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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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糸屋の娘

作者: 小城

 天正7年。4月25日の朝、京都所司代、村井春長軒の屋敷に、22、3になるであろうか若い娘がやってきた。

「所司代様に申し上げたき儀がございます。」

聞くところによると、娘は四条小結町の糸屋左兵衛方の下女で名をゆいというらしい。

「お結。このような明け方に何事であるか?」

春長軒は優しい声音で話しかけた。この頃、春長軒は60歳半ばに近く、時折、目が霞むことがある。

「実は…。」

お結が言うことには、昨夜、主が殺されたという。

「落ち着いて仔細を話してみよ。」

心なしか娘は震えているように見えた。

「はい…。」

その糸屋は、主人の左兵衛はもう何十年も前に死に、今は左兵衛の後家である「なか」が主をしていた。しかし、なかはもう70歳近く、店のことは、左兵衛となかの娘である「しげ」が営んでいた。

「昨日の晩、旦那様しげから、西洞院で柳酒を買って来てほしいと頼まれました。」

柳酒は高値の上質な酒である。濁りがないが、その分、酔い易い。

「私が言われたとおり、柳酒を買ってくると、旦那様は大方様なかに柳酒を振る舞いました。」

なかは早くも酔いが回ってきたらしい。

「しかし、旦那様は良い酒だからと、無理に大方様に勧めておりました。」

やがて、なかは酔いつぶれてしまったという。

「旦那様は酔いつぶれた大方様を土蔵に運び込み、夜更けを待って…。」

刺し殺したという。

「その後、旦那様は、大方様を長櫃に入れて、固く紐で結びました。」

そして、誓願寺の僧を呼び、突然、亡くなったことにして、寺に運んでもらったという。

「旦那様は私に、小袖を一枚渡して、このことを黙っているように言いましたが…。」

恐ろしくて、所司代の屋敷へ駆け込んだということであった。

「お主の言うこと真であるか調べてみよう。」

春長軒は誓願寺へ人をやり、昨夜、運ばれた遺体を検分するように言った。半刻ほどしてその人は帰ってきた。

「娘の申したことは真でありました。」

遺体は長櫃に入ったまま、寺に置かれていた。長櫃は紐で頑丈に結ばれていた。あまりに頑丈だったので、小柄で切ったという。

「旦那様は店の紐を使っていました。」

ともに検分役人の報告を聞いていたお結が言った。

蓋を開けると、言われたように老女の遺体があり、胸には刺し傷があったという。

 すぐに、糸屋のおしげが捕縛された。おしげは犯行を認めた。

「何故の所業であるか?」

春長軒は優しい声音で問いかけた。

おしげは、なかに長年、虐げられてきたという。

「彼ノ母ハ老年ニ至リ候テハ、積年ノ恨ミ晴ラシ候ハズ。」と思い、凶行に及んだという。

「汝、愚カ也。いたずらニ時ヲ過ゴシ候ハバ、相手、最早、亡クナリ候モノヲ。」

と春長軒は言ったという。

4月28日。しげは、市中引き回しの上、六条河原で処刑された。

「前代未聞ノ事也。」と信長公記の著者、太田牛一は記している。

この話は信長の息子、信忠の耳にも入った。

「そう言えば、先日、刃傷を起こした佐治新太郎と金森甚七郎も、糸屋のことで口論をしていたと聞き及んだが…?」

「佐治と金森の二人がでございますか…?」

信忠と話していた春長軒は頭を捻った。

この年の4月朔日に、信忠の小姓の佐治新太郎と金森甚七郎が口論になり、佐治が金森を刺し殺し、自らも切腹するという事件があった。

「彼の者たちの傍らにいた者によれば、二人は『糸屋が…。』と話していたそうだ。」

「その者の名をお教えいただけますか?」

その者は、同じく信忠の小姓で佐々藤丸という者であった。

「二人は糸屋の娘と恋仲でした。」

「その糸屋は糸屋左兵衛か…?」

「店の名までは存じませぬが、娘の名は『ゆい』と申すそうです。」

「『ゆい』?」

春長軒は屋敷へ帰った。

「(糸屋の娘、ゆい…?)」

春長軒は経机の上に肘をかけている。夜更かしは老体に響いた。近頃は、政務の最中に倒れることもあった。春長軒は立ち上がり、宿直の部屋へ行った。

