第3話 宅配便と配達員
霧の立ち込める林を進むと、香ばしい香りが漂ってくる。さくさくと足を早めると、香りは一層強くなり、目前の視界が開けた。燻んだオレンジ色の瓦が載った屋根は、まるで目印のようにはっきりと浮かぶ。
今日も門柱の上には真っ白いコーヒーカップが一客、忘れ去られたように置かれている。
余り手入れのされていない前庭には、燻んだオレンジ色のレンガの道が縫うように家の玄関まで敷かれていた。
玄関の扉には、
『コーヒーを飲む日』
と書かれた歪な形の板が掛かっている。
鈍く光るうねうねと曲がった真鍮の把手を、ぐっと力を込めて握った。
“♪♪♪♪”
「こんにちは~! お届け物です!」
勢い良く扉が開いて、箱を脇に抱えた人が威勢良く入ってきた。
「いらっしゃいませ」
背はそれ程高くは無いが、がっしりと見るからに骨太な体付きで、軽々と抱えた段ボール箱をレジカウンターの横に下ろした。
「確かに。いつもありがとうございます」
「なんのなんの」
荷を確かめる‘マスター’にニカッと笑顔を向けると、カウンターの中央寄りに腰掛けた。
ふわりと香りが鼻腔をくすぐり、その脇から湯気の立ち上るコーヒーが出される。
「どうぞ」
「相変わらずだなあ」
にこりともしない‘ドールさん’を面白そうに眺めて、コーヒーを口に運んだ。
「‘宅配便屋さん’、ご無沙汰だねえ」
奥のカウンター席から‘占い師さん’が声をかけた。
「本当にご無沙汰してました。皆さんお元気でしたか?」
‘宅配便屋さん’は爽やかに言葉を返す。
「相変わらずさ。ご覧のとおりね」
‘占い師さん’が肩をすくめて答えると、‘宅配便屋さん’は「ふふっ」と声を漏らした。
「ああ遂に! この間から無性にここのお菓子が恋しくなってねぇ」
そして運ばれた小さな焼き菓子を見て感嘆の声を上げる。‘ドールさん’が運んできた小さな焼き菓子は、通常出されている量の優に倍はあった。
「このさっくりした歯応え、バターの香り、そして何とも言えないこの素朴さ。芳しいコーヒーにぴったりじゃないか。たまらんねぇ」
しゃきしゃきと葉を刻む音に似た響きで、誰に話しかけるともなく言い放つ。
「ああ! この上に乗ったジャムの艶やかさ! 甘みもさることながら、酸味が次の一杯を誘うねぇ」
‘宅配便屋さん’は、コーヒーをほんの三口ほどで飲み切ると、心得たように‘マスター’が二杯目のコーヒーを差し出す。
「ありがとう。ありがとう」
“♪♪♪♪”
店内が‘宅配便屋さん’の独壇場になりかけた時、次なる客があの何とも言えない音を鳴らした。
「あれれ! 新人さんだ!」
「……こんにちは」
入ってきた途端初めて見る客と目が合い、‘学生さん’は自分のことを言われたのだと気づいた。
「こんにちは、‘学生さん’」
「……初め、まして。‘宅配便屋さん’、ですよね?」
‘学生さん’は恐る恐る、尋ねるように初対面の客の呼び名を確認する。
「うん。そうだよ。よろしくね」
そんな様子も意に介さず、‘宅配便屋さん’はにっこり笑って答えた。
「あ、そうだそうだ。忘れてた」
二杯目もあっという間に飲み干し三杯目のコーヒーを受け取ると、‘宅配便屋さん’はズボンの後ろポケットに手をやった。
“カシャ”
スマートフォンのシャッターを切る音が店内に響く。
「あ」
「うん、分かってる分かってる」
少し焦ったように顔を上げた‘マスター’に、‘宅配便屋さん’は心得たように言う。
「……もしかして、写真、撮ったらまずいですか?」
その様子に何かを読み取った‘学生さん’が、恐る恐る‘マスター’に尋ねた。
「いえ、そうではなくて」
‘マスター’は少し申し訳なさそうに続けた。
「写真を撮る分には問題ないのですが、その写真がインターネットで公開できないんですよ。なぜか」
「やってはいけない、のではなくて、ですか?」
「ええ。できないんですよ」
「実は何度かやってみたけど、載せられたことがないんだよね」
‘宅配便屋さん’も続ける。
「ワタシは食べたり飲んだりしたものをSNSに載せるのが趣味でさあ」
「だけど此処の店に関することは一つも載せられないの」
「そうだったんですか……」
ーーそういえば、そんなこともすっかり忘れていたな。
‘学生さん’は、この店に来てから写真を撮ろうとさえ思わなかったことに驚いた。いつもなら食事の前に写真を撮っていただろうに。でも撮り損ねたところで、いや、今までだってなんとなく撮っていただけじゃないかとぼんやり考えた。
“♪♪♪♪”
