5.言葉の真相
屋敷に戻ってからしばらくが経ち、父ーーフィノールが帰宅したと告げられたのはハンナの入れる紅茶を何杯か飲み干した時だった。
ハンナはレティシアが落ち込んでいるからと、とっておきの紅茶を振る舞ってくれたのだ。その紅茶はレティシアのお気に入りで、美味しさのあまりつい飲み過ぎてしまった。
これでは夕食が入るかどうかすらも心配である。
ちゃぽちゃぽと紅茶が体の中で揺れるのを感じ、しまったなとお腹に手を当てながらフィノールの書斎へと向かう。
書斎を訪れるとフィノールは温かい笑顔で迎えてくれた。嬉しそうに破顔しながらソファーに座るように促し、自らも目の前のソファーに座った。
「話があると聞いたが、どうかしたのかい?」
レティシアはフィノールの前に立つとブライアント邸での出来事をぽつりぽつりと話しだした。アイザックが剣術の訓練中に頭を打ったと聞いたこと、お見舞いに向かった部屋の前で『婚約者はいない』との発言を聞いたこと、お茶を辞退し早々に帰宅したことを。
笑顔を浮かべながら聞いていたフィノールの顔が段々と無表情になり、最終的には悲しげな表現になっていた。
「今日は早めの帰宅だったと聞いたが、まさかそんな事があったとは…。婚約者を持つ身でありながら、そんな事を言うなんて何を考えているのか…」
眉根を寄せながらフィノールは呟いた。
貴族である限り恋愛結婚など難しい。かくいう自分自身も恋愛結婚では無く、両親が決めた相手と結婚したのだ。それでも相手とは愛を育んだし愛おしい子どもたちもに囲まれ、結婚して良かった本当に幸せだと心から思っている。
レティシアが女性としてこの世に生まれた時点でブライアント家との婚約は決まっていたが、目に入れても痛くないほど可愛い娘には幸せになってほしいと思っていた。恋愛から始まった婚約でなくとも2人で愛を育み、アイザックから慈しみ愛されればと。
「ひとまずこの件は私に預けてくれないかい?私からブライアント公爵に打診してーー」
俯いていた頭を上げ話し始めたその時、書斎のドアがコンコンとノックされ、返事をするや否やフィノールの側仕えであるウェイドがすっと入ってきた。
お話中失礼しますとフィノールとレティシアに軽く頭を下げる。
おもむろにフィノールの側へ寄ると、一通の手紙を取り出した。
「お話が終わられてからでも良いかと思ったのですが、急ぎの要件かと思いまして…」
ウェイドが差し出した手紙に目をやると、ブライアント家の家紋が目に入った。
なんとタイミングの良い事だろう、さすがは国が誇る公爵家であると少しずれたことを考えながら手紙を読むフィノールを見つめる。
フィノールは手紙を読み終えると、息を吐きながら机に置いた。こめかみを押さえながらレティシアを見つめ、重い口を開いた。
「…どうやらアイザック殿はーー」
レティシアを忘れてしまったらしい。
フィノールの口から飛び出した言葉に、レティシアは静かに目を閉じた。
そう、アイザックは頭を打った衝撃で何故かレティシアのことに関してのみ全て忘れてしまっていた。
家族のこと、習っている勉学のこと、知り合いのことは覚えているのに。
自分のことだけ忘れてしまうなんてあまりにも酷くはないか。それほどまでに婚約が嫌だったなんて。それならそう言ってくれれば良かったのにーー。
お互いの意思だけでは婚約解消もできないし、アイザックがレティシアの記憶を忘れてしまうほど婚約が嫌だと知っていながらも結婚しなければならないのも嫌だとは思いながらも、どうしてもそう考えてしまうのだった。
そしてそれから約一月経ってもアイザックの記憶は一向に戻らなかった。
いつ戻るかも分からない記憶のために待たせるのも忍びないと、婚約解消の手続きを始めたい旨の手紙が公爵家から届いたのは、それから一月後のことであった。
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