第30話「異形」
灯りが落とされ、人の気配が失せた山小屋に、大きな黒い影が覆いかぶさる。
その影は念入りに室内の様子を探り、そしてその中に“獲物”がいないことを悟った。
やがて、その影――魔物は、鋭い嗅覚で求める獲物の匂いを嗅ぎつける。
魔物は鼻っ柱をひくつかせながら、その視線を山の麓へと向けた。
どうやら獲物は山を下り、麓の村まで逃げて行ったようだった。
ただ忌々しいことに、その傍には“強者”がついていることも同時にわかった。この魔物を魔力で圧倒し、片腕を斬り飛ばしたあのニンゲンだ。
魔物は一瞬、思案する。
このまま獲物を追い、麓の村まで降りてもいいのだろうか・・・と。
十中八九、村には強者がいる。
あれは恐ろしい存在だ。何しろかつての魔物を――。
――そう、かつての、だ。
魔物は次の瞬間、まるでニンゲンのように、ニヤリと口元を歪めて嗤った。わずかに委縮していた体躯を伸ばし、自信の漲らせて眼下を見晴るかす。
そうして、すっかり様相の変わった自分自身の巨躯に目をやった。
――今ならば。
そんな、魔物の言葉が聞こえるかのようだった。
・・・いや、事実そうなのだろう。
やがて魔物はのっそりと移動を開始する。
進路は山を下ったところにある人間たちの住処。
そこには、かつての魔物に痛苦を与えた“元強者”と、“捕らえるべき獲物”。
そして、たくさんの“壊してもイイ獲物”がいるはずだ。
己に痛みを与えてくれたニンゲンは今度こそ肉塊に。
壊してもイイ獲物も同じく肉塊に・・・。
――では、捕らえるべき獲物はどこへ・・・?
その瞬間、魔物の動きが止まった。
――壊さず捕らえた獲物は、どこへ連れて行くのだったか・・・。
生憎、魔物には、捕らえた獲物を持っていき、褒美をねだるべき相手は既にいない。
何しろ魔物自身がその相手に牙を剥き、害してしまったのだから。
――メンドウ。・・・すべて壊せばいいのでは?
そんな考えが魔物の思考に侵入していく。
かつての“主人”に歯向かい、同胞さえもその血肉に変え、大きく存在の変質したその魔物は、結局のところ中途半端にかつての性質を残したままだった。
この小屋までやって来たのは、かつての主人に命じられていたからだ。
――ここに住む獲物を生きたまま捕らえ、主人のところまで運んで来い、と。
共に生まれ、共に狩りをして生きてきた、結束の固い同胞を手にかけたのも、かつての主人に望まれていたからだ。
――あのニンゲンとジュウマ以上にオレが強ければよかったのに、と。
しかし、もうすべては無意味になっていた。
もし命令を果たしたのだとしても、魔物をほめる主人はいない。
魔物は、自身の行動原理さえ忘れかけながら――。
眼下に見える灯りを踏みにじり、己に痛苦を与えた存在に今度こそ引導を渡すべく、山を駆け下りて行った。
第30話「異形」




