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01 雨森の魔女は、宝石の夢を見る

「よし、と。できあがり……さあ、これを付けたお嬢さんは、ダンスを踊る時は緊張しない。足は軽く羽のよう。素敵な殿方と、楽しいひと時をすごせます。」


 近頃は『雨森の魔女』と呼ばれることも多くなったエレナは、出来上がったばかりのシルク製のコサージュを左手で持って、右手で魔法をかける。


 右の手からは、キラキラと光の粒が舞い踊り、コサージュは淡くブルーに輝いた。


 エレナは魔法の具合を確かめて、出来上がったものを入れる箱の中に納めると、満足げに眺めた。


 ――もう10個ね。この調子で行けば、大舞踏会までにもう少し足せそう。今月は刺繍はお休みして、コサージュに集中しよう。


 そう思った瞬間、エレナの胸に、二年前の出来事がふと蘇った。


 大舞踏会……、それは国王夫妻が主催する、国中の貴族が招待される舞踏会。

 社交シーズンの幕開けを告げるその舞踏会で、2年前にまだエルフィーナ・アゼール伯爵令嬢と呼ばれていた彼女は婚約破棄された。


 幼い頃から許嫁だったマーティン・シュテーベル伯爵令息――彼に突然、こともあろうに公衆の面前で、次の婚約者候補まではべらせて、婚約破棄の茶番劇を繰り広げられた。


 マーティンとは、激しい恋情などはなかったが、幼い頃から気心知れた中、穏やかな結婚生活が待っているのだろうと淡く夢想していたが……彼は同じ気持ちではなかったらしい。

 振られてみると思いの外ショックで、当時は散々泣いた。


 たぶん、彼に恋してたんだと思う。


 彼は、年若い子爵令嬢に夢中で、結婚を白紙にされた二十歳の女がどうなるかなんて考えてなかったのだろう。


 華の頃も過ぎ始め、経歴に傷の付いたエルフィーナには、まともな嫁ぎ先など残ってなかった。

 せめて、公衆の面前で華々しく、ではなく、裏で合意の上粛々と話し合いと手続きをしてくれていたら……


 ――もう、恋などしない、結婚ももういい


「ダメよ、エレナ。全ては終わったことだわ。」


 エレナは声に出して、回想に区切りをつける。

 思い出に沈みそうな時は、こうして言葉にして思考を断ち切る――それが、この二年で身についた習慣だった。


「お嬢様方が、素敵な社交シーズンを過ごせるように、お手伝いする品物を作っているのに――私がこんな気持ちじゃダメよ。」


 エレナは気持ちを切り替えるために作業机を立ちあがる。

台所の保冷庫から水出ししてあったミントティーを取り出し、グラスに注いで、水魔法で氷を浮かべた。


 この国の王侯貴族や聖職者は、皆、魔法を使うことができる。

 魔法は血統による遺伝が大きいとされているが、まれに庶民でも、精霊に祝福された者は強力な魔法使いになることがある。

 貴族令嬢でありながら森に隠遁して暮らす彼女も、周辺の村人たちからは「祝福を受けた魔女」だと思われていた。

 実際、エレナは血統による魔力のほか、水の精霊からの祝福も受けており、魔法使いとしてはかなり優秀な部類に入る。

 精霊からの祝福の力が強すぎて、彼女が暮らすようになってからというもの、この森は雨の日が不自然なほど増えた。


 ――とはいえ、国家魔導士として出仕しようとか、力を喧伝しようなどとは、まったく思ったことはなかったけれど。


 グラスが半分ほどになった頃、玄関の呼び鈴が鳴った。


「はいはーい。」


 エレナは少し大きめの声で返事をしながら、玄関へ向かう。

 ドアを開けると、雨合羽を着た品の良い初老の男性が立っていた。


「エレナさん、突然の訪問で申し訳ないですね。」


「ああ、グローテさんでしたか。来週いらっしゃると聞いていましたが……どうぞお入りください。雨、ひどかったでしょう?」


 エレナが招き入れると、グローテは濡れた雨合羽を脱いだ。

 彼女はそれを受け取り、ハンガーにかけてから、玄関ポーチとつながるベランダに吊るす。


 ヘルマン・グローテは、王都で人気を集める高級装飾品店『ヴィラ・エトワール』の支配人だった。

 そのオーナーは、公爵夫人カタリナ・グランディス。エレナの令嬢時代からの親友でもある。


 婚約破棄ののち、カタリナが手芸や装飾品の販売を持ちかけてくれたことで、エレナは一年ほど前から彼女の店に、自作の刺繍やコサージュを卸すようになった。

 オーナーの親しい友人ということもあって、グローテが定期的にエレナの元を訪れるのが慣例になっている。


「コサージュでしたら十個、できあがっています。今日お持ちになりますか?

