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「カレンが……留学生じゃない?」

どういうこと。


私の言葉に滲む動揺を気にせず、彼は続けた。

「そう。彼女は留学生ではない。少なくとも、『学籍上』は」

「……どういうことですか」

私が口にした疑問に、日本語であっても、カレンは自分のことを話しているのがなんとなく分かったようで

「ええと……私、ビザ、違う」

「ビザ?」


私が彼女の顔を覗き込むと、カレンはこくっと頷いた。

「『留学』、じゃない」

「そもそも、『留学生』という言葉は多義的だ」


如月は、カレンの言葉に説明を追いつかせるように

「国内の行き来でも、何かを学ぶために、自分の本来の所属コミュニティから離れるのであれば、それは『留学』と呼ばれる」

「……それはそうかもしれませんけど」

「感染症の時代になって、『オンライン留学』という言葉まで出始めた。もはやその場所を動く必要すらないわけだ。……このように、『留学』の定義は流動的で、文脈によって移ろいうる」


彼はそこでひと呼吸を置くと、相変わらず冷静なペースで続ける。

「キミは、外国人が日本の大学に進学をしているのだから、イコールその人間は留学生だと考えた。留学生という言葉に含まれる多義性を、無意識に無視してしまっていた」

「外国人の人が、日本の大学で学んでいれば、それは留学生ということにはならないんですか?」

私の疑問を

「大学にとっては違う」

と、彼は淡々といなすと続けて

「日本国籍でない人間が、日本に滞在して活動するために取得する在留資格は様々だ。そのうち、大学にとっては、『留学』の資格で活動している人間や、国費外国人留学生制度、私費外国留学生特別選抜を利用した学生が『留学生』だ。裏を返せば、それらの制度を利用していない、『留学』以外の外国籍の学生は、文字通り単に『外国籍の学生』ということになる。その人間は『留学生』ではない」

「で、でも!‥‥なら、カレンは、日本にどうやって……」


私が再び口にした疑問に、今度はカレンが一生懸命な舌足らずで答えた。

「アタシ、お父さんが、日本人」

「えっ?」

彼はその言葉に頷いて

「その子は、日本で、日本人の父親の下に出生した。生後間もなくアメリカに渡って生活し、国籍もアメリカだが、大学に進学できる年齢になって、父のいる日本の大学に進学することに決めた。来日の際には、日本人の配偶者等として在留資格を申請し、承認された。大学も、留学生用のものではない、一般選抜試験を受験した」


彼はいかにも落ち着いた態度でお茶をごくり含むと

「よって、彼女は外国籍ではあるが、『留学』資格を持たない、通常の選抜方法で入学をしてきた学生であり、大学としても『留学生』とは見なしていない」

「そんなこと……」

「確かに一般的なケースとは言えない。が、ありえない話ではない。そして、事実、そうだった」

「そんな……」


私はその事態を、どう受け止めていいいのか分からず、思わずカレンの方を向く。

彼女は申し訳なさそうな笑みを浮かべ、それから、困ったような口調で

「ごめん、アカリ……私、よく分かってなくて」


如月はそれに再び首肯して

「そう。キミも外国人ということで、彼女が『留学生』だと勘違いしていた。そして、彼女の方でも、自分が『留学生』だと勘違いしていた」

彼は「2人の誤解だ」と続けて。

「それはそうだろう。『留学生』として扱われていないのは、あくまで学籍上の話で、生まれ育ったアメリカと違う日本に学びに来るのは立派に『留学』だし、異国の地に学ぶ『留学生』としての自覚がない方が、むしろおかしい」

「あたし達二人ともが、勘違いをしていた……」


私はその事実に、どう反応していいのか分からず、何か言い訳を探すように言葉を紡いだ。

「……じゃあ、先生が『このクラスに留学生はいない』って言ったのはどうしてですか?普通、『留学生』と言われたら、学籍上の扱いはともかく、外国人の学生のことを指すと思うはずじゃ?」

「最初から対面授業が行われていて、実際に講師が彼女の姿を見かけていたのなら、確かにそうは答えなかっただろう。だが、オンライン授業だった以上、講師は学生をシステム上で確認する。講義の履修者を確認する時に、『留学生』という区分で最初にソートをかけていた場合、彼女は『留学生』ではないのだから、当然見つからない。おまけに毎回の課題を出していないのであれば、外国籍の人間の名前も把握していないだろうからね」

