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異世界恋愛

彼は英雄になった

作者: Wana-wana

 先の大戦について、ある学者は先史文明との戦いであったと言った。ある学者は、革命であったと言う。

だが、彼らは口をそろえて言う。一人の英雄によって、大戦は終結したと。

 その英雄の名は、ローラ・クルーガであると。

 人の名前は、個を規定するための記号であると、ローラ・クルーガは考える。例えば、ローラ・クルーガという名前は、軍部の情報将校ローリエ・アークリッドを指し示さない。同じく、軍部における窓際部署で人格破綻者の魔法使いの部下であったローリエ・アークリッドは、稀代の天才にして英雄たるローラ・クルーガになりえない。

 英雄ローラ・クルーガが、ローリエ・アークリッドと、同一人物でただの凡人であるという事実があっても、世界が、その名が、それを許さない。


 庁舎の一室からは、真新しい建造物のにおいが部屋に漂っている。この建物は大戦で破壊されつくし、最近復興のシンボルとして立て直されたばかりだ。


「ローラ様、そろそろ研究室を軍の施設からこちらに移されてはいかがですか?」


 そろそろここから辞そうと思っていたローラにそんなことを提案したのは、政府の高官であった。まだ年若く、先の大戦の英雄たるローラを純粋に尊敬しているらしい。正直、やりにくい。


「何度も断っているが、必要ない」

「いえ、この際はっきり言わせていただきますが、あんな所は先生に釣り合いません。それに、先生があの()()()と夜な夜な密会をしているといううわさもあります」

「ふむ……」


 彼は本気でローラのことを心配してくれているのだろう。そうでなければ、わざわざローラの意思を尊重しようとせずに、こちらに断る余地のない状態にしてしまえばよい。

 或いは、経験のなさか。


「一つ尋ねたいのだが、まさか君は私を心配しているのかね?私が、彼女にたぶらかされていると?」


 言外に、君ごときがという意味も含める。()()()であるがゆえに許された物言いである。

 ローラは、内心で苦笑しそうになる。まったくもって自分には、似合わない振る舞いだ。だが、この相手には効果はてきめんだ。


「い、いえ、そんなつもりは決して!」

「ならばいいのだがね。ああ、私もはっきり言わせてもらおう。私がどこで研究していようが、かまわないでくれ。余計なお世話だ」


 今日はもう疲れた。ローラは、寄こされた車の中で大きなため息を吐く。今すぐ、毛布にくるまって泥のように眠ってしまいたい。けれど、それが無理なことを知っている。


(こんなにも繊細だったなんて、思いもしなかったな)

「何かおっしゃられましたか?」

「いや、何でもない」


 自嘲気味な呟きは、運転手にも聞こえてしまっていたらしい。気を付けなければならない。


(英雄ローラ・クルーガが、夜に寝ることもできない小心者なんて知られるわけにはいかないからね)

 

 ローラを乗せた車は、大通り差し掛かった。このままいけば、現在の自宅に到着するだろう。しかし、今日はあの豪邸に帰りたくなかった。


「君、今日は研究室に向かってくれ」

「かしこまりました」


 ローラを乗せた車は、進路を変更した。


 年季の入った扉は、きしんだ音を立てながら開いていく。ローラは、様々な器具や資料が散らばっているとても整頓されているとは言い難いそこに足を踏み入れた。

 すっかり暗くなった部屋の奥が、もぞりと動く気配がした。


「まったく、こんな時間にレディの部屋に入ってくる不届き者は、誰だい?」


 不機嫌そうなアルトの音色。ローラは、どうしようもなくほっとしてしまう。


「この研究室の責任者は、今は()のはずですけど?」

「なんだ、君だったのか。()()()()ちゃん、お帰り」

「ただいま戻りました、アーチェリア先輩」

 

 ローリエは、英雄(ローラ)の仮面を脱ぎ捨てて、ほほ笑んだ。



「お湯でいいかい?」


 こぽこぽとお湯を沸かしながら、アーチェリア・ド・ダクトルは黒曜の瞳を、ローリエに向けた。


「先輩が、僕に気を使ってくれるなんて、いったいどんな風の吹き回しですか?」


 おどけた口調で、ローリエは彼女をからかう。


「君は私をなんだと思っているんだい?さすがに、死にかけの顔をした者には、湯くらい出してやるさ」

「…………そんなにひどい顔をしていますか?」

「ああ、うまく魔術で隠していたようだがね」

「本当に、あなたにはかないませんね…………」


 彼女はとてつもなく聡い。ローリエごとき凡人では、奥底までも見透かされているだろう。


「最も、()()()の私のことだから、口からでまかせかもしれないがね」


 彼女は皮肉気に口角をつり上げる。


「あなたの性格が最悪なのは事実ですが、僕に関してうそをつくことはないでしょう」

「……本当に、可愛げがなくなってきたね君は」

「どこかの魔法使いの上司に揉まれたんですよ」

「そいつはきっとろくでもなしで、本当は魔力も持ってないやつなんだろうね!」


 彼女は、そう吐き捨てて立ち上がった。


 怒らせてしまったかと思ったが、彼女はお湯を取りに行ってくれたらしい。研究室に置けれている唯一のまともな家具である、ソファに二人並んで腰かける。

 ぽつぽつと他愛もない会話をしながら、しばしお湯をすする。その温かさが、ローリエの体に染み渡るようだ。


「ところで、君に私の膝を貸してやろうか?」

「はい?」

「君のことだ。どうせ、近頃眠れてないのだろう?」

「いやまあそうですけど」


 何がところでなのかはわからないが、眠れていないのは事実なので素直にうなずく。ローリエのことなど彼女には、お見通しだし英雄の仮面をかぶる必要もない。


「君のような男の子にとって、私みたいに美人なお姉さんに膝枕されることは、夢らしいじゃないか」

「あなたのその妙な知識の出どころはどこなんですか?」


 あと、ローリエはもう男の子という年齢でもない。


「とにかくだ」


 彼女はなぜか早口になった。


「はやくしてくれたまえ」

「はあ…………」


 そういうことになった。



◇◇◇

 研究室には、彼の寝息が響き渡っている。

 アーチェリアに膝枕をされて、落ち着かない様子だったがすぐに眠りに落ちた。彼の寝顔は、まだ年若い少年のように見えるほど幼い。アーチェリアは、彼の眉間のしわをほぐしてやった。


「君は、本当に不器用だな」


 アーチェリアの語りかけには、当然返事はない。


「英雄の名前は重いだろうに」


 ローラ・クルーガは、先の大戦で人類を救った大英雄だ。彼は、アーチェリアの部下であったローリエ・アークリッドの名前を捨てて、人類史上最高の英雄となり果てた。

 その選択は、確かに象徴としては正しかった。だが、それは彼にとって正しかったのだろうか。

 今でも、アーチェリアは思う。彼を英雄なんてものにならせてしまった自分が、彼と出会ってしまったことは間違っていたのではないだろうか。


「おっといけない。こんなことを言うと、また君に叱られてしまうな」


 自分としたことが、いささか感傷的になっていたようだ。

 アーチェリアは彼の頭を、母がするように、恋人がするように、優しくなでてやる。


「せめて、今だけはゆっくり休んでくれ。私の可愛い()()()()()()()()()()()


 アーチェリアは、そっと彼の頭を膝から降ろす。狭いソファの上で、彼にぴったりと引っ付きながら寝転がる。

 いつしか、アーチェリアも眠りに落ちた。研究室には、ただただ規則的な寝息だけが響き渡った。



 

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