「重次郎。」

「はい。旦那様。」

春長軒の下人である。まだ若い。

「ひとつ頼まれ事をしてくれないか…。」

春長軒は糸屋の一件に関して、重次郎に調査を依頼した。

「これは所司代としての頼みではなく、村井春長軒としての頼みだと思ってくれ。」

調べたことは公にはしないということだった。

「承知致しました。」

翌日、重次郎は糸屋左兵衛の近隣や糸屋仲間たちに話を聞いた。

「糸屋左兵衛方には、よく若衆が訪ねているのが見かけられていたそうにございます。」

「(佐治と金森のことだろうか…?)」

「永禄の初めまでは、店の切り盛りは、なかがやっていたそうですが、最近では、なかの姿を見ることは、全くなかったそうにございます。」

永禄の初めといえば、今から10年程前である。

「左様か。御苦労であったな。重次郎。」

重次郎は戻っていった。春長軒は経机に肘をかけて休んでいる。

「(佐治と金森のことは、わしが調べるか…。)」

翌日、信忠邸に参ったとき、佐々藤丸を呼んで重次郎に言ったことと同じようなことを伝えた。

二、三日して、藤丸が春長軒の屋敷に来た。

「小姓仲間などに聞いたところ、佐治新太郎が通っていた店は糸屋左兵衛方にございました。」

「(やはり、そうか…。)」

「相手の名は、『しげ』。」

「しげ?ゆいではなくて…?」

「はい。初めは、下女のゆいと通じていたらしいのですが、次第に、糸屋の店主のしげと良い仲になったそうにございます。」

「(しげ…。)」

春長軒は、しげの容貌を思い出していた。しげはおそらく、齢40半ばといったところだろうか。佐治とは親子ほどの年齢差ではある。

「(思い出してみれば、妖艶な雰囲気を纏っていた女子ではあったか…?)」

春長軒が初めて見たときのしげの印象は悲しげな女子であった。それは、ひとえに自分が罪を犯し、獄門に晒される運命にあるのを知っていたからだと思っていた。

「佐治から、その話を伝え聞いた金森が、しげに手を出したようにございます。」

「それを知った佐治が金森を刺したか…。」

「左様にございます。」

春長軒は藤丸に謝礼の銀子を渡そうとしたが断られた。

「不審の入用があると、疑われますので…。」

小姓仲間たちの目もあるのだろうか。

「左様か…。然らば、いずれこの借りは返そう。」

「春長軒様、お気になさりませぬよう…。」

藤丸は春長軒の屋敷を後にしようとした。

「そういえば、今となっては、分からないのですが、金森は佐治に気があったのではないかという噂を聞きました。」

「(衆道の契りか…。)」

それだけ言って藤丸は去った。

 藤丸が去った後、再び、春長軒は書院で経机を脇に休んでいた。

「(佐治と金森は衆道の契りを結んでいた…?)」

いや、藤丸の話によれば、金森が一方的に佐治を好いていた風であった。

「(嫉妬に狂い、しげに手を出したか…。)」

佐治と糸屋のしげが恋仲であるという噂を聞き、金森は佐治への嫌がらせか、あるいは、佐治としげを別れさせようとして、しげに近づいた。

「(それならば、何故、しげはなかを手にかけたのか…?)」

二つの出来事はまったく無関係のことなのだろうか。そう思いながらも、ひとまず、佐治と金森と糸屋の関係が分かった春長軒は床についた。

 藤丸が春長軒の屋敷を訪れてから、数日後、下人の重次郎が姿を消した。

「(出奔したのか…?)」

戻って来るかも分からず、とりあえず重次郎の代わりは他の者で間に合わせた。結局、重次郎は戻って来なかった。

 それから、ひと月ほど経った頃、春長軒のもとに文が届いた。文は丹波からの行商人が持って来た。

「(誰からであろうか…。)」

差出人は重次郎であった。


「恐々謹言。急に旦那様の元を出奔したことお許し下さい。旦那様の元を離れた後、私は丹波へ向かいます。それは、糸屋のお結を追ってにございます。旦那様の言い付けで糸屋を探った折、私はゆいと出会いました。私とゆいはすぐに恋仲になりました。旦那様の言い付けが終わった後も、私は度々、結に会いに行きました。然れど、この度、結は急に、生国の丹波へ帰ってしまいました。一時は忘れようかと思いましたが、私は結のことを夢にまで追い求め、忘れられず、結を追って丹波へ向かうことに致しました。何卒、御無礼をお許し下さいませ。天正七年 皐月廿日 重次郎。」


