《スニーキング!》2
見た目からは想像できないが、佐久良 春樹は勉強は出来るほうである。
予習復習はきっちりやる真面目君っぷりだ。
しかし、それとこれとは別。例え勉強ができたとしても、人間関係はまた別なのだ。
「…………」
春樹は、自分の席について外を眺めていた。
木々の緑が華やいで見え、雲一つない青い空が広がっていた。
というより、それしか見えない。
鉄筋コンクリート製の建物は勿論、木造建築物すら見えない。つまり、存在しない。
春樹が在籍する泉稜学園高校は、山奥にある全寮制の高校である。
それ故か、生徒たちによる自治活動が他校より行われている。
警察署や消防署、病院は遥か彼方。緊急車両で一時間はかかるのだ。
つまり、自分達の問題は自分達で解決しなければならない。それ故、生徒たちの自治が活発なのだ。
自治を行うのは主に『生徒会』である。無論、学園における権力は絶大だ。
だからこそ、生徒会役員の選定は厳密に行われる。
まず、生徒会長選挙が開かれ、全校生徒による選挙が行われる。これで『生徒会長』が選ばれる。そして、その選ばれた生徒会長が自ら生徒会役員を指名し決めていく。アメリカの大統領制のような感じだ。
協議を行う議会は、各委員会で選出された各委員長、運動部連合、文化部連合などが加わり、議会は形成されていた。
協議が行われる会議室が、大きな円卓が置かれ、それを使って行われているため、『円卓』とも議会は呼ばれていた。
ただ、そんな事は春樹にとってどうでもよかった。
政治の真似事には興味はない。ほっておけばどうにでもなる。
普通にしていれば関係ないことなのだ。
「おい佐久良。ちょっといいか?」
ボンヤリ外を眺めていたら、夏依が春樹の肩を叩いた。
「ん?なんだ?」
「少し用事が入ってな。今日は寮に戻るのが遅くなりそうなんだ。その事を寮長に伝えといてくれ」
「……そういうのは寮を出る前に言っとけよ」
「仕方ないだろ。急に用事が入ったんだから」
夏依は少しむくれると、ぷいっとそっぽを向いて自分の席に行ってしまった。
どうやら、拒否権はないようだ。
春樹が溜め息をついたとほぼ同時に、担任教師が入ってきた。
「ハイハイ、席につけ〜」
ざわざわと教室内の生徒が動き出し、自らの席につく。
教壇の真ん中で、見事に男女に分離された席順となった。
実は、泉稜学園高校は元々は『泉稜男子学園』と『泉稜女学院』の二校があった。しかし、時代と少子化の波に押され、この春、その二校を合併共学化した。
元々その二校は隣合っており、それを隔てていた壁を破壊して『泉稜学園高校』となったのだが、生徒達は戸惑った。
今まで同性しかいない環境だったので、異性とのコミュニケーションの仕方が分からない。
その結果、春樹のクラスでは男子と女子が互いに牽制しあい、席が真っ二つという状況になったのだ。
まぁ、男子陣営は融和(という下心)を目指しており、『女子対策会議』たるものを開いたりしていた。
途中編入の春樹は、これといって異性とのコミュニケーションに困らない(とることが出来ない)ので、嫌々ながら会議に参加させられていた。
「今年は珍しい。また編入生がやってきたぞ」
担任の言葉に、再び教室内がざわめいた。
二ヶ月前に春樹が編入してきたばかりなのに、再びこのクラスに編入生がやってくるのだ。本来なら、編入生は別のクラスだろう。
「入ってきなさい」
そして、入ってきた編入生の"少女"を見た途端、春樹は目を見開いた。
こんな漫画みたいな展開、許されるのだろうか?
「どうも、兵庫県から来た久遠 奏です。皆さん、よろしくお願いします」
少女は、昨日であった謎の少女Aだった。
●
ねぇねぇ、奏さんは兵庫県から来たんでしょ?遠いね。
兵庫県のどのあたり?神戸?
その髪って染めてるの?地毛?