 来週までお待ちいただければ、あと五個は追加できるのですが……」


 エレナはミントティーの入った新しいグラスを注ぎながら、ソファに腰を下ろしていたグローテに尋ねた。


「相変わらず、お仕事が早い。できている分は、今日引き取らせていただきます。

 店頭の在庫が切れておりまして、助かります」


 グローテは優しげな笑みを浮かべながら、大きなカバンの中をがさがさと探りはじめる。


「……その件もですが、今日は奥様から言伝とお願いがありましてね」


 彼は封書と、一抱えほどの薄い箱を取り出した。


 エレナは手紙を受け取り、それをいったんテーブルに置いた。

 カタリナがグローテを通じて手紙を託してくるのは、もうすっかり習慣になっている。


 グローテは箱をテーブルの上に置き、ふたをそっと開けた。


 中にはクッションが敷き詰められ、大小さまざまな、色とりどりの宝石――いや、魔石が、二十ほど美しく並べられている。


「これは……宝石? いえ、魔石かしら。すごく質がいいわね」


 エレナはひときわ大きな赤い石を手に取り、灯りにかざした。


「さすが、お目が高い。ええ、宝石質の魔石です。

 そろそろエレナさんにも、コサージュだけでなく――宝飾品のデザインと、魔法付与にも携わっていただけたら、と奥様がお望みでして」


「まあ、光栄ですわ。でも――」

 エレナはひと呼吸置いてから、宝石をそっと箱に戻した。


「社交界を離れて久しくて、すっかり流行に疎くなってしまいました。

 カタリナのお眼鏡にかなうものが作れるかどうか……自信がないのです」


 残念そうに微笑むエレナに、グローテはゆっくりと首を横に振った。


「流行など、追う必要はありません。奥様は、エレナさんの感性を何より信じていらっしゃいます。

 貴女が『よい』と思われたものは、それだけで十分なのです。――きっと、それにふさわしい主が現れますよ」


「そうおっしゃっていただけるのなら――やってみましょう」


 エレナが静かにそう答えると、グローテはほっとしたように微笑んだ。

「ありがとうございます。では、コサージュは本日納品分のみで結構です。

 その代わり、この魔石を置いていきますので……まずは二、三案、デザイン画を起こしていただき、使用する魔石に魔法を付与していただけますか?

 来週、また伺いますので」


「わかりました。……あまり期待されると、荷が重くなってしまいますけれど」


 エレナは苦笑しながらも、ほんの少しだけ肩の力を抜いていた。


 その後はティータイムを共にしながら、グローテと王都の様子や社交界の話題に花を咲かせた。

 やがて彼は、梱包されたコサージュの包みを大切そうに抱え、来たときと同じように雨合羽を羽織って帰っていった。森の外れに、馬車を待たせているのだ。


 静けさが戻った室内で、エレナはカタリナからの手紙の封を切る。


 便箋には、刺繍やコサージュの評判、社交界のちょっとした出来事、そして今回依頼された宝飾品についての詳細が綴られていた。


 カタリナは、エレナの手がけるアクセサリーを、上客――高位貴族や王族のみが通される“サロン”で展示販売するつもりのようだった。

 流行を追うようなものではなく、『ヴィラ・エトワール』の美意識と思想に即した一点物。

 そして何より、エレナの感性こそが、その理想にふさわしいと信じている――そう書かれていた。


 エレナは、テーブルの上に置いたままだった宝石箱を、そっと再び開けた。


 上質で、大粒。

『ヴィラ・エトワール』でなければ揃わないであろう、魔石の質と量だった。


 貴族令嬢だったエレナには、このクラスの宝石を身に纏えるのが、どのような立場の者か、よく分かっている。


「――王族相当。少なくとも、公爵家以上、ね」


 ぽつりと声に出したその瞬間、

 エレナはカタリナの信頼の大きさを思い知り、思わず身震いするのだった。

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