「(お結…。)」

春長軒は、結の顔を思い出そうとしたが霧がかかったように思い出せなかった。文を閉じると、重次郎のことはそれきりにした。

 それから、さらにひと月ばかり経った頃、春長軒の屋敷に丹波からの訪問者が来た。

「丹波篠山の乙名、次郎兵衛にございます。」

春長軒は座敷に通した。

「この度は何用にござるかな。」

次郎兵衛は京見物に来たというが、そのついでに篠山の山寺の住持から頼まれ事をしたという。

「こちらを京の春長軒様の御屋敷に届けてほしいと。」

次郎兵衛が取り出したのは、一本の小刀と文であった。

「こちらは山寺の住持からの文にございます。」

住持からの文には、この度、こちらで夫婦の死人が出て、その夫が、生前、京の村井春長軒の下人であったということで、故人の形見の品と残された文をお届けするということが書いてあった。

「私めはこれにて。」

次郎兵衛は従者とともに京の街へ消えていった。春長軒は書院に戻り、文を開いた。

「(重次郎か…。)」

名はないが、重次郎の字であった。「恐々謹言…。」から始まるその文には、ふた月前の糸屋事件の顛末が書いてあった。


「恐々謹言。申し上げます。某、京都所司代、村井春長軒様下人。田辺重次郎と申す者に候。妻の名は結。某はこの度、妻を生害の上、自らも自害するに及び、その仔細を書き記し候者也…。」


「(お結と会えたのか…。)」


「事の起こりは弐年前の天正七年卯月。結が京、糸屋左兵衛方おしげと結託し、しげの母、なかを生害致し候。抑も、結は糸屋左兵衛方の下女にして、去る御方の近習、某と恋仲に成り候者也…。」


「(佐治のことか…。)」


「然れど、その若衆、次第に心を、結よりおしげに心移りして、頻繁におしげと通じるに相成り候。お結。此を知りて、邪推し、嫉妬に狂い候…。」


春長軒は一度、文から目を離した。目が霞んでしまう。


「さて、もとより、おしげの母、なかに候ては、永禄の初め頃より、病患い候て、気鬱に成り、次第に呆け候はば、おしげに無理無体を申し、『我が家に婿、来候はずは、汝の咎有りて因り。』などと悪口雑言申し候様に成り候…。」


「(それは知らぬ…。)」


「おしげ、此を聞きて、吾に婿来候はずは、なか有るに因りてと邪推し、生業乱れ、男狂いし候。其れに因りて、近習の若衆の同僚の男と閨を共にし候て、近習の若衆、その男と口論に及び、男を生害の上、自らも自害遊ばす。」


「(金森…。)」


「おしげ。此を聞き及びて、益々、なかを恨み候はば、お結、此を知りて、我が男を盗み候恨み晴らさでおくべしと、しげを唆し、夜分、なかを酒に酔わせた上で生害し候。然るに、夜明けて、結、所司代様の御屋敷へ参り、自らは素知らぬ振りして、しげがなかを生害し候由、申し上げ候…。」


「(それ故、お結はあれほど詳しかったのか…。)」


「お結の密告に因りて、おしげは、打首獄門に露と消え候。その後、結は退転の上、丹波に身を隠し候。この度、我、妻の悪行を聞くに及び、その罪を恥じて、結を生害の上、自害致し候。天正七年 水無月十日。」


文に宛名はなかった。しかし、冒頭に春長軒の名を書いたあたり、死後、春長軒の元に届くことを望んだのだろう。

春長軒はもとより沙汰をし直す気はなかった。事件の当事者も皆、亡き者となった今となっては、無用の事でしかない。春長軒は、重次郎がお結と自らを刺したであろう小刀を箪笥にしまい、文を焼いた。天に昇るその煙を見ながら、春長軒は静かに合掌した。


