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ユリアンヌは未来を変える  作者: 亀れおん
8/13

決意


 育苗用の小さな鉢に土を入れて、二粒ほど種を蒔き、種が隠れる程度に柔らかく土を被せる。そこに水をかけて土を湿らせる。

 同じ行程を経た鉢をもう一つ用意して、これで同様の鉢が二つ。


「……よし」


 頷いて、予め自室の窓辺に設置しておいた小さな机……その上に載っている、前以て水を張っておいた浅鉢の中に二つの鉢を置く。発芽するまでは、土が乾燥するのを防ぐ為にこのまま腰水に浸けておく。


「お嬢様。何故、植物の栽培を?」


 作業が終わったのを見て、後ろから私を眺めていたリマが疑問を口にした。


「初心を忘れないために……ね」


 作業を始める前に、手伝いますと彼女は申し出てくれたのだけど、それは断った。これは、私の手で行いたかったから。


「初心、ですか?」


「ええ、そうよ」


 何の事やら、といった様子のリマから目を離して、窓の外を見やる。

 天気は未だに曇り空だけれど、所々から日の光が差し込んでいる。

 お父様に励まされてから、四日。

 辛くない……と言ったら嘘になるけれど、それでもお父様のおかげで少し立ち直れた。

 心が立ち直った分だけ体も復調してきて、食欲も幾らか戻り、眠る事も出来るようになってきて。お父様と話して、部屋から出てもいいと許可をいただいた。

 まだ、どう償えばいいかは分からない。でも、悩んでばかりいても何も始まらない。

 思い立ったのが、植物──ゼラニウムの栽培だった。

 幸い、室内でも育てられる花だ。

 世話をする度、私はお父様の言葉を思い出せる。視界に入る度、罪の重さに心が折れてしまわないように頑張れる。匂いを嗅ぐ度、贖罪の意志に芯が通る。

 そう考えて、庭師に道具や土、種を用意してもらって今に至る。


「しかし、桃色の品種でよかったのですか?」


 私の好みを把握しているリマは、不思議がって首を傾げている。

 確かに、以前の私なら違う色を選んだだろう。それこそ、お母様に合わせて赤色のゼラニウムを選んだかもしれない。私自身、赤は好きな色だ。

 でも。


「ええ、いいのよ」


 桃色を選んだのは、自身への戒めの為。

 桃色は私ではなく、サレナさんの色だから。

 あの惨劇のそもそもの原因は、私がサレナさんに醜い嫉妬の感情を抱いた事にある。結果、自分でも信じられないような凶行に走ったのだ。

 私は、あんな非道、無道を行った私自身を信用できない。

 だから、桃色にした。

 この色の花を目にする事で、自戒の念を胸の内に焼き付けられるように。


「……さて、お嬢様。そろそろラルエース様がいらっしゃいます。御支度を」


「分かったわ」


 私の魔力量減少が判明してすぐ、お父様は王に宛てて事の次第、自身が登城し相談したい旨を記した手紙を認めて王城へ送った。

 王からの返書を読んだお父様が王城へ向かったのが、私を励ましてくれた日の翌日。

 お父様から報告を受けた王様や王妃様が話し合いを行い、昨日、その結果をラルエース様ご自身が伝えにいらっしゃるとの書簡が我が家に届いたのだ。

 結果なんて、決まりきっている。

 しかし、他ならぬラルエース様の口から告げられる、というのがどうにも気が重くて、遅々として身支度が捗らなかった。







「ユリアンヌ……」


 応接室の扉を開けた瞬間、ラルエース様の暗いお顔が目に入った。その表情は、これから何を告げるかを雄弁に物語っていて。ラルエース様の背後に立つ、護衛兼側仕えのクダンの無表情が、それを更に際立たせていた。


「ラルエース様。此度の事態、偏に我が身の不徳のいたす所。誠に申し訳ありません」


「頭を上げてくれ、ユリアンヌ。謝らなければならないのは私の方だ」


「……はい」


 下げていた頭を戻して、ラルエース様の御言葉を待つ。

 言い難そうに口をもごもごと動かした後、ラルエース様は意を決したように拳に力を入れて、


「……すまない。君と結んでいた婚約だが……解消、という事に決まった」


「…………はい」


 分かっていた。


「物心が付いた頃から交わしていた婚約だというのに……こんな事になって、本当にすまない」


「……いいえ、ラルエース様に非はありませんわ。私が悪いのです」


 分かってはいた。


「そして、もう一つ。この証書にユリアンヌの署名をしてほしい……と父上から言付かっている」


「……はい」


 けれど、やはり心は痛みを訴えて。目の前が真っ暗になったような気がして。

 頭が、目線が、下を向きそうになる──けれど。

 お父様の言葉を思い出す。先程植えたゼラニウムを想起する。それが、私に力をくれる。

 すんでの所で持ち堪えて、ラルエースから書類を受け取った。書かれている文字に目を落とす。

 その内容は、ハイダスタン王家とユージー公爵家の両家、及び婚約の当人であるラルエース様と私が、婚約解消に同意する……という物だった。後々揉めたりしない為に、両者合意の上だと明記しておく証明書だろう。