「おや、久しぶりな顔が」
「‘営業さん’、ご無沙汰! 元気にしてたかい?」
「ええ、お陰様で。それで、今回の「荷物」は?」
「あれだよ」
‘営業さん’の質問に‘宅配便屋さん’は右手の親指を立てて、ちょうど‘マスター’が開けようとしていた箱を指す。
「今回は何でしょうね」
「「荷物」?」
‘学生さん’は二人の会話の主旨が見えず、つい尋ねた。
「ああ、’学生さん’は初めてか。’宅配便屋さん’の“お知らせ”は「荷物」なんだよ。」
「そう。まさに現物が届くから、こうやって持ってくるのさ」
「そうなんですか……」
「ふふ。ワタシっぽいでしょう」
何が「ワタシっぽい」のかわかるようなわからないような、複雑な顔の‘学生さん’に、‘宅配便屋さん’はニヤリと笑う。
そんなやり取りの最中‘マスター’は小刀のような物で段ボールの封を切り、バリバリと音を立てて箱を開けた。そして中から灰色の紙の塊を取り出す。その紙をガサガサと掻き分けて、そっと中のものを取り出した。
「コレ、「ゲッコウトウキ」、デスカ!?」
ウィンドウチャイムとハープシコードが混ざったような何とも言えない音がしたかと思うと、長いローブの裾をサラサラとなびかせるように入ってきた‘大富豪さん’が、食い入るように‘マスター’の手元を見つめた。
「ええそうです。よくご存知ですね」
「“月光陶器”だって!? 本当かい?」
「うわあ。初めて見ました」
‘大富豪さん’に釣られるようにして次々と皆がカウンターへ近寄った。
月光陶器はゴツゴツとして、まるで月面のような無骨な顔をしている。陶器の表面にはとろりと緑がかった白の釉薬がかかり、液垂れの緩やかな波模様が作られている。カップの縁は咲きかける花弁のようにほんのり開き、受け皿は蓮の葉のようで、野趣に満ちた風貌をしている。
「光ってませんね?」
「光るんですか!?」
「明るいところで見るとよくわかりませんが、暗いところでは光って見えますよ」
そう言って‘マスター’が‘ドールさん’に目配せすると、‘ドールさん’はカウンター奥のキッチンに行き、店内の照明を少し落とした。
「本当だ! ぼんやりとだけど光ってる!」
「確かに「月光」のようですね」
「ツキノヒカリ ウツクシイ……」
月光陶器は全体が淡く仄かに光り、それは夕闇に浮かぶ白い月を思わせた。
「これは特殊な釉薬がかかっていて光るんですか?」
静かに近寄ってきた’学者先生’は、掛けていた眼鏡をずらして覗き込むように陶器に近づいた。
「いいえ。陶器の土の方が特別なんだそうですよ。なんでも満月の晩に山の中腹に咲く白い花の根元で採集した土を使うんだそうです」
「へえ。よくご存知ですね」
「友人の陶工が教えてくれました」
「あれ? もしかして、この月光陶器を作ったのって」
やけに事情に明るい’マスター’の様子から皆が理由に気づく。
「はい。私の友人です」
「これまた稀有なご友人をお持ちで」
「たまたま友人が陶工だっただけですよ」
「月光陶器を作れる陶工って珍しいんじゃあ……」
「いえその友人曰く、土さえ手に入れば誰でも作れると」
「できる人って大概、誰でもできるって言いますよね。そもそも土を手に入れることが困難な気がしますし」
‘マスター’の言葉に‘営業さん’は苦笑した。
「その土はどうやって手に入れるんですか?」
「自分で掘りに行くらしいですよ」
「ねえ、手に取らせてもらってもいいかい?」
「どうぞ」
「ああ、良いねえ」
‘占い師さん’は手に収まる感覚を確かめるようにカップを両手で包む格好で持ち、上から下から満遍なく眺めて感嘆の声を漏らす。
その間に‘マスター’は次々と箱からカップを取出し、カウンター台の上に並べていく。
「あら? 裏に文字が彫ってあるねえ」
「なんて書いてあるんですか?」
「これは白い月と書いて、『白月』と読むのかしら?」
「‘マスター’のご友人の陶工さんは『白月』とおっしゃるんですか?」
「いいえ、どうやら『白月』とはこのコーヒーカップの名前のようですよ」
‘マスター’は陶器が包んであった紙を広げて、隅に書かれているメモを読んだ。
包み紙に無造作に走り書きされたそれには、
コーヒーカップ 『白月』 二十客
と書いてある。
‘マスター’はわずかに目を細め、ふわりと微笑んだ。
「コーヒーカップはこれに変えるんですか?」
「今日は難しいですが、時々はこういうのもいいかと思いまして」
「おや、残念。ワタシもいつかこのカップでコーヒーを飲みたいねえ」
