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06

『如月とかいう職員、まじ最悪』

『何が学生相談室だよ。まったくこっちの話きかねえじゃん』


学生相談室を追い出された、その日。

私は行き場のない怒りをどこにやっていいのか分からず、キャンパスの日陰にたたずむと、その指をスマートフォンに向けた。

あんな人、他の学生にも不満を抱かせているに違いない。

そう思って、SNSをあの職員の名前で検索にかけると、案の定、悪い評判がたくさん出てきた。

罵詈雑言と言えるものもあったし、落ち着いた口調でも、対応の悪さに文句をつけているものが大半だった。


中には、

『あの人、上司の不興を買って、あの相談室に飛ばされたらしいよ』

『国立大学の職員って、昔は公務員だったんだろ?なかなかクビに出来ないから、代わりにあんなところに左遷されたんだろうなー』

『人間って、やっぱそいつが置かれた環境で質が分かるもんだよね』

というような、真偽不明な噂も書き込まれていた。


まあ、左遷された先があの部屋なのかどうかは分からないけれど、対応が酷いのは間違いない。

「これからどうしよう……」

悪口を言い合う人の姿を見ても、とくに気持ちが晴れるわけではない


徒労感が全身を支配している。

「……カレン」

どこに行けば会えるのだろう。

本当に彼女は存在していたのだろうか?

悲しみが悲しみとして、ここまで自分にこみあげてきたことはなかった。

「……うう」


『学食って、思ったより美味しいんだね』

『でも、なんかご飯が固かった』

『新勧あっちでやってるらしいよ!!』

学生達が交わす嬌声が、視覚と聴覚を刺激して、涙が恨めしいほど溢れてくる。

彼らは、不器用にも楽しんでいるのに。

私は、何も楽しめていない。

……奪われた。

奪われてしまった。

名前のない誰かに。


友人を、あったはずのキャンパスライフを、取り上げられてしまった。


「……帰ろ」

そう呟いた時だった。


スマートフォンから、着信音がしたのは。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


広山大学本キャンパスの教務棟4階。

相変わらず人気のないそこでは、自分の歩く音がしっかりと廊下に響く。

私はためらいと憤りの混じった足取りで、奥の部屋を目指していた。


絶望に暮れていたあの時、スマートフォンに見覚えのない番号からの着信があった。

一瞬のためらいの後、私はおそるおそる応答すると

「キミか」

「……え、ええと」

「如月だ。学生相談室に今すぐ来てくれ。キミの都合は関係ない」


そしてぷっつりと電話は切れた。

あまりのことにぽかんとした私は、すぐにそれまでの悲しみに代わって、怒りが心の中を再びさまようのを感じた。


突然、こちらの事情も聞かずに人を呼びつけるなんて。

そもそも、なんであの人は私の番号を知っているのか。

大学職員の権限で調べ上げた?

なら、無断でそんなことをしたことを、まずは詫びるべき!!


落ち込んでいた背中を怒りが支え、私の歩みを早くする。

響く足音に呼応して、いっそう自分の歩幅が広くなるのを感じながら、私はそのみずぼらしい部屋にたどり着いた。

申し訳程度に「学生相談室」と書かれた立て看板をねめつけ、ノックもせずに足を踏み入れる。

「ちょっと、いったい、どういうつもりで!!」


その先の言葉は続かなかった。


その部屋は、相変わらず貧相な室内灯に照らされ、昼間だというのに影の存在を濃くしていた。

狭い部屋に無造作に置かれた長机と、みずぼらしい椅子もそのままだ。

パーテーションの奥に腰掛ける如月という事務職員のやる気のない姿も変わりない。


だけど、私の視界を捉えたのは、そんな停滞を気にさせないほど輝いた存在だった。


「カレン……」


少し派手な金髪と、すらりとした長身。

職人が丹念に彫りこんだような高い鼻に、きりっとした目。

そして柔らかな笑顔がそこにあった。


「カレン……」

私は呆然と彼女の名前をただ繰り返していた。


最初に動いたのは彼女の方だった。


「ごめん、なさい」

慣れていない日本語で、カレンは頭を下げた。

そして、少し早口の英語で

『私、自分でも、どうすればいいのか分からなくて。そしたら、この男の人が、私に連絡を取ってきて』

彼女は涙を浮かべて再び頭を下げた。


「え、ええと……」

体が硬直するというのはこういう感覚なのかと初めて分かった。

目線をその狭い部屋の中でさまよわせる。


焦点がその人ー如月ーに向けられたとき、彼は口を開いて


「キミの友人は実在した。安心していい。キミの妄想ではなかった」

気が付くと彼はマスクを外し、紙コップに注いだお茶をのんびりと飲んでいる。


頭の中でその影が揺らいでいた友達がいきなり飛び出してきた思いの私とは、180度異なる、平然とした様子だった。


「え、ええと……」

頭の中の辞書では適当な言葉が見つからず、何を言うべきなのか分からない。

目の前では、カレンが肩を震わせながら、「ごめん、ごめんね」と日本語で謝罪を繰り返している。


そして、如月は女子大学生二人の混乱を特に気に留めた様子もなく「よかったよかった」と冷静過ぎる口調でこの事態を言祝いでいる。


私は機能不全に陥った頭をなんとか回転させて

「……ええと」

泣くことを止めないカレンの背中をさすった。

「大丈夫。大丈夫だから」

「アカリ……私、ワタシ……」


昔、子どものときに母にあやされたことを思い出しながら、私は同じ言葉を繰り返した。

「大丈夫、大丈夫……」

「……うう」


そうやって、私達は互いが互いを想う時を静かに過ごした。

何分くらい経ったのだろうか。

意味のある、大事な沈黙だった。


二人の気持ちがだいぶ落ち着いてきたころ、

「ありがとう……アカリ」

「うん……大丈夫」


事情はまだ分かっていないけれど、この友人に裏切られていたわけではないことは分かる。

やっと彼女に再開できた喜びに、私の心は今さらながらに弾んだ。


そして、平然とお茶をすすっていた如月の方に視線をやる。

「……あなたが、彼女を見つけてくれたんですか」

「まあ、そうだな」

「……いったい、どうやって」

「彼女から直に話を聞いた方がいいんじゃないか?」


彼は相変わらずやる気のない態度だった。

私は、今は笑顔となった友達を見やりながら

「……あなたがどうやったのか、私は聞きたいんです」

「そうか」


すると、彼は特にためらうことなく口を開いた。

「遠隔で出会い、仲良くなった友人がいなくなった。この問題に対する解答の可能性は、無限にあった」


この人なりにリラックスをしているのか、彼は椅子に背をもたせかけながら続ける。

「言語の違いでコミュニケーションが失敗だった可能性。日本の大学の学生のふりをしていたアメリカ人の可能性。大学生ではあるけれど、遠隔で授業受け、実際には来日をしていない可能性。そもそも彼女の存在が、キミが心の寂しさを埋めるための妄想だったという可能性。周囲の人間が何かの陰謀で、彼女の存在を無き者として振舞っている可能性」

指折り数えた彼は、ふっとため息をついて

「そして、そのどれもに無理があった」

彼は考えながら話すというよりは、初めから明らかな事柄を説明するような口調で

「そこで、もう少し単純に考えてみることにした。日常生活の問題は、大概が些細な勘違いに基づいている。今回の問題も、その域を出るものではないと思った」


「勘違い?」

私の問いかけに、彼は曖昧な頷きを返して

「そうだ」

「私が、何を勘違いしていたんですか?」

「結論から言うと」

彼は冷静な口調を崩さずに言った。


「彼女は、留学生ではなかった」

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