女子連中がワイワイと固まっておしゃべり中。
その中心には、謎の少女A――もとい、久遠 奏がいる。
「確かに遠かったよ。五時間ぐらいかかっちゃた」
「ううん、播磨地方。兵庫県の姫路市に近いところ」
「地毛だよ。染めてない」
奏は一つ一つ質問に答えていた。
ただ、女子にすっかり囲まれて戸惑っているようだ。
一方、男子陣営の側も新しい女子のクラスメートに興味があるようだった。何人かの男子が、何度となく声をかけようとしていたのだが、分厚い女子の壁を前に引き返す者がほとんどだった。
ヘタレばっかだな、おい。
「くっ、女子のブロックが厚い……!」
春樹の前席で、丸ぶち眼鏡の男子生徒が呟いた。
「こうなったら、秘密兵器投入だ」
そうして、春樹の方に向いた。
「行ってこい。春やん」
「拒否する」
考える素振りもなく答えた。
「な、何故だ春やん。女の子に興味はないのか!」
「……なら三谷、お前はあるのか?」
「当たり前だ!興味津々だぞ、俺は」
彼――三谷 弘樹は下心満載のようだった。
『女子対策会議』の発案者であり、議長である弘樹は、男子連中が女子との"お付き合い"ができるよう尽力しているが、それは表の顔。
裏の顔は、女子と接触し、あわよくば己の好感度をあげて"ウハウハハーレム"を形成しようとしているただの変態である。
見た目は、メガネをかけてクールな感じなのだが、その見た目を裏切るその変態ぶりはまさに詐欺である。
無論、既に弘樹は女子生徒にドン引きされ、危険人物としてブラックリスト入りしているらしい。
「なら、自分で行けよ」
「それは無理だ。確実にな」胸を張って弘樹は答えるが、そんな自信は悲しいだけだ。
「頼む、お前ならあの壁を破れる。そりゃ、モーゼのごとく」
弘樹が拝むようにして手を合わせている。
そんなに頼まれても、春樹は受け入れるつもりはなかった。
確かに、春樹が行けば女子のブロックなんて自然と割れていくだろう。
ただ、それは春樹が恐れられているという再確認としかならない。誰だって、傷つきたくない。
「夏依に頼んで見ろよ。アイツなら女子に人気あるから大丈夫だろ」
「あ〜〜、ダメだった。『そんなつまらない用事でいちいち人に頼むな』って断られた」
まぁ、あいつならそう言うだろうな。
根はいいやつなのは知っているけど、相変わらず言葉に棘がある。
「な、頼むよ。お前だけが頼りなんだよ」
「くどいぞ三谷」
その後も、弘樹は何度も頭を下げるが、頑として春樹は首を縦に振らない。
「くそ、臆病者が!もういい!」
弘樹はそういい捨てると、女子の壁に単身で向かっていった。
そして、星になった。
全く持って馬鹿馬鹿しい。そんなに目をギラギラさせて飢えているから、女子が距離を置くんだ。
なぜ、そんな事に気付かないのだろう。
「全く、逆効果だって事すら気付かないのか」
「きっと、気付かないくらい一生懸命なんだよ」
ただ、独り言のつもりで呟いた言葉に返答があった。
横を見ると、流れるような栗色の長い髪が目に入った。
視線を上にすると、笑顔の久遠 奏がそこにいた。
後ろの方で、女子生徒達がハラハラドキドキといった感じでコッチを見ているのが分かる。
別にとって喰ったりはしないさ。
「何のようだ」
「何のようだなんて酷いなぁ〜」
存外だといった感じで、奏は笑っていた。
「クラスメートと親睦を深めたいんだよ」
「なら、他の人と深めてくれ。大喜びすると思うぞ。そこに倒れている眼鏡の男とか」
「それはちょっと遠慮したいかな」
どうやら、弘樹は奏のブラックリスト入りをしてしまったようだ。まぁ、自業自得なのだけれど。
「私は君と仲良くなりたいの。佐久良 春樹君」
「……ほぅ、何故オレの名を知ってる」
「知ってるよ。あなたの"名前"はもちろんね」
「…………」
――"名前"
そこの言葉に、かなり含みがある気がする。
確かに、『佐久良 春樹』というのは仮名である。
戸籍を作るため、家庭裁判所に就籍許可申請をして裁判所が決めた名前だ。
だが、奏はこの『佐久良 春樹』という名前でなく、本当の名前を知っているというのだろうか。
いや、確実に知っているのだろう。昨日のことを考えれば。
自然と春樹の目つきが、奏を射抜くような鋭いものになっていた。
そんな春樹の鋭い視線を物ともせず、奏は笑顔でいる。
外野の女子生徒達は、いつにない緊張感に支配されていたりするのだが。
「……はぁ」
なにピリピリしてるんだ。
春樹は急に馬鹿らしくなってため息をついた。
「ため息は良くない。幸せが逃げるからね」
「これ以上、逃げていく幸せなんてないからいいさ」
「ダメ。あなたにはこれから幸せになるんだから」
なにを言ってるんだ。この女は。
「そう、だから私がそばにいるのだから」
「……は?」
一体どういう意味だ――言い知れぬものを感じ、春樹がそう言おうとした時だった。
「さ、佐久良。ちょっといいか」
春樹と奏の間に割り込むようにして、夏依が体を入れてきた。
奏が少しムッとする。
「ん?なんだよ」
「ち、ちょっと用事があるんだ。き、来てくれないか」
グイグイと春樹の袖を引っ張る。
「分かった。分かったから袖を引っ張るな。伸びる」
春樹は腰を浮かせて席を立つ。
夏依に引っ張られるまま教室から出て行った。
なんだか不満そうな表情の奏が、教室に一人残された。