以上が『信長公記』京都四条こゆい町糸屋後家の事という事件の一抹である。

 しかし、この話には異説がある。江戸時代に書かれた『本朝事物由来抄』という書物の中の『天正七年京都糸屋後家之事』の件である。これによれば、重次郎とお結の死後、閉門となっている京都四条糸屋左兵衛方を訪れた春長軒は、隣家の翁から、糸屋後家についての話を聞く。そして、明智光秀の丹波平定後、重次郎とお結の墓がある篠山の山寺を訪れた春長軒は、山寺の和尚から重次郎とお結についての話を聞くという筋になっている。


 文を焼き終わると、春長軒は一人、京の街の四条小結町に向かって歩いた。

「(ここか…。)」

春長軒の目の前には糸屋左兵衛方の家があった。今はもう、閉門となっている。長く歩くと疲れる春長軒は隣家を訪ね、小休止させてもらうことにした。糸屋の隣家には翁が一人暮らしていた。

「左兵衛殿とは、よく囲碁に興じたものにございました。」

そう話す翁は水を一杯汲んできてくれた。

かたじけない。」

春長軒は一口飲んだ。ひやりと冷えた水である。

「井戸水ですかな。」

「左様にございます。」

春長軒はもう一口飲んだ。

「左兵衛殿の嫁様のなか殿は恐ろしい人でしたな。」

「若い頃ですかな?」

「左様。私と左兵衛殿がここで囲碁に興じていると、やにわになか殿に呼ばれて、よく叱られておられました。」

「成程。」

「その頃から、店はほとんどなか殿が切り盛りしていたようで、左兵衛殿はぐうたらと暮らしておりました。」

「…。」

春長軒は黙って聞いていた。

「それに嫌気が差したのか、なか殿は他に色男を作ってしまいましてな。」

「他の男?」

「左様。ある日、左兵衛殿はなか殿と大喧嘩をしたらしくてな。夜中に大きな物音が聞こえてござった。翌日、なか殿に聞くと、左兵衛殿は家を飛び出て行き、それ以来、帰って来られぬ。」