「……なら、教務係に頼んで、名前まで伝えたのに見つからなかったのは、どうしてですか?」

「留学生として検索をかけた場合は、同じように彼女は見つからない。……だが、留学生の区分で見つけられなくても、名前で学生全員を対象に検索をかければ、普通は見つかる。それでも見つからなかったわけは、彼女がついた小さな嘘による」

「小さな嘘?」

「ごめんなさい、アカリ……」


カレンは再度頭を下げた。

如月の日本語は淡々として早口気味だが、意味は確かに分かっていたらしい。

その目には、再び涙が宿っていた。

「私のファミリーネーム。あなたに教えたのと、スペルが違う」

「スペル?綴りが違うってこと?」

こくっと頷いたカレンに、如月は再び合わせて

「キミが把握していた彼女の名前は『Cullen』だ。だが、本来の彼女のスペリングは『karen』だ。日本語にすればどちらも『カレン』だが、英名では別物になる。彼女は学籍上はアルファベットで登録されていたから、『カレン』とカナで検索をしても見つからない。そして、誤ったスペリングの『Cullen』でも、当然、見つけられなかった」

そこで如月は一旦、言葉を切って、さらに喉にお茶を流し込むと

「彼女はキミに名前を伝える際、誤ったスペリングをわざと伝えたんだ」

「どうして、そんなこと……」


私の問いに、口ごもってしまったカレン。

如月はすると、その気力のない態度を崩さず続けて

「警戒だ」

「警戒?」

「キミもSNSで同じ大学の学生を見つけるにあたって、相当の注意を払った。それは自分で話していただろう?なら、彼女の側でも警戒を払っていても不思議ではない。彼女は見ず知らずの相手に、いきなり自分の本名を伝えることにためらいを覚えた。だから、間違ったスペリングを伝えた」

「……そう、だったの?」

私の再度の問いに、今度はこくりと頷くカレン。

「実際にその嘘が、個人情報保護の観点でどれだけ意味を果たしていたかは、この際重要ではない。その小さな嘘で、心理的に安全な壁を築けたということがポイントだ。そしてその嘘が、いつしか彼女の重しになった」


そして如月は彼女の心理を、まるで自分のものであるかのように説明した。


当初は警戒心から、誤ったスぺリングの名前を私に伝えたカレン。

時が経つにつれ私と仲を深め、私を本当の友人であると認識する。

しかし、その一方で、自分が嘘をついてしまったという罪の意識も大きくなっていく。

オンラインで濃密な3ヵ月を過ごしたことがかえって、小さな嘘を取り消せない状態にしてしまった。


そして、その罪の意識を抱えた状態では、実際に私と対面をすることもできず、ただ、家にこもり、悩み続けていた。


その状態を、私は彼女が失踪したと見なした。


「感染症の時代に、オンライン交流が発達し、人と人とのコミュニケーションの距離の取り方はいっそう曖昧になった。その曖昧さが、小さな嘘をつかせた。そして、それが、一見すると、不可解な状況を生み出した」


彼は、社会の弊害を何の気概もない様子でそう述べると、「後は好きにすればいいさ」とだけ言って、いつしか取り出していた文庫本に視線をやった。


私はもう一度、カレンと向き合った。


彼女は、おびえたような、それでも、期待に満ちた目で、私を見つめ返した。

とてもきれいな目だった。


「アカリ……」

「ごめん、カレン。私、自分で自分の先入観に気が付かずにいた。大事なことなのに、気が付いていなかった。それこそ、社会調査で必要な視点のはずなのにね。考えは、人それぞれなのに。……そんな大事なことを、ずっと引きこもっていて、いつしか忘れちゃってたんだ」

「う、ううん、アカリ、わ、わたしこそ……」

二人はそこで、頷き合った。


「もう一度、ちゃんと、お互いを知ろう?友達になろう?」

「……うん」

私達は、いつしか抱擁を交わしていた。

熱い涙がこみあげるのを抑えきれなかった。


「感染症の対策はちゃんとしてくれよ」

嗚咽し、暖かな雰囲気を育む私達を横目に、如月は気のない声でそう言った。


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