「……石の色が変わった……紫?俺の瞳の色だが――」
アシュレイは不思議そうにブレスレットを眺めまわしている。
――紫って、どういう事?
暖色と寒色の間……それとも、青と赤が混ざった色?
信頼と、何か――もう少し、別の想いと。
エレナは混乱しつつも、今度は自分のブレスレットに視線を落とす。
早く見たい。
でも怖い……
でも、もう、アシュレイの石は色が変わってしまった後だ。
つまり、エレナの石も、結果が出ているだろう……
「……」
エレナは握っていた指の力を緩めて、そっと手をどかしてみる。
ギラリと、まばゆい光を放って魔石が煌めいた。
色は――
鮮やかな桃色。
と思っている間に、みるみる色が変わってゆく。
まるで、血がにじみ出すように。
桃色の中心が赤く染まり、石はゆっくりと深紅へと変わっていった。
――うそ……
心臓が一瞬、どくんと大きく跳ねた。
時間が、ふいに凍りついた。
エレナのまわりだけ、息をひそめたように、動きが止まっていた。
息をすることすら、思い出せなかった。
「エレナ?」
彼女のただならない様子に、アシュレイは心配そうな声音でのぞきこんできた。
「――あ……え、なに?」
「……いや、どうした?
俺のは紫だけど……君のは、濃い赤だな。瞳の色に合わせたわけでもなさそうだが。」
――寒色は、誠意や信頼、暖色は、友情や――恋情……
カタリナの言葉が、まるで呪文のように胸の内で反響する。
この石は、鮮やかな桃色は、やがて――
血が滴るように、どこまでも深い赤へと変わっていった。
――色は濃いほど、思いは強い。
エレナはゆっくりと、石からアシュレイへと視線を移す。
――桃色も、赤も……
直感的にたどり着いたその答えに、触れてしまう前に――
エレナは慌てて、気づかないふりをした。
アシュレイの顔に、普段と変わったところはない。
白皙の頬が、わずかに上気している。
……きっと、石の色が変わるという神秘を目にしたせいだ。
そう、彼はただ、驚いているだけ。
エレナの手づくりの品に無邪気に喜んですらいる。
「そ……そうですねぇ」
とりあえず言葉を紡いでみたが、自分でもわざとらしいと思う。
気付きかけてしまったことを取り繕うように、なんとか言葉を続けた。
「まあ、色が変わるのはカタリナから聞いていましたが、その色の意味まではまだよくわかっていないそうでして、そこも含めての実験、と――」
エレナの少し妙な口ぶりに、アシュレイは一瞬だけ眉をひそめた。
けれど、すぐに目線を戻し、石を眺めながら、何事もなかったように言葉を飲み込んだ。
「実はですね、この石、双晶魔石といいまして、一つの石から二つの宝石に切り出せる、特別な石なんです。
別の人がそれぞれ持って、握りしめると、不思議と色が変わる。
片方に魔法を付与すれば、もう片方にも同じ魔法が付与される。
そんな不思議な特性があるんです。」
「へぇ……双子、というか……なんだか、本当に――片割れ、みたいな石なんだな。
魔法の付与までつながってるなんて……持ってる者同士も、ずっと……つながってる、ってことか。」
「あー、えー、ソウデスネェ。」
自分の声が裏返ってることも、言葉が不自然なことも、ぜんぶ承知していた。
でも、こればっかりはどうしようもない。
アシュレイの言葉選びが悪いのだ――無自覚に、心をえぐるようなことを言うから。
「とっ……とにかく!この石は、魔石としてもポテンシャルが高いので、私の能力をめいっぱい使って、いろんな祝福を試してみたいんです。実験に……ご協力お願いします!」
エレナが語気も強く言い切ると、アシュレイはフッと表情を緩めて笑い、
「ああ、楽しみにしている」
と言った。
その直後、カタリナが義弟の居室に突撃してきた。エレナの口から直接顛末を聞くのが待ちきれなかったのだろう。
カタリナは、二人の石を交互に見てから、口元を隠しもせずにニヤニヤと笑った。
エレナが目をそらすと、すかさず耳元で囁く。
「……やっぱり、」
カタリナは口角を上げて、言葉を切る。
「深紅、だったのねぇ?」