 ハイダスタン王とラルエース様の記名は、既にされていた。

 ラルエース様は逡巡してくれたのだろうか、それとも……なんて考えてしまう気持ちを何とか振り払って、震える手で私の名を書き記した。


「……うむ。確かに」


 証書を返すと、ラルエース様は書に目を通して確認をした。

 そして伏し目がちに此方を見ると、


「……ユリアンヌ。婚約者という関係は今日で終わる。だがしかし、我儘だとは思うが、これからも友として親睦を深めたい。……構わない、だろうか?」


 なんて事を言って。


「王子、それはユリアンヌ様に失礼かと存じますが。第一、これから選定される王子の婚約者がそれを許すかどうか」


 この言葉に呆れたような声を上げたのは、クダンだった。


「む……。そうか?」


「そうです。王子はもう少し、女心というものを学ばれた方がよろしいかと」


 表情を変えずに放たれた慇懃無礼な言葉に、しかしラルエース様は、


「ふむ……」


 怒ることもなく、顎に手を当てて考え込んでしまって。

 こんな状況でも、このやり取りが楽しく思えてしまう。

 昔から、そうだった。

 私が何かしらをラルエース様に話し、ラルエース様がそれに反応を返して、たまにクダンが無礼とも取られかねない言葉をラルエース様に投げる。

 込み上げてきた懐旧の気持ちを振り払って、言葉を紡ぐ。


「そう、ですわね……ラルエース様のお相手が許してくだされば、その時は是非に」


「……ありがとう、ユリアンヌ。お前と共にあった間、楽しかった」


「……私もですわ」


 束の間、見つめ合う。

 ラルエース様は微笑んでらっしゃるけれど、私は上手に笑えているか分からない。


「では、ユージー公爵を呼んできてもらえるだろうか」


「承知しました」


 踵を返して、退室しようと扉の把手を握った時、


「……ちょっと待ってくれ」


 ラルエース様が待ったをかけた。振り返る。


「はい?」


「婚約が無くなった今言うことでもないかもしれないが……約束を守れなくて、すまなかった」


 頭が疑問符で埋まる。


「約束、ですか?」


 そのまま言葉にすると、ラルエース様は首肯した。


「ああ。誕生日の贈り物は何がよいかとお前に尋ねたら、物よりも、一緒に景観の良い場所に出掛けたいと言っただろう?」


 記憶の引き出しを開ける。確かに、そんな事を言った覚えがあった。

 でも、それを発言したのはこの私じゃなくて。

 私が此処で目覚める前の、十歳の誕生日を近々に控えていた無垢な私。


「本当なら昨日にでも誘おうと思っていたのだが、な……。結局、実現できなかった」


 そう、憶えている。

 この私の記憶では本来なら昨日、ラルエース様と一緒に王都の程近くにあるリューリ湖の畔へ出掛けた筈。

 道中、とても浮かれていたのをありありと思い出せる。けれど、楽しい思い出ばかりではなかった、ような……。

 湖畔に着いて、歩きながら話をして、そして──、


「……あ」


 おそるおそる、ラルエース様の右腕を注視する。衣服の上からでは判断出来ないけれど、振る舞いを見る限りでは不自然さは認められない。

 震える声で質問する。


「ラルエース様……つかぬ事をお伺いします。近頃、右腕をお怪我なされたり……しましたか?」


「ん? いや、怪我など体の何処にも負ってはいないが。それがどうした?」


 がつん、と頭を殴られたようだった。

 記憶通りなら、私に似合いの花があったと言って草むらに分け入ったラルエース様は、鋭い枝に右腕を引っ掛けてしまい、負傷されてしまうのだ。必死に手当てをした記憶が、確かにある。

 しかし、目の前のラルエース様は、怪我一つ無いと言う。


「……い、いえ。何でもありませんわ。その件でしたら、どうかお気になさらないでください。根本の原因は私ですから。では、お父様を呼んで参りますので、暫しお待ちください」


 早口で言いきり、応接室を退出する。

 後ろ手に扉の把手を握り締めたまま、暫く立ち尽くす。心臓が早鐘を打つ音が耳に響く。

 ラルエース様がお怪我なさらなかったのは当然だ。そもそもリューリ湖に行ってないのだから。

 少し頭を働かせてみれば、私が目覚めてから起きた出来事や会話は、私の記憶の中に存在しないものばかり。

 本当ならお母様は寝込んだりしなかった。お父様との先日の会話はなかった。ラルエース様との婚約が白紙になったりなんてしなかった。

 導き出される結論は、一つ。

 今いる場所が現実か夢かは未だ定かではないけれど、


「未来を……変えられる?」


 呟いた言葉に鳥肌が立つ。

 何故今まで気付かなかったのだろう。……いや、理由は明白だ。悲しみと苦しみとで目が曇り、罪の重さに屈して前を向いていなかったからだ。

 これが事実なら。

 私が力を尽くせば。

 あの凄惨な未来を、回避できる。

 これは、私が死の間際に見ている走馬灯、もしく神が私の罪の重さを痛感させる為に見せている罰なのだと、ずっと思っていた。

 でも、もしかしたら。

 やり直す為の、贖罪の為の機会を、神に与えて頂いたのかもしれない。


「なら……私のすべき事は」


 あの惨劇の回避するべく全力を尽くす。

 私が不幸にした人達の為に身を粉にする。

 それが、私が全霊を傾けて取り組むべき目的。


「……よし」


 決意の種が、心に蒔かれた。


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