08
後日、教務棟4階の相談室を訪れた私は、相も変わらず退屈そうにしている如月を見つけた。
「こんにちは。先日はありがとうございました」
「……どうしたんだ」
「あれから、カレンとはうまくやっていて、大親友になれました。そのお礼を言いに来たんです」
「僕は仕事をしたまでだ」
マスクとパーテーションの二重越しでも分かる怠惰な空気を、相変わらず彼は発していた。
私は案内も待たず、黙って対面に腰掛けた。
さすがに怪訝な目を向ける彼。
私は笑って
「どうして、分かったんですか?カレンのこと。可能性は色々あったのに、正しい答えをどうやって見つけたのか、ずっと、気になっていたんです」
「……社会を知るのが大学職員の仕事だから」
彼は答えになっていない答えをよこした。
しかし私は当然それでは納得できず
「もう少し詳しく」
「……『留学生』の存在は、地方の大学ではどうしても目立つ。そんな学生が消息不明なら、講師にしろ、教務係の職員にしろ、すぐにわかるはずだ。それが認識できていなかったのなら、最初の前提に誤りがあるのだと考えた。だから、彼女が『留学生』ではないのではないかと、僕は疑った」
「なら、彼女の嘘の方は?」
「全員が時代の潮流に、勢いよく乗れるわけじゃない。オンラインが主流になろうが、警戒を持つ人間がいるのは当然だ。名前で検索してもひっかからないのであれば、インターネットを介した繋がりに警戒心があって、嘘をついていたんじゃないか。そう思っても、自然な話だろう」
「……そうですね」
私は頷いた。
「なら、そうやって推理した後は、どうやって実際に彼女を見つけたんですか?」
「キミが履修していた科目の名前は聞いていた。講師に連絡を取って、『留学生』ではない、外国人名の学生で、対面授業に来ていない学生を問いただした。そこで得られた情報を元に、教務係に話をつけ、実際にあの子と連絡を取った」
そこまで言うと、彼は私の方を面倒くさそうに見やって
「実に簡単な話だ」
「そうですね。簡単ですね。でも、そんな単純なことを、誰も気がつかなかった」
「……僕は暇だからな」
私は再度頷いた。
「暇な人間には、暇な人間なりの役割りがある」
カレンが消えたように思えた事情は、一つ一つの要因をつぶさに見ていけば、ひどく簡単な話だった。
混乱の極みにあった私はともかく、それこそ、先生や教務係の職員がちょっと頭を回せば、すぐに気が付けたことのはずだ。
でも、誰もそこまでやろうとはしなかった。
彼らが真摯でなかったとは言えない。
ただ、目の前の彼が言う通り、人間にはそれぞれの役割りがあるのだろう。
そして、今回は、彼が適任だった。
「如月さんは、この相談室に、左遷されたらしいですね」
「……よくそんなことを直接本人に聞けるな」
さすがに驚いた様子で、彼はこちらに目線をやった。
私は笑顔で頷いて
「なら、おっしゃる通り、お暇でしょうから、時々ここによってもいいですか?」
「……何のために」
「社会を知るのが大学職員の仕事なんでしょう?女子大学生なんて、ぴったりの素材じゃないですか。あたしが、素材を提供してあげます」
「……好きにしろ」
面倒くさそうに彼はそう言うと、文庫本に視線を戻した。
初夏が過ぎ、季節は冬の衣に着替えようとしている。
暖房設備がろくに整っていないこの部屋では、早くも寒さを感じるほどだ。
だが、目の前のこの男は、そんなことに頓着せず、自分なりに今日も生きている。
この相談室が、彼が社会で置かれた場所なのだ。
置かれた場所で、自分なりに、無理をしないで生きる。
それが正しい態度なのかは分からない。
けれど、この厳しい時代に、格好の社会調査の対象を見つけて、私はひとり、ほくそ笑んだ。
楽しくなりそうだった。