「翁も、御亭主の姿は見かけなかったのですかな。」

「左様。それ以来、一度も見ておらぬ。結局、なか殿とその色男との仲もうまくいかず、まだ幼子であったしげ殿となか殿の二人だけで暮らしておったよ。」

春長軒は翁の家を後にして、屋敷に戻った。

「(左兵衛は、なかに殺されたのではなかろうか…。)」

そのようなことを思った。

「(考え過ぎか…。)」

一連の妙な事件のせいで疲れているのだろうと思った。

 それから、数日経ったある日、春長軒は屋敷の中で鋏を探していた。

「ない…。」

どこにやったのか覚えがない。

「(下人部屋にないか…。)」

下人たちは今、外に出ていていない。

「(どこかにないか…。)」

人が来る前に探してしまおうと思った。

「(これは…?)」

箪笥に一通の文があった。書かれてある字は見覚えのあるものであった。

「(重次郎の字か…。)」

亡き重次郎の物かと思い、開いてみた。

「(これは…。)」

「旦那様…?」

下人の一人が帰ってきた。

「鋏はないか?」

「鋏ならここにございます。」

下人は筆立ての横に置いてある鋏を渡した。

「ところで、ここは重次郎の棚であったのか?」

「左様にございます。」

春長軒が見た文は恋文であった。

「(宛名は金森甚七郎…。)」

刃傷沙汰で生害された信忠の小姓である。

「(よもや、重次郎と金森が衆道の契りを結んでいたとは…。)」

春長軒の初めて聞くところであった。

「(重次郎はお結を金森の仇と思い追ったのか…?)」

刃傷沙汰を起こした佐治と金森は、結局はおしげと通じていたが、表向きはお結に通じたと思われていた。

「(お結が佐治に金森を襲わせたと思ったのか…?)」

推測に過ぎない。しかし、何故か、春長軒はこのことが心から離れなくなった。

 9月に、明智光秀が丹波平定を成し遂げると、その後、暇を見つけて、春長軒は丹波篠山に向かった。乙名の次郎兵衛を訪ね、重次郎とお結の墓がある山寺に案内してもらった。

「ようこそお出で下さりました。」

何ももてなしできぬことを住持は嘆いているようであった。

「此度は私用なれば、お気になさらず。」

春長軒は墓に案内してもらった。

「こちらにございます。」

墓は山の中腹にあった。二つの墓石が並んでいる。春長軒は合掌し、重次郎の形見の小刀を二人の墓の傍らに埋めた。

「お結はこの村の出でありましたのかな?」

寺に戻って、水をもらった。この水も井戸水であろうか、ひやりとしていた。

「お結は父と一緒にこの村にたどり着きましてな。」

戦で焼き出されたのか、父娘で放浪の後、村に住みついたという。

「父親がひどい男でしてな。ことあるごとにお結を虐げておりました。」

見かねた村人はお結に時折、食べ物を与えていたという。

「その内、父親は流行り病で亡くなりました。」

「流行り病とは村の人たちも大変でしたな。」

春長軒は水を一口飲んだ。

「亡くなったのはお結の父親一人だけでした。」

「(一人だけ…。)」

それは流行り病といえるのだろうか。

「(成程…。)」

恐らくはお結の境遇を見るに見かねた村人たちが父親を殺してしまったのだろうと思った。

「(あるいは、お結自身が…。)」

「父親亡き後、お結はしばらく、村で面倒を見ていたのですが、やがて、出奔してしまいました。」

「それ以来、京に住みついたのですな。」

「お結は不憫な子でありました。父親のせいで、感情を表にしない子になっておりました。しかし、父親への恨みはあるのか、時折、呪いの言葉を口ずさんでおりました。」

「…。」

春長軒は黙って聞いていた。

「然れど、その呪いの言葉はいつしか、父親ではなく、お結自身を呪う言葉となり、お結は容易には人を信頼できぬ性質になってしまいました。それでも、お結は心のどこかで人を信頼したいと願っており、自らの心の内で苦しんでいるようでした。そう拙僧には思われます。」

「左様にございますか。」

「それが、ふと、数ヶ月前に、夫を連れて村に戻ってきましてな。」

重次郎のことであろう。

「(てっきり、篠山で会ったのかと思っていたが、二人は道中で出会っておったのか…。)」

「然れど、残念なことに夫婦ともに亡き者になってしまいました。」

「お察しいたす。」

寺に一泊して、翌日、春長軒は京へ戻った。休み休みの道程で、春長軒が京の屋敷についたのは、神無月の暮れであった。

「(あれほど鳴いていた蝉の声がもう聞こえぬか…。)」

月日が経つのは早いものである。京都四条小結町糸屋左兵衛方で事件が起こってからもう、半年近くなる。

「(重次郎はお結に嫉妬していたのだろうか…。)」

愛人、金森を奪われたと思った重次郎は金森の仇と思いお結を追ったのだろうか。それとも、本当にお結に惚れていたのだろうか。

「(お結は何故、すべてを重次郎に話したのだろうか…。)」

お結は重次郎を信頼し、重次郎に殺されるのを承知の上ですべて話したのだろうか。

 天正七年も終わりにさしかかった寒日、政務に追われながら京都所司代村井春長軒は、過去の出来事を思い出していた。


 以上が、江戸時代になって書かれた『本朝事物由来抄』の『天正七年京都糸屋後家之事』のあらすじである。しかし、結論から言うと、この『本朝事物由来抄』は偽書である。物語と言っても良い。天正七年の長月から神無月にかけて、京都所司代村井春長軒が丹波篠山を訪れたという記録はない。『天正七年京都四条糸屋後家之事』の筋も、江戸時代に流行った心中物や仇討ち物の要素が垣間見られる。おそらく江戸時代になって、読本作家が『信長公記』の箇所を脚色し物語化したのだろう。『本朝事物由来抄』には、この他にも江戸初期以前の事件を扱った題材が載せられているが、それらはどれも物語的要素が強い。どれも、信憑性はなく、後世の創作と見た方が良い。

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