「もちろんです。そういう店じゃないですかここは」
「違いないね」
‘宅配便屋さん’は口の端だけで笑うように返し、手元のカップの中のコーヒーに目を落として、それを煽るように飲み切った。
心ゆくまで月光陶器を眺めた面々は、やがて当初の目的を思い出したようにそれぞれの定位置に戻った。そしていつも通りのコーヒーを楽しむ。
‘マスター’はこの店に新しく加わった無骨で繊細な仲間達を眺め、満足げに目を細めた。
*****
誰もが何杯目かのコーヒーを飲み終わる頃に、ボワンと空気を震わせ、聖堂の鐘の音のような不協和音の音楽のような、喉の辺りがぞわぞわする旋律が店内に鳴り響く。
「ああ、今日も堪能した。ありがとうね、‘マスター’、‘ドールさん’」
「こちらこそ、いつもありがとうございます。またお待ちしています」
「ワタシも楽しみにしてるよ」
そう告げながら軽く片目を閉じると、来た時と同じように’宅配便屋さん’は威勢よく出て行った。
それに続いて次々に皆が戸口に向かうのを見送って、最後の客が出て行った後、‘マスター’は、コーヒーのドリッパーに新たな濾紙をセットし、グラインダーでコーヒー豆を挽く。鼻を近付けて挽きたての豆の香りを楽しんでから、ゆっくりとドリップを始めた。
‘ドールさん’は使われた食器を洗い終えると、洗い桶に水を張り、今日届いたばかりの陶器を沈めてゆく。
不意に店の扉が開いて店内に風が吹いた。
「やあ、来る頃だろうと思いました」
今入ってきた人物は、その言葉には反応せず、迷いなく‘マスター’の真向かいのカウンター席に座った。
そして‘マスター’がコーヒーを差し出すと、無言で受け取る。
「コーヒーカップ、評判良いですよ。皆、喜んでました」
「……そう」
浅黒い肌で髪を短く刈り込んだ目つきの鋭い人物は、俯いたまま目線を合わせずにコーヒーを飲みながら短く答えた。
「それにしても随分馴染みましたね。その作務衣も頭に巻いた手拭いも」
「……結局これが一番楽だからな」
‘ドールさん’が小皿に二粒チョコレートを載せて出すと、一度顔を上げて目礼し、チョコレートを口に含んだ。
「……お前は変わらないな」
「そうですか?」
「……相変わらず、何を考えているのかわからん」
作務衣の人物は二杯目のコーヒーを啜り、ため息混じりに話す。
「今日はこれからいつものですか?」
「……ああ。土探しだ」
「そういえば、満月でしたね」
「……わかっているならいちいち訊くな」
「思い出したので確認ですよ」
笑顔で見下ろす‘マスター’に、作務衣の人物はうろんげな目を向けた。
「どうぞ」
「これは?」
二人の間に割り込むように‘ドールさん’が小さな布の包みを置いた。
「夜食に」
持ち上げると思ったよりも軽く、問うように目を合わせると、‘ドールさん’は無表情のまま軽く頷いた。
「たぶんコーヒーに合うと思いますよ」
そう言うと、‘マスター’は細身の水筒を差し出す。
「……悪いな」
「どういたしまして」
それを受け取って立ち上がると、腰の辺りにぶら下げた鞄に収める。そしてゴムのついた手袋をはめると「じゃ」と短く挨拶をして、心なしか楽しそうに鼻歌を歌いながら出て行った。
「ご機嫌でしたね」
‘マスター’は誰もいなくなった扉を見ながら独り言のように呟いた。’ドールさん’はきょとんとして首を傾げたが、すぐに客のいなくなったテーブルを拭き始めた。
陽は完全に傾いて、月がその輪郭をはっきりと見せる頃、’マスター’も知らず知らずあの歌を口ずさんでいた。
時が満ちて
白い月は昇り
木々はさざめいて
葉の影は揺れ
空の天辺に向かい
鳥の歌は遠くかすかに
ほころぶ白い花弁へ
優美な光は舞い降りる
水に浸けられた月光陶器は、薄闇の中で淡い光を放っていた。
お読みいただきありがとうございました。
余談ですが、このお話はちょっぴり難産だったので、その話を後ほどつらつら語ろうと思っています(笑)。
※ 9月18日(日)の活動報告で語りました→ https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/2143163/blogkey/3047695/
※ 9月20日(火)の活動報告に「月光陶器」のイメージについて書きました→ https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/2143163/blogkey/3048613/